今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

増位山 随願寺(兵庫県姫路市白国三丁目)

2021年01月31日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月3日

増位山 随願寺
初めて訪れる寺院で大きな駐車場に着いたが寺の姿が見えず、周囲を歩いていたハイカーに聞いた
山道を少し歩くと堂宇の姿が見えてきた

開山堂(重要文化財)






現存する随願寺の建造物のなかで最古の建築



解体修理の際に、承応3年(1654年)と寛永18年(1641年)の墨書が発見された



開山堂近くにある「山王社」



唐門(重要文化財)
開山堂から少し歩くと左手に墓地が見えてくる






瓦銘から享保16年(1731年)の建立



桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺



「榊原忠次墓所(姫路市指定文化財)」






本堂(重要文化財)



寺伝によれば、厩戸皇子(聖徳太子)が高麗僧の慧便(えべん)に命じ開基した「増位寺」が前身、後に行基によって中興された



当初は「法相宗」寺院であったが、承和元年(834年)仁明天皇の命により「天台宗」寺院へ



本尊は薬師如来



嘉承2年(849年)「随願寺」の寺号を与えられた



天正元年(1573年)に三木の別所長治に攻められ全山焼失
今の本堂は、寛文6年(1666年)姫路藩主 榊原忠次によって再建されたもの



堂内に入り天井を見上げると魅力的なものが



「狩野探幽作の天井画」



この時は探幽とは思わず気楽に撮っていた






















奉納額









外陣だけでも十分堪能することができた



手水舎



経堂(重要文化財)















文殊堂



毘沙門堂



鐘楼(重要文化財)












山門が何処にあるのか分からなかったので駐車場に戻ることにした



重文に指定されている建造物があるということで訪れたがこれほど充実しているとは思わなかった






唐門と本堂



奥の院 開山堂






撮影 令和2年10月3日
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姫路城<白鷺城>その2(兵庫県姫路市本町)

2021年01月28日 | 
訪問日 令和2年10月3日

世界遺産 姫路城 その2
城外に出た。正直な話し城内では何処を歩いているかも分からなかった



国宝の大天守は外から眺めると5階建てに見えるが、内部の造りは地上6階、地下1階の7階構成になっている
この場所は休憩用のベンチもありゆっくり眺めるには良い場所だ



石垣の形状を眺めながら下に下りて行く
石垣の積み方や加工は、羽柴氏時代は「野面積み」
池田氏時代は「打ち込み接ぎ」「算木積み」になっている






修理を終えたばかりの建物



遠くからは白が強調して見えるようになっている






「お菊井戸」
私の前を歩いていた若い女性が真剣に何かを覗いている
気になり近寄ってみるとあの有名な「播州皿屋敷」の井戸らしい



『番町(ばんちょう)皿屋敷』と覚えていたので、最初は聞き違いだったのかと思っていたが……
日本各地に「いちまーい、にまーい……」の怪談話があるようだ



「明治時代の鯱」



制作者名などが刻まれている。別の場所には明治43年の刻印



「昭和時代の鯱」



「平成時代の鯱」
並べて展示されているのを見ると、明治の職人が造ったものが一番だ



「扇の勾配」
開いた扇の曲線に似ていることから「扇の勾配」と呼ばれる石垣









「井戸」



「西の丸」の方に移動してきた

「武者溜まり」
集団で軍事行動をする兵士を一時的に駐屯させる場所






撮影スポットの表示のあった場所から撮る



西の丸



ソーシャルディスタンスと聞いても爺には何のことか分からないが「間合いをとる」ならすぐ理解できる



ここが入り口となる



「百間廊下」 300mもあるという



「廊下の大戸」
建物内の扉とは思えない頑丈な造りの大戸
この扉の内側は女性が居住していた場所であったため、毎夜閉ざして厳しい守りをしていた



廊下に面して納戸のある小さな部屋が並んでいる
これが長局で西の丸御殿で働く女中の住んだ部屋とみられている






千姫は徳川家将軍・秀忠の長女、家康の孫娘である。7歳の時に豊臣秀頼(11歳)に嫁いだ
「大坂夏の陣」で秀頼と淀殿は自害して果てたが千姫は救い出された。18歳の時である
有力な公家や武家との関係を深めるために婚姻は大事な手段である。千姫はうってつけの「政治の駒」だった
相手は夏の陣で大功を立てた臣下 本田忠政の息子 忠刻
千姫の意志が強く働いた結果だったという
実は千姫、大坂から江戸に戻る道中を護衛していた忠刻に一目惚れしていた



西の丸の化粧櫓や曲輪は千姫夫婦のために新築された
城に移った翌年、待望の第一子となる長女、さらにまた翌年には嫡子となる長男が生まれた
愛する夫とかわいい我が子に囲まれる生活は長くは続かなかった
長男がわずか3歳で、忠刻も31歳の若さで亡くなってしまった
千姫は娘・勝姫と共に本多家を出て、江戸に移り住む
落飾(髪を落として仏門に入ること)し、天樹院(30歳)となった



