今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

気多神社(富山県高岡市伏木一宮)

2019年02月28日 | 神社・仏閣
気多神社
社号標に「越中国一宮」。越中国一宮を称する神社は他に「射水・高瀬・雄山」神社がある



本殿が重文に指定されていることを知り訪れた



階段の昇降が苦になる年齢になってきているが、先が見えない参道を歩くのは好きだ



鳥居
わら製ではない注連縄に違和感がある



さらに参道が続く



神馬



木々に囲まれて薄暗くなった参道の先に拝殿が見えてくる



拝殿



扁額に社号の「氣多神社」
能登国が越中国に合併されていた時代、国司が着任もしくは定期的に参詣しなければならない国内随一の大社は、羽咋郡の気多大社であった
国府から遠すぎるため国府近くに遥拝所が設けられ、能登国分立後に独立の神社になったという



拝殿内の様子



本殿(重要文化財)
養老2年(718年)に僧行基が創建したと伝えられている
天文年間(1532~1554年)に上杉謙信の兵火にかかり焼失したため、永禄年間(1558~1569年)頃に再建したのが現在に残る本殿と云われている



三間社流造りで正面一間の向拝があり、屋根は柿板葺きで軒は二重繁垂木



主祭神は大己貴命と奴奈加波比売命



神輿堂



大伴神社
大伴家持の没後1200年にあたる1985年(昭和60年)に、地元の有志による大伴家持卿顕彰会によって創建された






越中国司として現在の高岡市伏木に赴任した大伴家持を祀る



小高い場所から社殿を撮る



狛犬



駐車場に戻る



競馬好き馬券下手なもので、神馬には手を合わせる



撮影 平成30年10月18日
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雲龍山 勝興寺(富山県高岡市伏木古国府)

2019年02月27日 | 神社・仏閣
雲龍山 勝興寺
高岡=瑞龍寺との思いがあったので、勝興寺の存在を知った時には驚いた
境内の建物の12棟が重要文化財に指定されている
現在、その全てが保存修理を23年をかけて行われ、2020年が完成予定である



唐門(重要文化財)
明和6年(1769年)建立。明治26年(1893年)京都・興正寺より移建された
間口6mの四脚門、屋根は檜皮葺き唐破風付



ここでも作業員が入口付近で仕事をしていたので唐破風の屋根を撮る






扁額には山号の「雲龍山」






手水舎
屋根の瓦が落下しないようにネットで防御している
本堂以外の建物は修理のために覆われて目視することはできないが、傷み具合が理解できるような気がした






浄聖平和塔



「天から降った石」は七不思議の一つ



本堂(重要文化財)
寛政7年(1795年)建立。間口39.3m、奥行き37.4m、高さ23.5mの大きな建造物
全国の国宝・重要文化財の建造物の中で8番目に大きい床面積をもつ






「実ならずの銀杏」も七不思議の一つ






本堂から唐門を見る



堂内に入る。作業員が忙しそうに動き回っている



扁額には「殊勝請願興行寺」
永正14年(1517年)寺号を本山に申請したところ、佐渡にあって廃絶していた順徳上皇勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続して、「勝興寺」と称することを認められた






本尊は阿弥陀如来



壱萬人の佛(分骨納骨)を漆と石灰を交ぜ、練り上げて制作された。



梅鉢紋蒔絵女乗物(富山県指定文化財)



洛中洛外図屏風(重文のレプリカ)






奥書院
壁と金具に金箔を貼るので「金之間」と呼ばれている。住職がプライベートな客を迎える御殿と考えられていた



錺(かざり)金具






書院






台所
文久3年(1863年)建立



井戸は水を扱うことから、床上に設けられるのは珍しい



井戸を覗いてみる。田舎育ちの私は幼い頃から井戸に対する恐怖心があった



大広間及び式台
江戸時代初期建立。大広間は128畳敷









「上段の間」












屋内の迷路のような廊下を歩いていると、どこの建物にいるのかわからなくなる
「御内仏」の天井画だと思うが定かではない






本堂へ戻る

本堂は勝興寺住職より還俗して、加賀藩主第11代を継いだ前田治脩の支援を受け、西本願寺の阿弥陀堂を模して寛政7年(1795年)に建立された



「梵鐘」



鐘楼



東京五輪の年に完成するとのことなので、その後に訪れてみたい



撮影 平成30年10月18日
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射水神社(富山県高岡市古城)

