今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

瑞松山 景福寺(鳥取県鳥取市新品治町135 )

2023年06月30日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月16日

瑞松山 景福寺
曹洞宗の寺院
創建は応安2年(1369年) 兵庫県川辺郡猪名川町に通幻寂霊禅師が開山

山門
慶長年間(1596~1615)荒尾隆重(姫路城主 池田輝政の家老)が景福寺11世大桂宗奕禅師に深く帰依
姫路城下に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺とした



その後、輝政を継いだ池田忠雄が元和2年(1616年)に岡山藩に移封
忠雄の跡を継いだ光仲が寛永10年(1633)に鳥取藩と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っている
景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の(山号・寺号が同じ)4箇所に存在し「曹洞宗四景福」と呼ばれている



「史家 岡島正義の墓」
鳥取藩の御目付役を辞し、門尾村民婦女子弟の教育にあたりつつ、史書執筆に専念
天保の大飢饉時には、近隣の村々にまで備蓄米を供出したという






本堂
本尊:釈迦三尊
境内では庭師が木の手入れをしていて、全体を撮ることができなかった






この寺院には、戦国武将「後藤又兵衛」の墓が境内にあるということで訪れた



司馬遼太郎の歴史小説が好きで、その中の登場人物の一人が後藤又兵衛。魅力的な武将だと思っていた
NHK大河ドラマ「真田丸」では短時間ではあるが登場し懐かしさを感じていた



まさか、後藤又兵衛がこの地に眠っているとは知らなかった
後藤又兵衛の妻は池田家家臣三浦家の出身だった為、又兵衛の戦死後は実家に随行し鳥取に移った



中央が「又兵衛」右が「妻」左が「息子」



後藤又兵衛は、黒田如水の旧家臣、黒田家家臣時代は「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられた
大坂の陣では真田信繁(幸村)、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、明石全登と共に「大坂城五人衆」と呼ばれた



「鳥取藩士 佐分利九之丞父子の墓」



島原の乱では鳥取藩から88名が参陣した



「剣豪 羽生郷右衛門の墓」



剣豪なだけに墓の形も刀に見える



「画家 島田元旦の墓」
谷文晁の実弟で円山応挙の弟子というだけで立派な絵師という感じがする






鬼瓦
享和3年(1803年)の銘がある



220年前のもので記念のため保存している



境内に咲いていた花



撮影 令和5年5月16日
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龍峯山 興禅寺(鳥取県鳥取市栗谷町10)

2023年06月29日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月16日

龍峯山 興禅寺
黄檗宗の寺院
鳥取藩主池田家の菩提寺

山門
偶々なのかこれまで黄檗宗寺院をあまり訪れたことがない
この山門の屋根の形も珍しい
数年前に黄檗宗大本山萬福寺を訪れた時の総門と同じ形をしている
中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式というらしい



扁額には山号の「龍峯山」



鐘楼






本堂(国登録有形文化財)
寛永9年(1632年)池田光仲が岡山藩より鳥取藩に転封となり、池田忠継の菩提寺を鳥取に移した
臨済宗妙心寺派の寺院で忠継の院号である龍峯院殿より「広徳山 龍峯寺」と名乗っていた



住職が黄檗宗への転向を願い池田光仲はそれを認めた
しかし、妙心寺はこれを不服とし転向を認めず、両者間で争議が起こった



元禄6年(1693年)に池田光仲が没し、翌年の元禄7年(1694年)寺号が妙心寺に返納された
こうして黄檗宗に改宗され、光仲の院号である興禅院殿より寺号が「龍峯山 興禅寺」と改められた
その後、藩により興禅寺の隣地に再び龍峯寺が建立され、忠継の他、輝政・忠雄の位牌が移された
興禅寺は池田家の菩提寺ではあるが墓所はない



