訪問日 令和5年10月12日
叶山 三宝院 願成寺
浄土宗の寺院
嘉禄3年(1227年)法然上人の高弟 隆寛律師の開山、開基はその弟子 實成房上人
表門
願成寺縁起
山門(福島県指定文化財)
元禄11年(1698年)に竣工した楼門造りで、禅宗様と和様を混ぜた建築
扁額には山号の「叶山」
鐘楼
鐘楼から本堂を眺める
本堂(福島県指定文化財)
慶長16年(1611年)慶長三陸地震による震災で現在の場所に移転
会津藩主 初代 保科正之、正経、正容(正信)三代を通じて大施主となったもの
時代が流れ
明治初年(1868年)以降、廃佛のことあって寺勢衰え、無住の時代もあった
昭和の時代になり、63世映譽上人は、大戦後の混乱の中で幼児教育園を興し、寺域の整備につとめた
本堂、庫裡及び大佛殿の屋根大修理さらに三門、鐘楼の銅板ふき替え、新阿弥陀堂を建立した
扁額には社号の「願成寺」
本尊:阿弥陀如来像
手水舎
旧阿弥陀堂<千佛堂>(福島県指定文化財)
階段横に千佛堂の札がある
扁額には「阿弥陀堂」
千葉の梅沢徳次郎氏奉納による十三佛が正面に安置されている
内陣に描かれる飛天女
大仏殿
木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像(重要文化財)
通称:会津大仏
左脇侍(向かって右)は観音菩薩、右脇侍は勢至菩薩
両脇侍は大和座りで、この形式は、京都三千院の阿弥陀三尊像と同じであり、東北地方では珍しい
鎌倉時代の作
寄木造り
阿弥陀如来像の像高は2.41m
「来迎印」を示し、千仏舟形光背を負う
「観音菩薩」
「大和座り」とは、両膝を地面につけて座る形で、正座に近い
両足を揃えて座るが、やや前傾姿勢で腰を浮かせている
三千院及び願成寺の観音、勢至菩薩がこの座り方である
「勢至菩薩」
かなり前になるが「三千院」を最初に訪れた時に
タクシーの運転手から「お迎え」の仏像だから手を合わせるなと助言されたことがある
願成寺庭園
願成寺は、「花の寺」としても親しまれている
桜、あやめ、シャガ、さつき、紫陽花等の四季折々の花々で彩られる
五重塔
パワースポットの祠らしい
池は「心字池」になっている
撮影 令和5年10月12日
叶山 三宝院 願成寺
浄土宗の寺院
嘉禄3年(1227年)法然上人の高弟 隆寛律師の開山、開基はその弟子 實成房上人
表門
願成寺縁起
山門(福島県指定文化財)
元禄11年(1698年)に竣工した楼門造りで、禅宗様と和様を混ぜた建築
扁額には山号の「叶山」
鐘楼
鐘楼から本堂を眺める
本堂(福島県指定文化財)
慶長16年(1611年)慶長三陸地震による震災で現在の場所に移転
会津藩主 初代 保科正之、正経、正容(正信)三代を通じて大施主となったもの
時代が流れ
明治初年(1868年)以降、廃佛のことあって寺勢衰え、無住の時代もあった
昭和の時代になり、63世映譽上人は、大戦後の混乱の中で幼児教育園を興し、寺域の整備につとめた
本堂、庫裡及び大佛殿の屋根大修理さらに三門、鐘楼の銅板ふき替え、新阿弥陀堂を建立した
扁額には社号の「願成寺」
本尊:阿弥陀如来像
手水舎
旧阿弥陀堂<千佛堂>(福島県指定文化財)
階段横に千佛堂の札がある
扁額には「阿弥陀堂」
千葉の梅沢徳次郎氏奉納による十三佛が正面に安置されている
内陣に描かれる飛天女
大仏殿
木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像(重要文化財)
通称:会津大仏
左脇侍(向かって右)は観音菩薩、右脇侍は勢至菩薩
両脇侍は大和座りで、この形式は、京都三千院の阿弥陀三尊像と同じであり、東北地方では珍しい
鎌倉時代の作
寄木造り
阿弥陀如来像の像高は2.41m
「来迎印」を示し、千仏舟形光背を負う
「観音菩薩」
「大和座り」とは、両膝を地面につけて座る形で、正座に近い
両足を揃えて座るが、やや前傾姿勢で腰を浮かせている
三千院及び願成寺の観音、勢至菩薩がこの座り方である
「勢至菩薩」
かなり前になるが「三千院」を最初に訪れた時に
タクシーの運転手から「お迎え」の仏像だから手を合わせるなと助言されたことがある
願成寺庭園
願成寺は、「花の寺」としても親しまれている
桜、あやめ、シャガ、さつき、紫陽花等の四季折々の花々で彩られる
五重塔
パワースポットの祠らしい
池は「心字池」になっている
撮影 令和5年10月12日