今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

山口サビエル記念聖堂(山口県山口市亀山町)

2018年01月20日 | 教会
山口サビエル記念聖堂
信仰心はないが宗教施設には興味を持っている
初代の聖堂は平成3年に失火により全焼。現在の聖堂は平成10年4月に再建されたもの



井戸端で説教するフランシスコ・サビエル
サビエルは修道士ジョアン・フェルナンデスと毎日2回市内の通りにあった井戸端で布教していた



丁度昼休みの時間帯でサビエル像の周囲でお弁当を食べている人がいた
また、園児を迎えに来た若い母親の姿も多かった。地域住民の憩いの場になっている感じがした



キリスト生誕2000年 大聖年の鐘
私も平和を祈り鳴らしてみた。心に響くいい音だった



サビエル記念聖堂
イタリア人神父のコンスタンチノ・ルッジェリと建築家ルイジ・レオニのデザイン
テントを模した大きな屋根が全体を覆う構造をもつ






斬新なデザインのステンドグラス、十字架も天井からぶら下がっている



十字架の道ゆき



死刑の宣告から復活まで、15枚のパネルと十字架で表現している






洗礼を受けるこども



パイプオルガン






フランシスコ・サビエルの聖骨



右手の指の聖骨の一部が中央に納められている



聖母子像






美しい聖母子像だ



高さ53mの2本の塔。サビエルを記念するだけではなく、人々に神様のことを強く思い出させる形を意識したものだという



カトリック教会の伝統的な建築様式ではなく、斬新すぎて驚く






撮影 平成29年10月4日
コメント (2)
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多治見修道院(岐阜県多治見市緑ヶ丘)

2017年12月14日 | 教会
多治見修道院
キリスト教信者ではないが宗教建築物には興味がある
ここに訪れた目的は他にもあるのだが…それは後で



青空に白い雲、天気が良いと自然写真写りもよくなる



昭和5年(1930)カトリック神言修道会宣教師モール神父によって、修道生活と邦人会員の養成を目的に、日本管区の中央修道院として設立された



聖母子像
正門横に安置されている



案内板を見て「ルルドの洞窟のマリア像」に向かうが、その場所を探してもわからない
散歩に来たと思われる高齢の男性に「目」で来いと言われているような気がして、ついて行くとその場所だった



ルルドの洞窟のマリア像
洞窟とマリア像の前にベンチがある
老人が若い頃は別の場所にあり、若者の集いや憩いの場所であったことなどを語ってくれた



ルルドの地は、フランスの西南、スペインとの国境近くのピレネー山脈の奥地にある町
1858年に聖マリアが町外れた洞窟で少女の前に現れたという。
出現の証として湧き出した霊泉の水を飲み、或いはその水に浸した人たちの中で不治の病が完治するという奇跡が起こった



宗教に奇跡はつきものだが、国家間では宗教が戦争の大きな要因になっているのも、まさに奇跡だ
仏像拝観はいろいろ考えさせられるので好きだが、マリア像は自身の穢れた気持ちを浄化してくれるような気がする



やすらぎの小道
老人から修道院墓地に案内すると言われたが、足が不自由なようなので場所を聞いて一人で向かった



つきあたりの松がある場所で愛を告白したと話していたが、なるほど、そのような雰囲気になるような小道だ



修道院墓地
キリスト教の墓地は初めての経験で勝手がわからないので緊張した



日々の働きと生き方をもって、宣教師としての使命を全うされた数多くの神言会司祭、修道士の方々が永遠の憩いについている






墓地の中央に大きな十字架



修道院ワイン
ここを訪れたもう一つの目的は「修道院ワイン」の購入
修道院の地下にはワインの醸造、貯蔵設備がある
敷地内のブドウ畑で収穫されたブドウはここで醸造され「修道院ワイン」となる
太平洋戦争時の輸入ワイン不足の際、全国の教会にミサ用ワインとして供給されたという



礼拝堂内は撮影禁止。売店で「白ワイン」を1本購入。大学の同期会の土産にした









最後にマリア像



撮影 平成29年9月26日
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乙女峠マリア聖堂(島根県鹿足郡津和野町後田)

2015年01月10日 | 教会
乙女峠マリア聖堂
昭和26年(1948)津和野カトリック教会神父、岡崎祐次郎が殉教者の霊を慰めるために乙女山の中腹、光淋寺跡に建立された聖堂



津和野で最後に選んだ場所は森鴎外の菩提寺である永明寺(ようめいじ)から、近い場所にある「マリア堂」
途中、道がわからなくなり地元人に尋ねると「乙女峠ね」と言って親切に道順を教えてくれた