西の丸から天守閣を眺める






駐車場に戻ろうとすると突然眼前に忍者が現れた
私の母方の姓は「伊賀」 天守閣をバックにポーズをとるように命じた(笑)



「官兵衛普請の石垣」



黒田官兵衛は私の好きな武将の一人



無骨な感じがする野面積みだが現存しているのが嬉しい



約3時間も滞在したにもかかわらず頭の整理ができていない
途中から、また来ようと諦めた






撮影 令和2年10月3日
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姫路城<白鷺城>その1(兵庫県姫路市本町)

2021年01月27日 | 
訪問日 令和2年10月3日

世界遺産 姫路城 その1
遠くから眺めたり、車で近くを通り横目で見たりしてきたが何故か姫路城には一度も訪れたことがない



桜門橋
駐車場に駐めたが入り口がどこにあるか分からない
とりあえず、それらしい人の歩いている方向について行く



天守の姿が見えてきた



国宝の城は現在 全国に5つある
訪れた順でいうと、犬山城・彦根城・松江城・松本城そして姫路城となる



門扉も立派だ



「世界遺産 姫路城」



人の流れについて行くと、多くの人がここで記念写真を撮っている



美しい城だ



城を見ながら歩き、撮影場所を探す



青空だったらいいのにと思うが仕方がない



菱の門
櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門でここから有料になる



両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋(花菱)のあることから、この名前が付いている
門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大きな門



菱の門周辺からは違った角度からの天守を眺めることができる






歩を進めると石垣が見えてくる



石垣にはあまり興味がなかったが、私の大学の大先輩の影響を強~く受け石垣を撮るようになった






「姥ケ石(うばがいし)」



石垣の上方に欠けた石臼が「間詰め石」として積まれている(判別できない)









天守閣の入り口が見えてきた



水五門
姫路城には先の菱の門のほか、「いろは……る」の門、「水の一……六」門が現存している
写真の水五門はそのうちの一つ。他に21門が残っている



既にどこに立っているのか分からなくなっているが、「小天守(国宝)」内に居るようである






これまで国宝の城を回ってきたが、姫路城の規模の大きさには驚く



大天守「1/20軸組構造模型」



大天守二階









「武具掛け」



「天井の梁」



「武具庫」



大天守三階



「西大柱」
大天守の心柱は東西方向に2本並んで地下から6階床下まで貫いている
西大柱は従来の材が継がれたものであったため一本材に取り替えようとしたが、その際に折れてしまったので3階床下付近で継いでいる



「東大柱」
太さは根元で直径95cm高さ24.6mの木材が使用されている



「武者隠し」
武者隠と呼ばれる小部屋が数箇所設けられている



「内室(うちむろ)」



大天守四階



「武具掛け」



「高窓」



「破風の間」



「石打棚」
中段を窓際に設けて、屋根で高い位置に開けられた窓が使えるように高さを補っている






大天守五階



「刻み番付」
南北の破風の棟木に「番付の文字」が彫ってある
この部材がどこに使用されるかを示している



「東大柱」
創建当時からあるというこの東大柱はこの階の天井まで通っている



大天守六階



長壁(刑部)神社
長壁(おさかべ)神社が分祀されている









最上階からの景色






遠くから見ると白く見えるが間近でみるとこのような造りになっている



瓦は検査をした上で使える物は再利用し、再利用ができない分は新しい瓦に取り替えられた



「幻の窓」
6階は当初四隅に窓を設ける予定だったが、途中で設計を変更し窓を塞いだ



外に出る。この石の階段は創建当初のもの



次回に続く

撮影 令和2年10月3日
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斑鳩山 斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤)

2021年01月26日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月3日

斑鳩山 斑鳩寺
聖徳太子開基の天台宗寺院。数年ぶりの再訪となる



仁王門



仁王像
歌舞伎役者の隈取のような表情



臍が×印になっているがいたずらのような気がする









三重塔(重要文化財)
室町時代後期、永禄8年(1565年)赤松政秀によって建立



この日境内で骨董市が開催されるらしくその準備をしている
私にとって大切な場所に骨董品を積んだ軽トラやワゴンが駐まっていて正直がっかりした



法隆寺創建から斑鳩寺が法隆寺を経済的に支えてきたと以前 住職から聞いたことがある






鐘楼






講堂(太子町指定文化財)
弘治2年(1556年)に再建、明和6年再修造、平成3年屋根葺き替え



推古天皇14年(606年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜る
大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立したとされ、これを斑鳩寺の始まりと伝える



骨董市を横目で眺めながら境内を歩く






聖徳殿前殿(兵庫県指定文化財)
天文20年(1551)に再建、永禄8年(1565)再修造












聖徳殿中殿(登録有形文化財)
大正5年(1916年)建立






聖徳殿後殿(登録有形文化財)
銅葺八角形屋根の奥殿は大正5年(1916)の造営



太子十六歳像を祀る
仏像拝観のみ有料で、「宝物館・聖徳殿」の仏像を解説付きで拝観できる









「聖徳太子御二歳尊像」



最後に三重塔の姿を記憶し駐車場に向かう



撮影 令和2年10月3日
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旧 閑谷学校 その2(岡山県備前市閑谷)