2019年02月25日 | 神社・仏閣
射水神社
越中総鎮守一の宮。創祀は太古で、この地で千年超を過ごし、明治4年(1871)に越中最高位の「国幣中社」に
その4年後、高岡城跡(国史跡)の「高岡古城公園」へ遷座された

社号標
「国幣中社射水神社」と、敬神家の地元名士72人の名が手彫りで刻まれている



大鳥居
昭和天皇からの幣帛料を賜り、昭和50年(1975)に斎行された遷座百年祭にあたって修築され、現在の銅板巻き神明型大鳥居となった
駐車場に行くには、鳥居を越え、掃き清められた砂利を通り抜けることになる



手水舎
屋根の銅板には、手水舎の工事期間に挙式された方々の記念芳名が記されている



参拝者のマナーの良さを感じる



第一鳥居
平成25年秋の伊勢神宮式年遷宮が斎行された際に「豊受大神宮板垣北御門(鳥居)」を特別に譲与されたもの






紅梅
樹齢400年。不老長寿・子孫繁栄の象徴として親しまれている



さざれ石



外拝殿



外拝殿正面に掲げられている扁額は、第12代加賀藩主の前田斉泰公の筆によるもの



拝殿内の様子






外拝殿と紅梅






庖丁塚



撮影 平成30年10月18日
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海秀山 大法寺(富山県高岡市利屋町)

2019年02月23日 | 神社・仏閣
海秀山 大法寺
高岡市にある日蓮宗の寺院。長谷川等伯の仏画(重要文化財)を所有しているということで訪れた



山門
周辺に駐車場がなく、山門の奥に車が見えたので高さも幅も「擦れ擦れ」であったが通り抜けることができた



本堂から読経の声が聞こえてくる



山門の彫刻









本堂
近づいてみると堂内には僧侶の集団が大きな声で読経している



「長谷川等伯の仏画はどこですか」など声をかける雰囲気ではない



調べてわかったのだが、全国から集まった僧侶38人が1週間にわたり、声明師を目指して講義を受け、実習に励んでいたとのこと
午前6時に起床し、夜10時半まで、読経や講義、模擬法要を営む実習
最終日の21日に試験「模範法要」が行われ、合格すると、声明師と認められるという



そのようなことも知らず日蓮聖人像を眺めながらずっと待っていた



次は車内で水分補給をして待つも読経が途切れず、あきらめることにした
この講習会が富山県内で開催されたのは50年ぶりだという



撮影 平成30年10月18日
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鳳徳山 大仏寺(富山県高岡市大手町)

2019年02月22日 | 神社・仏閣
鳳徳山 大仏寺
この日の寺社巡りは、射水市の「専念寺」から始まり、「高岡大仏」で有名な今回投稿の大仏寺が7カ所目
私の車旅でも記憶にないほど廻ったことになる

日本三大佛 高岡大佛
高岡大仏の存在を知ってはいたが、訪れたのは初めて
奈良の大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大大仏を自称しているが、歴史、格とも違い過ぎるため、一般的には認められていないようだ



仁王像



迫力はあるが、昭和43年4月造立と歴史は浅い



高岡大仏(阿弥陀如来坐像)
背にそびえる「円光背」が特徴的な青銅製仏像で、昭和8年(1933年)に再建を果たした三代目にあたる



歌人の与謝野晶子が「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏といわれる



女性参詣者が多いのが何となくわかる気がする
大仏そのものの高さは奈良の大仏の1/2で造られている



観音像
交通安全を祈願し建立された



時鐘
完成から200年以上を経過した今も尚、毎日午前6:00と午後6:00の2回その勤めを果たしている



境内にある石仏









扁額には山号の「鳳徳山」



本堂には本尊の「阿弥陀三尊像」が安置されている



大仏様の台座下に回廊があるので移動する

二代目高岡大仏のご尊顔



明治33年(1900年)の大火で類焼するも焼失を免れた仏頭



法然上人



賓頭盧尊者



阿弥陀三尊と諸仏









大仏様を拝顔し駐車場に戻る



撮影 平成30年10月17日
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高岡山 瑞龍寺(富山県高岡市関本町)

