今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

法華宗陣門流総本山 長久山 本成寺(新潟県三条市西本成寺)

2021年08月31日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月5日

法華宗陣門流総本山 長久山 本成寺
永仁5年(1297年)日印聖人によって開かれた法華宗総本山である

三門<赤門>(新潟県指定文化財)
天文年間(1532~54年)の戦乱で焼失
日修聖人が再建を発起、棟札によると天明6年(1786年)竣工



朱塗りのため「赤門」と呼ばれている
三手先詰組で全体に禅宗様でまとめられている



扁額には山号の「長久山」



仁王像
一眼レフのレンズでは撮れず、スマホのカメラを使用

大毘沙門天王



大持国天王



参道両脇には、十カ寺の塔頭寺院



宝物殿



水門






寺務所



鐘楼(三条市指定文化財)
宝暦8年(1758年)の火災後、明和7年(1770年)の建築



先代の梵鐘は、第二次世界大戦で供出された
現在の梵鐘は、昭和27年(1952年)に鋳造された






多宝塔(三条市指定文化財)



多宝塔は本来、下層部が方形で上層部が円形になっている
この建物は上下層ともに方形



明和7年(1770年)に再興された






本堂前
日蓮聖人降誕800年の記念の年にあたる



本堂
開山当初は「青蓮華寺」と称していましたが正和3年(1314年)、日朗上人を初祖とした長久山本成寺に寺号を改めた



南北朝時代に住職となった日陣は京都に本禅寺を別院として創建し、以後、本成寺は日陣門流の中心的な存在となる



日蓮宗の根本道場として寺運が隆盛
現在も尚七堂伽藍に塔頭十院(要住院、本照院、久成院、蓮如院、持経院、顕性院、一乗院、本高院、静明院、寿妙院)を擁している



本成寺は江戸時代末期の名彫刻家として知られた石川雲蝶の作品が見られる事でも有名
惜しくも本堂は明治26年(1893年)に焼失したが、支院には雲蝶作の彫刻が数多く存在する



内陣
本尊は三宝尊
法華宗・日蓮宗の本尊で、仏・法・僧の三宝を祀るための仏像



三宝は仏・法・僧であるが、仏の第一を釈迦如来とし、法の第一を法華経とし、僧の第一を日蓮とし
三宝の各第一をひとつの本尊にまとめたものが三宝尊である



外陣










各扉も芸術的だ









本堂をからの眺望












弁天堂






千仏堂<六角堂>(三条市指定文化財)
上杉氏家臣 山吉永久の創建
文化10年(1813年)日精上人の代に六方の一辺が一間三尺(約270cm)の千仏堂を再興した






軒回りの彫刻や装飾の豪華さは一見に値する






鬼子母神堂

















撮影 令和3年6月5日
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新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市関原町1丁目字権現堂)

2021年08月30日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月4日

新潟県立歴史博物館
旅行中の雨対策として近くの博物館に立ち寄る

震災復興モニュメント「大地の女神(ビーナス)」



新潟県立歴史博物館入口






常設展示室に入る
新潟県の歴史展示を中心に縄文時代の文化や新潟県の歴史・民衆生活に関する資料などを展示している






入室して驚いたのは展示の仕方である



他の博物館でも縄文土器を観てきたがこのような展示は初めてで驚いた









照明の使い方やデザインなど立ち止まって観てしまうほど秀逸だ






「威奈大村骨蔵器」 
















「柿崎古墳」












「源頼朝による地頭補任状」 建久3年(1192年)



「奥山荘波月条絵図」 鎌倉時代
地頭の遺産相続争いの際に、証拠資料として作成されたもの



「長尾景虎書状」(上) 「上杉輝虎署判覚」(下)



 「上杉景虎感状」(左)「上杉政虎感状」(右)



「上杉謙信画像」 江戸後期






「川中島合戦図屏風」





















「北征将軍仁和寺宮御凱陣越後御通過図」 明治初期















「西巻開邪の男女同権演説」



「女株券師」



「大漢和辞典」を編纂した諸橋轍次の仕事場



「大日本地名辞書」を執筆中の吉田東伍



新潟県出身の「文学者」



「スポーツ・芸能」



「政治家・実業家」



「高田の雁木通り」の雑貨屋



下駄屋









縄文人の世界



異次元の世界に足を踏み入れたと錯覚するほどの展示物









想像の世界が目の前にある






動き出すのではないかと注視してしまう









立体的に見える仕組み






撮影 令和3年6月4日
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良寛記念館 その2(新潟県三島郡出雲崎町米田)