明治の廃藩置県以後は藩の支援が途絶え、経済的危機に見舞われた
本堂の売却を希望し、兵庫県美方郡新温泉町浜坂の龍雲寺に明治21年(1888年)に移築された









現在は、もとの御霊屋を改造して本堂としている
文化11年(1814年)に建てられた入母屋造平入の本堂主体部の前面に、御拝ノ間・拝殿と向拝が取り付き、複雑な屋根形式となっている
平成25年(2013年)12月、国の登録有形文化財に登録された









「渡辺数馬の墓」 調べてみると……
「日本三大仇討」とは,曽我兄弟の仇討,赤穂浪士の討入り,伊賀上野の敵討という有名な三つの仇討事件のこと
一富士は曽我兄弟,二鷹は赤穂浪士,三茄子は 荒木又右衛門 を指している



「猪田伊折佐の墓」 初めて聞く名前で墓には行かなかった






「臼井本覚の墓」 こちらも初めて聞く名前であった



墓石の整備をしていた職人に場所を聞いた



歴史のある地域に住む人の話しは面白く、現地に来て学ぶことが多い



「尾崎放哉句碑」
種田山頭火らと並び、自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人だという



撮影 令和5年5月16日
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補陀落山 慈眼寺 観音院(鳥取県鳥取市上町162)

2023年06月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月16日

補陀落山 慈眼寺 観音院
天台宗の寺院
江戸時代初期(1630年代前半)の創建
寛永16年(1639年)頃に現在地に移り現在の号に改めたとされる

標柱「名勝 観音院庭園」
庭園が有名らしく駐車場には車も多く、参道には若い女性がいる
よく見ると結婚衣装を着ての前撮りらしい
過去にも成人式の前撮りとか何度か見かけたことがある



山門



扁額には山号の「補陀落山」



本堂側だと分かりやすいが鐘楼門になっている



本堂
本尊は聖観世音菩薩
観音院は、「因幡観音霊場」の第一番札所であるとともに、「中国観音霊場」の第三十二番札所でもある



額には「観世音菩薩」



奉納額には多くの俳句が記されている



鳥取藩主池田家の祈願所八ケ寺(1709年指定)の一つとして栄えた
八ケ寺<日香寺、芳心寺、真教寺、最勝院、観音院、円乗院、法泉寺、妙要寺>



境内には2つの観音像がある



台座には「補陀落山 南海観音」とある






もう一つの観音像









観音像から山門を眺める






句碑






参拝者は私一人で、江戸時代初期を代表する名園も観ることもなく戻ることになった



撮影 令和5年5月16日
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宇倍神社(鳥取県鳥取市国府町宮下字一宮651)

2023年06月27日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年6月16日

宇倍神社
因幡国一宮 孝徳天皇大化4年(648年)の創建

大鳥居
数年前に訪れたことがあると思っていたが、駐車場から鳥居の記憶がない



狛犬






鳥居
額には「因幡国一宮 宇部神社」
奥に見える長い石段の記憶もない(ボケてきたか)
膝が痛くて上れないので知っていたら避けていたはずだ






体重過多による膝痛で、引き返そうかと迷ったが上がることにした



途中から痛みも軽減し、休み休みではあるが上りきることができた






手水舎



社務所



拝殿前には正装したいくつかの家族が祈祷の順番待ちをしていたので社殿の周辺を歩いてみた



拝殿横にある絵馬とお御籤掛け









歴史を感じる灯籠



「武内宿禰命終焉之地碑」
この大きな石を見て記憶が蘇ってきた



社殿(本殿・幣殿・拝殿)



祭神:武内宿禰命
第12代景行天皇より、成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5朝に仕えた
天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力した
わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、日本の国造りに功績のあった神である
仁徳天皇55年春3月因幡国の亀金岡に双履を遺し、360余歳でお隠れになったと記されている



拝殿内では祈祷が行われている



福徳亀






センスのある拝殿の額の事も思い出した



拝殿横に何気なく置かれている由緒



拝殿内の様子



飛翔の鳥
この鳥もどう撮ろうかと、悩んでいたことを思い出した(ボケていなかった)



