今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

2017 砂の美術館 その4(鳥取県鳥取市福部町)

2017年12月31日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館
5年前に初めて美術館の砂像を見たとき、その完成度の高さに衝撃を覚え、感動した
私の住む北海道の雪祭りの雪像や氷像と同じように、展示後には壊される運命にある芸術作品でもある

マウントラシュモアとグランドキャニオン<レオナルド・ウゴリニ(イタリア)>
巨大な岩山にはアメリカの建国と発展に寄与した4人の歴代大統領が彫刻されている
左からワシントン、ルーズベルト、ジェファーソン、リンカーンで、民主主義の象徴として知られている



砂像の足元にはナイアガラをイメージした滝がある
この滝の設置案には水を大量に使用するということで、皆驚いたそうだ



館内の壁一面に設置された巨大な砂像。全作品のなかでも重要な存在である



ゴールドラッシュ<アンゲフォン・ディビット(ベルギー)>
カリフォルニアのアメリカン川でキラキラ輝く砂金が発見され、世界中から一攫千金を夢見る人々が殺到し「ゴールドラッシュ」がおきた
数年間で30万人もの移民が集結したカリフォルニアは都市となり州へと発展していった



この展示場所のみ一段低い場所にあり、照明が巧みに使われている



背景の木など、普段なら見過ごしてしまう場所まで丁寧に彫られている
彫る順番はどうなっているのかなど、よけいなことをつい考えてしまう






いたずら心で2階から作品を真横から撮ってみた
実際は薄い砂の板の塊を「光と影」を考えながら彫り、立体感を出している



屋外に現在のアメリカ大統領のトランプ。建国の精神とは……



以上が今年の9月末に訪れた時の18作品(1作品「ハワイ」を撮り忘れ)。

砂像彫刻の凄さを感じた作品の一部分を拡大したもの


















最後までご覧頂きありがとうございました

撮影 平成29年9月29日
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2017 砂の美術館 その3(鳥取県鳥取市福部町)

2017年12月30日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館
南北戦争とリンカーン<スザンヌ・スセラ(オランダ)>
「人民の、人民による、人民のための政治」の演説で知られるリンカーンは奴隷解放の父といわれ、合衆国を分裂の危機から救った偉大な大統領






リンカーンは選挙戦の最中に11歳の少女グレース・ベデルに「ひげを生やしたほうが良い」とアドバイスされ、それに従ってあごひげを生やしたという



それにしてもこの女性彫刻家の技術は凄い



この親子が描かれている意味はわからないが、母親の表情が気になる






アメリカ独立宣言<ディビット・ドゥシャーム(カナダ)>
合衆国の歴史は1776年7月4日の独立宣言により始まる
その原案のほとんどはトーマス・ジェファーソンによって書かれた



「すべての人は平等につくられている」は建国の理念






第3代 アメリカ合衆国大統領となる






デラウェア川を渡るワシントン<イリア・フェリモンツェフ(ロシア)>
独立戦争初期ジョージ・ワシントン率いる独立軍は氷のように冷たいデラウェア川を渡りイギリス軍への奇襲に成功する
その後、8年にもわたる戦いの末、世界最強といわれたイギリス軍を破った






ワシントンは合衆国初代大統領にとなり大国の基礎をつくった






強い意志を感じさせる見事な作品



旗のようなものの模様をよく見ると、アメリカ国旗のデザインのようにも見える。だとしたら凄い



ネイティブアメリカン<マリエレ・エイゼルス(オランダ)>
北米大陸の先住民アメリカンインディアン
彼らの祖先は氷河期にベーリング海峡を経てアジアより渡ってきたと云われている






歴史の浅いアメリカのなかでは唯一歴史を感じる作品



アメリカの動物たち<カレン・フラリック(カナダ)>






西部開拓時代<ドミトリー・クリメンコ(ロシア)>
開拓した土地は開拓者のものとするといった政策で、人々は荒野を切り拓きたくましく生きる姿は西部劇の中で語り継がれている



日本では「一所懸命」と言葉があるが、アメリカでは「開拓者精神(フロンティアスピリット)」か…






撮影 平成29年9月29日
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2017 砂の美術館 その2(鳥取県鳥取市福部町)

