今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鹿原山 慈恩寺 金剛院(京都府舞鶴市鹿原)

2020年12月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月29日

鹿原山 慈恩寺 金剛院
金剛院は二度目の参拝となる
初回は全国に4体ある重要文化財の「木造深沙大将立像(快慶作)」うちの1つを拝観するために訪れた

山門



山門前に流れている小川
壁の5本線からも格式の高い寺院だということが分かる



緑に囲まれた参道を歩く
三島由紀夫の「金閣寺」に紅葉と境内の状況が描写され「丹後のもみじ寺」としても知られている



樹齢千年の榧(かや)の大木



直線距離にして100m程歩くと目的のものが見えてくる



三重塔(重要文化財)
前回訪れた時は「深沙大将立像」で検索してきたため、三重塔があるとは思ってもいなかった
この塔の姿を見たときの喜びを今でも鮮明に覚えている



案内には「金剛院塔婆」 木造杮葺・室町時代



永保2年(1082)高岳親王(真如法親王)の菩提のため白河天皇が建立
高岳親王は、嵯峨天皇の皇太子となったが、薬子の変に連座して皇太子位を廃された



親王は後に空海の十大弟子の一人となり、真如法親王と呼ばれた
法を求めて天竺へ向かい、途中消息を絶ったという



手水



本堂へと続く石段



これまで自分の年齢の場所で止まり休息していた
年齢を増す毎に辛くなってきている



本堂
階段を上りきった所に本堂がある



本尊:波切不動明王(秘仏)



本堂外陣



彫刻も素晴らしい






雲山閣
左側にある「雲山閣」は本堂と渡り廊下で繋がっている






右側には「弁財天堂・鐘楼」と続く



弁財天堂









鐘楼
鐘楼の横を歩いていくと弘法の滝がある



本堂全景



唐破風の彫刻



上りも辛いが、最近では下りの方が恐怖感があり嫌だ
安全のため手すりを利用する



疲れると休息し、周囲の風景を撮る






三重塔が美しいという紅葉の季節。いつか訪れたいものだ



撮影 令和2年9月29日
コメント (3)
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青葉山 中山寺(福井県大飯郡高浜町中山)

2020年12月22日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月29日

青葉山 中山寺
久し振りに朝から快晴の天気に恵まれ、気分も爽快
このような日は、過去に訪れ居心地の良かった寺に行こうと頭に浮かんだのがこの中山寺だった

仁王門



木造金剛力士立像(重要文化財)
奈良東大寺の仁王像と同系のものといわれ、鎌倉時代中期の湛慶が彫ったものといわれている
格子にガラス戸に金網と厳重に護られている



平成3年にロンドンの大英博物館で一般公開され、西欧の人々の賞賛の的となったという



中門
仁王門から雰囲気のある石段の上に中門が見えてくる



曼珠沙華だと思うが斜面に咲いていた






受付所に着いたが少し時間が早すぎたため境内を散策する



石灯籠の形も素晴らしい。奥に見えているのが本堂である



本堂(重要文化財)
寺伝によれば天平8年(736年)に聖武天皇の勅願のもと泰澄大師によって創建されたという
桁行き・梁間とも五間で入母屋造りの桧皮葺き



内部を内陣・外陣・脇陣に分けた密教系本堂の構成をみせる



康永2年(1343年)鎌倉時代後期に建てられた



屋根の葺き替えを終えたばかりだという
重文に指定されているため85%が国からの補助で行ったとのこと



鐘楼






時間になったので受付所にて拝観をお願いし再び本堂へ
前回は若い女性の副住職が対応してくれたが、今回は37代目住職



この穴は何だと思いますか?
実は本堂の鍵穴で、何故か鬼平犯科帳に出てくる盗賊の姿が頭に浮かんできた(笑)



本堂内で37代目住職から寺の歴史や仏像などの説明を受ける
住職から直接話を聞くことなどあまりないため、私もいくつかの質問をしたり大変勉強になった

そして、思いがけない嬉しい言葉が。何と「堂内の撮影をしていい」との許可をいただいた
更に、ブログで写真公開の許可も



本尊:馬頭観音座像(秘仏 重要文化財)が安置されている
三面八臂の馬頭観音の座像で、像高79.3㎝の桧材の寄木造りで、鎌倉時代中期の作
開帳は33年に1度行われる。次回は2028年頃の予定



秘仏「馬頭観世音菩薩坐像(重文)」の御前立「木造馬頭観音菩薩坐像」



江戸時代中期に小浜の仏師の林勝政・庄助親子によって作られた



厨子(重要文化財)
本尊を安置している。永禄4年(1561)の修理に際して、時の領主によって寄進されたもの






「木造不動明王立像(高浜町指定文化財)」






「木造毘沙門天立像(高浜町指定文化財)」









空海画



書院
本堂から書院へ移動する



額には寺号「中山寺」



木造阿弥陀如来坐像(福井県指定文化財)
ここでも撮影が許可された



普段撮影禁止の仏像を観て、撮りたい撮りたいと思っているが
実際に撮ってみると思うように撮ることができない



撮影許可を頂いたのに申し訳ない気持ちで一杯である



「欄間の直筆の書」



中国の文学者「魯迅」の直筆の書



先代の住職と親交があったと聞いた



その先代住職の襖絵



日展の画伯崎山木芳の襖絵(本人と寺の総代)