飛翔の鳥を意識して撮ってみたが……



周囲の木々に囲まれた拝殿の姿が美しい









撮影 令和5年6月16日
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余部鉄橋「空の駅」(兵庫県美方郡香美町香住区余部)

2023年06月26日 | 名所・旧跡
訪問日 令和5年5月15日

余部鉄橋「空の駅」
旧余部鉄橋は、明治45年1月に完成した東洋随一の鋼トレッスル橋
昭和61年12月の列車転落事故を契機に、架け替えに向けた取り組みがなされ、平成22年8月に現在の余部橋梁が完成した



旧余部鉄橋の歴史を後世に継承し、人々の交流を促す観光拠点とするため、鉄橋の一部を展望施設として残した



旧鉄橋直下に自由広場等からなる公園施設とあわせ、平成25年5月に展望施設「空の駅」が完成した



展望施設へ行くには急勾配の上り坂(高低差約40m、延長約300m)を歩いていたが……



平成29年11月にエレベーター(愛称:余部クリスタルタワー)を整備した



ガラス張りのエレベーターは眺めもいい



空の駅から海岸線を眺める






山陰線時刻表



待合室に置かれていたノートを開いてみる
文字だけの物が多いなか、イラスト付きの凝ったものもある



短時間でしかも即興で描いたとは思えない一枚だ



こちらの線路は山陰線で実際に運行しているもの



隣には、平成25年5月に完成した展望施設「空の駅」



「空の駅」側の線路は自由に歩くことができる
観光バスのガイドに案内されながら集団がやって来る



この先には線路がなく、ブログをやっていなければ高所恐怖症の私には近寄りたくない場所だ



同じ場所を下から見るとこのようになり高さ40mの橋梁側に立っている
この橋梁は平成26年度 土木学会選奨土木遺産に認定されている



駐車場に戻る途中、大きな亀に出会した
調べてみると、「カメの駅長」で 体長約40cm、体重約4.4kgのメスのケヅメリクガメとのこと



地元余部小学校の児童が「かめだそら」と命名し、愛称は「そらちゃん」
会えれば幸運だという。確かにこの場所には何度か訪れているが会ったのは初めてだ



この日は定休日ではあったが、隣接している道の駅にも「そらちゃん」の姿があった



撮影 令和5年5月15日
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亀居山 大乗寺(兵庫県美方郡香美町香住区森 860)

2023年06月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月15日

亀居山 大乗寺<応挙寺>
「応挙寺」の名前で知られる大乗寺
江戸時代の画家・円山応挙とその弟子たち12名の筆になる障壁画が165点が重要文化財に指定されている

山門



その歴史は古く、天平17年(745年)に行基菩薩によって開かれた高野山真言宗の寺院
本尊:聖観世音菩薩(秘仏 33年に一度公開)



山門の彫刻






客殿
山門正面に客殿



客殿唐破風の彫刻



迎えてくれるのは円山応挙(左右に置かれている花が美しい)



山門横の楠は樹齢1200年を超える






鐘楼



薬師堂



額には「瑠璃光殿」






石造五重塔



本堂



額には「大悲殿」









水子地蔵尊



魅力的な石仏






楠の根本と大乗寺の境内









石造五重塔と客殿



大乗寺と円山応挙との関係について
応挙が京都で苦学をしていたところ、当時大乗寺の住職であった密蔵上人が才能を見込んで学資(銀三貫目)を援助した
客殿の建築のときに、恩返しとして一門の弟子と共に大乗寺の障壁画を描いた



内拝料:大人/1,200円 子供/600円(小学生)
客殿の障壁画は計算しつくされた配置により、立体的な曼荼羅を構成している
宗教的空間の具現化を意図したものではないかといわれている



5年前に一度訪れているが、団体さんの後ろで説明を聞いていたのでよく理解できなかった
今回は私一人だったので説明もわかりやすく、質問にも適切に応えてもらうことができた
残念なところがあり、目にしているのは、デジタル再製画
本物は重要文化財の襖絵165面を災害と腐食から保護するための国内最大の収蔵庫に収められていること