2017年12月29日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館
アメリカの音楽<アンドリュース・ペトクス(リトアニア)>
ブラックミュージックであるブルースから始まり、20世紀初頭にジャズが生まれた



ジャズは好きな音楽の一つだが、この女性歌手の名前がわからない
ビリー・ホリディかと思ったがこんなに豊満ではなかったはず…



サッチモは代表するアーチストなのでわかった



名前を当てるのも楽しい
ガレスビー、ミンガス、マイルスまでは何とか
眼鏡の人物はジャンルは違うがレイ・チャールズか…



砂像を横から見ると幅が薄いことがわかる
あの立体感は自然光や電灯によってつくられる影を計算してのものだという



ニューヨークの摩天楼<ジョン・ウッドワース(アメリカ)>
ニューヨークでは19世紀後半から高層ビルの建築が始まる
市内のマンハッタン島には超高層ビルが林立し、これらは摩天楼と呼ばれている



自由の女神像



米国の自由と民主主義の象徴であるとともに、世界各地からやってくる移民にとって新天地の象徴ともなっている



発明と工業の発展<スー・マクグリュー(アメリカ)>
南北戦争後、米国の産業は急激な発展を遂げる
ベルは電話を生み、一方、エジソンは白熱電球や蓄音機の実用化に成功させる
発明という言葉を人々の身近なものにした偉大な人物である



時代を経て、それぞれの技術は進歩し形も変化してきているが、その原点は発明当初のままというのが素晴らしい



何度目かに廻ってきた時に、窓から偶然自然光がこの場所だけに射した



「突然閃いた時の瞬間」を撮ることができたような感じがした



繁栄と世界進出<パベル・ミリニコフ(ロシア)>
19世紀後半イギリスをしのぐ世界一の工業大国となった米国は海外市場進出への機運が高まる



世界の檜舞台でセオドア・ルーズベルトの政策は、「穏やかに話し、大きな棒を運ぶ(大口を叩かず、必要なときだけ力を振るう)」から棍棒外交と呼ばれる
ルーズベルトはパナマ運河の完成の後ろ盾となった



宇宙開発<ヤン・リドン(中国)>
1958年、NASAが設立されると米国の宇宙開発が著しく成長
1969年、有人宇宙船アポロ11号が月面着陸に成功した






アンクルトムの小屋<メリネイジ・ビュリガード(カナダ)>
アメリカの小説「アンクルトムの小屋」は黒人奴隷であるトムの数奇な運命を描いた物語
奴隷制の非人道性が国内外に伝わり、時代は奴隷制廃止へと動き出した



小説の文字と挿絵が表現されている



主人公のトムだと想像するが表情がいい






過酷な生活の中でも楽しいことも…



いろいろ考えさせられ、想像させてくれた作品



撮影 平成29年9月29日
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2017 砂の美術館 その1(鳥取県鳥取市福部町)

2017年12月28日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館
秋の車旅で、九州に行く途中に必ず立ち寄ると決めていた
5年前に最初に訪れたときから砂像に魅了され、今回が3回目になる



美術館入り口



第10期 砂で世界旅行・アメリカ編
砂像彫刻家の写真。総合プロデューサーは、日本の茶圓 勝彦



制作の様子をDVDで確認後会場に入る

アメリカの美術<ウィルレッド・スタイガー(オランダ)>
1940年代戦禍を避けるためヨーロッパからの移民が増え、刺激を受けた国内の画家たちが活躍
ニューヨークがパリに代わって芸術の中心地になった



アンディ・ウォーホルとジャクソン・ポロック



繊細で崩れやすい砂を巧みに操り作品に仕上げる



アメリカの文化~映画産業~<トーマス・クォート、ジル・ハリス(アメリカ)>
ハリウッドに映画撮影所が作られて以来映画の都として発展
俳優の魅力を最大限引き出す映画作りを行い多くのスターを輩出する



