今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

札幌芸術の森 野外美術館 その4(北海道札幌市南区 芸術の森)

2013年09月30日 | 博物館・美術館・記念館
今日から「あまちゃん」に変わり「ごちそうさま」が始まった。どのような物語なのか楽しみだ。
さて、野外美術館も4回目になる。作者名の後の説明文は入場の際に配布される「彫刻鑑賞のワンポイント」から記載している。


39 花まい<ブロンズ>
雨宮 敬子:花は短い間に咲き誇る。この若き女性の姿はまさに咲き始めようとする花のようである。 



大人の女性として大きく踏み出して行く勢いを感じさせる。




40 抜海の漢<ブロンズ>
吉田 芳夫:強い精神と意志をを備えて北の大地にたくましく生きる男の姿。 



比較的小さな像であるが、風貌にこれまで生きてきた歴史が刻み込まれている感じがした。




41 大地からの閃光<ステンレス>
飯田 善國:風で動く2枚の羽は、地上から空への信号のように発せられる。 



太陽に光り輝く2枚のステンレスが青空や地上の緑に合う。




42 日暮れ時の街No.9<コールテン鋼>
國松 明日香:日暮れ時のやすらぎが抽象的に構成された街並みのなかに表現されている。



43 道<御影石>
空 充秋:ほぞで組み合わさった石に、人が互いに力を合わせて生きる姿や、人間の自然との関わりの変遷を込めている。



44 位相<ステンレス>
多田 美波:斜面の地形を利用して設置された作品。非日常的な視覚体験させる。



45 方円の啓示<ステンレス>
小田 襄:四角と円、見る角度によっては互いに映りこみ、虚と実の縁と四角形を形作る。



見上げる角度、太陽光によって四角や円が周囲の風景にとけこみその存在が消えてしまうという不思議な体験をした。実に楽しい。




46 オーガンNo.10<ブロンズ>
建畠 覚造:無機と有機との対立、人為と自然との対比が緊張感を生む。



47 開拓の祈り<安山岩>
木村 賢太郎:石の塊から掘り出された単純化された祈りの姿。




48 異空間<ステンレス・マグネット他>
内田 晴之:逆三角形の形体が、真っ赤な枠にふれずに頂点のみで自立している。磁石の反発をしあう力を巧みに利用して不思議な世界を見せる。



49 道標・鴉<ブロンズ>
柳原 義達:カラスに深い愛情を寄せて連作している。生命感あふれる造形。



50 1・9・8・5知性沈下<ステンレス>
湯原 和夫:鏡に映り出された虚の世界と、その隙間から見える本物の風景が入り交じる。



大きな作品であるが見る角度によっては周囲の景色をステンレスの鏡に飲み込む。金属の力恐るべし。




51 道標-けものを背負う男<ブロンズ>
本田 明二:北の厳しい自然と、そこで必死に生きる人間の関係が簡潔な表現のなかに見ることができる。

私の元同僚に長身の男性がいて、この作品の人物と雰囲気がよく似ているためこの作品には親近感が湧く。ただ、元同僚だった彼は右手に槍を持つ南方系だが。




52 蜃気楼<御影石>
鈴木 徹:横たわる男の姿がダイナミックな塊で表現されている。

まずい流れが続くが、これまた元同僚の酔いつぶれている姿と重なってきた。




53 石縁<大理石>
永井 康雄:炎や煙が揺れ動くような波形の稜線によって、リズム感のある形体が生まれている。

さらに流れが続く。作者には申し訳ないが、遠くから見えたときには近くで作業をしていたこともあり、石灰の入った袋が積み上げてあるのだと錯覚していた。 



流れを元に戻すために、規則的に置かれた石の風景を……




54 のどちんことはなのあな<ブロンズ> 
堀内 正和:のぞいてみる彫刻。



55 1・1√2<アルミ合金他>
田中 薫:折れ曲がった四角柱は5分ごとに形を変える。動くおもしろさと、次への変化を期待させる。



56 ベエが行く<ブロンズ>
掛井 五郎:あかんベエをして、おどけた表情の女の子。



57 少年の像<ブロンズ>
佐藤 忠良:手を前で結び、遠くを見据え少し背伸びをした少年の姿に、大人への憧憬が感じられる。



社会に揉まれ純粋さを失った大人達に欠けている表情かもしれない。




58 冬の像<ブロンズ>
佐藤 忠良:物静かな表情の中に、女性の内面的な美しさが漂う。



遠くからは意志の強さが、近くによると優しさが伝わってくる。




59 足なげる女<ブロンズ>
佐藤 忠良:足を広げ、上半身を反らした姿に気取りがなく、明るく開放的。



60 顔<ブロンズ>
佐藤 忠良:意志の強さを内に秘めた個性強い顔立ちは、力強くたくましい。



撮影 平成25年9月27日
コメント (1)
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札幌芸術の森 野外美術館 その3(北海道札幌市南区 芸術の森)

2013年09月29日 | 博物館・美術館・記念館
芸術の判断は大変難しい。作家に対して大変失礼だが「これが芸術作品なの」と思うものもある。
今回が3回目の作品の紹介であるが、同じ作品で複数の写真を掲載しているいるのが私の好みの作品である。
作者名の後の説明文は入場の際に配布される「彫刻鑑賞のワンポイント」から記載している。


20 若きカフカス人の追幻想譜<ブロンズ>
鈴木 実:人間の形を解体し再構成した時に生じるズレに美を求めている。
よく見ると頭部と胴体、胴体と脚部が離れている。脚がまっすぐに伸びていて面白い。