撮影 令和5年5月15日
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鹿原山 慈恩寺 金剛院(京都府舞鶴市鹿原595)

2023年06月23日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月15日

鹿原山 慈恩寺 金剛院
真言宗東寺派の寺院
天長6年(829年)真如法親王(高岳親王)が高野山から弁才天を勧請し創建したという



千年榧(舞鶴市指定天然記念物)
樹齢千年の榧(かや)の大木
京都の自然200選(植物部門)に選ばれている



この参道を歩くととても気持ちが良くなる
そして、その先にあるのは……



三重塔<金剛院塔婆>(重要文化財)
新緑の季節は枝葉が多く塔全体を撮ることは難しい






永保3年(1083年)の建立
修復が加えられているとはいえ、940年前の塔を拝観できることは素晴らしいことだ



有料施設内で相輪を含め塔全体をとれる場所は限られてしまう









手水舎






本堂(京都府指定文化財)
三重塔横の石段の上にある



ズームレンズでごまかしているが実際には上ってはいない
最近、階段を見ると急に膝が痛くなる
過去二度上がり様子も分かっているので今回はあっさり諦めた



年齢とともに諦めが早くなってきた
鳥取県にある三徳山 三佛寺 奥の院 投入堂(国宝)と山形県の宝珠山 立石寺(山寺)は2回目で諦め
昨年訪れた香川県の金刀比羅宮は初回で……






来た道を戻る



宝物殿
運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師の一人である快慶作の仏像が安置されている
その中でも「木造深沙大将立像(重要文化財)」は珍しく貴重だ(重要文化財の深沙大将は4体のみ)
係の女性が国内にある「深沙大将像」を資料により説明してくれた



金剛院庭園(京都府指定名勝)
細川幽斎(藤孝)が作庭したという鶴亀の庭



庭園については、その良さを全く理解できない点が残念なところだ



宝物殿内にあった金剛院を紹介する昔のポスターがあったのでその場所に移動してみた
川を挟んだ公園がその場所になるが、塔の前にある木が生長し塔を隠している



最後に遊び心で撮ってみた



撮影 令和5年5月15日
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佐伎治神社(福井県大飯郡高浜町宮崎59-3)

2023年06月22日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月15日

佐伎治(さきち)神社
ネット検索により、車中泊をした道の駅の近くに1800年の歴史を持つという神社を見つけた



伴 信 友 歌碑
調べてみると、天保の国学四大家の一人に数えられる人物だという
国学とは古事記や日本書紀、万葉集などの古典研究から日本固有の文化や精神を明らかにしようとした学問



祭神:大己貴命(大国主命)は出雲大社と同じ



額には「佐伎治神社」



次の鳥居の社号は字体が異なる






狛犬
境内には多くの狛犬が置かれている



拝殿



拝殿内の額の4カ所に「菊の紋」
皇室、天皇家の家紋で、花弁も16枚の十六弁文様の紋章
由緒ある神社ということがわかる



拝殿内部



幣殿・本殿



本殿
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
   素戔嗚命(すさのおのみこと)
   稲田姫命(いなだひめのみこと)



撫で牛






日吉神社



御船舎






和鐘(福井県指定文化財)






御霊神社






戦没者を祀る



雪国の認識はなかったが積雪から祠を護るため覆われている



祭器庫






広峯神社






稲荷神社



目元が個性的な狐












狛犬






神馬



神輿庫
式年大祭『高浜七年祭』(福井県指定無形文化財)で使用される三基の神輿が保管されている









駐車場に戻ろうとしたとき、「大きなカメラですね」とスエット姿の男性から声をかけられた
有名寺社の写真を趣味で撮っていると話すと、実は宮司だと名刺を渡され拝殿の奥まで案内してくれた
金ぴかの狛犬だが修復してこのようになったそうだ



宮司と会話する機会はこれまでなく、祭神について疑問に思っていることを尋ねてみた
私の質問の内容は祭神の形についてである
それは神社では秘密で言えないことになっていると話してくれた



