今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

長栄山 大国院 本門寺(池上本門寺)その2(東京都大田区池上)

2015年10月31日 | 神社・仏閣
若い頃の思い出の曲というのがあるが、西島三重子の「池上線」もその一つだ
池上線に揺られながら~ 鼻歌を歌いながらこの池上本門寺にやってきた

本殿
空襲で灰燼に帰した釈迦堂を再建したのが本殿である
内陣に久遠の本師釈迦牟尼仏坐像と本化地涌の四大菩薩立像、大堂尊像を模刻した祖師像を祀る



本殿入り口の左右に安置されている仁王像。モデルはアントニオ猪木とか


 
自由に撮れる仏像であるが、ピント合わせに苦労している。



御廟所
境内最奥の、築地塀で囲んだ浄域にある



宗祖日蓮聖人の御灰骨を奉安する墓塔を廟堂内中央に祀っている
向かって左の廟堂には第2世日朗聖人の墓塔が、右には第3世日輪聖人の墓塔が安置されている



日蓮聖人の御灰骨を奉安する墓塔



第2世日朗聖人の墓塔


  
御廟所から見た本殿。右側には十月桜が咲いていた



歴代墓所
宗祖日蓮聖人の御荼毘所跡大宝塔の背後に新設された浄域の一つ。



第4世日山聖人以後の歴代貫首を祀る。左後方に、開基檀越である池上宗仲公夫妻の墓碑がある



さざれ石



宝塔(重要文化財)
日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所



開基檀越の池上宗仲公が多宝塔を作り、聖人の御余灰を中に盛って奉安したと伝える



現存の宝塔は、1828年(文政11年)日蓮の550遠忌を記念し、犬山城主・成瀬氏らを本願主として再建された



円筒形の塔身に宝形屋根を載せた宝塔形式の塔で、内部空間を有するものは他にほとんど類例がないそうだ



鮮やかな朱色が青空に映える



撮影 平成27年10月13日
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長栄山 大国院 本門寺(池上本門寺)その1(東京都大田区池上)

2015年10月30日 | 神社・仏閣
昨年も訪れたが、撮影した記録がパソコンから消失してしまったため再訪となる
昨年の記憶を頼りに池上駅から歩いてみたが、これまでの人生同様誤った道を歩んでいたようで、なかなかたどり着くことができない
スマホの道案内の通り進むと、記憶していた光景が広がってきた

池上本門寺
日蓮聖人が弘安5年(1282)10月に61歳で入滅(臨終)された霊跡
聖人は棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かう途中、武蔵国池上の郷主・池上宗仲公の館で亡くなった
池上宗仲公が法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進、以来「池上本門寺」と呼ばれている

総門
昭和20年4月の戦災を免れた数少ない古建築の一棟
扁額「本門寺」は、寛永4年(1627)本阿弥光悦の筆



此経難持坂(シキョウナンジザカ)
加藤清正公の築造寄進。慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、追善供養のため祖師堂を建立寄進
併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられている



境内各所に案内板が設置されている



上から見ると急な石段。此経難持の偈文96字にちなみ96段になっている



仁王門
毎年10月11日~13日の3日間、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われる
お逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わうという
この日は13日の昼である。既に周辺の道路は交通規制がなされ、街中から境内には出店で賑わいを見せている



仁王像を撮るにも障害物が多くこの角度のみ



準備作業をしている人達の無言の圧力もあり像にピントが合わない



今はまばらな参拝者だが、夜にはこの周辺がどのような状態になっているのか、想像すらできない



手水舎
この寺を再訪した目的の建物が右側にちらっと写っている。楽しみは最後に



大堂から見た仁王門



大堂
江戸の人々は「池上の大堂」に対して、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだという
その旧大堂は、昭和20年4月の空襲で焼失。昭和39年に鉄筋コンクリート造の大堂が再建された
内陣中央の大型御宮殿(建築厨子)に日蓮聖人の祖師像を奉安。左に第2世日朗聖人像を、右に第3世日輪聖人像を安置する