2021年08月29日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月4日

良寛記念館 その2

「風竹粛疎月一痕」 山岡鉄舟 書






「伝 老中土井利勝 宛」 伊達政宗 書









「村主蒼生有功大人」 上杉篤興 画・賛






「貞操嫁家鏡夫子」 上杉篤興 画・賛






「永保蒼創家」 朴 泳孝 書






「正蔵大権現」扁額






「山以鎭静容」 朴 泳孝 書






「双鯉如夢撫枕吟」 都知多 眞彦 書






「男兒至比是豪雄」 渡邊 國武 書







「良寛立像」



「桜花敬鳥」






「心如花酔」 長 三州 書






「大丈夫象意」 勝 海舟 書






「大賢緯變不倒崩」 勝 海舟 書






「雪中山水図」 洞雲(狩野益信)画






「中華仙人図」 長谷川 等益 画






「冷倣瀑布の図」 皆川 和堂 画






⑫ 沙門 良寛 書「あさづくし」






⑬ 良寛 書「十字街頭乞」










「普賢菩薩警世偈」 黄檗 悦山 書






⑭ 良寛 書「今日乞食逢驟雨」






「竹の図」 天民(大窪詩仏)画






⑮ 良寛 書「袖裏毬子直千金」






「小堀遠州政一図画詞書」 小堀遠州政一 画






展示されていた作品を観て、撮った



良寛に関する書籍



良寛座像



旅立ちの丘



佐渡からの金銀の陸揚げ港の出雲崎が見える
天気が良ければ佐渡が遠くに見えるという



撮影 令和3年6月4日
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良寛記念館 その1(新潟県三島郡出雲崎町米田)

2021年08月28日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月4日

良寛記念館 その1
朝から断続的に強い雨が降り、予報も終日雨
道の駅で美術館や博物館などを検索してみると近くに良寛記念館があった



出雲崎は、元和2年(1616年)佐渡からの金銀の陸揚げ港として、代官所が置かれた直轄地「天領」となった



良寛記念館は、良寛の遺墨と芸術を顕彰するため、生誕200年の記念事業として昭和40年(1965年)に開館



筆塚の詩碑






耐雪庵
耐雪とは、記念館生みの親・佐藤吉太郎氏の号




庵は良寛が仏道修行につとめ、独自の芸術を大成させた「五合庵」を模したもの



世界一の巨大硅化木
二千万年前に青森地方に生育していたオランダスギに近い樹種が硅化したもの



亀田鵬斎書 釧雲泉の碑






一部を拡大してみる



釧雲泉の墓



開館時間 午前9時から午後5時まで
受付にて写真撮影の手続きをする(住所・氏名の確認)



長い回廊の奥に展示館がある



展示館に入る
春の特別展「良寛ゆかりの土田家寄贈作品展」の開催中



撮影許可の連絡を受け、さっそく撮り始める



① 良寛 遺墨「欄風亭」<初公開作品>






作品を正面から撮ると照明の関係で変な人物が入る場合がある(笑)



「七月七日の夕月を見て」 山本由之 書






「鍾馗図」 有願 画






② 良寛 臨書「王義の詩」






③ 良寛 書「天上大風」<複製>






④ 良寛 遺墨長歌「あしひきの」






⑤ 良寛 書「そめいろの」






「雪月花」 川端康成 書






⑥ 良寛 書






⑦ 良寛 遺墨 九字名号「南無不可思議光如来」






⑧ 良寛「自然」



⑨ 釈良寛 書「雲白道」






⑩ 良寛 書「きてみれば」






⑪ 良寛 遺墨「このみやの」






土田家関係












「素蘤多蒙別艶欺」 巻 菱湖 書






次回に続く

撮影 令和3年6月4日
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瑞応山 東福院(新潟県刈羽郡刈羽村大字赤田北方)