その後も境内を案内され神社の歴史などについても説明を受けた
そのほとんどは記憶からなくなっているが、神社に対する興味は、以前より増してきた



国旗を掲揚している神社などほとんどないなか清々しさを感じていた
そのことを伝えると、理解して貰って嬉しいと言われた



撮影 令和5年5月15日
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長濱蒸溜所(滋賀県長浜市朝日町14-1)

2023年06月21日 | 蒸溜所・酒蔵
訪問日 令和5年5月14日

長浜浪漫ビール・長濱蒸溜所
年に春と秋の2回、北海道から離れ放浪の旅に出ているが、ここ数年必ず立ち寄っているのがこの場所だ



建物には「長浜浪漫ビール」と書かれている
長浜浪漫ビールは、1996年より滋賀県長浜市でクラフトビールの製造と直営レストランを運営している



2016年11月から、日本最小規模である「長濱蒸溜所」が誕生し、ビールとウイスキー両方を製造している
ワールド・ウイスキー・アワード 2020で出品した3本が金賞・銀賞・銅賞を受賞
それがきっかけとなり蒸溜所を訪れた



初めて訪れた時のスタッフの方々の対応が素晴らしく、微力ながら応援したい気持ちになった
最近では地元でも限定商品が入手できるようになってきたが、それまではネットオークションなどで購入していた



店内のショップでは一部限定品も含めて販売している



日本一小さな蒸溜所らしく店内の狭い空間で、大麦麦芽の粉砕・糖化・発酵・蒸溜が行われている



麦芽の香りが店内を包んでいる



以前訪れたときは、このタンクの中に人が入り洗浄作業をしていた






奥には小さなポットスティルがあり、作業中であった
女性スタッフはレストランやショップの担当のようだ



2階では長濱浪漫ビールを製造している



現在では入手困難なボトルも有料で試飲できるようだ
30分程度の蒸溜所見学(蒸溜所の案内、テイスティング)も開催されている<2,200円>



長濱蒸溜所では蒸溜所を訪問しないと買えない特別なボトルがある
「自分の手で樽から注いだ自分だけの1本」、ハンドフィルボトルを買うというものだ



今回購入したのはホワイトオーク樽 500mℓ アルコール分59% 価格6,600円(税込)
自宅の棚に6本目として加わった



瓶入りが欲しかったがショップにはなかった
ビールが苦手な人にも飲めるビールだ






撮影 令和5年5月14日
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長浜城<長浜城歴史博物館>(滋賀県長浜市公園町)

2023年06月20日 | 
訪問日 令和5年5月14日

長浜城<長浜城歴史博物館>
最近、長浜市には毎年のように訪れている
長浜城跡地にある豊公園駐車場はよく利用し長浜城の姿はよく見ていたが、近くに来たのは初めてである



天正元年(1573年)に羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した
当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を、信長の名から一字拝領し「長浜」に改名した






羽柴秀吉が最初に築いた居城で、天正年間の3年・4年頃に完成し入城した



天正10年(1582年)に本能寺の変で織田信長が殺害されると、明智光秀に加担した阿閉貞征が長浜城を占領した
明智は信長の仇討を掲げる羽柴方に敗戦し、阿閉は秀吉方に捕縛され阿閉一族全て処刑された
長浜城は羽柴氏の支配下に戻った



天正13年(1586年)の天正地震により城が全壊
慶長11年(1606年)に長浜藩の内藤信成・信正が城主になる
大坂の陣後の元和元年(1615年)に内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城となる



長浜城の資材の大半は彦根城の築城に流用された
彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている



現在の天守は昭和58年(1983年)に犬山城や伏見城をモデルにした復興天守で、市立長浜城歴史博物館として運営されている



長浜築城・開町450年、長浜城歴史博物館開館40周年の記念の年になる






撮影 令和5年5月14日
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朝倉山 真禅院(岐阜県不破郡垂井町宮代2006)