鐘楼堂
加藤清正公の娘の瑤林院が、正保4年(1647)に寄進。その後、正徳4年(1714)に改鋳され、当初の銘文が残っている
昭和20年4月の空襲で火をかぶり、一部に亀裂と歪みが生じた



現在は傍らに仮安置



日樹聖人の五輪塔
本門寺境内最大の五輪石塔。約4mある



火輪斜面に「日樹(花押)」の署名が刻まれている



霊宝殿
立教開宗750年慶讃事業の一環として、平成13年に完成



本門寺が格護している数々の霊宝を永代に亘って保全する
通常は毎週日曜日のみだが、この日は特別に観覧できた



正面入口の「霊寶殿」の文字は、日蓮聖人の御真跡から選んで拡大したもの

 
  
経蔵
空襲の際も、五重塔・大宝塔・総門などと炎上を免れた
江戸時代・天明4年(1784)建立。 方三間宝形造 裳階付ゆえ外見は方五間二重屋根となる



堂内の輪蔵には、天海版一切経が架蔵されていた



境内に咲く「十月桜」
木陰にひっそりと咲く花を見つけた。周囲をぼかそうと思っていたら花もぼけてしまった。



撮影 平成27年10月13日
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過去に戻ることのできる同期会は楽しい

2015年10月29日 | 放言大論
2泊3日の同期会も今日が最終日。横浜中華街で昼食を食べ解散する予定になっている
昨日までの雨も止み、青空が広がっている
昨夜1時過ぎまで騒いでいたが、中高年は朝が早い
朝風呂に入る者やら、散歩に行く者やらバラバラに行動するが、7時の朝食には何事もなかったように全員がきちんと集まる

ホテルの窓から遙か遠くに「小田原城」が見える



出発間際に「寛一お宮像」がホテルの近くにあることを知った
散歩に出かけた連中はカメラにきちんと収めていた

熱海駅から横浜駅までは全員電車で移動
途中、年寄りに席を譲っていた仲間がいた。彼も十分年寄りなのに……
「立派」と話すと、「人間として当然だ」と彼は言う。いい人生を歩んできている
 
横浜中華街
中華街は初めてで楽しみだった。東京に次ぐ大都市、人の数が半端ではない
真っ直ぐに歩くことができないほどの人の波。好景気時代の札幌ススキノの夜を思い出した

 

地元の幹事は超有名店を予約し試食したところ、価格と献立に満足できず他店に変更になったと語る
事前に地元の幹事数名が集まり、自腹を切ってこの日のために準備してくれたのだ
 
2泊3日の同期会が楽しく笑顔で終えることができたのも彼らのお蔭だ

昼食後、固い握手を交わし再会を約束、北は北海道、南は九州・沖縄へと別れた
一定の年齢を重ねると輝かしい未来は期待できないが、過去に戻ることができる同期会は何故か元気になることができる
次回は、2年後に九州で開催を予定している



ところで私だが、あと2泊して観光する予定のため、地元の幹事と二次会に参加
午後8時、最後の一人と別れた。ホテル到着後は2日間の寝不足と酔いもあり爆睡

撮影 平成27年10月12日
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箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町)

2015年10月28日 | 名所・旧跡
鎌倉観光の最後となった鶴岡八幡宮を出発し、バスには新しい2名の仲間が合流した
渋滞もあったが、雨の江ノ島海岸や江ノ電、葉山御用邸などTVなどでしか知らない場所が車窓から見えてくる
雨の江ノ島海岸、多くの人達がウインドサーフィンを楽しんでいる



江ノ島は湘南を代表する景勝地らしいが車窓からではわからない
デートスポットも沢山あるらしいが、年齢的にもう遅い



それよりも雲間から見える青空の方が気になる
明日は横浜中華街で最後の昼食だ。晴れてほしい
途中、箱根駅伝の走路を横断した
母校も出場しているだけに盛り上がった。今年も期待したい