アメリカの大スターでも知らない俳優もいる



西部劇のジョン・ウエィンか…



奥のチャップリンはわかるが…



誰もが知っているマリリン・モンロー



2階から撮してみた。自然光の力で砂の色や影が時間の経過と共に変化していく



側にいる人と比べると像の大きさが理解できると思う
亀裂の入っている部分があるが、修復しながら展示をしている



アメリカンライフ<ダン・ベルチャー(アメリカ)>
第二次世界大戦後、世界の経済の中心になったアメリカは安定と繁栄の時代を迎え、「古き良きアメリカ」と語り継がれている






ファーストフードや自動車は各国に広がり世界中に影響を与えた



アメリカのスポーツ<ダニエル・ドイル(アイルランド)>
スポーツにおける成功は人種や身分に関係なく富と名声が得られる
このアメリカンドリームがスポーツ大国をつくりあげた






人気のアメリカンフットボール



ベースボールとボクシング。確かに今も熱狂している



ヘルメット内の表情もリアルに表現されている






撮影 平成29年9月29日
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青葉山 中山寺(福井県大飯郡高浜町)

2017年12月27日 | 神社・仏閣
中山寺
昨夜は道の駅「シーサイド高浜」で車中泊。温泉が併設されているため、既に5~6回利用している
大飯高浜原発の影響もあり経済活動が低下し、不安を抱えていると地元の人が話してくれた

仁王門
駐車場から階段を上がると正面に仁王門が見える
金剛力士像が重文だとの案内札がある



木造金剛力士立像(重要文化財)
どこの寺でも、唯一写真を撮ることができる仏像だが、ガードが固くてあきらめた…のだが
副住職(女性)の考え方に納得して、帰り際に撮ったものである



金剛力士像は別の場所に安置されていたが、やはり所定の場所に置いた方がいいということで仁王門へ
文化財の保護は寺の務めで、きちんと後世に残していくために、このような形にしている



受付所
拝観を申し出ると「本尊の馬頭観音像は秘仏で公開していませんがよろしいですか」と
これまで多くの寺を訪れてきたがこのような云われ方をされたのは初めてだ
この寺の誠実さを感じ「もちろん」と応えた



書院
受付の女性から最初に案内されたのが書院
説明を聞いているうちに寺の将来を見据えて話しているなと感じたので、「副住職ですか」と尋ねた
予想通り「そうです」と。金剛力士像の話しもここで聞いたもの



本堂(重要文化財)
寺伝によれば、中山寺は天平8年(736)に聖武天皇の勅願のもと泰澄大師によって創建されたという



本堂は、室町時代の康永2年(1343)の建立



副住職から寺の歴史、お堂と仏像の説明を受ける
内容はすでに記憶にないが、情熱だけは心に刻まれた



平成19年に屋根が檜皮葺に



鐘楼
新旧の木材のアンバランスが…






白寿観音
撮したことさえ忘れてしまっていた。ぼけ封じにいいらしいが…



駐車場に駐めてある私の愛車
副住職に紹介された寺を目指したが、道が狭く右折できず断念する



撮影 平成29年9月29日
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鳳聚山 羽賀寺(福井県小浜市羽賀)

2017年12月26日 | 神社・仏閣
羽賀寺
「若狭おばまの寺」巡り(H25.10.29投稿)をしていた中で印象に残っている寺を再訪した
この日は渡願寺観音堂、西福寺と充実した日だったので、最後も気持ちよく終わりたかった
霊亀2年(716)に、元正天皇の勅願によって行基が創建したとされる