2019年02月21日 | 神社・仏閣
高岡山 瑞龍寺
五木寛之氏の百寺巡礼で「伽藍瑞龍」を知り、車旅を始めた年に訪れたのが最初で、今回が4回目の参詣となる

鬼瓦
「法堂の鬼瓦」で銅板葺替以前のもの



総門(重要文化財)
正面三間の薬医門形式。正保年間の建立で、その後伽藍配置の関係から移築された
現在、工事中でH33年完成予定



総門を出たところから「山門」の写真を撮ろうとしていると、住職から声を掛けられた
全ての建物が入る撮影ポイントがあると、そこまで案内していただいた



私が何度も訪れている理由がここにある。出逢った僧侶の方が、とても親切で居心地がいいのである
現北海道知事の高橋はるみ氏もこの高岡市出身で実家も寺の近くにあると教えてくれた



山門(国宝)
二重門で、屋根は入母屋造、杮葺き
二重門は、積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐための工夫がされている



扁額には山号の「高岡山」と「影向閣」。影向とは、現世に神仏が出現した時の姿を云うらしい
上層内部には宝冠釈迦如来と十六羅漢像を安置



仁王像



金網の間に仁王像の目を入れて撮るのは、簡単なようで結構難しい



仏殿(国宝)



入母屋造、一重裳階付きの総欅造り
屋根は当初杮葺きであったが、現状は総重量約47トンの鉛瓦葺き
鉛製の瓦は、非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという



仏殿内の様子



内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点
組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色だという



釈迦三尊像
広い空間に、小さな本尊の釈迦如来と、普賢菩薩、文殊菩薩が中央に安置されている



震旦初祖菩提達磨大和尚



日域曹洞鼻祖永平開山元老和尚 大禅師



傳大士



大権修理菩薩
海上の安全を守る中国の神様



法堂(国宝)
総桧造りの入母屋造、銅板葺き
内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きである



土間廊下から堂内の様子を眺める



扁額には寺号の「瑞龍寺」






中央二室の格天井に描かれた草花は狩野安信の筆






烏瑟沙摩明王立像
一般的には東司の守り神。日本最古にして最大級の像高



大茶堂(重要文化財)
土蔵造りの手法を用い、外壁を大壁とし、内部は土天井
六十畳敷の大広間および控の間から成っていた。



賓頭盧尊者像



廊下を渡り土間に下りる






石廟(富山県指定文化財)



前田利常の思いが感じる場所である



右側から順に紹介していく



前田利長公霊廟(高岡開祖)
利長は高岡に築城し、この地で亡くなった
加賀百二十万石を譲られた義弟利常は、深くその恩を感じ、七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山
造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文3年(1663)までの約20年の歳月を要した



唯一、壁面に25菩薩が彫刻されている。前田利常が大切に思っていたということがわかる



前田利家公霊廟(加賀藩祖)



織田信長公霊廟(利長夫人の父)



信長公側室霊廟



織田信忠公霊廟






茶室






延命地蔵菩薩



大庫裏(重要文化財)
山門を入り右手に位置し僧堂と相対して並ぶ。万治年間(1658〜1660年)の建立だが、幕末から明治初年にかけ撤去された



調理配膳や寺務運営を行う



韋駄天像



鐘楼






跋陀婆羅菩薩
浴室の守護神



烏瑟沙摩明王



魚板



僧堂(重要文化財)
坐禅修行をする建物で、坐禅だけを行う場合は禅堂、食事等の修行をも合せ行う場合を僧堂という



京都の東福寺、字治の万福寺と瑞龍寺の僧堂の3つが国の文化財指定を受けている









颯爽と歩く歴女も去っていったので、私も駐車場に戻ることにした



トイレの入口に置かれている



撮影 平成30年10月17日
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櫛田神社(富山県射水市串田)

2019年02月19日 | 神社・仏閣
櫛田神社
社伝によると、仲哀天皇の時代に武内宿禰が勧請して創祀したと云う
九州の博多にも「博多祇園山笠」で有名な、櫛田神社があるが関係があるのだろうか

鳥居
県道 小矢部線に沿ったところに鳥居がある



鳥居の先に続く参道の雰囲気がとてもいい
灯籠のぼんやりとした灯りに照らされた夜の参道を歩きたいと思った



神馬像
この地域の神社にはかなり高い確率で神馬像がある。今にも天に駆け出しそうな躍動感がある



神馬厩舎



社務所
この場所に社務所があるということは、社殿はかなり先にあることが多い



赤幣殿(神輿)