2021年01月25日 | 名所・旧跡
訪問日 令和2年10月2日

特別史跡 旧閑谷(しずたに)学校 その2

公門(重要文化財)
藩主臨学の際に使用した門で御成門ともいう



左から「飲室」「習芸斎」



飲室(重要文化財)
教師と生徒たちが、湯茶を喫した休憩室
中央の炉のふちには「斯爐中炭火之外不許薪火」と彫り込まれており、火の使用に厳重な注意がはらわれていた



習芸斎(重要文化財)
農民たちも学んだ、教室として使われた施設
毎月三と八の付く日は「五経」と「小学」
朔日(ついたち)には農民も聴講することができる「朱文公学規」の講釈が行われた



女子中学生が修学旅行で訪れていた
遠くから様子を見ていたがTPOをわきまえる行動には感心した






石塀(重要文化財)



かまぼこ型の石塀は、石と石との隙間を無くしているため土が入らず雑草がはえない工夫がされている



女子中学生が講義を受けるため講堂に移動している



資料館で流されていたDVDを視て「なるほど」と思った場所を撮ってみた
最初は「備前焼の瓦」



残念ながら…………画像は残っているが内容を忘れてしまった(笑)









講堂(国宝)
「学問の殿堂」旧閑谷学校を代表する国宝



講堂は入母屋造り、しころ葺きの大屋根と火灯窓が壮重な独特の外観を形作っている



創建当時は「茅葺き」だったが、その後改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられた



講義が始まった。講義を聴いてもいいと許可をいただいたのと写真は後ろ姿だけともいわれた
家庭や学校で良く躾られている女の子たちだと感じていたがその通りだった。知的レベルも高そうだ
講義の内容は「論語」の学而の部分であるが、「如」についてどれだけ理解できただろうか



校門(重要文化財)
この日は10月にもかかわらず真夏日で木陰のベンチで休みたかった



廟の正門として建てられたもので閑谷学校の校門でもある
中国最古の詩集である「詩経」の中の詩に因んで「鶴鳴門」ともよばれる



楷の木(かいのき)
四季を通して情緒豊かな「学問の木」
聖廟前に植えられた二本の楷の木は、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り苗に育てられた内の2本






聖廟(重要文化財)
儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設



孔子廟、西御堂とも呼ばれ、最も重要な施設として中央の一番高い所に配されている






奥の「大成殿」には孔子像が安置されている
毎年10月には儒学の祖、孔子の徳を称える「釈菜(せきさい)」の儀式が行われる






聖廟から校門を眺める



聖廟を後にする



閑谷神社
閑谷学校の創始者、池田光政を祀っている






「拝殿」



もとは「東御堂」、または光政の謚をとって「芳烈祠」と呼ばれていた



本殿内には御神体として光政の座像が安置されている









池田家の家紋である「蝶」



受付の男性からの近くにあるお薦めの場所を聞いた
居心地が良く長居をしてしまった。名残惜しいが外に出た



特別史跡 椿山



写真では表現できないが違った世界を歩いているようだった



神々しい雰囲気で、椿山には約400本近いヤブツバキが植えられている



歩いた奥には池田光政の髪・爪・歯などを納めた供養塚「御納所」がある



供養塚から講堂を眺める



石塀の外を歩いてみる
校門(重要文化財)
両脇に花頭窓のある付属屋を付けるなど中国の建築様式を模している






貞享3年(1686年)の造営



公門(重要文化財)
本柱の後ろに控柱二本を建てて切妻屋根をのせる薬医門様式の建物



石塀が築かれた元禄14年(1701年)の時点で設置された



飲室門(重要文化財)






石碑



修学旅行生の昼食風景(密を避けている)



泮池(はんち)の鯉
幅7m、長さ80mを超える長方形の池



男性が鯉の名前を呼ぶと一匹の鯉が側により撫でられるところ(吃驚)



最期に「閑谷学校」同窓含め関係者(私が知っている人のみ掲載)

女優 藤真利子の父とは知らなかった


















撮影 令和2年10月2日
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旧 閑谷学校 その1(岡山県備前市閑谷)

2021年01月24日 | 名所・旧跡
訪問日 令和2年10月2日

特別史跡 旧閑谷(しずたに)学校 その1
歴史など詳細は分かってはいないが、一度訪れてみたいと思っていた
車から気になる案内板が目に入ってきたので止めて確認した

旧閑谷学校 石門
石門は18世紀初めの建築で、主要施設から約1km離れた所にある



現在は1m余りしか見えていないが、江戸時代には約3.3mの高さであった



主要施設にある駐車場についた



「案内板」は文字数が多くその場ではあまり読む気にならない



「手水舎」



この門から入り右手に受付所がある



門の正面奥に見えているのは「閑谷神社」
受付の方のアドバイスで最初に資料館で知識を身につけた方がいいとのこと



講堂と小斎



石塀と石垣の間を通り資料館へ向かう



閑谷学校資料館(登録有形文化財)