2023年06月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月13日

朝倉山 真禅院
天台宗の寺院
真禅院の前身は天平11年(739年)行基により創建された「象背山宮処寺」とされる
延暦年間(790年頃)勅令があり、最澄によって南宮神社(現南宮大社)と両部習合(神仏習合)され、「大神宮寺」と改称



石段入口付近にある石柱には「朝倉山南神宮寺」と彫られている
天慶2年(939年)平将門の乱の時、朱雀天皇の勅命により調伏の修法を南神宮寺で行ったとある
文亀元年(1501年)火災で焼失し、永正8年(1511年)に再建
慶長5年(1600年)には関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失し、寛永19年(1642年)に落成



本地堂(重要文化財)
明治元年(1868年)神仏分離により、南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築した
明治4年(1871年)までに移築が完了し、朝倉山真禅院として再出発した



本尊:阿弥陀如来



寛永19年(1642年)に再建された



十王堂



鐘楼(岐阜県指定文化財)






梵鐘(重要文化財)
無銘だが撞座(つきざ)の位置、龍頭の取り付き方などに古代鐘特有の様式を示し、奈良時代から平安時代前期の制作と推定



三重塔(重要文化財)
寛永19年(1642年)建立
本尊:大日如来(金剛界)



3年前、道路地図に記載のあった南宮大社を訪れた時、案内板を見ると少し離れた場所に塔の図を発見
地元の人に場所を聞き訪れてみると、何と重要文化財の三重塔であることがわかり歓喜したことを思い出す



昭和57年(1982年)から昭和59年(1984年)にかけて三重の塔の修理が行われた。(昭和の大修理)



午後からの雨予報の通り小粒の雨が落ちてきた
車に傘を置いてきてきたので急ぎ他の堂宇に移動する



観音堂(垂井町指定文化財)



南宮大社奥の院高山社の本地仏であり「高山観音」として親しまれている



護摩堂



釈迦堂



雨が強くなってきたので駐車場に戻る






撮影 令和5年5月13日
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南宮大社(岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1)

2023年06月18日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月13日

南宮大社
美濃国一宮
社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされる
「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる



目の前を係の女性が通りすぎて行く
礼の仕方、歩き方に凜とした美しさがある(女性剣士のようだ)
坂本龍馬の婚約者で凄腕の美人女剣士・千葉佐那を思い出した



境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている

楼門(重要文化財)






石輪橋(重要文化財)



楼門内にある「随身像」






同じく「狛犬」






楼門の正面には高舞殿。拝殿・幣殿・本殿と続く



手水舎



願かけ絵馬垣






高舞殿(重要文化財)



舞殿と拝殿(重要文化財)
慶長5年(1600年) 関ヶ原の戦いで社殿は焼失し、春日局の願いにより1642年に徳川家光が再建した
この際に作成された文書(重要文化財)が現在まで残されている



回廊2棟(重要文化財)



拝殿(重要文化財)






南大神社(重要文化財)



高山社(重要文化財)



拝殿内部



本殿(重要文化財)
主祭神・金山彦命 (かなやまひこのみこと)
鉱山を司どる神で、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている



樹下(このもと)社(重要文化財)



隼人社(重要文化財)



神輿舎(重要文化財)






さざれ石



宝物殿(100円)ではボランティアガイドから展示物についての詳細な説明を聞いた



予報では間もなく雨が降るとの事なので近くにある次の目的地に向かった



撮影 令和4年5月13日
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大垣まつり、大垣城 他(岐阜県大垣市)

2023年06月15日 | 
訪問日 令和5年5月13日

大垣まつり(国重要無形民俗文化財)
大垣城に向かうため大垣市内を走り駐車場を探していると、多くの警察官の姿が目に入ってきた
駐車場に車を置き市役所周辺に来ると、犬山市で観た車山(やま)が集まってきていた