胴体のない像だが凜とした顔が印象的だ。




21 ユカタンの女<ブロンズ>
細川宗英:ユカタン半島のマヤ遺跡のレリーフに消えゆくものの哀れさと存在を主張し続ける魅力を女性像に託されている。



どこの国の女性かなという疑問が、体つきも特に腹部が印象に残る魅力的な作品である。




22 ひとNo.16-Ⅰ<御影石>
高橋 清:古代メキシコ文化に共鳴した神秘的で象徴的な世界観。



23 間(げん)<大理石>
安田 侃:手前の直方体と丘の上のロの字型の大理石が対をなす。 



24 SAPPORO’90<御影石>
速水 史朗:札幌の歴史と未来が託されている。



25 夏引<御影石>
下川 昭宣:「夏引」とは鎌倉時代の名牛の名前。芸術の森アトリエで制作された。



26 交叉する赤錆の壁<コールテン鋼>
保田 春彦:重厚な壁と格子が組み合わされ、古代の遺跡や都市の風景をイメージさせる。



27 うつろい<ステンレス>
宮脇 愛子:空に自由に線を描いたような8本の曲線が、小高い丘の上で風景ととけあう。



森の中の浅黄色の風景から、青空の見える風景に。この作品は青空ととても合う。




28 挑発しあう形<石・コールテン鋼>
土谷 武:自然の石と鉄との構成がスケールの大きい空間を感じさせる。



子供アトリエ前にある像。作者は不明であるがとても可愛い作品である。



29 鶏を抱く女<ブロンズ>
本郷 新:大地を踏みしめて立つ、野生的でたくましい女性像。



30 女・夏<ブロンズ>
佐藤 忠良:池を背景に存在を主張するのびやかな女性像。

野外美術館を紹介する1枚目に使用した写真がこの作品。



現代的な女性の下半身だけ裸像という作品。写真を写していると周囲の視線が気になる。




31 浮遊<ブロンズ>
山内 杜夫:薄衣を身にまとい、空に漂う単純化された天女の姿。 



32 はやぶさ<ブロンズ>
山内 杜夫:すばやく飛ぶハヤブサの勇壮な動きを、単純化した形で表している。 



33 幼いキリン・堅い土<ブロンズ>
淀井 敏夫:動物園の固い土の上で生まれたキリンの宿命。

歩道の横に置かれている小さな作品だが存在感があり、つい立ち止まって見とれてしまう。 




34 風の中の道化<ブロンズ> 
坂 坦道:年老いたピエロが不安定な台座の上で必死にバランスをとっている。

自分と重なる部分が多く、笑うことができない。 




35 風と舞う日<ブロンズ>
峯田 敏郎:春の訪れの歓びが二人の女性に託され、少女たちは軽やかに風に舞う。 



36 コタンクルカムイの詩<ブロンズ・木他>
米坂 ヒデノリ:コタンの人々の守護神であるフクロウが墓標を見守る。 



37 北の大地の詩<ブロンズ>
鈴木 徹:遠野地方に伝わる「オシラサマ伝説」を題材にしている。 



38 二人の空<ブロンズ>
峯田 義郎:木立の中で寄り添う若い二人。春を待つまなざしに詩情が漂う。 



歩道から少し離れたところにこの作品が置かれている。中央でなく右寄りに寄り添っているのもいい。



若い二人の目線が上を向いているので後方に回ってその方角を撮ってみた。「二人の空」というタイトルに沿った写真ができあがったように感じる。




撮影 平成25年9月27日
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札幌芸術の森 野外美術館 その2(北海道札幌市南区芸術の森)

2013年09月28日 | 博物館・美術館・記念館
昨日は久しぶりに長時間外を歩いたためすっかり疲れてしまい夕食後についうたた寝をしてしまった。
ブログの準備を始めたのが午後11時過ぎ、終了したのが翌日に。

今朝、「あまちゃん」の最終回。朝起きてテレビを視る楽しみを知った番組である。
上質の笑いあり、涙ありの番組で出演者の個性をいかした脚本や音楽もすばらしい。

昨日に引き続き芸術の森 野外美術館の作品を紹介していく。


06 そりのあるかたち<御影石・ステンレス>
澄川 喜一:富士山の稜線や日本刀のそりによって緊張感ある空間をみせているそうだ。  






07 ダイナモ<コールテン鋼>
下田 治:直線と平面で構成されている。



08 目の城90<御影石>
新妻 寛:日差しが強かったが、思い切って太陽にカメラを向けて撮ってみた。



解説によると光の状態で表情を変える工夫がされているようだ。なるほど実感できた。




09 池の反映<ブロンズ>
ナイジェル・ホール:同じ形が2つずつ組み合わされている。 



10 人物1000<鉄>
ホルスト・アンテス:原始と現在、未来をも結ぶ人間の姿を表しているそうだが。



11 ミロク89-I<ブロンズ>
秋山 沙走武:腕を組み瞑想している女性と弥勒の姿を重ねている。
 
芸術作品を理解できることもなく、浅黄色の森の中へ入る。やっと好きなブロンズ像が見えてきた。

 