今上天皇 徳仁殿下が、昭和58年(1983)皇太子殿下のときご休息されたお部屋が、当時のままの状態で残されている






住職から貴重な話しを沢山お聞きすることができた
ますますこの寺の魅力が増した



帰りには重文の金剛力士像の姿もはっきり見えるようになってきた






下りてきた中門を振り返る
また近い時期に訪れることになるだろう



撮影 令和2年9月29日
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鳳聚山 羽賀寺(福井県小浜市羽賀)

2020年12月21日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月28日

鳳聚山 羽賀寺
小浜市の「国宝めぐり」の8寺院の一つに「羽賀寺」が紹介されている



他の7つの寺院は「明通寺、国分寺、萬徳寺、神宮寺、多田寺、妙楽寺、圓照寺」である



以前、その全ての寺院を回ったが、複数回訪れたのは「明通寺・神宮寺・羽賀寺」の3寺となる



目指す本堂は駐車場から100m程歩いた所にある



この辺りから現在から過去へ戻るような感覚になる



鐘楼
この鐘は自由に撞くことができ、「私が 来ました」の合図にもなる
戻り鐘は縁起が悪いとも書かれていた



昔 京都で 疫病が流行り多くの人が亡くなり、死体を 荷車に乗せ、清水寺に 運ぶ合図として お寺で鐘を鳴らした
鐘が鳴れば 死体を運ぶ通りに面したの方は、 家の中に入り死体を見なくてすんだという
現在のお葬式でも霊柩車が焼き場に向かう合図に音を鳴らしている



本堂(重要文化財)
霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって行基が創建したとされる



現在の本堂は、室町中期の文安4年(1447年)の建立
桁行5間(13.74m)、梁間6間(14.63m)、棟高13.21m。桧皮葺の入母屋造り
軒の勾配がやや急に反る様式は北山文化の建築に多く見られる



この場所は前回訪れた時、本堂で説明してくれた係の女性から案内された所である



古い建築物に興味があると話すと、お堂全体を見ることができると連れてきてくれた
この寺を複数回訪れる理由もここにある









本堂内に受付があり、担当者からの説明がある
案内をするようになって月日が経っていないとのことだったが懸命さが伝わってくる



本尊の「十一面観音像(重文)」は奈良時代前期の女性の天皇である元正天皇の勅願によってつくられ、この元正天皇の姿を写したとされる
本像の最大の特色は、長く厳重に秘仏とされていたため造立当初の彩色がほぼ完全に残っていることである
厨子中にあるが、明かりがつけられて、すぐ前から拝観できるのも嬉しい






この階段を下りながら「来て良かった」といつも思う






撮影 令和2年9月28日
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棡山 明通寺(福井県小浜市門前)

2020年12月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月28日

棡山(ゆずりさん) 明通寺
福井県には魅力的な寺院が多く、その中でも一番訪れている回数が多いのが明通寺だ
駐車場に着いた時、急に雨が降ってきたので車内にて待つ

「棡橋」 いつもは通過するだけの橋を今回は撮ってみた



緩い坂道を歩くと右手に山門が見えてくる



この付近は京都へ運搬するための物流ルート「鯖街道」としても有名
冷凍技術のなかった当時は、日本海で捕れた生サバを塩でしめて陸送する方法が取られた
京都に着く頃にはちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている



山門<仁王門>(小浜市指定文化財)



初めてこの寺を訪れたときは駆け足で上っていったが、もうその元気はない










金剛力士像(小浜市指定文化財)



阿吽二躯、鎌倉時代文永元年(1264年)造立



鐘楼



棡木






手水









本堂(国宝)






いつもなら堂内で寺の歴史や仏像の説明があるのだが、受付で渡された紙にその内容が書かれていた



堂内には、重文に限定すると4体あるうちの一つ「木造深沙大将立像」という仏像がある
珍しい仏像で明通寺の他には「高野山・金剛院・横蔵寺」のみ
『西遊記』に登場する「沙悟浄」のモデルとなった仏像である









堂内は撮影禁止。仏像には照明が当てられている



この寺は今回が5度目の参拝になるが、誰もいない国宝の堂内というのは初体験になる
じっくり拝観できると思いきや、実際は落ち着かないものだ



三重塔からの眺望






三重塔(国宝)
13基ある国宝の三重塔のうちの一つである。境内の一番高い場所に位置している









扉が開いていたのは今回が初めてで、案内によると釈迦三尊像が見えるはずだが……
正面にある透明のアクリル板に日差しが反射して全く観ることができなかった



上層へ行くにしたがって寸法を減らす均衡のとれた構成
優美な姿を造り出し、三重塔としてより整った美しい姿で知られている






参拝を終え駐車場に戻る前にもう一度塔を振り返ると、とても良い光が当たっている
もう一度戻り数枚撮ることになった



本堂と三重塔






撮影 令和2年9月28日
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渡岸寺観音堂<向源寺>(長浜市高月町渡岸寺50番地)

2020年12月16日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月27日

渡岸寺観音堂<向源寺>
日本で一番美しいといわれる「十一面観音像(国宝)」が安置されている観音堂
この観音像を拝観するために毎年のように訪れている
以前は、仁王門も魅力の一つだった