平成27年に国の重要無形民俗文化財に登録された
平成28年にはユネスコ無形文化遺産にも登録された



開会式で知ったのだが、この日は、4年ぶりの開催となる「大垣まつり」の当日だった
偶然とはいえ絶好の機会に恵まれた



地域はちがうが、前日訪れた犬山市で予備知識を得ていたのも大きい



大垣まつりは、大垣八幡神社の例祭に行われる山車行事である
開会式後に地元のお偉いさんの前で披露して市内に移動するようだ



周囲から見えない幕の中では人力でからくり人形を動かしているのだろう



車山を、男達が豪快に持ち上げて方向転換する「どんでん」は確かに迫力がある
狭い道路上ではかなりのテクニックが必要になることは想像できる



360年余の歴史がある大垣まつり
この日は雨予報で周囲からは、午前中何とかもってくれたという安堵の声を何度か耳にした



コロナで中断していたこともあり、多くの関係者や待ち望む市民のためにも無事終えて欲しいと思った



大垣城(岐阜県大垣市郭町)
大垣市を訪れた目的はこの城だった
前回は駐車場を探すことができなく諦めてしまった



平城ということもあり、先を歩く3歳児を連れた母子でも楽しく上がれる階段だ



宮川安定(安貞)が築いたともいわれているが、築城年代、築城者は特定できていない
戦国時代には大垣城は戦略上重要な地点であったため争奪戦が繰り返された
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、石田三成ら西軍の主力部隊が入城して根拠地となった
寛永12年(1635年)に戸田氏鉄が城主となって以降、明治に至るまで大垣藩戸田家の居城となった



城内に入る
弓と鉄砲の体験ができるというので試してみた
弓の弦は固くて引けないし、鉄砲は重い



武具の展示









大垣城からみた関ケ原合戦 東西武将列伝
私は西軍の武将たちに魅力を感じている












国宝だった大垣城は昭和20年の空襲で焼失した
天守は昭和34年(1959年)に、乾櫓は昭和42年(1967年)に鉄筋コンクリート構造で郡上八幡城を参考に外観復元された



戸田氏鉄公騎馬像



大垣市郷土館
枯山水の庭園が美しい
入場料:200円(大垣城と共通券)



大垣祭 朝鮮山車附属品



大黒のお頭



道路沿いの背の高い建物の中に車山が保管されている



奥の細道むすびの地記念館
元禄2年3月27日に江戸深川を出立した芭蕉は、門人の曽良をともない、東北・北陸地方をめぐり、8月21日に大垣に到着した
係の女性の話によると、芭蕉は奥の細道のむすびの場所に、この地を最初から選んでいたという



黛まどか氏が名誉館長でAVシアター(200インチスクリーンの3D映像)による説明を行っている
昔からファンで惹きつけられる魅力がある



撮影 令和5年5月13日
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犬山城下町<城とまちミュージアム、どんでん館>(愛知県犬山市)

2023年06月14日 | 名所・旧跡
訪問日 令和5年5月12日

犬山城下町を歩く
国宝犬山城を含むセット券を購入(760円)
犬山市文化史料館(城とまちミュージアム+IMASEN 犬山からくりミュージアム)と「どんでん館」に向かった
「城とまちミュージアム」に入館すると、隣の「犬山からくりミュージアム」で実演が始まることを案内された

IMASEN 犬山からくりミュージアム
初めて犬山城を訪れ周辺を歩いていたとき、からくり人形の制作しているところを見たことがある
からくり文化の発信の地であることを後になって知った
地元の犬山高校「からくり文化部」では、からくり人形の操作と、そのお囃子の練習を行っている
全国でも唯一の部活動だということをテレビで見たことがある



平日は2回、土休日は5回、からくり人形の解説と実演を行っている
この人形だけで、軽自動車が購入できると聞いた
あの有名な「茶運び人形」の実物を観ることができるとは思わなかった
ゼンマイや歯車などの組み合わせで動いていることが良く理解できた



茶運び人形は、その設計図と製作方法が記載されている「機構図彙(からくりずい)」と呼ばれる江戸時代に書かれた唯一の指南書の中にのみ存在し、
この機構図彙を手本に、幻の人形とされていた「茶運び人形」を完全復元させたのが「七代玉屋庄兵衛」だという
毎週金曜日と土曜日には、九代玉屋庄兵衛のからくり人形制作風景が公開されている