弥勒菩薩の雰囲気がでているだろうか。




12 波の重なり<御影石>
中江 紀洋:時代のうねりの中の人間の生活を、波に託して語る。



13 月下<安山岩>
中井 延也:不可思議な生き物が月明かりの下でたたずむ。実に不可思議な作品。



14 鳥になった日<御影石>
山本 一也:粘土を手の中で握ってできた形にヒントを得た作品。



15 石翔ぶ<石・鉄・銅>
小清水 漸:空に憧れ続けた人類が数世紀前に考えたような翼の形。



16 ウレシクテ アノヨト コノヨヲ イキイキスル<ステンレス>
最上 壽之:単色からカラーの世界へ移動できた。4本の足が印象的。



17 椅子になって休もう<ポリエステル>
福田 繁雄:最初この作品を見たときに衝撃を覚えた。黄色い人間の数に21世紀への夢を託している。



18 シャフトⅡ<鉄・空気>
アントニー・ゴームリー:自分自身を型取りしてつくられた。笹藪の中で直立不動で立っている。



19 彩霞燈<ブロンズ>
一色 邦彦:木の精霊を擬人化した女性像。



まさに森の妖精といった像。




芸術の森野外美術館へ入る料金は700円だが年間フリーパス券は1000円。
駐車料金も1回500円だが、6枚綴り券を1000円で購入できるというシステム。
世界規模で若手音楽家を育成するPMFもこの場所で開会式、その後、野外コンサートも行われる。


撮影 平成25年9月27日
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札幌芸術の森 野外美術館 その1(北海道札幌市南区 芸術の森)

2013年09月27日 | 博物館・美術館・記念館
久しぶりの青空が北海道にももどってきた。
これからの季節、晴れる日には朝には冷え込むことが多い。
今日の朝の気温は5℃、朝刊のチラシもスタッドレスタイヤや暖房関係に変わってきている。

さて、今日は天気もよくドライブ日和。ブログ写真の材料も少なくなってきているので写真も撮れる場所と言うことで、札幌市郊外にある「札幌芸術の森 野外美術館」に行くことにした。
ここは、モデル撮影会で2度、個人でも一度、写真を撮りにきたことがある。


芸術というと拒否反応を示す人がいる。私もその一人だ。
だが、この屋外美術館は面白い作品もたくさんありいろいろな角度から私なりに撮影し紹介していきたいと思う。
さっそく1枚目。数日後、正式に掲載予定だが「女・夏」という作品名。
モデル撮影会のことを思い出し、芸術に対する拒否反応を軽減すべく偶然撮ることができた1枚。  
 



芸術の森での展示物は、すべて芸術作品になっている。

01 野外美術館シンボルレリーフ<アルミニウム> 
向井 良吉:野外美術館の入口壁面を飾る。



02 昇<アルミニウム> 
ライモ・ウトゥリアイネン:広場の中央を飾る。



03 ウィグ<アルミ合金>
清水 九兵衞:日本伝統の朱色が、今日の青空によく映える。 






04 雲の牧場<ステンレス・帆布>
清水 九兵衞:5つの帆は風に吹かれて動く。



 


05 ふたり<ブロンズ>
朝倉 響子:芸術の森展示作品中、私の一番好きな作品。



見る角度によっては反目しあっているようにも……



座っている形がとても自然で遠くから見ると人が座っているように見える。



よく似た、この二人の女性はとても美人である。






気がつけば午後3時半も過ぎ辺りが暗くなりかけてきた。
ここへきてもう3時間も経っている。坂を下りてきた時この風景が目に入った。




この、野外美術館には74点の作品が展示されている。
隈無く歩き全作品を撮ったつもりではいたが、抜けていた作品もあった。

今日は5作品を紹介したが、作者の意図などまったく考えず撮った写真ではあるが、これ以後も是非見てもらいたい。


撮影 平成25年9月27日
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護法山 安国院出雲寺<毘沙門堂>・亀甲山 勧修寺(京都府京都市山科区)

2013年09月26日 | 神社・仏閣
京都でタクシーに乗り、運転手お薦めの寺に案内してもらうことになった。
寺の名を聞いても耳にしたことのない寺ではあったが、新しい発見があるかもしれない。
車は市内から離れ、細い道を上り寺のすぐ近くに横付けしてくれた。その寺の名は毘沙門堂という。 



本来なら最寄りの駅から徒歩20分、そして、この石段を上ってくることになる。
だが、今日はその手間が省けた。寺から外に出て仁王門を見る。



寛文五年(1665年)に建立された阿吽の二天像が護る。
大好きな仁王像だが撮したという記憶が全くない。



一人で寺を訪れた時には自分の写真でその当時の情景を思い出せるのだが、今日は同僚4人で来ていて、運転手の説明を聞いて移動していたため、この辺りの印象が薄れている。




毘沙門堂の歴史
京都市山科区にある天台宗の寺院。山号は護法山。護法山安国院出雲寺とも称す。
本尊は毘沙門天。天台宗京都五門跡の一であり、「毘沙門堂門跡」とも呼ばれる。

創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。
当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。



桜の季節には境内は賑わうようであるが、今は紅葉前の季節で参拝者も少ない。



拝観料を払い運転手に寺の中を案内される。



庭園についての知識はないが廊下から見る風景が本当に美しい。




 


動く襖絵 
撮影禁止なので中の様子を写真で伝えることはできないが、「えぇ~」「どうして」。
不思議な絵でつい声がでてしまう。今、流行っていることばにすると「じぇじぇじぇ」である。