*この写真は2014年9月に訪れてた時の写真
仁王門前に斜めに立っている大きな木がこの観音堂の魅力にもなっていた
台風の影響で周囲に被害を及ぼす恐れがあると泣く泣く切られたという



木造金剛力士像(滋賀県指定文化財)



この像の前の金網が手強く、この日はこれが限界






「仏像埋伏地」 琵琶湖周辺寺院は信長の焼き討ちから仏像を護るため、土に埋めたり、川に沈めたりした






「手水舎と受付所」 



本堂



堂内に入る



「収蔵庫の慈雲閣」 
渡岸寺観音堂国宝維持保存協賛会によって維持・運営されている
受付や仏像の説明は地元住民数名が輪番制で行っている
この話が面白くいつも長時間滞在してしまう



気がつけば閉館時間の数分前まで滞在していた



「旧本堂跡」






撮影 令和2年9月27日
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長濱蒸溜所<長濱浪漫ビール>(滋賀県長浜市朝日町)

2020年12月15日 | 名所・旧跡
訪問日 令和2年9月27日

長濱蒸溜所<長濱浪漫ビール>
ある日突然「AMAHAGAN(アマハガン)」という銘柄のウイスキーをYouTubeで知った
2016年11月に稼働した日本最小クラスの蒸溜所で造られている



その蒸留所が、私がよく訪れる琵琶湖周辺にあることを知り、訪れてみることにした
豊公園駐車場(約380台. 3時間以内無料)から200mの所にあるが、方向音痴の私は800m程歩いた



「長濱浪漫ビール」とあるが「長濱蒸留所」の文字はない
少し緊張して店内に入る



店内に入ると正面奥に「長濱蒸留所」の文字が見える
ポットスチルが3基、本当に小さい



「醸造所」では洗浄作業を行っていた



この狭い空間でレストランの店員とウイスキーとビール造りの職人が動き回っている
見学も撮影も自由ですと言われたが迷惑にならないようにするのが難しい



醸造所前に置かれている樽



2階にも機械が置かれている



この蒸留所で造られ販売されているウイスキーが棚に並んでいる
ワールド・ウイスキー・アワード2020に長濱蒸溜所では5つのボトルを出品
【ジャパニーズ ブレンデッドモルト ノンエイジ部門】
AMAHAGAN World Malt Edition No.3 / カテゴリーウィナー
AMAHAGAN World Malt Edition No.2 / 金賞
AMAHAGAN World Malt Edition No.1 / 銅賞
【ジャパニーズ ニューメイク部門】
長濱ニューメイク59度 ピーテッド / 金賞
長濱ニューメイク59度 ノンピート / 銀賞

私も棚の上段に置かれている小さな樽に入っているウイスキーを自分の手で瓶に入れ購入した



レジのショーケースからも一つ選んで購入した



蒸留所の向かいに専用駐車場があり、記念に一枚



駐車場の車に戻ってきた
購入したウイスキーを箱から出す
「AMAHAGAN(アマハガン)」という銘柄
反対から読むと「NAGAHAMA(長濱)」になる



樽から瓶に自分で注入した後に自分の名前を書いてラベルを貼る
世界でただ一つのウイスキーということになる (500ml 59度 6,000円)
開栓すると華やかな香りが車内に漂った(匂いで酔える)



琵琶湖の風景の箱に入っているのは、50mlミニボトル5本組
北海道ではなかなか見かけることが少ないフルボトルだが、私はイトーヨーカドーで購入した



駐車場に戻る途中にある「旧長浜駅舎鉄道資料館」



仮装した賑やかな集団はボランティアで清掃活動をしている



「水陸両用観光バス」が通る。恐怖感はあるが乗ってみたいと思った



駐車場内にある「長浜城」



撮影 令和2年9月27日
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龍應山 西明寺(滋賀県犬上郡甲良町大字池寺)

2020年12月14日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月27日

龍應山 西明寺
金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられている
琵琶湖周辺の寺院は度々訪れていて、西明寺はその中でも好きな寺院の1つだ



境内図と縁起



受付の方から「不断桜」が咲いているので「どうぞ」と言われた
いつもなら二天門への参道を歩くのだが、「本坊」への門は初めて通る



寺院の庭は美しいのだが、残念なことに、私にはその良さが分からない






不断桜(滋賀県天然記念物)



高いところで部分的に桜が咲いている



名勝 本坊庭園(蓬莱庭)



薬師如来・日光・月光の三尊仏をあらわす立石、十二神将をあらわす石組みがあるという



心字池には折り鶴の形をした鶴島と亀の形をした亀島がある



庭園の中を歩くことができる



少し高いところから見ると、案内板の内容が分かるような気がする



このような鑑賞の仕方は初めてで、庭もいいもんだと思った



本堂へと続く参道は緑の苔に包まれている



途中にあった「瀧神社」



二天門(重要文化財)
室町時代初期の建立 入母屋造、杮葺きの八脚門



二天像(持国天・増長天)