開山堂
「無量寿」の額



中門・開山堂を通り周囲の風景を眺めながら本堂に



5年振りの再訪になるが記憶が甦ってきた。階段の奥に見えるのが本堂である



鐘楼
階段を上がった左手に小振りだが歴史を感じる鐘楼がある
自由に鐘を撞いてよいとの記載と「戻り鐘」は避けよとの内容も



1回2回3回と音色を確認しながら撞いた
煩悩が祓われ、心が清らかになるような感じがした



本堂(重要文化財)
室町中期の文安4年(1447)の建立で、桁行5間(13.74m)、梁間6間(14.63m)、棟高13.21m



本尊の木造十一面観音菩薩立像(重文)に加え、千手観音菩薩立像(重文)と毘沙門天立像(重文)が堂内に安置されている



本堂の扁額。日本人なのに読めない



堂内では係の女性から本堂と仏像の説明がある
この女性の人柄に惚れ再訪したのだが、数年前と変わっていなかったことが嬉しかった



桧皮葺の入母屋造りで、軒の勾配がやや急に反る様式は北山文化の建築に多く見られる



本堂前の石仏



本堂の写真を撮っていると、お堂から係の女性が出てきて写真を撮るならここがいいですよ案内された



この場所は寺の人でなければ入りにくい所だったので感謝したい



寺の居心地の良さは建築物や仏像に加え、係の人の対応も重要な要素だ。訪れてよかった



撮影 平成29年9月28日
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大原山 西福寺 その2(福井県敦賀市原)

2017年12月23日 | 神社・仏閣
西福寺
応安元年(1368)後光厳天皇の勅願により、良如を開山として創建。宗派は浄土宗

御影堂



法然上人61歳等身大の木造を安置する



外陣には寺名の大きな提灯



奥には賓頭盧尊者像



須弥壇の奥には仏画が並べられている



何を表現しているか私にはまったく解らないが水墨画には興味がある



墨の濃淡、線の太細により、僧の表情がみごとに描かれている









中央には傾いている仏像が安置されている



さらに、つづく






実際は薄暗く経年変化による紙の変色もあるが、それがまた、価値を高めているような気がする






好きなので全部掲載してしまった。



以上が御影堂(重文)内部の様子である
御影堂から四修廊下(重文)を通り外に出る。降り続いていた雨も上がった



御影堂(重要文化財)



扁額には山号の「大原山」



四修廊下(重要文化財)
御影堂(右側)と阿弥陀堂をつなぐ四修廊下



阿弥陀堂(重要文化財)



円仁作の三尊仏(阿弥陀・観音・勢至)が安置されている



舎利如来堂



鐘楼堂
敦賀市指定有形文化財。安永年間の建立



雨粒がレンズに、また雨が降り出した



阿弥陀堂を眺めながら寺を後にする



平成29年9月28日
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大原山 西福寺 その1(福井県敦賀市原)

2017年12月22日 | 神社・仏閣
西福寺(さいふくじ)
初めて訪れる寺院である。重要文化財のお堂があるということで選んだ

総門
敦賀市指定有形文化財。1本の木で建てたと寺誌に記載されていたそうだ



三門
境内には不自然な鉄筋コンクリート造り



御影堂(重要文化財)
文化5年(1808)建立、入母屋造瓦葺き



改修工事中であった。東京五輪に合わせてるわけではないと思うが最近工事中の寺院が多いような気がする
雨が降り続き雨宿りをしながら周辺を眺めていたが、上がる気配がないので堂内に入ることにした



受付で堂内の撮影について尋ねると、「どうぞ」という嬉しい言葉が返ってきた
まずは書院から。拝観順路はあったが、途中でどこを歩いているかわからなくなってしまった



浩宮殿下お成り 御進講の間
天皇または皇太子の勅願により建立された勅願寺である



「功徳荘厳(くどくしょうごん)」は「阿弥陀経」に何度も出てくる言葉だという



名勝 西福寺書院庭園



江戸時代中期作庭、 面積1400坪、築山林泉式庭園






極楽浄土を表現した庭らしいが、さっぱりわからない



阿弥陀堂内
本尊は平重盛公御持仏で慈覚大師円仁作



阿弥陀・観音・勢至の三尊仏



中心に「阿弥陀如来像」



右側に「観音菩薩像」、左側「勢至菩薩」(写真無し)



壁の狭くて暗い空間に安置されている数体の仏像



実際は暗くて人間の目では表情などをみることはできない



デジカメの能力の高さを再認識した



どの仏像も同じような高さである



四修廊下(重要文化財)
御影堂から阿弥陀堂へ渡る回廊で、念仏行者が極楽浄土へ往生する姿を再現しているという






回廊から書院(重文)と書院庭園(名勝)をみる



撮影 平成29年9月28日
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渡岸寺観音堂<向源寺>(滋賀県長浜市高月町渡岸寺)