2021年08月27日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月3日

瑞応山 東福院
この寺には宝物が多数あるとの情報があり訪れた

山門
天保年間以前の造営



山門前の石仏






扁額の文字が読めない



案内板
多数の宝物というのは刈羽村指定文化財だと云うことが分かった



調べてもこの寺の情報がほとんどない
ここに記載されている由緒が貴重な情報となる



参道を歩くと正面に本堂が見えてくる
初めて訪れる寺なので左側の方から回ってみる










境内は緑に囲まれ美しい



経蔵(刈羽村指定文化財)
慶応3年(1867年)建立



明治17年(1884年)出火の際に本堂他伽藍を焼失したが、経蔵は焼失を免れた



彫刻









堂内の様子



鐘楼






梵鐘(刈羽村指定文化財)
天保2年(1831年)再々鋳



各所に観音像が浮彫されている



西国三十三カ所石仏















本堂
寛正2年(1461年)上杉謙信の4家老の1人である赤田城主 斎藤下野守によって開基された



本尊は聖観音菩薩



明治17年(1884年)出火の際に本堂他伽藍を焼失、明治34年までに本堂・庫裡等を再建



子育水子地蔵



本堂から山門を見る






撮影 令和3年6月3日
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東山 延命院 大泉寺(新潟県柏崎市大清水)

2021年08月26日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月3日

東山 延命院 大泉寺
重要文化財の観音堂があるということで訪れた
幹線道路から狭く曲がりくねった山道の上りを車を走らせる
途中、最近はほとんど目にしない「警笛」鳴らせの標識も数カ所ある

文化財案内板
駐車場に着いたときには精神的に疲れてしまい、車内から案内板をぼんやり眺めていた
初めて訪れる寺のため、この内容は後々役にたつ



案内では「木喰上人木額(市指定文化財)」となっていた
木喰上人が詠った詩を自ら刻んだ木額らしい



「小安地蔵尊」が文化財だと勘違いしていた



納経所・庫裡



本堂
真言宗豊山派の寺院 本尊:阿弥陀如来



彫刻









参道を進む



観音堂(重要文化財)
朱鳥元年(686年)泰澄禅師によって創建されたと伝えられている
戦国時代には、越後守護上杉房能、越後国主上杉謙信・景勝等が参詣し、武運の長久を祈ったとも伝えられている



永禄2年(1559年)落雷により焼失
現在のお堂は永禄3年(1560年)上杉家によって再建された
桁行三間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、茅葺






堂内に入る



外陣






「大悲殿」の扁額



左甚五郎がかかわっていたとは驚きだ



堂内丸柱中1本の柱は太さで日本一の萩の柱と確認されている



朱鳥元年(686)持統天皇の勅願により泰澄大師観世音を刻まれて御堂建立
本尊観世音は身代り観音と称せられ多くの人々の信仰を集めている



お前立の観世音(新潟県指定文化財)
上杉謙信の父長尾為景の寄進である



六地蔵



飯綱社(新潟県指定文化財)






覆いの屋根を造り社殿を保護している



内部には、一間社の流れ造り、店世棚造りの社殿が保護されている



隙間から撮ってみた



仁王門(新潟県指定文化財)
木々に隠れていて見逃すところだった






正面から



中越沖地震で全壊し復興
復興に要した費用は500万円(文化財は高額だと感じた)



仁王像
いつものように隙間にレンズを突っ込む



足元に手書きの説明文



室町時代(16世紀)の作らしい
1体だけが安置されていた



西国三十三観音霊場石仏






大泉寺は、日本海を見おろす海抜200メートルの山上にある



景色は綺麗だが、頭の中は帰りの下りの山道のこと






撮影 令和3年6月3日
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大佛山 楞厳寺(新潟県上越市柿崎区芋島)

2021年08月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月3日

大佛山 楞厳寺(りょうごんじ)
国登録有形文化財があるということで訪れた



案内板
初めての寺院の場合は説明文を読むようにしている
10数m歩くと8割は忘れてしまうのが残念なところだが……(笑)



階段を上る



山門(国登録有形文化財)