甲良町指定文化財






手水鉢



三重塔(国宝)
総高23.7m 檜皮葺き 鎌倉時代後期の建立で釘が使われていない



相輪は銅製とすることが多いが、本塔は鉄製である






二天門側から見た塔が一番美しい



本堂(国宝)
西明寺を訪れる魅力の一つに本堂内での説明があげられる
特に、今回は歴史的発見があったと盛り上がった



広島大大学院の安嶋紀昭教授(美術学史)が、西明寺の本堂内陣の柱絵を調査・分析
絵は飛鳥時代(592-710)に描かれた菩薩立像で、描式から日本最古級の絵画とみられると発表
834年とされる同寺の創建前で、創建時期が大きくさかのぼる可能性があるとも指摘した



分析の結果、両柱(直径約45cm)には、菩薩立像が4体ずつ描かれていた
像は長身で細面で線が太い、隋代(581-618)の描法の特徴を表している
飛鳥時代に描かれた法隆寺の国宝・玉虫厨子の扉の菩薩像に酷似し、「絵画としては日本最古級」とした
寺周辺には東大寺の彩色を担当した渡来系の画工集団・簀秦画師(すのはたのえし)が居を構えていたことから、「彼らによる仕事では」とも推測した



鐘楼



稲荷社



石造宝塔(重要文化財)



場所が分からず随分探した記憶がよみがえる



嘉元2年(1304年)銘



宝塔とは、円筒形の軸部(塔身)に平面方形の屋根をもつ一重塔を指す
屋根の上には通常の層塔と同じく相輪を載せる



重文の二天門



コロナの影響で後陣の仏像が拝観できない代わりに、秘仏「刀八毘沙門天」が特別公開されていた
「勝運」の仏様とつい口車に乗せられ、御守りを購入してしまった(笑)



撮影 令和2年9月27日
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黄檗山 萬福寺 その2(京都府宇治市五ヶ庄三番割)

2020年12月12日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月26日

黄檗山 萬福寺
天王殿を出ると正面に見えるのが「大雄寶殿(だいおうほうでん)」
左側の堂宇から回ってみる



鼓楼(重要文化財)
延宝7年(1679年)に信夢善士が建立。重層入母屋造、本瓦葺
鐘楼と対称位置に建ち、階上に太鼓を置く






朝5時開静、夜9時の開枕に鐘楼の大鐘と鼓楼の太鼓をもって、時刻と消灯、起居動作の始終を知らせる
また、賓客来山の時に鐘鼓交鳴して歓迎を表す



祖師堂(重要文化財)
寛文9年(1669年)、今津浄水居士が建立



伽藍堂と対称位置に建ち、中国禅宗の祖である達磨の像「達磨大師坐像」と、歴代管長の位牌を安置






達磨大師坐像
寛文3年(1663年)造立。木造、像高166.5cm



禅堂(重要文化財)
寛文3年(1663年)建立。単層入母屋造、本瓦葺



斎堂と対称位置に建つ坐禅堂である






額「選佛場」は隠元筆
選佛とは、仏祖となるべき師を鍛錬抽出すること。転じて、座禅修行の意で、選佛場は禅堂の異称である






大雄寶殿(重要文化財)
黄檗宗では、釈迦牟尼仏を奉仕する仏殿を大雄宝殿または大雄殿と呼ぶ



萬福寺の「本堂」であり、最大の伽藍
日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物
上層の額「大雄寶殿」は隠元書



額「萬徳尊」は木庵性瑫書
すべての徳を備えた尊い人物という意味で、釈迦を指す






釈迦如来坐像(中尊)
摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)の両尊者が脇侍として安置されている



本尊:釈迦如来坐像
京大仏師兵部作、寛文9年(1669)造立、木造、像高250cm



十八羅漢像
従来の鎌倉、室町の十六羅漢に、「慶友(けいゆう)尊者」と「賓頭蘆(びんずる)尊者」を加えた十八羅漢
明代寺院の形式を受け継ぎ、中国、台湾に現存する大雄宝殿と同じになっている



清の仏師・范道生作、寛文3年(1663年)造立。木造、像高各130.0cm前後
陸奥国白河藩主本多忠平が、母の菩提を弔うために兄弟と共に寄進したもの

「賓頭蘆(びんずる)尊者」













































有名な「羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)」像
両手で胸を切り開き、その中に仏顔が見えるという奇抜な像容









「慶友(けいゆう)尊者」






納骨堂






法堂(重要文化財)
寛文2年(1662年)建立 一重入母屋造 棧瓦葺
禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所






獅子吼とは、百獣の王である獅子が一度咆哮すれば百獣全てが従うことに喩えて、釈迦の説法を指す
出身大学の寮歌に「世に先駆けて 獅子吼する」の一節にあり、私の好きな仏教用語だ



東方丈(重要文化財)
寛文3年(1663年)建立






部屋に「照顧脚下」の木札が置かれている
他人にとやかく言う前に、まず自分自身を見つめ直せという戒めのことば






斎堂(重要文化財)
高脚飯台と腰掛があり、萬福寺僧衆の食堂

「開梆(かいぱん)」



叩いて食事や法要など日常の行事・儀式の刻限を知らせるための法器であり、木魚の原型といわれている






額「禅悦堂」は木庵書



「雲版(うんぱん)」



朝と昼の食事と朝課の時に打つもの 青銅製で寛文元年の銘



駐車場に戻る前に、印象に残っている「弥勒菩薩(布袋)坐像」のお腹を目に焼き付ける



三門へと続く参道



最後に「境内図」 注意深く回ったつもりだが、見逃している所もある



撮影 令和2年9月26日
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黄檗山 萬福寺 その1(京都府宇治市五ヶ庄三番割)