「薇山西先生顕彰碑」



閑谷学校校長を20年あまりつとめて岡山県の文教に貢献した



館内の様子



講堂の模型






閑谷学校は、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校
資料によると「世界最古の庶民のための公立学校」

① 岡山藩主 池田光政は重臣 津田永忠の案内で閑谷を訪れ
  この地に庶民教育のための学校を建てるよう命じる



② 津田永忠は学校の建設に努め、元禄14年(1701年)に完成した



③ 講堂では四書(大学・中庸・論語・孟子)の講義が行われた



④ 習芸斎では五経(易経・詩経・書経・春秋・礼記)の講義が行われた



⑤ 習字所では習字や読書の授業が行われた



⑥ 池田光政は延宝元年(1673年)に初めて閑谷学校を視察
  歴代藩主も度々訪れている



⑦ 聖廟には孔子の像が祀られ、釈菜と呼ばれる祭りが行われた



⑧ 池田光政が亡くなると津田永忠は閑谷神社を建て、椿山墓所を造った



⑨ 寄宿舎での生活



⑩ 黄葉亭(茶室)では全国各地から訪れる客人の応接に用いられた



中学校時代に通った校舎の風景に似ていて懐かしい



資料館では民法で放映された番組が流れていて、これがとても参考になる



石塀(重要文化財)
学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀。独特の景観を生み出している



かまぼこ型の「石塀」は昔から草が生えない工夫がされているという



文庫(重要文化財)



閑谷学校の教科書・参考書をおさめた書庫



漆喰塗で固めた上を瓦葺きにした置屋根式
前室には三重の土の戸を含む六層の戸が設けられている



飲室門(重要文化財)



日通いの生徒や、朱文公学規講釈に出席する聴講者が出入りする通用門



小斎(重要文化財)
屋根はこけら葺きで簡素な数寄屋風に作られている



藩主が臨学の際に使用する、御成の間



現存する建造物の中では、最も古い姿を残している



講堂内部(国宝)
修学旅行生の講義が始まるとうことで取り急ぎ講堂内を撮影することになった






光り輝いている床は、屋根に使われている備前焼の瓦プラスある工夫のおかげで、週に一回の清掃で維持できているという



「克明徳」の額
三字額の【克】は、力を尽くして事を成し遂げる
    【明】は、物を正しく見る力
    【徳】は、善や正義をわきまえる高潔な品性と解釈されている



次回に続く

撮影 令和2年10月2日
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神遊山 神宮寺 遍照院(岡山県倉敷市西阿知町)

2021年01月22日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月1日

神遊山 神宮寺 遍照院
倉敷市内にある寺院で狭い生活道路などを抜けて駐車場についた
この寺院を訪れた目的は重文の三重塔

山門
「真言宗御室派 別格本山遍照院」と記されている



三重塔(重要文化財)
駐車場の目の前に三重塔があり何故か万国旗がたなびいている
塔の前は併設している幼稚園のグラウンドになっているので何かの行事があるのだろう



三重塔は開山智空上人が寛和元年(985年)に創立後、応永23年(1416年)に智海僧正が再建したものである



建物は和様形式を主体とした方三間(=四方三間)本瓦葺きで屋根の相輪は青銅製
柱は総て円柱、高さは22.25m



内陣の須弥壇上には、本尊として金剛界の大日如来を祀る
この塔は、大正14年に国宝に指定、制度の改正に伴い、昭和25年に重要文化財に指定された



「忠魂碑」
満州事変・日支事変・大東亜戦争の戦没者を合祀している



手水鉢



庫裏・客殿の玄関なのか






「影向石(ようごうせき)」






本堂
寺伝によれば平安時代の寛和元年(985年)智空上人が花山天皇の勅願を受け、足高神社の神宮寺として開山したと伝わる
本尊は十一面観世音菩薩、総高5尺1寸、一木彫の霊仏



本堂前にある「盛砂」






鐘堂



「八十八カ所お砂踏み霊場」



いつか、八十八カ所巡りをしてみたいと思っているが決断できずにいる



それに代わる簡単な方法を試してみる






周りに小堂がいくつかあり石仏が安置されている






大師堂






本堂側から見える三重塔



駐車場に戻ると園児と若い母親から気持ちのよい挨拶をされた
この日の4カ所目の寺院で少し疲れていたが、身体が軽くなった

撮影 令和2年10月1日
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井山 宝福禅寺(岡山県総社市井尻野)