山門は柿崎城の搦手門を移築したと伝わる
切妻、茅葺、四脚門、間口3.5m



扁額には山号の「大佛山」



雑草にも優しい茅葺きの屋根



六地蔵



石仏群







この仏像だけが覆われ護られている
名のある仏像なのか……



これまで全国各地で多くの仏像を拝観してきているがこの印相は見たことがない
調べてみても全く分からない
お手上げ状態という意味なのか(笑)



こちらは「考える石仏」か……(横道に逸れた)



本堂(国登録有形文化財)
曹洞宗の寺院
創建は天文13年(1534年)に上杉謙信の四天王の一人 柿崎和泉守景家が開基となり林泉寺の住職 天室光育が開山した
天室光育は名僧で知られ、幼少期の謙信の教育を任された人物



扁額には寺号の「楞厳禅寺」
扉には防犯のため施錠中との貼り紙



お参りの際は庫裏へとあったので行ってみたが応答がなかった
正徳2年(1712年)の再建、入母屋、銅板葺、平入桁行22m、梁間16m



梵鐘






本尊:釈迦牟尼仏












この奥に、石仏師 高橋健十郎と三二父子が手懸けた西国三十三観音が建立されている



性格的に33体全部撮りたくなるので途中で戻った
他のブログの写真を見ると見事な彫りの石仏が多く反省している






山門を後に駐車場に戻る



令和3年6月3日
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医王山 米山寺 密蔵院(新潟県上越市柿崎区米山寺)

2021年08月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月3日

医王山 米山寺 密蔵院
道の駅に置かれていた資料を参考に訪れた
寺号標はあるが周辺に寺らしきものが見当たらない



道路脇に車を駐め、石仏を撮りながら、誰かが来たら尋ねようと思っていた
人の気配もなく、周辺を歩くと農作業をしている人がいたので声を掛けた



石段を上がったら寺があると作業の手を止め教えていただいた



石段を上がると広い場所にでたが建物はなかった



更に先に進むと、奥に建物が見えてきた



左手には石仏も見えてくる



穏やかな顔をした石仏だ



庫裡
境内にある大きな建物は2つのようだ



護摩堂
真言宗豊山派の寺院
密蔵院の創建は和銅5年(712年)泰澄大師(白山を開山した修験道の高僧)が開山したと伝えられている
江戸時代後期の御堂建築で、入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、正面1間向拝付



米山薬師は越後富士の異名がある米山(標高:993m)に勧請安置された薬師如来
霊験が高く鳳来寺山薬師(愛知県)、法華嶽薬師(宮崎県)と共に日本三薬師に数えられた



密蔵院は米山薬師の別当寺として隆盛を極め境内には七堂伽藍の建物が建ち並んでいた
中世は上杉家に庇護されていた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には西軍に与した上杉家に呼応し一揆(上杉遺民一揆)に参加
密蔵院はその兵火で多くの堂宇が焼失し一時衰退する



元和2年(1616年)に宥照上人が長嶺藩の藩主牧野氏と高田藩の藩主松平氏の庇護もあり密蔵院を再興した
江戸時代後期の文化14年(1817年)現在の護摩堂を再建した



組物や彫刻などに見所がある

































護摩堂外壁装飾(上越市指定文化財)
中国英雄物語を表した彫刻



高田 万吉、又吉、重五郎、江戸淺艸茂左エ門作の外壁装飾4面(1面は210cm×260cm)















堂内に入る



本尊:薬師如来















奉納額



天井画












扁額には「護摩堂」









外観は普通だが、お堂には魅力的なものが沢山詰め込まれている感じだ



帰りは階段を避け、緩い坂道を下りた



撮影 令和3年6月3日
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歓喜踊躍山 浄土真宗興行寺<浄興寺>(新潟県上越市寺町2丁目)

2021年08月23日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月2日

歓喜踊躍山 浄土真宗興行寺<浄興寺>
初めてと思ってきたが、駐車場に駐めた瞬間、訪れた事のある寺院だと気付いた
山号は歓喜踊躍山(かんぎゆやくざん)正式寺号を浄土真宗興行寺という