史跡 箱根関跡
東海道は江戸と京都・大坂の三都間を結ぶ最重要交通路
通行時間は明け6つから暮れ6つまでと規定されて夜間通行は原則禁止された



「入鉄炮に出女」に象徴される厳重な監視体制が採られた
寛永年間に同じ東海道の今切関所が江戸に入る鉄砲(入鉄炮)を監視し
箱根が江戸から出る女性(出女)を監視する任務を主とするようになった









箱根関所は番頭1・平番士3・小頭1・足軽10・仲間・定番人3・人見女2・その他非常用の人夫から構成されている



女の身体的特徴を専門に検分する人見女(髪改め女)が常駐し、出女の監視を行っていた

 
 
説明書きが足下に置かれていて分かりやすい



関所破りは重大な犯罪とされ、これを行おうとした者、あるいはそれを手引きしたものは磔などの厳罰が課された



慶応3年(1867年)8月には慶応の改革に伴って、手形が無くても関所の通行が許可されるようになり、関所改めは廃止された



役者による当時の様子を語る寸劇が突然始まった。これまでが単調だっただけに実に面白い



この3名の役者のお蔭で「箱根関」が記憶に残っている
この後、資料館で歴史を学んだが見聞きしたことが浮かんでこない



そばに芦ノ湖があり、観光船が出港した



マイクロバスは今夜の宿泊地である熱海を目指す。ホテルで更に仲間が2名合流した
この夜は少し変わったセルフサービスの宴会となった。終了後は、部屋に皆が集まり二次会
とても中高年の集まりとは思えないドンチャン騒ぎ。涙が出るほど笑った

撮影 平成27年10月10日
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鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市雪ノ下)

2015年10月26日 | 神社・仏閣
鎌倉に来たなら「鶴岡八幡宮」に参拝しなければという、同期会幹事の配慮でこの地にきた
三連休の中日で日曜日、参拝者が多く、予定していた駐車場も満車で少し離れた所に駐めることになった
 
鶴岡八幡宮
康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際して加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に祀ったのが始まり



武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まった
八幡宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となった



「質実剛健」は団体行動をしている約20名の母校の校訓でもあり、不思議な縁を感じた

本宮(重要文化財)
應神天皇・比賣神・神功皇后を祀っている社殿



大石段
参拝者が間断なく続いていく



大銀杏の倒伏
平成22年(2010年)3月10日、強風のために大銀杏は根元から倒れた
倒れた大銀杏は3つに切断され、根元から高さ4メートルまでが、7メートル離れた場所に移植された



太鼓橋
 


人のいないところは立入禁止のここだけ。人に疲れカメラを向ける気分になれなかった



この後、蕎麦屋で昼食。観光地だけにあまりを期待していなかったがすこぶる美味
蕎麦と酒は合うと一部ではすでに盛り上がっていた

八幡宮で大坂府在住の2名が合流。大坂人はいるだけで周囲が賑やかになる
今夜の宴会も間違いなく盛り上がりそうだ

撮影 平成27年10月10日
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海光山 慈照院 長谷寺(神奈川県鎌倉市長谷)

2015年10月26日 | 神社・仏閣
大学時代の同期約20名、貸切マイクロバスで鎌倉観光をしている
駐車場の横に長谷寺があったが、誰からも「行こう」という声がなかった
出発予定時間5分前、すぐ廻ってくるからと一人長谷寺へ入る

海光山 慈照院 長谷寺<通称:長谷観音>
本尊は十一面観音、開山は僧侶の徳道

山門
大きな提灯と「門かぶりの松」 鎌倉市内の四脚門では建長寺、円覚寺、妙本寺に次ぐ大きさ



初めての寺だけに境内の様子も分からず、石段を駆け足で上がり上から順に目に入ったものを撮す
円覚寺を10分で廻った経験をしてきただけに、5分でもある程度は廻れるのではないかと思った