古能久礼橋



手水舎



車祓所



階段の奥に社殿が見える



柔軟性がなくなってきた、体を反らして鳥居を撮る



古能久礼殿(授与所)
古能久礼とは、射水郡南部の丘陵地・大沢山の古称だという



正面にあるのが拝殿である。



狛犬






拝殿
夫婦円満・縁結び・家庭和合の宮として広く崇められ、万葉の歌人大伴家持や戦国の武将もたびたび参詣したという



扁額には「櫛田神社」 国務大臣 正力松太郎謹書とある。私には、読売巨人軍初代オーナーの印象が強い
子供の頃からずっと巨人の長嶋ファンで、懐かしい名前を見た(今は日ハムを応援)



斜めから一枚



本殿
主祭神は、武素盞嗚尊と櫛稲田姫命
伝承では、大きな池に大蛇が棲み、村人を食っていたが、娘を食ったときに、髪に挿していた櫛が大蛇の咽につまって死んだので、娘と櫛を祀ったのが始まりである



侘助椿



奈良比丘殿(祈祷受付)
大伴家持は、お宮の建つ鎮守の森を古能久礼山、奈良比丘と呼んだと伝えられる



住吉社



社殿を後にして駐車場に戻る。射水市界隈の寺社巡りはこれにて終了



撮影 平成30年10月17日
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加茂神社(富山県射水市加茂中部)

2019年02月18日 | 神社・仏閣
加茂神社
富山県射水市にある神社で、「下村加茂神社」と呼ばれているという

鳥居
駐車場から歩いてくると、拝殿横に出るが、神社は鳥居からという自身のこだわりがあるので、移動してきた



次の鳥居にいたる参道の左右に末社がある



末社 任海社(とみしゃ)



高龗神を祀る



末社 貴布禰社(きふねしゃ)



闇龗神を祀る



鳥居の奥に社殿が見えてくる



末社 稲穂神社(いなほじんじゃ)



天照皇大神と豊受大神を祀る



治暦2年(1066年)に京都の賀茂神社から勧請されたと伝えられる



狛犬






加茂神社の祭事は、荘園維持行事(勧農儀礼・貢納儀礼)の継承とおよび賀茂信仰にまつわる葵祭の移入という特徴がある



手水鉢
と言っても、水は無い。周囲の様子からみても、管理者がいないようだ



扁額には「加茂神社」  拝殿には賽銭箱もない



年間50回近くに及ぶ加茂神社の祭事を、射水市加茂地区・倉垣小杉地区・柳瀬地区の3地区で維持しているという



本殿
一間流造の様式。祭神は玉依姫命、賀茂建角身命、賀茂別雷命



拝殿の彫刻



奉賛殿



祭事館「葵」
9月4日の稚児舞は「越中の稚児舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている






神馬



隣接している広大な敷地を持つ下村パークゴルフ場には驚いた
写真はクラブハウスである。駐車場には100台のスペースがあるが満車状態



撮影 平成30年10月17日
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放生津八幡宮(富山県射水市八幡町)

2019年02月15日 | 神社・仏閣
放生津(ほうじょうづ)八幡宮
創始は天平18年(746年)、越中守大伴家持が宇佐神宮から勧請したと伝えられる



大鳥居―伝承譚―
大鳥居の再建の話しが持ち上がった頃、ある木こりが、夢の中で神様の声を聞き『山の奥に鳥居の材になる欅の大木が生えている』とのお告げがあった
木こりがお告げの辺りを捜したところ、魚津の山奥で、欅の大木が発見された
木こりらは御神木と心得、お祓いを受け、その木を切り倒した
昭和34年には大鳥居が完成し竣工式が行われた






手水舎



祖霊社
祭神 大伴宿禰家持









新湊ゆかりの万葉集



拝殿



現在の社殿は、文久3年(1863年)に再建






「神馬」を見ると撮りたくなる



狛犬









扁額の「八幡宮」の八の字を見ると、鳩サブレーが食べたくなる



狛犬(射水市指定文化財)



木彫りの狛犬。矢野啓通(たかみち)19歳の作品









本殿
祭神は応神天皇






大伴家持歌碑



安あゆの風い多久たく吹くら志し 奈呉能の海人あま農の 釣春流する小舟こ幾き隠る見遊



芭蕉句碑



早稲の香や分け入 右は有磯海









撮影 平成30年10月17日
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光山寺(富山県射水市八幡町二丁目)