宸殿内部の障壁画百十六面は、すべて狩野探幽の養子で駿河台派の始祖狩野益信の作。
どの角度から見ても、鑑賞者が中心になるという逆遠近法の手法。

圓山応挙筆。平凡な杉板戸ではあるが実に迫力のある大きな鯉が泳いでいる。
これは旧院書の板戸でその豪華さがうかがえる。鯉の眼を見ながら左右にゆっくり動くと……。

襖絵、板戸の絵そのものもすばらしく、しかも、間近で見ることができる。
机の角度が変わったり、魚などは尾びれまで動くから驚きだ。不思議でそして面白すぎて、絵の前を何往復しただろうか。
    


せっかく美しい庭園風景も「動く襖絵」の印象に負けてしまうほどだ。



また、来たい。皆の思いであった。

次に運転手が案内してくれたのは勧修寺。初めて聞く寺の名だ。


勧修寺の歴史
京都市山科区にある門跡寺院。真言宗山階派大本山。山号を亀甲山と称する。
開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊、本尊は千手観音である。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院である。
寺名は「かんしゅうじ」「かんじゅじ」などとも読まれることがあるが、寺では「かじゅうじ」を正式の呼称としている。



樹齢750年「ハイビヤクシン」はわが国無双の名木だそうだ。



この石を撮した写真が数枚あったので調べてみた。



何かのいわれがなければ撮るはずがない。

   

調べた結果、石ではなく灯篭だった。
水戸光圀公寄進の「勧修寺型灯篭」といいユーモラスで有名。



この木も由緒あると聞いたが記憶に残っていない。



本来の墓はこの形だと言う説明を受けたが…。
やはり、一方的に説明を聞くという消極的な見学では記憶に残らないようだ。



説明を聞きながらずっと気になっていた建物が遠くにあった。



運転手には軽く流されてしまったが、一人 側に寄ってみた。
観音堂と書かれ、洋風の顔立ちの「美白の観音様」が安置されていた。



流された理由がわかった。



最後に、藤原高藤と宮道列子に関する説話
『今昔物語集』には次のような高藤と列子のロマンスが伝えられている。
藤原北家の流れを汲む藤原高藤は、鷹狩が趣味であった。
ある時、鷹狩のため南山階に来ていた高藤は、雨宿りのためたまたま通りがかった宮道弥益の屋敷を訪れた。
勧められるままに弥益の邸に1泊した高藤は弥益の娘(列子)に一目ぼれし、一夜の契りを結んだ。
翌日、鷹狩から帰らぬ息子を心配して待っていた、高藤の父・良門は激怒し、高藤が今後鷹狩に行くことを厳禁した。
その後、高藤と列子は長らく音信不通であった。それから6年後、高藤はようやく列子と再会する。
列子には娘がいた。6年前、高藤との一夜の契りで宿した子であった。
この娘こそが後に宇多天皇の女御となり、醍醐天皇の生母ともなった藤原胤子である。


撮影 平成21年10月13日 
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廬山天台講寺<蘆山寺>・東山 建仁寺(京都府京都市上京区・東山区)

2013年09月25日 | 神社・仏閣
京都御所の周辺を散歩していると、初めて聞く名ではあったが蘆山寺と書かれた寺門があり、沿革などを読んでいると急に興味が湧き入ることにした。

圓浄宗大本山 廬山寺<廬山天台講寺>
京都市上京区にある天台系の単立仏教寺院。圓浄宗の本山。本尊は阿弥陀如来。
寺号は詳しくは廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)と称する。紫式部の邸宅跡として知られる。




比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師、慈恵大師)により天慶元年(938年)に京都の北山に創建。
寛元元年(1243年)に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならい廬山天台講寺と号した。

日本人で唯一人「世界の五大偉人」に選出され、フランスのユネスコ本部に登録された世界最古の偉人並文豪紫式部は、「平安京東郊の中河の地」すなわち現在の廬山寺の境内(全域)に住んでいた。



    めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に     
             雲がくれにし夜半の月影  (紫式部)

紫式部が幼友達に贈った歌である。
『思いがけず出合って、その形を見たのかどうか分からぬうちに、雲の中に隠れてしまった夜中の月のように、久し振りにお目にかかり、お姿をみたかどうか分からぬうちにもうあなたはお帰りになられましたのね。』といった意味である。


御内仏殿(本堂)



源氏庭
紫式部が育ち、未婚時代を過ごしたのは堤第といわれた藤原兼輔が建てた邸宅であり、父・為時の邸宅に住んでいた。



この邸宅で結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆した。  



それは平安京の東に接した中河と呼ばれる地にあり、現在の廬山寺の境内を中心とする処に営まれていた。 



さすが、京都。小さな寺ではあるがやはり歴史がある。




どのように移動したのか、何故、建仁寺に行ったのか全く記憶がない。 

臨済宗建仁寺派大本山 東山 建仁寺
京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。
山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。
京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」が有名。


法堂(仏殿と法堂を兼ねている)
明和2年(1765年)の建立。本尊 釈迦如来






双龍の絵



平成14年(2002年)創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。









安国寺恵瓊首塚



東陽坊
北野大茶会の際に千利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が好んだと伝えられる茶室。二畳台目下座床の席。



構成・意匠ともに薮内家の燕庵に共通する点が多く見られる。大正年間に現在地に移築された。




由緒ある庭なのかも知れないが



興味があるのはこちらの庭。奥に和服の二人の若い女性がいる。



後ろから庭を撮るふりをして、こっそりシャッターを切る。



女性が突然振り返り「写真撮ってくれませんか」とカメラを渡された。「いいですよ」と撮ってあげたが感じのよい女性だったので。
「さっき、あまりにも美しかったので1枚撮らせてもらいました」と言うと。
「知っていましたよ」と笑って応える。「それでは、もう1枚後ろ姿でいいですから撮らせてください」とお願いすると。
「どうぞ」と快諾してくれた。2枚撮らせてもらったうちの1枚である。