経蔵(輪蔵 )
内部の回転式書架を「輪蔵)」と呼ぶ
中には一切経が収められており、書架を一回転させることで一切経をすべて読誦した功徳が得られるという



観音ミュージアム
場所的に観音ミュージアムではないかと思うが、確かではない









観音堂
長谷観音と呼ばれる十一面観音立像を安置
 


建物の右が「観音堂」、左が「観音ミュージアム」



本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容
大和長谷寺の本尊をはじめ、全国に所在する長谷寺に祀られる観音像に多く見られることから、これらを総称して「長谷寺式十一面観音像」という
30秒程度の拝観であるが確かに奈良の観音像と似ている



鐘楼
文永元年(1264)鋳造の銘を持つ、鎌倉でも3番目に古い
重要文化財に指定され、現在は宝物館において収蔵展示



地蔵堂
信者の発願により建立。その後、堂宇の老朽化に伴い平成15年に再建されたのが現在の地蔵堂
鎌倉では例の少ない扇垂木の屋根が特徴



昔、長谷寺の「身代わり鈴」をもらったことがある。40数年前のことになるが今思い出した



撮影 平成27年10月10日
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大異山 高徳院 清浄泉寺(神奈川県鎌倉市長谷)

2015年10月25日 | 神社・仏閣
この日はいつもと様子が違って、団体で行動している
昨夜は大学時代所属していた部活動の同期会を三浦海岸で行い、深夜まで18歳の頃に戻り、飲み・食い・騒いでいた
この世代は寝ていても「いびきの大合唱」で騒々しい。完全に寝不足である

大異山 高徳院清浄泉寺
浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来像(国宝)
私はこの寺の名前は知らなかったが「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として世間から知られる寺院である



境内案内図であるが、大仏以外何もない



仁王門
山号「大異山」を記す扁額が掲げられた山門は、18世紀初頭、内部に安置された一対の仁王像とともに他所より移築された









阿弥陀如来像(国宝)
像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)。重量約121トン



同期会幹事の当初の計画は箱根観光であったが、状況が状況だけに鎌倉観光に変更したようだ



鎌倉大仏は噂には聞いていたが、見るのは初めてで私にとっては嬉しい計画変更になった



幹事からは駐車場に30分以内に戻るようにときつく言われている
仏像をバックに仲間で記念写真撮影を行った
正体を明かすわけにいかないが、野獣ばかりではない



もう少し下も撮りたいのだが、日曜日ということもあり参拝者が多くできなかった



青空もいいが、曇りでどんよりした天気は仏像を撮すにはいい感じがする



土門拳風にカッコをつけて撮った



周囲に仲間の姿が少なくなった。方向音痴のため急いで合流しなければ駐車場に戻れず迷惑がかかる
今度は晴れた日にゆっくり訪れたい



撮影 平成27年10月10日
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瑞鹿山 円覚寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)

2015年10月24日 | 神社・仏閣
この日は友人との昼食の約束が急に入り、1時間で3寺を廻る計画を立てた
円覚寺を最後に選んだのは北鎌倉駅に近く、時間調整ができると思ったからだ
山門に着いたときには残り10分足らずしかない。入るかどうか迷ったが

瑞鹿山 円覚寺(円覚興聖禅寺)
臨済宗円覚寺派の大本山、鎌倉五山第二位。開基は北条時宗、開山は無学祖元



総門
鎌倉の寺院の参拝客の多さには驚くが、奇跡的に総門を撮ることができた



山門(三門)(県重要文化財)
山門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払い、仏殿に至る門とされている



天明5年(1785年)、大用国師誠拙周樗が再建。楼上には十一面観音、十六羅漢像を安置
仏殿に続く道では附属幼稚園の運動会が開催されていた
世間で話題となっている「組み体操」が行われていたが、怪我など恐れず伝統を継続してほしいものだ


 
「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされる



仏殿 宝冠釈迦如来像



仏殿内に安置されている本尊は冠を被っているので、「宝冠釈迦如来」と呼ばれ、華厳の盧遮那仏とも称される






天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で日本画家守屋多々志が描いた



選仏場
仏を選び出す場所という意味で、修行僧の坐禅道場



薬師如来立像(南北朝時代)を安置



居士林
明治の頃より、在家の人の座禅(居士禅)が盛んになり、山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石などが参禅した