山門
山門は駐車場の反対側にあり、近道もあるが遠回りしてみた
真宗浄興寺派本山の寺院で、山門に「本山浄興寺」の額



山門から本堂へ向かう境内の左右に9か寺の末寺が並んでいる



最盛期には越後・信濃・出羽の三国に約90か寺の末寺を従えたという



山門の正面に本堂が見えてくる






親鸞聖人像



浄興寺の開山は浄土真宗の開祖親鸞である



鐘楼



聖徳太子堂



堂内の聖徳太子像は親鸞が常陸の国稲田郷にいた時から日夜奉仕していたもの



経蔵






本堂(重要文化財)
延宝7年(1679年)頃建立
正面に三間の向拝を付けた一重、入母屋造り杮葺き



間口28.2m、奥行27.8mの大規模仏堂



創建は、建保2年(1214年)常陸笠間郡稲田郷(現在の茨城県笠間市)稲田草庵を開いた
以後、浄興寺は度重なる火災により各地を転々とした
永禄10年(1567年)に上杉謙信の招きにより越後春日山(現在の新潟県上越市)に移る



堂内に入る



扁額には寺号の「浄興寺」



極楽浄土をあらわす堂内の様子



本尊は「木造阿弥陀如来立像」
室町時代(15世紀)



欄間7枚のうちの一つ
黄金の雲の上で天楽をなす天女が飛翔



身舎部の柱はすべて円柱になっている



旧太子堂擬宝珠



豆穀太鼓



親鸞聖人本廟(上越市指定有形文化財)



拝堂



弘長2年(1262年)京都で亡くなった聖人の頂骨は、遺命により、当時、常陸国(茨城県)にあった浄興寺に納められた
本廟には、聖人のほかにも本願寺三世の覚如上人以降の本願寺歴代門主の分骨も納められている



西本願寺の懇望により文禄元年(1592年)に親鸞聖人の頭骨を分骨
万治3年(1660年)には親鸞聖人並びに本願寺歴代上人の頭骨を東本願寺に分骨している



本廟は、明治21年(1888年)に柏崎の名匠、篠田宗吉が棟梁となって6年の歳月を費やして完成させた



柱や妻飾りなどの細部にいたるまで、花鳥、動物などの精巧で美しい彫刻が施されている





















宝物館






撮影 令和3年6月2日
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安国山 華蔵院 五智国分寺(新潟県上越市五智)

2021年08月21日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月2日

安国山 華蔵院 五智国分寺
聖武天皇の詔によって建てられた越後国国分寺を継承
寺伝では永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地に移転・再興したという



「如意輪観音」と書かれた小さなお堂



如意輪観音像は艶めかしく好みの仏像だが……
この石仏はシンプル過ぎて滑稽な感じがする



山門(上越市指定有形文化財)



扁額には山号の「安国山」



仁王像



左右2体の仁王像は天保7年(1836年)の作









筆塚



芭蕉句碑



250年も経つと彫られた文字も風雨に曝され消えてしまう
それでも「薬欄にいづれの花を草枕」と記された文字のいくつかを確認することができた



千代垣素直(ちよがきすなお)の碑群






石仏












経蔵(上越市指定有形文化財)
元禄6年(1693年)の建立、市内では最古の建造物



蔵内には、元禄5年(1692年)の寄進銘を持つ「鉄眼版一切経」が納められている



白山神社神輿殿



額には「越後国分寺守護神……」とある



本堂



本堂は、昭和63年(1988年)の焼失を経て平成9年(1997年)に再建されたもの






見上げると5本の紐が内陣に安置されている五智如来に繋がっている



残念だが、堂内は立入禁止



大日如来を中心として薬師如来・宝生如来・阿弥陀如来・釈迦如来の5体の五智如来像が本尊として安置されている






石塔群






倒れている石塔もある



親鸞聖人像



竹之内草庵
草庵は竹林に囲まれていたため「竹之内草庵」と呼ばれた



親鸞聖人が越後国の地に上陸し最初に住んだ場所



堂内
親鸞聖人自作の坐像「親鸞聖人坐像」が安置されている



拡大してみる
伝親鸞聖人坐像(上越市指定有形文化財)



鐘楼






三重塔(新潟県指定文化財)



寛政6年(1794年)の焼失後の安政3年(1856年)に再建を着工
慶応元年(1865年)に棟上がされたが高欄等は未完成












撮影 令和3年6月2日
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居多神社(新潟県上越市五智)