ここで、思い出したが、この日着物をきた女性が沢山歩いていた。
そのうち数名が建仁寺に入ったのでつられて入ったような気がする。面目ない……。   


撮影 平成22年10月12日
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山形城・山形美術館(山形県山形市霞城町)

2013年09月24日 | 
山形市には、ある会議に出席するために来たのだが、その会議が始まるまで2・3時間の余裕があったので市内観光をすることに。

宿泊したホテルのロビーには素人目にも価値のありそうな数体のブロンズ像があった。



作者は調べてはいないが立ち止まって見てしまうほどすてきな作品である。



モデルを撮影するよう美し顔だなと思う方向から数枚撮ってみた。

 




憂いのあるこの像が一番気に入っている。




山形城<霞城>(史跡)
山形城は、山形県山形市霞城町にあった城。別名で霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。  



おおよそ基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。



現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。
建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。



山形城は、その別名を霞城と呼ばれる。関ヶ原の戦いに関連して、米沢城主直江兼続率いる上杉軍が山形に侵攻し、長谷堂合戦が起こった。
その際、現山形市街地の西にある富神山の麓の菅沢に陣を構えた上杉勢からは霞がかかってその位置を隠したことに由来する。


最上義光公勇戦の像
銅像をとりまく縁石は山形城三の丸をかたどっている。



敵将直江兼継軍を撃退しようと指揮する山形城主最上義光の英姿。
私の好きなパチンコ「CR花の慶次」でも、よく最上軍に敗退するが歴史的背景があるということを改めて学んだ。




城内の石垣だが、積み上げた時代の違いが石垣の色でわかるそうだ。色が濃い方が古い時代のもの。 



城から出るときに電車の音が聞こえてきたのでシャッターを切った。
鉄道写真ブームだそうだができあがってみると面白い。




山形美術館
山形美術館は、当時の山形新聞・山形放送社長服部敬雄が中心となって財団法人を設立し 、1964年8月開館した。



時間の関係で館内には入らず、周辺を散策した。



ホテルの像もよかったが、屋外の像も周囲の風景にとけこんでいてすばらしい。




撮影 平成21年10月24日
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宝珠山 阿所川院 立石寺<通称:山寺> その2(山形県山形市大字山寺)

2013年09月23日 | 神社・仏閣


昨日に引き続き「立石寺(山寺)」。最初に訪れた時、この石段数は神社仏閣では一番多いのではないかと調べてみた。
熊本県 釈迦院 3333段(御坂遊歩道)、山形県 羽黒山 2446段、香川県 金比羅神社 1368段、
山形県 山寺(立石寺) 1015段、滋賀県 長命寺 808段の順で4番目だそうだ。


仁王門
目標が見えると人は頑張ることができるが、これまでの疲労が膝にきているため足が進まない。



仁王門から先を覗いてみるとまだまだ石段が続く。遠くに奥の院が見えてくる。



目的地である、納経堂・開山堂が見えてきた。



この景色はここまでこなければ拝むことはできない。



振り返ると、仁王門が見える風景も、ここまで来たという満足感も加わり美しく感じる。


 

如法堂
奥之院は通称で、正しくは「如法堂」。
慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とする如法堂は、参道の終点にあるので「奥之院」と呼ばれている。

大福徳智恵観音の木札が腕にかけられている。













大仏殿 阿弥陀如来



鐘楼



三重小塔(重要文化財)



奥の院周辺の風景






岩の形が人間の顔に見える。 


 



開山堂・納経堂



訪れた人が必ず写真を撮る場所。 



納経堂の下には、慈覚大師円仁の遺骸が
昭和23年(1948年)から翌年にかけて入定窟の学術調査が実施され、金箔押しの木棺と人骨5体分、円仁像と思われる頭部のみの木彫像などが発見された。
この木彫像の頭部については、目鼻立ちなどの特色から円仁像であることは認められ、作風からも9世紀頃の制作であると認められている。



五大堂から見た風景









最後の写真は帰り道のこの風景。
月がでていて撮ったのだが残念ながら記録されていなかった。
午後5時に近くなり辺りも暗くなってきた。




昨夜で世間の話題に話題に乗り遅れないようにと視ていた「半沢直樹」が終了した。
最近では見たい番組は一度録画してから視ることが多い。しかし、この番組は民放にもかかわらずいきなり本編から始まり途中のCMも気にならないつくりをしている。
仕事や生き方に信念を持ち感情をむき出しにして体制に向き合っている姿はとても心地よい。
信念もなく感情的に過ごしてきた私にとっては心が痛む場面も多いが…。さて、これで終わりなのか、いや次回が必ずある。
もうひとつ「あまちゃん」が今週で終わる。毎日、毎朝を楽しみにしていただけに本当に残念だ。
多くの人に笑いと元気を与えてきた番組でNHK朝ドラでは画期的だった。 


撮影 平成21年10月23日
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宝珠山 阿所川院 立石寺<通称:山寺> その1(山形県山形市大字山寺)

2013年09月22日 | 神社・仏閣
平成21年、この年2回目となる山寺参拝の様子を写真で綴る。
この日は山形空港からレンタカーで山寺に向かい、午後3時半に駐車場に到着した。
時間も遅く駆け足になったが、この3ヶ月前に一度来ているので精神的には余裕をもって上ることができた。