2020年12月10日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月26日

黄檗山 萬福寺
日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する黄檗宗の大本山
萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦禅師」によって開創された

総門(重要文化財)



中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用い、漢門とも呼ばれた
屋根上左右に乗る魚のような像は仏閣でよくみられる鯱ではなく、摩伽羅という想像上の生物でヒレの代わりに足が生えている



額「第一義」は第5代高泉の書



境内にある参道の敷石。左右に長方形、中央に菱形の石が続く



菊舎尼 句碑
「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」



三門(重要文化財)
三間三戸。重層の楼門造りで、左右に裳階、山廊がある



扁額には山号の「黄檗山」



三門入り口には、寺号の「萬福寺」



通玄門(重要文化財)
開山堂の正門。この門は重要な結界の一つであるため、円柱となっている



額には「通玄」



開山堂(重要文化財)
氷裂文の石畳(同じ形の石はまったくない)



延宝3年(1675年)建立 
毎月1日及び15日には山内の僧が祝拝し、3日には開山忌を営む
毎日の勤めについては、塔頭寺院の院主が1年ずつ輪番で行なう



上層正面の額「瞎驢眼」は費隠書
下層の額「開山堂」は木庵書



黄檗開山「隠元禅師」を祀っている






開山堂から通玄門を見る



松隠堂客殿(重要文化財)



参道の敷石のどこを歩いたらいいのか通玄門を歩いている僧に聞いてみた
寺では中央は住職しか歩けないという。参拝者はどこを歩いてもいいそうだ。



三門



三門を背にして右側に文華殿に通じる中国風の門がある



「文華殿」



黄檗文化研究の文字が見える



文華殿を出て右側に見えるのが天王殿



天王殿(重要文化財)
萬福寺の玄関として天王殿が設けられている
中国では一般的な建て方で、四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀る



手水鉢



本家本元の「いんげん豆」



額には「天王殿」 奥には万福寺のシンボル的存在である布袋像が見えている



弥勒菩薩(布袋)坐像



寛文3年(1663)造立、木造、像高110.3cm
布袋は弥勒菩薩の化身といわれ、本山では弥勒仏とされている



今回の旅で体重減少に心がけ、ここまで順調に 4kg 程減っていた



この立派なお腹を見た後、急激に食欲が増し普通に食べ始めた



堂内には「四天王像」が祀られている

持国天



増長天



広目天



多聞天






韋駄天






弥勒菩薩(布袋)坐像の真後ろに祀られている



次回に続く

撮影 令和2年9月26日
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朝日山 平等院(京都府宇治市宇治蓮華)

2020年12月08日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月26日

朝日山 平等院
知人が撮った鳳凰堂の写真に刺激されて訪れた
今回が二度目の参拝になるが、初回は40年以上も前になるので全く記憶にない

南門
大きな駐車場に車を駐め「南門」から入る。境内図を見て「表門(表参道)」があることを今知った



秀吉による城門「薬医門」の現存する最古の建築



養林庵書院(重文)非公開






浄土院
平等院塔頭2ケ寺の一つ



浄土宗の栄久上人が平等院の修復の為に明応年間(1492年 - 1501年)に創建した



「救世船乗観音」



旅の安全と無事を祈願して手を合わせた



羅漢堂(宇治市指定文化財)
茶師星野道斎とその息子たちにより、寛永17年(1640年)に建立された






境内図



鳳凰堂内部拝観受付がある
この日は土曜日で参拝者が多い。90分待ちとあるが時間券(300円)を購入した

時間に余裕ができたので南門に戻り、散策しながら鳳凰堂を撮っていくことにした












不動堂
「不動明王」を本尊とする、最勝院の本堂



本尊と並び「役行者像」が祀られている



「源三位頼政公の墓」



840年前に自刃した英雄の一人の墓が今も残り、花が手向けられている



池殿地蔵堂



「地蔵菩薩坐像」が祀られている



最勝院
平等院塔頭2ケ寺の一つ。承応3年(1654年)に京都東洞院六角勝仙院(住心院)の天台宗の僧が開創した



周辺を散策する









鳳凰堂を取り囲む池は「阿字池」
【阿】とは梵語で不生不滅を意味する言葉で、永遠の象徴、すなわち極楽浄土の池ということになる



同じ写真ばかりだとつまらないので、木の下にしゃがみ撮ってみた



足腰が弱っていることを実感した(笑)
青空だったらこんな窮屈な思いをしなくてもいいのにとも



ここが一番人気の撮影スポット。多くの参拝者がカメラを構えている



平等院鳳凰堂(国宝)
天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂
本尊である国宝・阿弥陀如来坐像は仏師・定朝の確証ある現存唯一の作品



現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる嵯峨源氏の左大臣「源融」が営んだ別荘だった
陽成天皇、次いで宇多天皇に渡り、朱雀天皇の離宮「宇治院」となる
宇多天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政 藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである






「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という一説がある
「極楽浄土の存在を疑うのであれば、宇治の平等院をお参りしてみなさい」という意味



平等院を極楽浄土のような美しさだと表現している



「鐘楼」



鳳凰堂内部拝観時間が近づいてきたので「藤棚」周辺で待機する



この場所から内部に入る。事前の注意事項が多すぎて頭に入らない
「木造阿弥陀如来坐像(国宝)」「木造雲中供養菩薩像(国宝)」を間近が見ることができた
係の女性の説明付きで拝観時間は15分となっている