2021年01月21日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月1日

井山 宝福禅寺
初めて訪れる寺で目的は重文の三重塔。ナビの案内により第1駐車場に到着
境内配置図で塔の位置を確認する



訪問日から投稿日まで3ヶ月以上もあり、この配置図は後に投稿するときの参考になる



三重塔(重要文化財)
最初に目に入ってきたのはこの寺を訪れた目的の三重塔



天気にも恵まれた



このまま進むと山門が最後になってしまうので、訪れた順とは異なるが山門から紹介していきたい

山門(登録有形文化財)
寺号標には「寶福禪寺」 第2駐車場に駐めると参拝順序としては流れがいい



現存する伽藍は東面し、山門・仏殿・三重塔を一直線に配し仏殿の北方に庫裏・方丈を配している



山門の先に見えるのが「仏殿」






山門の後ろ姿



仏殿(登録有形文化財)



私の他にもう一人の参拝者がいた



案内板



本尊:虚空蔵菩薩



知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれている



足元に目を向けてみる



天井に目を向けてみる
見る位置や角度によって龍の動きや表情が変化する「 八方睨みの龍」かと思い回っているうちに私の目が回ってしまった



まるで生きているような竜は、毎夜抜け出してその下にある白蓮池の水を飲むので人々に恐れられ
抜け出さないように目に釘を打ち込んだという



絵は江戸時代の画僧鰲山(ごうざん)が描いたのだといわれ
今でも薄暗い仏殿天井を仰ぐと、その竜は生きているかのような動きがある



「雪舟の鼠」
雪舟は、少年時代ここで修行を行った。幼少より絵が上手であった雪舟のエピソードとして鼠の絵の話が残されている
絵を描くことが好きであった雪舟少年は修行もそこそこに絵ばかり描いていた
修行に身を入れさせようと禅師は雪舟を柱に縛り付けて反省を促した
夕刻、様子を見に来た禅師は逃げようとする一匹の鼠を見つけ捕まえようとしたが動かなかった
よく見るとそれは雪舟が流した涙を足の親指で描いたものであったという
それ以来、禅師は雪舟の絵を咎めなくなったといわれている



方丈側から見た仏殿



鐘楼(登録有形文化財)



梵鐘(岡山県指定文化財)
室町中期 応仁2年(1468年)の鋳造



観音堂






「石造如意輪観音像」



庫裏(登録有形文化財)






庫裏の前に置かれている傘のような置物



奥に見えるのが方丈



方丈(登録有形文化財)












「雪舟の鼠」



経蔵(登録有形文化財)



石仏









「雪舟碑」






石仏









三重塔(重要文化財)



総高18.47m
寺伝によれば弘長2年(1262年)鎌倉幕府の執権・北条時頼が寄進して建立したといわれていた



しかし、昭和42年(1967年)に行った解体修理の際、永和2年(1376年)の墨書銘が発見
実際にはもう少し時代が下った南北朝時代の建築であることが確認された



戦国時代の天正3年(1575)に備中兵乱の戦禍に遭い、三重塔などわずかの建物を残してことごとく灰煙に帰した









撮影 令和2年10月1日
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日照山 国分寺<備中国分寺跡>(岡山県総社市上林)

2021年01月20日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月1日

日照山 国分寺<備中国分寺跡>

五重塔(重要文化財)
備中国分寺に重文の五重塔があることを知り車を走らせた
五重塔の姿がかなり遠くから運転席からも目視できる



嬉しすぎて我を見失い、そこが遊歩道だとも知らずに五重塔に向かって車で走ってしまった
多くの人に迷惑をかけてしまった。道路を挟んで反対側に大きな駐車場がある



気を取り直して出発。私の前を歩いていた女性が花の中から写真を撮っていた



私にはこのような感性はなく、とても参考になった



岡山県内唯一の五重塔



南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建
弘化元年(1844年)ごろに完成、高さは34.32m



この塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短い



当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更したとされ、3層まではケヤキ材、4・5層まではマツ材が主体






史跡 備中国分寺跡について
備中国分寺跡は、聖武天皇が天平13年(741年)に仏教の力を借りて天災や飢饉から人々そして国を守ること (鎮護国家)を目的に建てられた官寺の一つ
その当時の境内は、東西160m、南北178mと推定される
江戸時代に再興された現在の備中国分寺があるため、 南門・中門以外の建物の位置は明らかではない
創建当時の礎石が多く残されており、 当時を偲ぶことができる

客殿



扁額には寺号の「国分寺」



勅使門









本堂



真言宗御室派の寺院。本尊は薬師如来



大師堂






石仏









経堂(岡山県指定文化財)



礎石(創建時の建物礎石 奈良時代)



探しても見当たらなかったので石仏の土台になっている石のようだ



鐘楼



礎石(創建時の建物礎石 奈良時代)



境内から見える五重塔



青空だったらもっと良かったと思う



山門
本来ならここから入るのだが五重塔の魅力に負けて最後になってしまった



田園風景の中に建つ五重塔は、吉備路のシンボル的な存在となっている



撮影 令和2年10月1日
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吉備津神社(岡山県岡山市北区吉備津)