山の上に見える建物が立石寺奥の院にあたる場所である。



名勝・史跡 山寺と書かれた石柱の横に「登山口」の看板が。後でその意味がわかる。



早速、最初の石段が見えてきたが、現地調査を行い石段を数えた人によると1070段あるそうだ。



最初の石段を上ると本堂が見えてくる。




根本中堂(重要文化財)
1356年山形城主斯波兼頼が創建。今の建物は17世紀初め最上義光により大修理をうけたものである。
入母屋造りで銅板葺の内陣には鎌倉時代の一本彫秘仏本尊、薬師如来座像が安置されている。

堂内には1200年前に天台宗比叡山延暦寺から移された不滅の法灯が今も灯されている。
この「不滅の法灯」は開山の折り比叡山延暦寺より分灯されたが、 大永元年1521年兵乱により立石寺とともに法灯も消失した。
しかし天文12年1543年再建時に再び延暦寺から分灯され、逆に元亀2年織田信長により焼き討ちされた時には立石寺に法灯が延暦寺に分灯された。 



根本中堂の入口に安置されている布袋尊



布袋尊をなでてお参りするのが慣わしとなっているとのことである。



私の体型とよく似ているので布袋様には親近感がある。







山門
鎌倉時代の建立



宝珠山 阿所川院 立石寺<通称:山寺>の歴史(史跡・名勝)
山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。
寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。
山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。
寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。

石段を上りながら左右の風景を眺めながら歩く。



厚い岩壁には人間の顔に似た「奇巌」もある。 






磨崖仏
平安時代初期、安然和尚像とされる。右の植物と比較してもわかると思うが、小さな磨崖仏である。



せみ塚周辺の風景
元禄2年1689年 奥の細道で訪れた芭蕉は 「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」の名句を残した。



夏に来たときには蝉の声がうるさく聞こえていたが、秋は静かである。




弥陀洞(みだほら)
私には見えたが(見えない人もいる)阿弥陀如来に似ていることから「丈六の阿弥陀如来」と呼ばれている。



岩壁には刻まれた岩塔婆や後生車や卒塔婆がたてられて、「死後の魂は山寺に還る」 というこの地方独特の庶民信仰だそうだ。 



阿弥陀如来、私にはよく見えるが……。  



見上げると、仁王門が見える。夏に来たときは猛暑日でここで「戻ろうか」と思うほど辛かった。 



次回に続く


撮影 平成21年10月23日
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浮島湿原 その2(北海道上川郡上川町字上越)

2013年09月21日 | 名所・旧跡
失言は多いが、湿原は初めて。写真は多いが植物の判別ができない。
そんな私の写真による旅日記の続きである。 



沼の上に円く浮かんでいる植物がわかるだろうか。これが湿原の名前となった浮島である。



沼の色が「真っ黒」のため、近くの木々、青空や雲などが鏡のようによく映る。
また、多くは実物よりきれいに映し出されるので、ついついシャッターを押してしまう。
何でも実物以上に映るので顔に自信のない人は一度試してみるとよい。
ただし沼に頭から落ちてしまうというリスクもあるので気をつけること。これも失言かな。



これまでこのような風景を見たことがなく、外国の風景に近いのかなと思ったが、外国に行ったこともなかった。



あたりが急に暗くなり湿原に色が消えてきたので、白黒にしてみた。



私は神社仏閣の写真が好きだが「白黒」にしたらどうなるのかなとイメージが膨らんできた。
そう考えていると空の所々に青空が見えてきた。












大きな沼が見えてきた。この沼の周辺はまだ緑が多い。






今、思い出したが、レンズを購入して初めての撮影になる。
ネット中古だが自分では格安で落札したと思っている。
キャノンの24-105mmのズームレンズでとても使いやすい。






この木を見たとき東北の「奇跡の一本松」を思い出した。

















もう一度浮島









雨がぱらぱら音をたて落ちてきた。



帰りは私の人生と同じように、ほとんどが下り坂。人生なら苦しいが、歩いて戻るには楽だ。



調べると日本の湿原の85%は北海道に集中しているそうだ。
どの季節がいいのかわからないが、浮島湿原にはまた来てみたい。 


撮影 平成25年9月18日
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浮島湿原 その1(北海道上川郡上川町字上越)

2013年09月20日 | 名所・旧跡
今回、初めて地元北海道を紹介する。
浮島湿原は興味のない人にとっては知られていない場所で観光客も多いとは思えない。
昔、紋別市に5年間勤務していたことがあり、浮島湿原に入る道路(273号線)は50回以上は通行していたが今年に入るまでその存在は知らなかった。 



旭川方面からは無料高速道路があり「浮島」で下りる。
滝上・紋別方面に向かって5分程走ると右側に小さな看板が見える。
浮島トンネルが見えてくると行き過ぎなので戻ることになる。
私などは約40年間見過ごしてきたので心配することはない。

下の写真は車道ではなく、湿原に向かう歩道。湿原までの車道はこの歩道の2倍の幅、今となっては珍しい砂利道走行を往復5キロ程度経験できる。



湿原までは1.6Kmとの案内板があるが、歩道の左右は写真のような雰囲気。



この日は曇りで雨雲が空を覆い小雨も降る天気。時々青空が見える。



湿原などでコケ類も


 
比較的新しい倒木



このような風景に慣れてくると、気になるのが「あとどれくらいで着くの」ということ。
そのような気持ちを察してか、次の控えめな案内板には距離が書いてあり、あと700mということがわかる。
歩道にはウッドチップが敷かれ、柔らかく膝にも優しいが、この日は台風の2日後でもあり足型がくっきり残り、それなりの対応が必要であるということを学んだ。