百観音霊場
西国33、板東33、秩父34霊場の総称






石像が剥げ落ちたのかと思っていたら、よく見ると石板に観音像が刻まれている



方丈の裏には、心字池のある美しい庭園。時間がなかったため外から撮影






妙香池(みょうこうち)
夢窓疎石作と伝える庭園の遺構



舎利殿(国宝)
神奈川県唯一の国宝建造物






狭い空間に参拝者が並んでいる状況で時間つぶしに周囲の木を撮ってみた。



如意庵
多くの参拝者が流れていく



和風が外国人に喜ばれていた



庭には美しい花も咲いている



昼食の献立も周囲の風景にあっている。さて、ここは



このような場所で昼食とはおしゃれで贅沢、一度経験したいものだ



この後、横浜駅で友人と再会し昼食。男らしく「カツの盛り合わせ」を注文。昼に飲むビールが効く
午後6時から大学時代同じ部活動で過ごした同期会が三浦海岸で行われる。40年ぶりで再会する仲間もいる
互いに認識できるかが不安である

撮影 平成27年10月9日
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松岡山 東慶寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)

2015年10月23日 | 神社・仏閣
松岡山 東慶寺(東慶総持禅寺)
弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創
江戸時代には幕府寺社奉行も承認する「縁切寺」として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた

山門
封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、この山門内に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできた。



さだまさしの「縁切寺」の歌詞の2番にこの山門がでてくる
 ちょうどこの寺の山門前で きみは突然に泣き出して
 お願いここだけは 止してあなたとの
 糸がもし切れたなら生きていけない あの日誰かに頼んで撮った 
 一枚切りの一緒の写真 納めに来ました縁切寺 

時代が変わり今は男性が



鐘楼
東慶寺の梵鐘は観応元(1350)年の補陀落寺のもの






茶室「寒雲亭」
千宗旦筆の「寒雲」の扁額



本堂(泰平殿)
昭和10(1935)年に建立。春にはしだれ桜が花をつける



美しい宝形造の屋根を誇る



本堂の内部



本尊の釈迦如来坐像を祀る



境内の歩道に置かれている小さな仏様だが、存在感は十分



この寺では四季折々の花が咲いている



花の知識などまったくないが、寺に咲く花も撮っていくことにした






この寺では花にカメラを向けている人の数が多い。私も仲間入りができた



墓地
後醍醐天皇皇女 用堂女王墓









文化人の墓が多いことでも有名
和辻哲郎の墓



鈴木大拙の墓



檀家の墓地には、西田幾多郎、岩波茂雄、安倍能成、小林秀雄、高木惣吉、田村俊子、真杉静枝、高見順、三枝博音、三上次男、東畑精一、谷川徹三、野上弥生子、前田青邨、 川田順などがある。

松ヶ岡宝蔵
東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館
入館目的は、木造聖観音立像(重要文化財)であったが仏像は一体のみ



さだまさし作詞作曲の「縁切寺」は若い頃好きな曲のひとつであり、この寺との縁を感じた
この日は時間的余裕がなく1時間で3寺を廻ることに。この寺には10分ほど滞在、最後の寺に急ぎ向かう



撮影 平成27年10月9日
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巨福山 建長寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)

2015年10月22日 | 神社・仏閣
昨夜は新横浜駅前のホテルに宿泊。午前10時に北鎌倉駅に着いた
駅のロッカーに荷物を預けた時に電話が鳴った。昨年、山口県の青海島・角島でお世話になった友人からだ
12時に横浜駅で会うことになった。急がねばならない

巨福山(こくふざん) 建長寺
臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉五山の第一位。建長5年(1253)に北条時頼が建立したわが国最初の禅寺