2017年12月21日 | 神社・仏閣
渡岸寺観音堂(向源寺)
降り続ける雨が車の屋根に響く音と近くに駐まっている大型車両のエンジン音で寝不足気味
憂鬱な朝を滋賀県の道の駅「近江母の郷」で迎えた
滋賀県には顔がみたくなる観音様が…
「日本一美しい観音像」と検索すると最初に出てくるのが、渡岸寺観音堂の「十一面観音立像(国宝)」だ



この寺のもう一つの魅力は仁王門の前に斜めに伸びている木だ
もう慣れたが最初に見たときは衝撃的だった



この風景もこの寺を訪れる魅力の一つになっている



仁王門を斜めから
細かな目の金網に護られている仁王像の撮影を何度も挑戦したが、私の技術(スマホも含めて)では無理ということがわかった



仁王門から参道を歩く



右手に、姉川の戦いの際、土中に仏像を埋め難を逃れたという場所がある



この寺の開祖は最澄
天台宗の寺院は信長に敵視され焼き討ちを受けることが多かった



手水舎。その奥に受付所がある



渡岸寺(どうがんじ)観音堂。渡岸寺は寺名ではなく「地名」、ナビには「向源寺」と入力すると出てくる
この日私が最初の拝観者ということもあり、堂内から丁寧に説明をしていただいた
12年間続けてきたガイドも80歳が定年で辞めなければならないと話してくれた



眺めていても飽きない仏像、親切な担当者の人柄もあり2時間近く長居してしまった。雨も上がった



渡岸寺観音堂は向源寺に属している。日本一美しいと云われる観音様、そのお姿は寺のパンフにも出てこない徹底ぶり
しかし、収蔵庫の慈雲閣では前後左右から2m以内で拝観できるという至極の時を与えられる



緑の募金で樹勢回復治療が行われた「渡岸寺野神(御神木)」



撮影 平成29年9月28日
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関ヶ原古戦場(岐阜県不破郡関ケ原町)

2017年12月20日 | 名所・旧跡
史跡 関ヶ原古戦場
この日予定していた観光を終え、滋賀県の道の駅に向かう途中「関ヶ原古戦場」の標識が見え、距離も近かったので立ち寄った
途中、道幅が狭い場所もあり注意をしながら駐車場へ向う

石田三成陣地跡
最近評価が変わってきているが、小説などでは嫌われ者として扱われている三成陣地跡の案内があった
NHK大河ドラマ「真田丸」を視て、私も三成に対する考え方が変わってきたところであった



笹尾山は北国街道を押さえるという位置にあり、高所で盆地を一望でき、防御に適している場所に三成は布陣した



日本史上重要な場所に行ってみることにした



見晴台があり、東軍・西軍の配置図に加え、音声により簡単な説明が加えられる



私も三成になった気分で周囲を眺めてみる
小説の世界でしか知らなかったが、思っていたより「狭い」が第一印象である
この場所で騎馬隊や歩兵が何万も対峙していたとは想像すらつかなかった



決戦地となった場所である
開戦から僅か6時間で勝敗が決したと云うがこの場所に立って、理解できたような気がした



三成陣地跡の馬防柵






「女城主直虎」では関ヶ原の場面はなかったが、井伊の赤鬼「直政」が活躍した戦いでもある



周辺には東西各武将の陣地跡がある



決戦地
今は農地となっているが、歴史の分岐点となった場所である



戦国の英雄であった信玄・謙信・信長・秀吉が去り、この後、大坂の陣を経て徳川の時代に入る
それぞれの天下人が願っていた戦のない時代になった



撮影 平成29年9月27日
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伊奈波神社(岐阜県岐阜市伊奈波通)