到着。案内板で沼が多いことを初めて知る。案内板では42になっているが、大小合わせて70余りの沼が点在している。



湿原遊歩道の入口、先が見えないだけに「ワクワク」してくる。



最初に見える湿原風景。



大きな沼には案内板がある。雲が厚く夕方のような感じもするが午前11時過ぎである。



沼の中央に円い植物の固まりがあるが、実は沼に島のように浮かんでいる。「浮島」である。












この日は曇天だったためか沼の色は「真っ黒」。
今、北海道では「青い沼」に観光客が集まっているようであるが、この自然の黒い沼も面白い。



沼に周囲の木を入れて撮すことによって面白い写真になる。
風景写真など撮したことがなかったので新鮮で楽しい気持ちになる。









これはやり過ぎかも知れないが本当に楽しい。



北海道に住む人間には見慣れている光景だが、木の枝が雪の重みで下に向いている。



風向きの関係で枝が一定方向に向いている。



海抜850メートル、面積約700ヘクタールの高層湿原。

  

1日では紹介できないほどの空間なので続きは明日。興味のある人はぜひご覧ください。 

次回へ続く


撮影 平成25年9月18日
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伊根の舟屋(京都府与謝郡伊根町)

2013年09月19日 | 名所・旧跡
石山寺の次に三井寺にいったのだが私のハードディスクの中に画像が1枚も残っていない。
この旅行中の画像を整理しているうちに消去してしまったようだ。
一瞬青ざめてしまったが再度訪れるきっかけになったのでよかったと考えることにする。

さて、この日舞鶴港から小樽港行きのフェリーで帰る予定だったが、同僚から伊根に行くようにと言われていたので、人間関係の悪化を防ぐため最後の目的地とした。



途中にある「天橋立」には2度訪れたが、伊根町まで車を走らせることはなく、舟屋のことをTVで放映されていたのを視た程度の知識だ。



伊根町に向かう途中の狭い道路で接触事故を起こすところだった。
舟屋のある道路は特に狭く、車を駐めることによって迷惑をかけそうだったのでいい場所を探そうと思い車を走らせると、高台にいい場所を見つけた。



レストランや土産物屋もある場所で、近くに道の駅を建てていた。
私は「晴れ男」で旅行中、雨にあたることはほとんどないがその雨が降ってきた。
時間も午後5時半、周囲は暗くなり今回、初使用となる「傘と三脚」を車から取り出した。



200mmの望遠レンズでの撮影となったが、デジタルカメラのため実際はかなり暗いのだが昼間のように写る。



舟屋は江戸時代中期頃から存在しているものと見られる。
舟屋は2000年現在、238棟が確認されている。



漁村では全国で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている。



今年になって伊根町に関するTV番組で、女性杜氏が造った地酒が紹介された。
今年5月に舞鶴の道の駅に置いているのかなと思い寄ってみたが残念ながらなかった。



舞鶴港から出港する前に舞鶴のパチンコ屋に行くのがほぼ習慣化されている。
そして、いつも勝つ。この夏はエヴァンゲリオンという台であったが、午後9時頃から大当たりが続き帰りの船賃におつりがきた。


撮影 平成22年7月28日
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石光山 石山寺(滋賀県大津市石山寺)

2013年09月16日 | 神社・仏閣
石山寺の歴史
滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。
石山寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。
また、『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。




東大門(重要文化財)
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立。
本来なら門の両脇の仏像の写真があるはずなのだがどうも撮していなかったようだ。




東大門からみごとに整えられた参道を歩く。



くぐり岩
天平時代のもので体内くぐりの状態をつくっている。
私も挑戦してみたが、蕎麦を中心とした麺類を主食とし体重も随分軽くはなってきてはいるが、幅の部分で問題があるということがわかったので、あっさりあきらめることとした。




島崎藤村ゆかりの密蔵院



本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている



遠くに多宝塔の上の部分が見える。



本堂(国宝)
正堂、合の間、礼堂からなる複合建築である。
正堂は承暦2年(1078年)の火災焼失後、永長元年(1096年)に再建されたもので、滋賀県下最古の建築である。
内陣には本尊如意輪観音を安置する巨大な厨子がある。
合の間と礼堂は淀殿の寄進で慶長7年(1602)に建立されたものである。
合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の紫式部の像が安置されている。
礼堂は傾斜地に建ち、正面は長い柱を多数立てて床を支える懸造(かけづくり)となっている。




紫式部源氏の間 



井沢元彦氏の「逆説の日本史」の4中世鳴動編の第3章に源氏物語について書かれているのを偶然読むことになったが、歴史的背景を考えながら撮すとよい写真になったのかもしれない。



多宝塔(国宝)
建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。



高野山の多宝塔が2番目に古く、1番古い塔が石山寺の多宝塔。旅の最後の日の記念になった。



月見亭



撮影 平成22年7月28日
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法隆寺夢殿・中宮寺・法起寺(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内)

2013年09月15日 | 神社・仏閣
法隆寺近くにある道の駅に昨夜は宿泊した。
法隆寺は何度も訪れていたが、隣にある中宮寺には立ち寄ったことはなく、一度、弥勒菩薩を観てみたかったこともあり中宮寺にナビを設定し近くの駐車場を探すため車を走らせた。
夢殿の近くの民家で駐車場として空き地を開放しているところがあったのでそこに駐めることにしたが、時間が7時過ぎと早すぎたので周辺を散歩しながら開門まで待つことにした。