総門
天明3年(1783年)の建立。1943年に京都の般舟三昧院から移築された
「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆
「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられたことにより、百貫の価をそなえたとし「百貫点」という



三門(重要文化財)
安永4年(1775年)の建立で、2005年に重要文化財に指定
参拝者が多く全体像を撮ることができないのが残念だ



銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊し再建。寺号は詳しくは建長興国禅寺
三解脱門の略で、楼上に宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置し、その下を通ると心が清浄になることを祈念しているそうだ



初層は門扉も壁もない吹き放しとしている



柱の一つに人が集まっている場所があった



梵鐘(国宝) 
三門右手の鐘楼に架かる。高さ約2.1メートル
建長寺創建当時の数少ない遺品の1つだが、修復中であった



建長寺の柏槇(びゃくしん)
開山蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際にまいたと言われている



仏殿(重要文化財)
芝の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築された



屋根は入母屋造でなく寄棟造



本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)



撮影禁止の立て札がない
実は昨年もこの地を訪れ写真を撮っていたのだが2泊3日分の大量のデータのすべてが消失
してしばらくショック状態が続いていた



仏殿内の色彩が記憶に残っていたため、再び訪れることにした



この仏殿の天井は和様の格天井



法堂(重要文化財)
禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物



方三間、裳階付、銅板葺き。文化11年(1814年)の建立
鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定



天井画は小泉淳作筆の雲龍図



見やすいように半回転させてみた



千手観音坐像と釈迦苦行像が安置されている




 

2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが万博終了後パキスタンより寄贈された



私の腹部との違いに驚く。修行・苦行が足りないということか



唐門(勅使門・重要文化財)
方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築された



唐門とは屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門をいう



方丈側から見た唐門



方丈(竜王殿)
総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築






庭園(国史跡)
開山蘭渓道隆の作庭



時間がないので戻ることにした。午後からは雨の予報、願わくば青空がほしかった



建長寺の柏槇を最後に次の寺に向かう



撮影 平成27年10月9日
コメント (5)
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靖國神社(東京都千代田区九段北)

2015年10月21日 | 神社・仏閣
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇によって建てられた東京招魂社が始まり
明治12年(1879)に「靖国神社」と改称された



私は昨年に引き続き2回目の参拝となる。羽田飛行場から重いバッグを引き摺ってたどり着いた
私のようにバッグを持った参拝者も多く少し安心した

「靖國神社」の社号標と第1鳥居(大鳥居)
大正10年(1921)、日本一の大鳥居として誕生した第一鳥居は、長年の風雨で損傷がはげしくなり、昭和18年(1943)に撤去
現在の第一鳥居は戦友たちの奉納により昭和49年(1974)に再建されたもので、高さは25m



第1鳥居から先に進むと遠くに銅像が見えてくる
境内を歩く下校時の小学生、平和な光景である



慰霊の泉
戦没者に捧げる母の像



大村益次郎銅像



日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した大村益次郎の銅像
明治26年(1893)、日本最初の西洋式銅像として建てられた



第二鳥居
明治20年(1887)に建てられた。青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇る



神門
神門は昭和9年(1934)に建てられた



中央の二つの扉には、直径1.5メートルの菊花の紋章が取り付けられている



中門鳥居
この先の写真撮影は禁止されているのか、カメラを構えると注意された。昨年は問題なかったのだが
最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭
秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行される



遊就館
明治15年(1882)に開館。遺品などを収蔵、展示する施設。平成14年(2002)に改修、増築
これまで、広島・長崎・沖縄などの展示物を見てきたが、知覧の特攻記念館とこの遊就館は特別な思いがよぎる



護国 海防艦
地面には世界地図が



パール博士顕彰碑
極東国際軍事裁判(通称 東京裁判)でインド代表判事を務め、裁判官の中でただ一人、被告団全員を無罪とする意見書を提出したパール博士の功績を伝えるため、平成17年(2005)に建てられた