2017年12月19日 | 神社・仏閣
伊奈波(いなば)神社
(伝)景行天皇14年の創建は西暦84年になるのでかなり古い歴史を持つ

鳥居
駐車場から緩やかな坂を上がると一の鳥居が見えてくる



更に参道を進むと、先には二の鳥居が



神社と云えば狛犬



神馬



伊奈波大黒社
祭神 大己貴命(別名大国主命) 宝永6年(1709)に鎮座



楼門
神橋を通り石段の上には楼門が。その大きさに驚く
この神社を選んだのは「じゃらん観光スポット」でこの楼門の写真をみたのがきっかけ



門の奥に更に石段が



休憩をしながら、楼門を眺める



和歌三神社・須佐之男神社・天満神社・東照宮



黒龍社・龍頭岩



伊奈波大神を現在の井之口谷へ奉遷以前から、黒龍社は祭祀されていたと云う






神門
この日は、3つの寺院を廻ってきていただけに、石段をみると精神的に疲れが…



それにしてもこの神社の規模の大きさに驚く



神門が結界となり、向こうは神域となるため立ち入ることはできない



拝殿・幣殿・本殿と続く






神門から楼門を見る。歩んできた道を振り返るのは何故か楽しい



神門近くにある狛犬



参拝者を見守っている感じがする



神が人間世界にやってくる際の乗り物として,神聖視された神馬



珍しく人物を入れてみた。神社での振る舞いが美しく、見とれてしまった女性



祓所



神橋
勅使や将軍が通るといっても傾斜がすごい



横からみるとこのようになっている



神橋、楼門を後にして駐車場に向かう



撮影 平成29年9月27日
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愛護山 善光寺(岐阜県岐阜市伊奈波通)

2017年12月18日 | 神社・仏閣
善光寺(善光寺安乗院)
武田信玄は信濃善光寺から善光寺如来を持出し、甲府に善光寺を建立し祀った
信玄が没すると、織田信長によって岐阜に
善光寺如来をお祀りしていた岐阜伊奈波の霊跡に、信長の嫡孫織田秀信は、稲葉善光寺堂を建立し、善光寺如来様の分身を祀った
それを安乗院と満願寺によって護持されてきたが、明治の廃物棄釈・神仏分離によって満願寺は廃寺となり、安乗院が護ってきた



水掛・願掛不動尊
手洗いの前に北向きに祀られたお不動様で、様々なお願い事を込めて水を掛けてお参りする



手水舎
実は伊奈波神社参拝に来たのだが、事情があって駐車場をお借りすることになった






本堂
扁額には「照十方」
阿弥陀如来の光明は、あまねく十方世界(全世界)を照らして 念仏をする人々を救いとり、捨て置くことはないという意味らしい



明治22年の濃尾大震災で全焼し為、大正初年に再建された



末光稲荷大神
寺の守護神



水子・子育て地蔵尊



通称は「岐阜善光寺」「伊奈波善光寺」
これまでに信濃善光寺と甲斐善光寺を廻ってきているだけに、歴史を辿っていくと新たな発見があるものだ



撮影 平成29年9月27日
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神護山 崇福寺(岐阜県岐阜市長良福光)

2017年12月17日 | 神社・仏閣
崇福寺
織田信長縁の寺と云うことで訪れた



この年の春の旅で恵林寺を参拝した
恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれた
その快川国師がこの寺の三世住職だったと知り不思議な縁を感じた



山門付近に数人の庭師が手入れをしていたが、境内は隅々にいたるまで整備されていて気持ちがいい



鐘楼



元稲葉一鉄寄贈の梵鐘→元和元年改鋳→太平洋戦争で供出、そして現在に至っている



中門と土塀
関白一条兼良寄贈の中門(当時のまま)と土塀



中門の紋や土塀の線からも格式が高いことがわかる



拝観料200円を納め、室内の寺宝から。信長が達筆だったことと血天井の他は既に記憶がない
屋外に移動する



織田信長父子廟(岐阜市指定史跡)
1567年(永禄10年)、織田信長が岐阜に入ると、崇福寺は織田家菩提寺となる



天正10年(1582)本能寺の変により織田信長と織田信忠が亡くなると…



二人の遺品は側室のお鍋の手で岐阜城から崇福寺に持ち込まれ、織田信長・信忠廟所に埋められたという



墓標



父子の法名を左右に並べて刻んである
右 総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士 覚霊 (信長)
左 大雲院殿三品羽林高岩大禅定門 神儀  (信忠)



本堂前庭















境内石庭



撮影 平成29年9月27日
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金凰山 正法寺(岐阜県岐阜市大仏町)

2017年12月16日 | 神社・仏閣
正法寺
道の駅「志野・織部」で朝を迎え、本日の予定を立てる
周辺の観光地で検索すると「日本三大仏」の文字が。その寺の名は正法寺