2019年02月14日 | 神社・仏閣
千体佛の寺 光山寺
新湊大仏と千体佛があるということを知り訪れた

山門
寺名の記された木札があり境内に入る



仏堂
山門の正面にある建物がお堂だとは思わず、右側の路地を通り抜け周囲を歩き廻ってしまった
十数分後、元の場所に戻り、恐る恐る戸を開けて覗くと、眼前に仏像が安置されていた



新湊大仏と千体佛



丈六の阿弥陀如来像はあまり大きさを感じなかったが、新湊大仏と呼ばれているようだ
丈六とは釈迦の身長が1丈6尺 (約 4.85m) あるといわれることから仏像も丈六を基準とした



大仏の光背中に、十二光仏、九品の弥陀が祀られている



1682年に建立された大仏で幾度の大火災でも奇跡的に難を逃れてきたという



その後、大仏の光背に小佛(千体佛)が奉納され、現在は3000体をこえる千体佛が祀られている



境内の片隅に石仏が安置されている



保存樹(黒松)新湊市とあるが、合併して射水市になった



撮影 平成30年10月17日
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専修山 専念寺(富山県射水市本町)

2019年02月13日 | 神社・仏閣
専修山 専念寺
浄土真宗東本願寺派の寺院
専用の駐車場には数台駐めることができるスペースがある



山門



山門の先には本堂、左に鐘楼、右に庫裏、そして「傘松」がある
街中のこじんまりとした寺院という感じである



銅鐘(富山県指定文化財)
県内最古の梵鐘との記載がある



この銅鐘は、面白寺の梵鐘であったが、廃寺となったため、銭1500貫文で購入したという






本堂



扁額には寺名の「専念寺」









庫裏



彫刻を堪能する









傘松(富山県天然記念物)



確かに、開いた傘のように見える。突然変異によりこの形になったという






撮影 平成30年10月17日
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鷹尾山 蓮王寺(富山県射水市三ケ高寺)

2019年02月12日 | 神社・仏閣
鷹尾山 蓮王寺
射水市にある高野山真言宗の古刹
建立は平安時代という丈六阿弥陀如来は、高岡大仏、庄川大仏と並び、越中三大仏に数えられている

山門
山門は普通だが、反対側にある駐車場からは、一般の寺院とは建物の雰囲気が違っているため、民家に無断で入っていくような感じがした



井戸跡



山門前に保存されている石造りの井戸



蓮王寺についての歴史が記されている。丈六の「小杉大仏」の拝観を目的に訪れた



手水舎



小さな敷地内に、いくつかのお堂が建っている。周辺を歩いてみることにする



芭蕉句碑 「丈六に 陽炎高し 石の上」
私の訪ねる所には、いつも芭蕉の痕跡がある



修行大師



藤原秀郷(俵藤太)五輪塔



周辺に安置されている小さな石仏









不動明王
小さなお堂に安置されている



憤怒ではなく、穏やかな表情で参拝者を迎えてくれる



建物の戸は閉まっていたため、彫刻を眺めたり、隙間から内部を覗き仏像を探していた






大仏拝観をあきらめかけていたとき、住職から「なかに入ってご覧ください」と優しく声を掛けられた
扁額には「八葉山 不動寺」の文字が
「熊野山 密蔵寺」の札もある



部屋の中央には「不動明王」が安置されている



目はつり上がっているが、牙が無いため穏やかに見える



廊下を渡り、隣の建物に移動する

龍上観音菩薩









金比羅大権現



阿弥陀如来






扁額には山号の「鷹尾山」
丈六の大仏を安置するには少し小さな建物のような感じがする



阿弥陀如来(小杉大仏)
戦国時代、長尾為景の戦火で頭部と手を除いて消失
頭部と手は創建当時のものだが、胴体は江戸時代の復元



台座をあわせた高さが5m、木造仏としては富山県内最大を誇っている






行基菩薩御自作自像



仏足



大日如来












正観世音菩薩



薬師如来



十二神将









撮影 平成30年10月16日
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若一王子神社(長野県大町市大町)

2019年02月10日 | 神社・仏閣
若一王子(にゃくいちおうじ)神社
日本海側に向かう途中に、本殿が重要文化財という神社に立ち寄ることにした

二の鳥居
駐車場から少し歩くと朱色の鳥居が見えてくる



手水舎



初めての神社なので、由緒を丁寧に読み参考にするが、最近では数分後には記憶から溶けていく感じがする



三重塔(長野県指定文化財)
鳥居の横に、予期していなかった美しい三重塔が建っている



三間三層の柿葺。宝永8年(1711)に木食故信法阿の勧進によって建立された
蟇股の人身獣面の十二支の彫刻が有名だそうだ



大町護国神社



八坂神社
八坂神社の「旧神輿(大町市指定文化財)」が本殿内に安置されている



拝殿
現在の拝殿は昭和48年の伊勢神宮第60回式年遷宮による内宮外玉垣南御門他の神宮社殿の譲与を受けたものである
旧拝殿を幣殿となし、その前に新設されたもので、昭和50年の建立