母の像
この像は、苦難と孤独に耐えながら子供を育て上げた戦争未亡人への敬意と感謝を込めて、昭和49年(1974)に建てられた
立派に成長した子供(遺児)たちが奉納したもので、「お母さん、ありがとう」の気持ちの表れだ



特攻勇士之像



以上が遊就館前に展示物。館内に入る
国のために尊い命を捧げた英霊の遺徳に触れ、学んでもらいたいという願いが館名に籠められているそうだ






館内は撮影禁止であり残念ながら紹介することができない
要所要所の説明を読むだけで2~3時間を要する



靖国神社参拝や遊就館の展示内容がよく政治利用されているが私にはよく分からない
故三宅久之氏が遊就館で号泣した場所がある



花嫁を迎えることなく戦死した英霊に対し、戦後遺族から捧げられた「花嫁人形」が展示している場所だ
北海道の母親からの思いを読むとその気持ちが理解できる。つい禁を破り撮してしまった



この展示室を出る多くの人の眼には涙が。私も心で泣いていた

 
 
1階の大展示室(撮影可)
人間魚雷 「回天」






軍艦 「武蔵」



艦上爆撃機 「彗星」



「九七式中戦車」



特別展「大東亜戦争七十年展 最終章」が開催されていた



靖国神社参拝問題については自民党政権打倒を社是としているA新聞社の影響が大きいと聞く
中国を刺激して問題視させ、それに韓国も乗った
 


遊就館の資料を読み、戦死した英霊に対し失礼な話しだと憤りを覚えるのは私だけか



撮影 平成27年10月8日
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北海道百年記念塔(北海道札幌市厚別区厚別町)

2015年10月20日 | 北海道
北海道博物館から「北海道開拓の村」に向かう予定であったが、近くの百年記念塔に立ち寄ることにした
私のブログでは2回目の紹介となる



前回と異なる写真にしたいと思い、芝の上を歩き、塔の左側に移動してみた
遠くに見える森林内を歩くための道もある



野幌森林公園の一角にある高さ100mの塔
1968年(昭和43年)に北海道開道百年を記念して建てられた



雲一つない快晴の天気。大型台風接近による暴風雨の予報が信じられないほどだ(実際その通りになった)



残念だったのは老朽化による修復工事のため近寄ることができなかったこと
この場所に噴水があるのだが、この日は動いていなかった


 
撮影 平成27年10月7日
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北海道博物館(北海道札幌市厚別区厚別町)

2015年10月19日 | 博物館・美術館・記念館
2015年(平成27年)4月18日に開館した総合博物館
前身は「北海道開拓記念館」である



北海道博物館開館記念特別展として
「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」 を開催



松前藩士・蠣崎波響(かきざきはきょう)(1764-1826)が1790(寛政2)年に手がけた、12人のアイヌを描いた絵



蠣崎波響は藩主の命に従い「クナシリ・メナシの戦い」を治めるために松前藩に協力した12人の功績を讃えるという名目で12図を描いた



安倍晋三首相の妻、昭恵夫人も来館されたと地元紙に報道されていた



館内は撮影禁止。この写真は模写された作品の一部






次に館内の展示物を紹介する。



ここで記念撮影ができる。



この博物館は初めてで館内の様子がわからない
歩きながら気に入った展示物や幼い頃見聞きした懐かしいものを撮ってみた



1975年(昭和50年)、北海道の旧南茅部町でジャガイモ畑から中空土偶が発見された



2007年(平成19年)中空土偶「茅空」は北海道内初の国宝に指定された(道内唯一の国宝)






























旧幕府の軍艦 「開陽丸」 函館戦争のさなか暴風雨のため江差沖で座礁、沈没












北海道に住んできた者として懐かしいものばかりである
























撮影 平成27年10月7日
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札幌芸術の森野外美術館(北海道札幌市南区南区 芸術の森)