2021年01月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月1日

吉備津神社
備中国一宮。平日の早い時間にもかかわらず駐車場は混み合っていた

社号標
旧社格は官幣中社



社号標は「五・一五事件」で暗殺された、内閣総理大臣(第29代)犬養毅書
「話せば分かる」は有名な文句






写真では緩やかな階段に見えるが結構きつい



上から見るとこのようになっている



北随神門(重要文化財)
北随神門は北の参道に位置し、室町中期 天文11年(1542年)に再建された



単層入母屋造檜皮葺。神社正面からの参道途中に建てられている






さらに階段が続く



上から見ると急階段



参拝者が並んでいたので近くにあった「奉納額」を撮る






拝殿(国宝)
階段を上りきったところに拝殿がある



本殿・拝殿合わせて1棟として国宝に指定されている



神馬



廻廊(岡山県指定文化財)
天正7年(1579年)再建、全長360m
自然の地形そのままに一直線に建てられている



南随神門(重要文化財)
回廊の途中に位置し、延文2年(1357年)再建
吉備津神社諸殿宇中 最古の建造物



御祭神に従い吉備国の平定に活躍した神々が祀られている



えびす宮



商売繁盛・家業繫栄の神様





宇賀神社
商売の神 吉備国最古の吉備神が祀られている



御釜殿(重要文化財)
慶長17年(1612年)安原知種が願主となり再建された






神秘的な「鳴釜神事」は古来より全国に知られている






一童社
学問・芸能の神様を祀っている
江戸時代の国学者も厚く信仰したと伝えられている



近年では進学を目指す人のお参りが絶えないようだ






「おみくじ」も こう掛けると望みが叶う感じがする



本殿(国宝)
拝殿から右回りで移動してきたので、一童社周辺から初めて本殿の姿を拝むことができる






室町時代中期、応永32年(1425年)の造営



建築様式「比翼入母屋造」






全国唯一の様式から「吉備津造」とも称される



本殿と拝殿









祈祷受付所



銅鐘(国重要美術品)



祈祷殿



本殿を中心に右回りで移動してきたが調べてみると見落としている場所がある
機会があったら再訪したいと思っている



北随神門を見ながら駐車場へ戻る



カメラを左手で持ち、右手は手すりのお世話になる。衰えたものだ



撮影 令和2年10月1日
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栃社山 誕生寺(岡山県久米郡久米南町誕生寺里方)

2021年01月18日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月30日

栃社山(とちこそさん) 誕生寺

山門(重要文化財)
正徳5年(1716年)建造
筋塀は安政4年(1857年)伏見宮家より寄進されたもの






誕生寺という寺の名に以前から興味を持っていたが、この説明文を読んで納得した



公孫樹(岡山県天然記念物)
久安3年(1147年)15歳の勢至丸(法然上人)は比叡山に旅立つ際、杖とされた銀杏の枝をこの地にさした



根が上に伸び「逆木の公孫樹(いちょう)」ともいわれている



宝物館
「阿弥陀如来像」や安土法論の拝領品である「太閤釜」など数点の宝物が展示されている



阿弥陀堂
実心大徳によって元禄年間(1688~1704年)に建立



現在の阿弥陀堂(瑞應殿)は平成15年(2003年)に再建された



御影堂(重要文化財)
坂東武者・熊谷直実は法然の弟子となり出家し法力房蓮生と名乗った



蓮生は建久4年(1193年)法然の徳を慕い法然の父である久米押領使・漆間時国の旧宅、すなわち法然生誕の地に寺院を建立した
これが誕生寺の始まりである



唐門の彫刻



かつては誕生律寺と呼ばれており、御影堂の扁額は「誕生律寺」と掲げられている






過去に二度損壊し、現在のものは元禄8年(1695年)に建造された



堂内の様子



























事務所



鐘楼



唐門(方丈)



比叡山に旅立つ勢至丸(後の法然上人)



無事を願う母の祈り



久安3年15歳の春、比叡山に登るため母に別れを告げた



その年の秋、37歳の若き身をもって母秦氏君は病没した












大仏(岡山県指定文化財)
延享2年(1745年)鋳造



岡山県下で一番大きな仏像である。高さ6.42m、重量450kg



大仏の傍にある可愛い仏様



延命地蔵



観音堂
初代津山城主・森 忠政公(森 蘭丸の弟)より寄進をうける
建立は寛永8年(1631年)頃と伝わる



第15代通誉上人が八百屋お七の供養をしたことから、別名「お七観音」とよばれている



堂内には聖観音像を祀っている



五輪石塔(岡山県指定文化財)
応永32年(1425年)の製作



二幡の椋(三代目)



勢至堂(霊廟)






宝篋印塔(南北朝時代)



五輪石塔(岡山県指定文化財)






法然上人産湯の井戸









無垢橋(登録有形文化財)
大正9年(1920年)建造。片目川に架かる石橋。長さ7.3m、幅2.6m



「誕生寺七不思議」



撮影 令和2年9月30日
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岩間山 本山寺(岡山県久米郡美咲町定宗)