「石造 層塔」



浄土院前で住職による法話を聞いて駐車場に戻る途中で思い出した
鳳凰を撮っていないと



中国では古来、鳳凰は「聖天子が現れる時に姿を見せる瑞鳥」とされてきた
日本では、鳳凰は格式のある意匠として使われ、天皇陛下の乗り物であった「鳳輦(ほうれん)」
神様が移動するための乗り物である神輿の屋根にも鳳凰が飾られている



2019年10月22日に行われた「即位礼正殿の儀」でも、天皇陛下の玉座の高御座(たかみくら)
皇后兵火の御帳台(みちょうだい)の屋根にも金色の鳳凰が飾られていた



私が一番印象に残っているのは、写真家 土門拳氏が撮影した鳳凰だ



撮影 令和2年9月26日
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補陀洛山 海住山寺(京都府木津川市加茂町例幣海住山境外)

2020年12月07日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月26日

補陀洛山 海住山寺
前日に訪れる予定だったが雨で伸びてしまった。まるで夕方のような暗い朝である
蛇行した急勾配の坂を上り駐車場に着いた

「補陀洛山 海住山寺」と彫られた石柱



先ずは拝観受付のため本堂へ向かう



「修行大師像」があるということは、真言宗寺院ということになる



本堂
天平7年(735)聖武天皇の勅願により大盧舎那仏造立工事の平安を祈るため、良弁を開山として藤尾山観音寺という寺号で開創したという
寺は承元2年(1208年)11月、貞慶によって中興され、観音寺から補陀洛山海住山寺に改められた



海住山寺という寺号の由来は、のような観音の誓願に安するという意味がある
観音の住処は南方海中の補陀洛山にあるとされ、当寺を海に住する山である補陀洛山になぞらえる意味もあるという



扁額「海住山寺」(京都府指定文化財) 鎌倉時代



賓頭盧尊者



狛犬









堂内には「木造十一面観音立像(重文)」が安置されている
寺の歴史や仏像について寺の係の男性から詳細な説明を受ける



五重塔(国宝)
全国に9塔ある国宝の塔の一つ(他は羽黒山、東寺、醍醐寺、法隆寺、興福寺、室生寺、明王院、瑠璃光寺)



鎌倉時代の五重塔の貴重な遺構であり、総高17.7mと、室生寺に次いで小さい



貞慶が舎利を安置するために建立を始め、その没後建保2年(1214)に完成
全体的に細身だが、初重に設けられた吹放ちの裳階が安定感を与える



いつもはカメラ任せの全自動モードで撮っているが、光の関係で黒く塗りつぶされてしまう
今回は露出補正をして、何とかこの程度になったが全体に色が悪い



初層の屋根の下に裳階と呼ぶ庇を設けている
裳階をもつ五重塔としては法隆寺五重塔の例があるが、現存する平安 - 鎌倉時代の五重塔では海住山寺のみである






境内社



山門
周囲を散策している際に山門を見つけた



正面に本堂が見える。本来はここからの参拝が正式となる






文殊堂(重要文化財)



解脱房貞慶十三回忌に向けて建てられた経蔵にあたると考えられている



塔廻輪






寺の係の男性に小高い場所に上ると○○が見えると言われた



それが何か全く分からず、その場所から見える景色を撮った



その場所にあった「忠魂碑」



最後にもう一度「五重塔」の姿を見て駐車場に戻る



撮影 令和2年9月26日
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補陀洛山 海住山寺(京都府木津川市加茂町例幣海住山境外)

2020年12月07日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月26日

補陀洛山 海住山寺
前日に訪れる予定だったが雨で伸びてしまった。まるで夕方のような暗い朝である
蛇行した急勾配の坂を上り駐車場に着いた

「補陀洛山 海住山寺」と彫られた石柱



先ずは拝観受付のため本堂へ向かう



「修行大師像」があるということは、真言宗寺院ということになる



本堂
天平7年(735)聖武天皇の勅願により大盧舎那仏造立工事の平安を祈るため、良弁を開山として藤尾山観音寺という寺号で開創したという
寺は承元2年(1208年)11月、貞慶によって中興され、観音寺から補陀洛山海住山寺に改められた



海住山寺という寺号の由来は、のような観音の誓願に安するという意味がある
観音の住処は南方海中の補陀洛山にあるとされ、当寺を海に住する山である補陀洛山になぞらえる意味もあるという



扁額「海住山寺」(京都府指定文化財) 鎌倉時代



賓頭盧尊者



狛犬









堂内には「木造十一面観音立像(重文)」が安置されている
寺の歴史や仏像について寺の係の男性から詳細な説明を受ける



五重塔(国宝)
全国に9塔ある国宝の塔の一つ(他は羽黒山、東寺、醍醐寺、法隆寺、興福寺、室生寺、明王院、瑠璃光寺)