2015年10月18日 | 北海道
毎年訪れる野外美術館
滝野すずらん丘陵公園から数キロ離れたところにあり自宅への帰り道にあり立ち寄ることにした



年間パスポートが切れていたこともあり、その購入(1,000円)も頭のなかにあった



いくつかの作品を紹介していく

1 シンボル彫刻「昇」
これまでじっくり見ることはなかったが、周囲を回ってみて気付いたことだが太陽光によって表情を変える






2 「ふたり」<朝倉 響子>
野外美術館に展示されている全作品中一番好きな作品



毎年この作品を見るためにここに来ている。今日はふたりではなく「ひとり」だけを撮ってみた



この日は市内の小学生が野外学習で来ていたが、この作品の横に7・8人が座り会話を楽しんでいた



小学生が帰りやっと撮れると思いや、今度は中国人観光客の団体が
何を話しているのか理解できないが騒々しい
この作品の前で30分以上待つことに

 

3 「女・夏」<佐藤 忠良>
観光客の関係で人が入り込まない場所を選び歩いた



木々の中に中腰で隠れるように撮っている姿
中国人には変な日本人と思われているはずだ



4 「冬の像」<佐藤 忠良>
この像を遠くから見ていると手元に光が当たりとても幻想的だった



この作品を雪の中で見たときから好きになってきた。タイトルの意味がその時理解できた






5 「少年の像」<佐藤 忠良>



6 「足なげる女」<佐藤 忠良>



7 「顔」<佐藤 忠良>



8 「男と女」<グスタフ・ヴィ-ゲラン>
男女の複雑な愛の葛藤。好きな作品のひとつ









9 「トライアングル」<グスタフ・ヴィ-ゲラン>
生命の循環思想を表現している。季節により背景が変化し実に面白い






10 「木の枝をすべりぬける少女」<グスタフ・ヴィ-ゲラン>






11 「母と子」<グスタフ・ヴィ-ゲラン>






12 「ポートランディア」<レイモンド・カスキー>



13 「彩霞燈」<一色 邦彦>



14 「若きカフカス人への追幻想譜」<鈴木 実>



15 「ユカタンの女」<細川 宗英>



16 「ミロク89-1」<秋山 沙走武>



最後は「ふたり」  いつもと違い今回はすべて望遠レンズを使用した



撮影 平成27年10月6日
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国営 滝野すずらん丘陵公園 その2(北海道札幌市南区滝野)

2015年10月17日 | 北海道


ここまで随分歩いてきた。ふだんパチンコホールを歩く程度だけに、歩き疲れ足が棒のようになっている
ベンチで少し休み水分を補給する
悪天候が長く続き、今日と明日だけが晴れという予報通りの快晴。人工滝の水音も心地よい






 


(上の写真の)滝の中に横から入ることができる。そこから撮ってみた



写真を見ると紅葉が始まっている






周辺を歩きながら写真を撮る
同じような人が数人、特に会話をするわけではなく撮っている場所を互いに意識しつつ彷徨っている



「カントリーガーデン」 花のまきばと呼ばれている所だが、この季節だけに百花繚乱というわけにはいかない



恋人や友人などがハート型の椅子に座り記念撮影ができる



正直、花にはあまり興味がないが、この「遊び心」は気に入った






ここにもある。愉快な気持ちになる



花の季節にはこの丘陵一面、花で飾られる



今は、咲いている花を探す方が難しい












これも恋人用なのか。実に子供から大人まで楽しむことができる。勿論、老人も



サイロの見える風景



休憩場所も花で飾られている。屋根まで



出発地点である「カントリーハウス」が見えてきた



その道端にもダリヤの鉢植えが並べられている






この花の名前「セクシーポーズ」と「夏衣」だけはよく覚えている



帰りがけに建物の間に北海道のダリヤが展示されていた
この花の名前「詩織」、私が応援している札幌出身の若手美人芸術家と同じ名前がついている



北海道の花だけに見事に花を咲かせている









花にも表情があり撮っているうちに不思議と夢中になっていく



この公園は広大な敷地で歩き疲れてしまった
地図をみると「渓流・滝野の森ゾーン」がまだ残っているが、私の気力が尽きてしまった



撮影 平成27年10月6日
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