「乙女峠」という響きはよいが細く長く続く道は、膝や心臓に負担がかかる



右側に教会らしき建物が見える



予備知識も全くなく訪れた教会であるが、この後、歴史的背景を知ることになる



明治政府がキリスト教を改宗させるために、長崎県浦上の切支丹信徒総員163名を津和野にあずけた



この人達は乙女山の光淋寺境内の納谷に預けられ、日夜残酷苛烈な拷問にかけられて改宗を迫られたという



聖堂内の様子









聖堂内のステンドグラスに当時の様子が書かれていると言われたのでもう一度入り直す

左:「明治元年、長崎浦上キりシタン流罪」 右:「津和野乙女峠で入牢」



左:「守山甚三郎、高木仙右衛門ほか同志氷責め」 右:「安太郎三尺牢で聖母マリアのまぼろしをみる」



左:「祐次郎、雀の親子をみて神の愛をさとる」  右:「5才のもりちゃん、お菓子の誘惑に、天国の味はもっとおいしいと答える」



左:「転び者のつぐない」 右:「殉教者の血はキリスト教の種である」



殉教者安太郎が伝えた言葉



「私は此三尺牢屋の内にて淋しゅうはございません……サンタマリア様の御影の顔立ちににておりますご婦人がお現れくださる…



けれども、このことは私の生きておるまでは人に話してはくださるな」



明治2年1月7日より19日までの間、聖母マリアが殉教者安太郎に毎晩出現した



古井戸と水洗い場
この古井戸と水洗い場は自分たちで食事を作る大事な場
減食の拷問が始まると飢えに苦しむ日々が続いた



左手の池では氷点下が続く真冬、裸にされたキリシタンが何度も入れられ、生死をさまようような拷問が行われていた



明治23年(1890)にビリオン神父が「信仰の光」と刻んだ石碑を建て、殉教した人達の霊を慰めた



乙女峠の聖母とその殉教者



拷問により改宗を迫られ、殉教した者 36名



殉教者記念碑案内



受難と復活






赤い色が染みこんだ十字架



十字架上で苦しみを受けながら流れた血を表している



記念聖堂(マリア堂)周辺の地に芝を植え桜やつつじを植えて美しい聖地「乙女峠」をつくった



毎年5月3日に行われる乙女峠祭りには、大勢の信徒が集まり、聖堂前の広場で荘厳な屋外ミサが行われる



予備知識も信仰心もなく、観光気分で訪れた私にとっては辛い時間となった



撮影 平成26年10月24日
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浦上天主堂(長崎県長崎市本尾町)

2014年01月27日 | 教会
浦上教会<浦上天主堂> 
1945年の長崎原爆によって破壊されたが、1959年に再建された



1962年以降、カトリック長崎大司教区の司教座聖堂(カテドラル・大聖堂)となっており、所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本最大規模のカトリック教会



被爆した聖人の石造遺構 



浦上天主堂の正面左手表庭に、原爆で破壊された聖人の石像が並んでいる



 


黒く焦げ、強烈な爆風の影響で鼻、指、頭部などが欠けている









東洋一の壮大さを誇った天主堂であったが、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、原子爆弾の炸裂により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった



浦上天主堂遺壁 
この側壁は聖堂の南側の一部で1958年(昭和33年)に新しい天主堂建設のため平和公園に移築された

 

教会入り口の上にあるキリスト像



この日は「休み」ということで、教会内には入ることができなかった。僅かな隙間から内部を撮ったもの



教会の左右の壁にある像



「悲しみのマリア像」と呼ばれる石像 



浦上天主堂が長崎市最後の観光となる。男の5人旅、やはり教会は似合わない  



この5人に共通するところは、人相が悪いことと、長崎県が初めてということ


撮影 平成25年1月15日
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大浦天主堂(長崎県長崎市南山手町)

2014年01月23日 | 教会
平成25年1月に職場の親しい仲間と2泊3日で九州旅行したときの記録である
千歳空港から羽田空港を経由して長崎空港へ到着したが、羽田の大雨が雪に変わり航空便を含め交通網が乱れていたことを後で知ることとなった

大浦天主堂(国宝)
長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物



正式名は日本二十六聖殉教者堂
その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている



キリスト信者発見百周年記念碑



教皇ヨハネ・パウロ二世
記念碑には「ここは日本の新しい教会の信仰と殉教と宣教の原点です」と刻まれている






「教皇は1981年2月26日午後 日本カトリック教会再復興の地 大浦天主堂をご訪問なされた」と刻まれている



仏教との違いはあるが、キリスト教の建築物もすばらしい



聖母マリア像
 


この写真は私のパソコンの壁紙になってもう1年になる



教会の中は明るく大変美しい



建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさとものめずらしさで付近の住民たちが多数見物に訪れていたという



このような規模の教会を初めて見たので当時の住民の気持ちも良く理解できる




撮影 平成25年1月14日
コメント (2)
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