鎌倉時代の五重塔の貴重な遺構であり、総高17.7mと、室生寺に次いで小さい



貞慶が舎利を安置するために建立を始め、その没後建保2年(1214)に完成
全体的に細身だが、初重に設けられた吹放ちの裳階が安定感を与える



いつもはカメラ任せの全自動モードで撮っているが、光の関係で黒く塗りつぶされてしまう
今回は露出補正をして、何とかこの程度になったが全体に色が悪い



初層の屋根の下に裳階と呼ぶ庇を設けている
裳階をもつ五重塔としては法隆寺五重塔の例があるが、現存する平安 - 鎌倉時代の五重塔では海住山寺のみである






境内社



山門
周囲を散策している際に山門を見つけた



正面に本堂が見える。本来はここからの参拝が正式となる






文殊堂(重要文化財)



解脱房貞慶十三回忌に向けて建てられた経蔵にあたると考えられている



塔廻輪






寺の係の男性に小高い場所に上ると○○が見えると言われた



それが何か全く分からず、その場所から見える景色を撮った



その場所にあった「忠魂碑」



最後にもう一度「五重塔」の姿を見て駐車場に戻る



撮影 令和2年9月26日
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高雄山 岩船寺(京都府木津川市加茂町岩船上ノ門)

2020年12月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月25日

高雄山 岩船寺
先に訪れた浄瑠璃寺駐車場の係の女性に「いわふねでら」への道を聞くと「がんせんじ」はんねと教えてくれた
ずっと読み方を間違えて覚えていた。周囲に誰もいなくてよかった(笑)

山門
浄瑠璃寺より更に数キロ奥に入った所にある。無人の駐車場だが料金箱が置いてある
駐車場から少し坂を上ると山門が見えてくる



関西花の寺、アジサイの名所として知られているようだ
だが、私の目には塔の姿が入ってくる



三重塔(重要文化財)
これまで離れた場所から塔を撮すということはなかった
山奥にある寺だけに周囲の自然環境と一体化しているような感じがする



滞在中雨が降り続いていたが、境内の整備が行き届いているため足元が汚れるということはなかった



三間三重塔婆の本瓦葺、高さは約18mで本堂南側山手の境内阿字池の奥まった高台に東を正面として建つ



寺伝によると「智泉大徳」入滅のあと10年が過ぎて、承和年間(834~847年)に仁明天皇が智泉の遺徳を偲んで宝塔を建立した



承久三年(1221年)の承久の乱で兵火を被った
現存する塔は、室町時代の嘉吉2年(1442年)に建立されたもの






鐘楼






三重塔から本堂を見る



三重塔と本堂の間にある「阿字池」



開山堂
「岩船寺縁起」によると、天平元年(729年)に聖武天皇が夢想によって行基に一宇の阿弥陀堂を建立させた
弘法大師とその甥である「智泉大徳」が伝法灌頂を修し灌頂堂として新たに報恩院を建立したのが草創の始まりとされる



弘法大師は密教を極め帰国後密教を広めようとするが、京の都に入ることは許されなかった。そしてその窮地に駆け付けたのが智泉であった
智泉は密教の灌頂を受け、以後大師ともに密教を広めるために行脚した。その後入京を許されともに高雄山神護寺に登る

智泉は高野山の開創にも尽力したが、天長2年(825年)に37歳の若さで遷化する
弘法大師は「哀しい哉、悲しい哉、復悲しい哉。悲しい哉、悲しい哉、重ねて悲しい哉」と深い悲しみの言葉を残し、智泉の死を誰よりも嘆き悲しんだ
高野山に智泉の御廟があるが、弘法大師が自ら整備に着手した壇上伽藍に唯一祀られていることからも智泉への思いの深さが察せられる



十三重石塔(重要文化財)
正和3年(1314年)妙空僧正の建立と伝える 高さ5.5m



昭和18年(1943年)の石塔積み直し修理の際、軸石のくぼみの中に水晶の五輪舎利塔が発見された



石室不動明王(重要文化財)
花崗岩製で前面二本の角材柱を立て、その上に寄棟造りの一枚岩の屋根をかけた珍しい様式



奥壁の一枚岩には薄肉彫りの不動明王像
像の右左には「応長第二初夏六日」「願主盛現」と線刻された銘文が残されている



「厄除地蔵菩薩」



五輪塔(重要文化財)
鎌倉時代作の2m余りの五輪石塔



寺伝では東大寺別当平智僧都の墓と伝えている
地輪下には返花座があるが、これは大和式と呼ばれる五輪塔の様式



本堂
昭和63年( 1988年)に再建された
本尊:阿弥陀如来坐像(重文)



興福寺や東大寺にいた高僧や修行僧の隠棲の地となり、真の仏教信仰にそそがれたという地域



辺りが薄暗くなってきたので駐車場に戻ることにした



撮影 令和2年9月25日
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小田原山 法雲院 淨瑠璃寺<九体寺>(京都府木津川市加茂町西小 札場)

2020年12月04日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月25日

小田原山 法雲院 淨瑠璃寺<九体寺>
前夜からの激しい雨が降り止まず、午後2時まで道の駅駐車場にて待機
小雨になったのでこの日計画していた場所に30kmほど車を走らせる