扁額には「若一宮」






本殿(重要文化財)
様式は四隅に柱を立てた一間社で隅木入春日造り



弘治2年(1556年)に仁科盛康により造営された






「鬼面」は信州の神社の特色だという



望遠レンズを使い撮影






観音堂(長野県指定文化財)
観音堂は拝殿と廊下でつながれている
茅葺の建物で宝永3年(1706)に建立



火不見(ひみず)の観音様といわれ火災除けの霊験あらたか



堂内の様子。本尊は十一面観音



参集殿



撮影 平成30年10月16日
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大王わさび農場(長野県安曇野市穂高)

2019年02月08日 | 名所・旧跡
大王わさび農場
数年前、山梨県のワイナリーの店員から紹介された場所である
日本最大規模のわさび園であり、年間約120万人が訪れる安曇野随一の観光スポットである

蓼川(たでがわ)と水車小屋
映画のワンシーンのように美しい風景だ



ここは黒澤明監督の映画『夢』のロケ地としても知られる



初めて訪れた時に、何処かで見たことのある風景だと思っていたが、NHK朝ドラ「おひさま」で流れていた画像だと云うことがわかった
安曇野と松本を舞台に、陽子(井上真央)が「太陽のようにいつも笑って世界を照らす」という亡き母との約束を胸に、戦前、戦中、戦後を生きていく爽やかな一代記である



ドラマの後半では、この川をボートに乗っているシーンもある



外国人の親子から「水車を背景に写真を撮ってほしい」と頼まれた。笑顔が素敵な若い親子、日本での観光を楽しんでもらいたい



この場所には二本の川が流れている
手前が「蓼川(たでがわ)、奥が万水川(よろずいがわ)」



わさび畑
雑草の生い茂る原野を20年の歳月をかけ完成させたという



カップルで渡ると幸せになれるという、「幸いのかけ橋」から眺めるわさび田



北アルプスからの湧き水を利用した安曇野わさび田






今回、ここへ来た目的は「わさび入り大根の漬け物」を購入すること
漬け物が苦手な私でもボリボリ食べることができる
ところが、保存料が使われていないため消費期限が短くお土産にすることができないことがわかった。残念!



撮影 平成30年10月15日
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美ヶ原高原美術館 その6(長野県上田市武石上本入美ヶ原高原)

2019年02月07日 | 博物館・美術館・記念館
美ヶ原高原美術館 最終回
美術館には、およそ350点の現代彫刻が常設展示されている
写真を整理していて、まだ200点も撮っていないことがわかった

142 伊東 傀:「マントの女」1980年






143 中農 美枝子:「Tanha」1983年



144 柳原 義達:「犬の唄」1971年



145 浦山 一雄:「Gパン」1972年









146 中垣 克久:「山上のソロ」1986年



BS1で放映されている「駅・空港ピアノ」などを好んで視聴しているが、「高原ピアノ」も面白い



147 土田 隆生:「表象-<中間距離>」1986年






148



109で紹介した エヴゲーニ・ビクロビッチ・ブチェ-チッチ(ソ連):「剣を鍬にやきなおそう」1957年を角度を変えて



149 堀口 泰造:「捕虜」1980年



150 金 水鉉(韓国):「女人像」1971年



151 淀井 敏夫:「海辺の女」



152 圓鍔 元規:「みぎわ(汀)」1972年






153 山県 寿夫:「安楽椅子」1976年



154 桜井 祐一:「まどか」1967年



155 橋本 二郎:「翔」1981年



156 雨宮 敬子:「佇立」1982年



157 佐藤 助雄:「個の時」1980年






158 矢崎 虎夫:「サリーを着た娘」1979年



159 マリオ・アゴスティネッリ(ブラジル):「ドン・キホーテ」1985年



美術館の出入り口。入館から3時間40分も要した



愛車が待っている駐車場へ。遠くに見えるのが美術館のゲートである



撮影 平成30年10月15日
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