夢殿(国宝)
奈良時代の建立の八角円堂。
堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。
飛鳥時代、木造。夢殿中央の厨子に安置する。
長年秘仏であり、白布に包まれていた像で、明治初期に岡倉天心とフェノロサが初めて白布を取り、「発見」した像とされている。




よく考えてみると散歩の習慣などなく、方向音痴の男が不慣れな土地で時間を有効に活用することなど無理な話で、当初、予定していなかった夢殿であるが、開門時間が中宮寺より1時間早かったので入ることにした。



拝観料の500円を出すと、受付所の男性から今日は何もないですけどいいですかと確認された。
「時間をつぶしているだけだ」とは言えず、「ええ」とだけ応えた。
だが、この狭い空間で特別拝観もない状態で1時間滞在するということは困難だ。なにせ夢殿しかない。




耐えて25分、夢殿を後にした。観光客は私だけだった。

鐘楼(国宝)
この鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物。
内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されており、中宮寺から移されたものといわれている。
この鐘は、古くから舎利殿の舎利を奉出するときや、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として撞かれている。




本来なら鐘楼の建物も好きだが、隣に中宮寺が見えるのでどうも今日は気持ちが乗らない。
この2ヶ月後、再び法隆寺を訪れたので詳細は後日報告する。




中宮寺の歴史
奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院である。
宗派は聖徳宗に属す。山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされている。




本堂
本堂は高松宮妃の発願で1968年(昭和43年)に建立した和風の現代建築である。



本堂が比較的新しいことは知っていたが、遷都1300年の歴史ある寺を観てきただけにこの新しさには違和感を覚えた。
この本堂奥に「木造菩薩半跏像(国宝)」が安置されている。




本物は写真で見るよりはずっと美しい。
黒光りしている仏像を観て傍にいた係の女性に「磨いているのですか」と愚問を発してしまったほどだ。
中宮寺では灯明に油を使っているので油煙が長い年月で仏様に光沢を与えていると丁寧に説明してくれた。




中宮寺は尼寺ということもあり、今年の流行語となりそうな「おもてなし」を感じさせる。
気分がよかったので売店で沢山の買い物をした。




法起寺の歴史
奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。古くは岡本寺、池後寺とも呼ばれた。
山号は「岡本山」(ただし、奈良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものである)。
本尊は十一面観音。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。
「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。



これまで法隆寺には観光バスを利用していたため、法起寺はコースには入らず、法隆寺から他に移動するとき
車窓から三重塔を眺めるだけであった。




三重塔(国宝)
706年頃の完成とみなされている。高さ24メートルで、三重塔としては日本最古である。
また、特異な形式の三重塔である薬師寺東塔を除けば、日本最大の三重塔と言われている。




休憩所で休んでいると寺のポスターが貼ってあり三重塔が写っていた。
さっそく撮影したであろう、その場所にたってみるとやはり独特の雰囲気がある。




寺名について
寺名は20世紀末頃までの文献では「ほっきじ」と読んでいたが、現在、寺側では「ほうきじ」を正式の読みとしている。
これは、法起寺が法隆寺とともに世界遺産に登録されるにあたり、「法」の読み方に一貫性が欲しい、という理由により、高田良信法隆寺管長により、「ほうきじ」を正式とする、という判断がされたためである。
 



聖天堂



この後、法輪寺に向かうが、法輪寺の塔は1944年、雷火で焼失後、作家の幸田文らの尽力で寄金を集め、1975年に西岡常一棟梁により再建されたもの。
焼失した塔は、近隣の法隆寺、法起寺の塔とともに斑鳩三塔と呼ばれ、7世紀末頃の建立と推定される貴重な建造物であった。


平成22年7月28日
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熊野那智大社と那智山 青岸渡寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山)

2013年09月14日 | 神社・仏閣


西国三十三所第一番札所の青岸渡寺を目指した。
車で移動中に那智の滝のおまけ付きもあるということも知った。
かなり大きな無料駐車場があり、そこから案内板に従って寺を目指した。参道の横には土産物屋が立ち並ぶ。
坂や石段の連続で脚にも心臓にもかなり負担がかかる。視界が開けたところに朱色の鳥居が見えてきた。




熊野那智大社は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。熊野三山の一つ。
熊野夫須美大神を主祭神とする。


ここからの階段はかなり苦しい。高齢者の参拝者も比較的多くかなり苦労していた。



多分これが最後だと思う鳥居が近づいてきた。



熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部。



参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いている。



拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる。
正殿の第四殿が最も大きく、若宮の左手前には第六殿(八社殿)がある。




八咫烏(やたがらす)は、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏である。
一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。
 



現代では、日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられている。
日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏をデザインした物であり、1931年に採用された。




那智の樟(県天然記念物)



那智山青岸渡寺の歴史
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。
西国三十三所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩。本堂および宝篋印塔は国の重要文化財。
ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部。




本堂から不思議なオーラが



水子堂



三重塔と那智の滝



塔だけでも滝だけでも物足りない。しかし2つが重なると絵になる。
もうひとつ、塔の左側に道路が見えるが、この近くに有料駐車場があった。
もし次回があるとしたらその日の心身の状態にもよるが、かなりの確率で駐車場を利用するだろう。




那智の滝



撮影 平成22年7月27日
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