「浄瑠璃寺庭園」とかすかに読める石柱



この寺には国宝の塔と魅力的な仏像があり、訪れてみたいと思っていた
参道の緑の葉も雨に濡れ色を濃くしている



古来より南都(奈良)仏教の聖地として大寺の僧が世俗の喧騒を離れ修養、研鑽のために出入りした地域



山門
「真言律宗 小田原山 浄瑠璃寺」と記されている



三重塔(国宝)
山門左手にお目当ての塔が顔をのぞかせている



「浄瑠璃寺流記事」によると治承2年(1178年)京都の一条大宮から移建したとある
どこの寺院にあったものかは不明である



浄瑠璃寺に移築された後、初層内部に仏壇を置きその上に薬師如来像(重文、秘仏)が安置された



塔が好きなので、先に三重塔側「此岸(現世)」に来たが、これが正式参拝順のようだ
池をはさんだ本堂側は阿弥陀如来のいる「彼岸(来世)」であるという



薬師如来は東方浄瑠璃世界に住み、現世の苦しみを除く仏であり、阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主
薬師如来を東、阿弥陀如来を西に安置することにはこうした意味がある
三重塔のある東岸は「此岸(現世)」、池をはさんだ西岸は阿弥陀如来のいる「彼岸(来世)」



九体阿弥陀堂(本堂)は阿弥陀如来の一体ずつに板扉配置され、池越しに拝するように設計されている
夜景の写真を見たことがあるがまさに極楽浄土である。現在は扉を開放することはないとのこと



三重塔周辺を散策してみる









九体阿弥陀堂(本堂)に向かう。中央にある池は「苑池(宝池)」



鐘楼



新旧の案内板



分かりやすさは新の方だが、読みたいと思うのは旧の方



九体阿弥陀堂<本堂>(国宝)
寄棟造、本瓦葺き。桁行11間、梁間4間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)
堂正面の柱間装置は、左右両端間は上半を連子窓、下半を土壁とし、他の9間は板扉



堂内には国宝の「九体阿弥陀如来像」 中尊は丈六像で来迎印、他の八体は半丈六像で定印を結んでいる
この日は中尊が修復中とのことで不在。木造四天王立像(国宝)2体(持国天、増長天)
このお堂には魅力的な仏像「秘仏 吉祥天女像(重文)」がある



特別名勝・史跡 浄瑠璃寺庭園



本堂側から三重塔を眺める









三重塔と堂内の仏像に夢中になり撮り忘れてしまったお堂他がいくつかある
係の女性も親切で対応もよく、とても居心地がいい寺であった



撮影 令和2年9月25日
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安倍山 文殊院<安倍文殊院>(奈良県桜井市阿部)

2020年12月02日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月24日

安倍山 文殊院<別称:安倍文殊院>
数年前、室生寺近くの道の駅で寺社巡りをしていたという地元の女性に声をかけられ勧められた寺院である
境内図にある境内駐車場(有料)に車を駐めた



「三人寄れば文殊の知恵」という諺にある、文殊とは知恵(智慧)を司る文殊菩薩のこと
「日本三文殊」は、大和の安倍文殊(奈良県桜井市)、丹後の切戸文殊(京都府宮津市智恩寺)、出羽の亀岡文殊(山形県高畠町)の3ヶ所



金閣浮御堂・霊宝館

拝観料は、A 本堂 国宝・文殊菩薩(お抹茶・菓子付き)700円
     B 金閣浮御堂霊宝館(七まいりおさめ札・御守り付き)700円
     AB共通券は1,200円となっている



弁財天、安倍仲麻呂、安倍晴明の御尊像、安倍晴明の御尊軸をはじめ陰陽道に関する宝物を祀っている



「バクザン先生」の愛称で知られる、書家「榊 莫山」による「安倍仲麻呂 望郷の詩碑」
  天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも





「七まいり」という魔除け・方位災難除けを祈願する願掛けの修行場となっている
初めて訪れたときに体験した



「手水舎」



本堂(奈良県指定文化財)
寛文5年(1665年)に元安倍寺満願寺の本堂として建立された建物
快慶作の木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像が安置されている



扁額には山号の「安倍山 」 
大化元年(645)に創建された日本最古に属する寺院。華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高い



大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建立した
文殊院だけに合格祈願の絵馬で溢れている



本堂の外にあった案内を撮ってみた
堂内には、快慶作「渡海文殊群像(国宝)」が安置されている



仏像を観て驚くということはあまりないが、二回目の今回もその規模の大きさに驚く
「騎獅文殊菩薩像」の迫力と「善財童子像」の可愛らしい表情がいい



表山門
境内駐車場を利用すると、表山門の存在を見逃すことがある






参道を歩く



表山門から入ると、正面に手水舎と本堂が……



右手に金閣浮御堂が見えてくる



史跡 西古墳
飛鳥時代に造立、古墳の特別史跡指定は全国でも数件
他には明日香の石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳



西古墳の内部は、大化元年(645)当時のまま保存されている



石材は花崗岩を加工し、左右対称に石組みがされている



「不動堂」



コスモス畑から金閣浮御堂を見る



「十一面観音像」






東古墳
「閼伽井(あかい)の窟」とも呼ばれている
この泉の水は「閼伽水(智恵の水)」と言い、法要等に使う清浄な水として使用されていた



白山堂(重要文化財)
室町時代後期に建立された流造、杮葺の建物






祭神の「菊理媛(くくりひめ)」の「くくり」は「括る」にもつながり、古来より縁結びの神様としても信仰されている



重要文化財指定名称は「白山神社本殿」



弘法大師像



撮影 令和2年9月24日
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