2021年08月20日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月2日

居多神社(こたじんじゃ)
10数年前に近くの寺で地元の歴史研究家から声を掛けられた
見て貰いたい場所があると、この神社と親鸞聖人上陸の地に案内して頂いた



地元の歴史研究家から「片葉の芦」の説明をして頂いたことを思い出す



居多をコタとは読めず、今でも「イタ」と口に出る
調べてみるとイタと呼ばれていた時期もあったようだ
南北朝時代以降は、守護上杉家からの崇敬を受けて越後国の一宮に位置づけられたとされる
<越後国の一宮として知られる神社には彌彦神社がある>



鳥居



手水



拝殿



居多神社は「気多神」を祀る神社と考えられており、兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされる



扁額には「居多大明神」



堂内



祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
   奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと) - 大国主命の妻
   建御名方命(たけみなかたのみこと) - 大国主命の子



明治12年(1879年)に現在地に社殿が造営され遷座したが、明治35年(1902年)に火災で焼失
平成20年(2008年)6月に本社殿が造営されて現在に至っている



親鸞聖人像



境内には、葉が片方にのみ生える芦「片葉の芦」が群生する
伝承では、親鸞が居多神社に参拝して祈願をすると境内の芦が一夜にして片葉になったという



大国主命と奴奈川姫命(祭神像)



大国主命は越後国の沼河姫と結婚しようとして、姫の家へ行って歌(略)を詠んだ
そのとき沼河姫は、戸を閉じたまま、家の中から次の歌(略)で答えた
その夜は会わないで、翌晩会ったという妻問の歌の説明



縁結び・子宝祈願の神として信 仰されている



摂末社 雁田神社






内には陰陽石 女陰石と男根石






葉が片方にのみ生える芦「片葉の芦」を探す



植物には興味もなく形も分からないのでスマホで検索する
アシとヨシが同じだという事を初めて知る
群生しているのは雑草で、その中から芦らしいのを見つけ出した



確かに「片葉の芦」だ



撮影 令和3年6月2日
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能生白山神社(新潟県糸魚川市大字能生)

2021年08月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月1日

能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)
駐車場から100mほど歩き最初にこの建物が眼に入ってきた
これが社殿だとは気付かずにいた



一の鳥居
幹線道路から鳥居横にある狭い道路に入ってきた
運転に集中していたのか、鳥居も社号標も眼にはいらなかった






参道を歩く
奥に見えるのは国指定天然記念物の「能生白山神社社叢」



手水舎



階段を上る



二の鳥居



狛犬









この建物の横に「重要文化財 本殿」の案内板があったのが原因だと思うが大きな誤りに気付いた



額には社号の「白山神社」<正式名称>



誤りとは、この社殿は本殿ではなく「拝殿(糸魚川市指定有形文化財)」であった
写真の裏付けをするため文化遺産を検索していて社殿の違いに気付いた



当時は夢中になってこの社殿を撮っていたが、今はかなり落ち込んでいる(涙)



拝殿内の様子









拝観後2ヶ月経って間違いに気付いたのだが、本殿は何処にあるのか
木に隠れているが建物らしきものがうっすらと見える



茅葺きの建物が好きな事もあり、後ろに写っている建物が視界から消えていた
拝殿はどこにあるのだろうと探していた事が蘇ってきた












能生白山神社宝物殿
この日は閉館していた



秋葉神社
境内の秋葉神社は、天保13年(1842年)に再建された薬師堂












「八方睨みの龍」なのかと思い移動してみたが、絵そのものが薄く分からなかった






外に出てみると「白山トンネル」



松本清張の『天城越え』を連想させる






能生歴史民俗資料館(閉館中)
「中門造り」とよばれ、豪雪地として知られる新潟県や長野県北部に多くみられる



撮影 令和3年6月1日
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明日山 法福寺(富山県黒部市宇奈月町明日)