からくりには「山車からくり」と「座敷からくり」がある
「山車」は神が出現する機微を示す象徴で、からくり人形は神の具現として「山車」に設置されている



この「大型からくり」の操作を間近で見学することができる



館内に展示されている作品










































城とまちミュージアム



犬山城と城下町の模型



商人や職人のなかでも同業者を近くに住まわせることで町の発展をうながしてきた
鍛治屋町、魚屋町、鵜飼町といった町名をみることができる



現在も江戸時代とほぼ同じ町割りのまま、城と城下町が残っている全国でも数少ない町だという



どんでん館
何があるかもわからず、少し離れた場所にもあり、途中で疲れて戻ろうかと弱気になってしまった



ここには、毎年4月の第1土日に行われる「犬山祭」の高さ8mの巨大な車山(やま)が展示されていた
犬山祭は、寛永12年(1635)に始まる針綱神社の祭礼で、国の重要無形民俗文化財に指定されている



愛知県の有形民俗文化財に指定されている3層の車山13輌が城下町に繰り出し、笛や太鼓に合わせてからくり人形を披露する
どんでん館では、祭りの様子を短くまとめられた画像も用意されていて、その雰囲気がよく伝わってくる



重さ3トン超の車山を、男達が豪快に持ち上げて方向転換する「どんでん」は大迫力だという



夜は、各車山に365個もの提灯がともされ、満開の桜並木の城下町を練り歩くさまは、豪華絢爛で錦絵を見るようだとも



この高さのある建物のなかに車山が保管されている



街並みの先には犬山城
歴史ある地域の伝統文化は素晴らしい






撮影 令和5年5月12日
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針綱神社・三光稲荷神社(愛知県犬山市犬山北古券)

2023年06月13日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月12日

針綱神社(はりつなじんじゃ)
尾張地方に鎮座する尾張五社の一つ(他は熱田神宮、国府宮神社、津島神社、千代保稲荷神社)
犬山城主 成瀬氏代々の祈願所
国指定無形民俗文化財の「犬山祭」は針綱神社の祭礼
「ユネスコ無形文化遺産」にも登録されている



創建年は不明だが、延喜式に記載されていることから1000年以上この犬山の地に鎮座している



古くは犬山城天守閣付近に鎮座していたが、天文6年(1537年)犬山城築城に際し、白山平に遷座
明治維新後の明治15年(1882年)現在の場所に再び遷座された









「神馬」子供の守り神、子育てのご神馬さまと親しまれている






三光稲荷神社
創建は明らかでないが、天正14年(1586)の伝承があり、犬山城内三狐寺山に鎮座していた
神仏習合で三光寺とも称していたが、明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社となる



犬山城の登城入り口近くにあり、女性に人気の神社のようだ



この可愛いピンクのハート絵馬を背景に写真を撮っている人を多く見かけた
夫婦和合・縁結びなどのご利益があるらしい



鮮やかな朱塗りの鳥居を進むと何か良いことがありそうな感じになってくる
鳥居の先にもハート絵馬が見える



「ハート絵馬」はいつ頃からあるのだろうか
いつも思うのだが、こういったことを考える人は本当に凄い
私の場合 500円×○○枚= と計算し、商売繁昌のご利益は神社側だなと考えてしまう



更に、和服姿の「恋みくじ」なるものもある



社殿の周辺は外国人観光客や若い日本人女性が多く、カメラを向けることができなかった



神仏習合で三光寺と称していた名残だろうか



拝殿横にある「おもかる石」や「銭洗い池」など、つい長居をしてしまう
銭洗いの順序ではなく、銭払いの順序…(嫌な性格だ)



貼ってある名刺を拡大してみると、東京中央銀行 半沢直樹 とある
「やられたらやり返す、倍返しだ!」
<実に面白い神社だ>



境内社(御祈祷神札、姫亀神社)



猿田彦神社






撮影 令和5年5月12日
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