黄檗宗 萬福寺の末寺で、建物、作法などは中国風であり、日本の寺院とは異なる



釈迦如来像(岐阜県指定重要文化財)
拝観料200円も安いし、撮影が許可されていることも嬉しい



堂内は薄暗いが、私の目よりデジタルカメラの方が遙かに優れているので心配ない



本尊の釈迦如来は、岐阜大仏として知られている



日本三大仏とは、奈良と鎌倉の2尊。他の1尊は時代とともに変遷してきた
古くは京都の方広寺、兵庫県の能福寺
現在は富山県高岡市の大佛寺の高岡大仏と「正法寺の岐阜大仏」に






大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は竹材と粘土で造られ、その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いている。胎内には薬師如来が祀られている



高さ13.7m、耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m



五百羅漢



左右両壇に安置されている五百羅漢は天和年代の作品



絵説き欄間
五百羅漢の上部の欄間にある



印度佛教の聖典を欄間絵にして表現、徳川時代初期に彩色されたとある

































賓頭盧尊者
なで仏で、病んでいる場所と同じ所をなでて治す。頭部を病んでいる人が多いことがわかる



この賓頭盧尊者像、凄みがあり、小心な私には近寄りがたい。そっと、頭をなでた…



地蔵菩薩



正法寺では一番古い仏で戦国時代の作



多宝塔
伊奈波神社の境内にあったものを神仏混淆禁止令が発布されたときに、難を逃れるために移された



撮影 平成29年9月27日
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虎渓山 永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)

2017年12月15日 | 神社・仏閣
永保寺
永保寺は4回目になる。前回、訪れたときにお世話になった水彩画家の男性に再会できるといいなと思って来た
駐車場から10分ほど歩くと見慣れてきた風景が広がってくる



最初に訪れたときは2003年の火災で全焼した本堂などが再建中であった









写真を撮りながら、画家がいないか周囲を注意深く確かめていると…



数メートル先で画を描いているのが見えた
近寄って挨拶をして2年前にお世話になった話しをしたが「覚えていない」とあっさり言われた
それでもスケッチブックを見せてもらったり、境内を歩き建築物の説明を1時間以上もしていただいた



2年前のことである、開山堂を撮っている私が、何回もシャッターを押していたのが気になったらしい
「こんな白い空を撮ってどうする」「土門先生はじっくり考えて撮っていた」と。「土門先生って、土門拳のことですか」と私
そこから3時間も話し込んでしまった



絵を描き始めようとしていたので、少しの時間写真を撮って来ますとその場を離れる



名勝 永保寺庭園
夢窓疎石が作庭した
写真家土門拳氏のこの橋周辺の作品に感動して訪れたのが最初だ
また、その日の気温がその年の一番高い日でもあった






六角堂



無際橋
画家に案内され説明された内容のほんの一部だが…
反対側には無いが、こちら側には最後が石段になっている



4本の柱の太さが上にいくほど細くなっている



池は臥龍池と呼ばれ、上から見ると心字池になっている



観音堂(国宝)
2年前、この場で老人に声を掛けられ説明を受けたのが画家との最初の出会いだった






僧堂 座禅堂






山門
画家の師匠が石に寺名の「永保寺」を彫った



師匠とは石の裏に「斗出庵」と彫られているが、人間国宝の陶芸家(志野焼)荒川豊藏氏だった
そして、作品の志野焼の器を撮影していたのが写真家土門拳氏でその画家も現場に居合わせたそうだ



鐘楼






画家の絵を描くスピードが速いので急ぎ戻ることにした






5・6分で戻ったと思うがすでに筆が予想以上に進んでいた



ここから色鉛筆で色をつけていく



開山堂を撮るならこの場所がいいと連れて行ってくれたが、そこは足下が悪い立入禁止区域
滑るので気をつけて下さいと言った瞬間、私が滑り転んでしまった



数年前にも転倒し、現在、愛用しているカメラを購入するきっかけになった



画家とはここで別れたというより、突然帰っていった
また、お会いしたいと強く思った



撮影 平成29年9月26日
コメント (2)
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