2021年01月17日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月30日

岩間山 本山寺

仁王門(岡山県指定文化財)
貞享3年(1686年)建造、檜皮葺



扁額には山号の「岩間山」



仁王像
仁王門の奥まった場所に安置されている












寺侍長屋(岡山県指定文化財)
殿様が馬に乗って登られるよう広い階段になっているそうで、馬階段ともいう



弘化2年(1845年)建造
城郭のような石垣上にあり、門は石垣に囲まれた埋門(うずみもん)となっている



観光寺院でないため案内はここだけ



雰囲気のいい参道を進む



聖天堂



本堂の後ろ姿が見えてくる



山王堂






石仏



手水舎



本堂(重要文化財)
南北朝時代の正平5年/観応元年(1350年)創建、檜皮葺



大宝元年(701年)佐伯有頼(後の頼観上人)によって現在地より南方の山頂に創建され「新山寺」と名付けられた
創建より約50年後に、唐の高僧「鑑真和上」により現在の「本山寺」に改められたとされる



長承元年(1132年)稲岡ノ庄の漆間時国夫妻が、参籠して嗣子を授け給えと折り、願いがかなって勢至丸が生まれた
後に出家して比叡山で仏教の奥義を究め、浄土宗の開祖・円光大師「法然上人(源空)」となった






鐘楼(岡山県指定文化財)
天明2年(1782)山之上村の可児幸右衛門翁の一建立で、現在の鐘楼が再建された






常行堂(岡山県指定文化財)
永正16年(1519年)建造、檜皮葺






三重塔(重要文化財)
参道を進んでいくと、三重塔の姿が半分ほど視界に入ってくる



江戸時代初期の承応元年(1652年)津山藩主森忠政によって建造された



檜皮葺で三重塔としては岡山県下最大









三重塔周辺に目を向けてみる



探していた物がすぐに見つかった



宝篋印塔(重要文化財)
建武2年(1335年)の建造



寺内に現存する建造物としては最古のもの



このお地蔵様は子供を連れて参れば頭がよくなり、大人はボケないという



「百度石」の右に階段があったので上がってみる






「観音像」



木々の隙間から三重塔が見える



重文の三重塔があるということでこの寺院を訪れた






撮影 令和2年9月30日
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2020 砂の美術館(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月16日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」
*紹介文は配付資料から引用