2021年08月18日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月1日

明日山 法福寺

山門
切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門
近づいてみると仁王像が安置されていた



仁王像
隙間にレンズ突っ込み撮影している姿は他者からは不審な行動だと思う
タイミング悪く(良く)地域を警邏中の警察官から声を掛けられた



人里離れた寺に県外ナンバーの車
人相の悪い爺に不審な行動、仕方がない……



キャンピングカーで寺社巡りをして写真を撮っている事を説明
これまで何度も職務質問を受けているので慣れている
免許証にて人物確認を終え終了



近隣の出身とのことで、この寺の歴史について説明してくれた
気持ちの良い若者で困った事が起こったら連絡して下さいと名刺も渡された



案内板



参道



本堂
参道の先に本堂が見えてくる



創建は平安時代初期の大同元年(806年)に幻識大和尚により開かれたのが始まりと伝えられている



当時は寺運が隆盛し境内には七堂伽藍が建ち並び16坊を擁していた
戦国時代に入り上杉氏の兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失した



天正年間(1573~1593年)に前田家の祈願所になると歴代前田家から庇護された
文禄2年(1593年)には前田利家から寺領の寄進があった



「大悲殿」の扁額の形がいい



欄間部には龍、木鼻には象と獅子の彫刻






堂内には入ることができなかったが、この扉も趣がある






明日(あけび)の大桜(富山県指定天然記念物)












石仏






鐘楼






よく見ると透かし彫りになっている



水上の小祠






撮影 令和3年6月1日
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小川山 千光寺 (富山県魚津市小川寺)

2021年08月17日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月1日

小川山 千光寺
初めて訪れる寺で予備知識もない
調べてみると、創建は奈良時代の天平18年(746年)に行基菩薩により開かれたのが始まりと伝えられている

山門
切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門



由緒
往時は16坊を有したが、天文20年(1551年)長尾景虎(上杉謙信)が魚津城を攻めた際に魚津城城主が千光寺に逃げ込んだところを攻撃し13坊が焼失
存続しているのは観音堂のほか、心蓮坊、光学坊、蓮蔵坊の三坊



山門扁額には「大悲殿」
大悲殿とは聖観音や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のこと



仁王像






いつものように隙間にレンズを突っ込み適当に撮る
考えて撮るより迫力ある写真になる(笑)






階段の奥に建物が見える
階段の左右には小さな祠がある



扉を開き、合掌した後に不動明王像を撮る






階段を上りきったお正面に仏様が置かれている



近くにこの案内板があったので、この仏様かとずっと勘違いしていた
観音堂に安置されている秘仏(33年毎の開帳)のことであった



千手観世音菩薩立像



石造りの魅力的な観音像だ



観音堂
木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り
間口4間、奥行き5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り






堂内に入りたかったが地元のご婦人方が賑やかに歓談していたので臆してしまった



観音堂の彫刻



休憩中の龍なのか寝起きの龍なのか緩い感じが好きだ



白山社
千光寺に隣接している



本殿



摂社



白山社側から観音堂を見る






駐車場の前の石碑



光学坊
上杉謙信(当時長尾景虎)の越中侵攻による兵火により16坊中13坊が焼失
残った3坊のうちの一つ









撮影 令和3年6月1日
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櫟原神社(富山県滑川市神明町)

2021年08月16日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月1日

櫟原神社(いちはらじんじゃ)
道の駅で最寄りの有名寺社で検索し訪れた神社である
数100m狭い生活道路を走らなければならず、右左折に苦労した
奥に見えるのが海で、境内は公園のようになっている



一の鳥居(登録有形文化財)
石造明神鳥居
間口4.6m、高さ4.5mの規模で、内転びの柱に貫を通し、その中央には額束を建てる






二の鳥居(登録有形文化財)
拝殿を望む方向に建つ石造鳥居
間口3.5m、高さ3.9mの規模で、貫の両端を柱の外に延ばさない中山鳥居である



拝殿
屋根の修復作業中であった



扁額には社号の「櫟原神社」






横に移動してみる



拝殿と幣殿



本殿
祭神は素盞嗚命
創祀は大宝元年(701年)



道祖神
数年前の写真では木造の鳥居であったが、違和感がありすぎる(笑)



琴比羅社
本殿の後方に琴比羅社がある
同じ敷地内にあるが、社号標もあり別の神社のような感じがする



社殿






○○神社に字が拡大しても読めず、そこで気付いたのだが、亀の甲羅ではないのかと……



撮影 令和3年6月1日
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