今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

二村山 法蔵寺(愛知県岡崎市本宿町寺山)

2014年11月14日 | 神社・仏閣
台風19号上陸の避難場所として、道の駅「藤川宿」を選択
そこで手に入れたパンフにより本日の行き先を決定した
NHK大河ドラマ軍師官兵衛も秀吉の時代が終わり、家康が動き出そうとしているが、この岡崎市は家康のお膝元である

二村山 法蔵寺
寺伝によれば大宝元年(701年)行基によって法相宗の二村山出生寺として創建されたという古刹

山門
山門前に参拝者用の駐車場がある



山門には彫刻が。初めて訪れる寺だが、これまでの経験上このような寺は期待することができる



山門から見える境内の様子



石段の左側には「賀勝水」と書かれた立て札が
家康が幼少時代にこの寺で読み書きを習い、この場所で硯を洗ったという



鐘楼門
この門は何かなとしばらく悩んでいたが



帰り際に横から見ると門の上が鐘楼になっていた



本堂
嘉吉元年(1441年)松平親氏により伽藍が建立され、松平家の菩提寺とされた



本尊は阿弥陀如来



本堂もみごとな彫刻で飾られている



釘かどうかわからないが、咥えているのか、刺さっているのか
写真を撮っているということは、その時は何か気になっていたということだが、今は記憶にない



本堂から鐘楼門を見る



本堂を背にして右手には、三河新四国霊場の札所となるお堂が






そして、その奥には六角堂がある。

六角堂






六角堂から緩やかな坂を上っていくと



近藤勇 首塚
近藤勇は35歳で処刑され、首は三条大橋にさらされた
同志が持ち出し生前近藤が敬慕していた孫空義天和尚に埋葬を依頼することにしたが、その半年前に法蔵寺の住職として転任していたので、この地に運ぶことにした



当時は世間をはばかり石碑も土で覆い無縁仏のようになっていた
昭和33年の調査結果により埋葬の由来が明らかになり現在のような形で供養している



さらに、一段高いところには

岡崎本宿東照宮
徳川家康を祀る神社









東照宮から見える法蔵寺境内



ゆっくり周囲の風景を眺めながら、本堂付近に戻ってくる



納経所



次は本堂ではなく木が主役である。

法蔵寺のイヌマキ(岡崎市指定天然記念物)
行基手植えと伝えられている



法蔵寺の桜(岡崎市指定天然記念物)



徳川家康(幼名・竹千代)が、時の住持・教翁上人に就いて、読書きを習ったという法蔵寺
台風で藤川宿に避難したことにより偶然訪れることになったが、とてもよいお寺だった 

撮影 平成26年10月14日
コメント
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