総合プロデューサー:茶圓勝彦 世界10カ国17名の砂像彫刻家



この美術館を訪れるのが旅の目的の一つになっている
現在は今回紹介する砂像は既に壊されていて、新しい砂像つくりの準備に入っている



作品01 「チェスキー・クルムロフ」
制作者:ケビン・クロフォード/オーストラリア

展示室に入ると最初に目に入ってきたのがこの砂像だ



チェスキー・クルムロフ は、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市



モルダウ川(ヴルタヴァ川)に囲まれた世界遺産の街



「世界で一番美しい街」と評されている






作品02「ボヘミアン・パラダイス」
制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ

風化や浸食により独特の地形に削られた奇岩の景勝地 ボヘミアン・パラダイス



広大な自然の中に人々の営みがあったことを伝えている



気になるのはこの三人の女性



「鳥取砂丘の砂」を水だけで固めて制作されている



表情や衣装まで見事に表現されている






砂岩の上に鎮座する14世紀建造のコスト城が立体的に造られている



上から見るとこのようになっている



光と影と遠近法を巧みに操り作品を完成させている



作品03 「スピシュ城とモンゴルの襲来」
制作者:ジョヘン・タン/シンガポール

スロベキア東部に位置する世界遺産の廃城スピシュ城
モンゴル帝国軍から国を守るための長城として建てられた



当時のモンゴルは持久力のある馬と小型で強力な弓を使用



圧倒的な戦力と巧みな戦術で世界最強と恐れられていた






作品04 「ヤーノシークの伝説」
制作者:エイブラム・ウォーターマン/カナダ

スロバキアの国民的英雄 ユライ・ヤーノシーク
18世紀初頭に実在した義賊



義賊とは裕福な家から金品を奪い、貧しい人に分け与える活動をしていた
ヤーノシークはその盗賊団の頭領だった



彼の活動は「世の中を平等にする」と評され、庶民を中心に歓迎されていた



彼は最期、殺人の冤罪を被り処刑されてしまうが、その人気は今なお健在だという






砂像を眺め調べても私には「チェコ&スロバキア」について全く知識が無いことが分かった



作品05 「天文時計とセドレツ納骨堂」
制作者:トーマス・クォート/アメリカ

作品01 「チェスキー・クルムロフ」の裏面にある作品



15世紀に完成したプラハ旧市街にある時計塔
上部には太陽や月の位置、時刻を示す天文図文字盤、下部には星座と農村における四季の作業分かる暦盤が作られている



時計盤の左右や上部にキリスト教の聖人や人間の大罪を擬人化した彫像が置かれたこの天文時計はプラハの名物となっている









チェコには人骨を装飾に使用している協会がいくつかある






大きな砂の塊の表面と裏面に2つの作品が制作されている



作品06 「ヤン・フスと火刑」
制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダ

チェコの宗教改革者ヤン・フス



彼は教会が政治においても絶対的な権力を誇っていた14世紀初頭に教会のあり方を批判



その主張を庶民にも分かるよう説教を行い民衆に歓迎されていた



教会のあり方を揺るがしかねないフスの主張とその人気を恐れ、教会上層部は異端として火刑に処してしまう



死を迫られても自らの主張を撤回しなかったフスの姿は……



その後、彼を慕う民衆がフス派と名乗り抗議活動を展開していく



作品07 「リブシェの予言」
制作者:イリヤ・フィリモンツェフ/ロシア

この作品の美しさにすっかり魅了されてしまった



かつてチェコは予言能力をもつ賢く美しい女性リブシェが治めていたと伝えられている



ある日、リブシェがヴァルタヴァ(モルダウ)川のほとりに出かけると……



丘に立派な城がそびえ立っている未来の様子が見えた



彼女はその場所を示して城を築くよう周りの者に伝え、城の名をプラハと名付けた



これがプラハの城と街の始まりの伝説であり、古くからチェコの人々に愛されている物語である



遠く離れた場所から望遠レンズで撮ってみた



作品08 「ルドルフ2世とルネサンスの影響」
制作者:ドミトリー・クリメンコ/ロシア




プラハの文化発展に貢献した神聖ローマ帝国皇帝ルドロフ2世



強大な権力を使いプラハに芸術家や科学者、錬金術師を集め活動を援助した
*背景にも注目



ルドロフ2世は彼らに作らせた物や世界各地から集めた珍品をプラハ城内の専用の展示部屋にコレクションしていく






こうした活動により、プラハにルネサンスが定着し芸術科学文化の都として名を馳せていった






コロナの影響で入館者が少ない時にしか撮れない写真



正面奥にはいつも大規模な砂像2つが配置されている



作品09 「カレル橋とヴァルタヴァ川の風景」
制作者:ディビット・ドウシャーム/カナダ
制作者:スー・マクグリュー/アメリカ

プラハ城と旧市街地を結ぶ世界遺産のカレル橋
現在のプラハの基礎を創ったカレル1世の命令で14世紀に建造された



左右の欄干には聖ヤン・ネポムツキーやフランシスコ・ザビエルなど30体のキリスト教の聖人像が並んでいる






橋が架けられているヴルタヴァ川はチェコ人にとって馴染みの深い川
チェコ出身の音楽家スメタナも交響詩「我が祖国(モルダウ)」の中にテーマとして取り上げた






作品10 「プラハ城」
制作者:レオナルド・ウゴリニ/イタリア
制作者:アンゲフォン・ディビット/ベルギー

世界で最も大きく古い城といわれているプラハ城



伝説によると870年頃、リブシェの予言に基づきヴルタヴァ川沿いの現在の場所に建てられた



度重なる戦争でも大きな被害を受けず、ゴシック様式やロココ様式といった
中世以降の多彩な建築様式を今に伝えている






かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であった
現在はチェコ共和国の大統領府のある場所である
ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている






2階の見学通路を歩いているうちに背景が夜景になっていた



作品11 「プラハの錬金術」
制作者:アンドリウス・ペトクス/リトアニア

錬金術とは金属を変化させ黄金を作り出す試み
神聖ローマ帝国皇帝ルドロフ2世はこれに傾倒



首都プラハにヨーロッパ中から錬金術師を集め研究を行わせた






そこでは金の錬成にとどまらず、不老不死の薬や惚れ薬なども研究されていた






作品12 「ゴーレム伝説」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ

ユダヤ教の古い伝承に登場しヘブライ語で「胎児」を意味するゴーレム



主人の命だけを聞くこの土人形は宗教指導者ラビ・レーヴにより作られた






しかし彼が使役する上での約束を破ったことで暴走し、止む無く土に戻した



この土塊は今でもプラハのシナゴークの屋根裏部屋に眠っているといわれている



作品13 「中欧の野生動物」
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




中央ヨーロッパには広大な自然が広がり、国立公園に指定され沢山の動物が生息している






作品14 「プラハ窓外投擲事件」
制作者:メイネイジ・ビュリガード/カナダ

プラハでは窓から人を投げ落とすという奇異な事件が度々起きている



この窓外投擲事件はカトリックによる弾圧に対するプロテスタントの抗議活動として行われた



1618年の2回目の事件はヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争のきっかけとして有名



作品15 「文学 フランツ・カフカ」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ

チェコ出身の小説家フランツ・カフカ
ユダヤ人の家庭に生まれ、会社に勤めながら小説を執筆した



代表作の「変身」「審判」「城」などの作品で人間の孤独や不安、不条理をシュールな世界観で表現している



この作品は、朝起きると主人公が虫になっていたという「変身」の中で最も有名な場面を表現している






作品16 「民族復興運動の音楽家たち」
制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ
制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダ

1918年のチェコスロバキア独立の背景には18世紀後半から始まったチェコ人としての誇りを戻そうとする動きがあった
音楽家たちもチェコの情景や伝統音楽を取り入れた楽曲を発表し、この運動を鼓舞していった



ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」



スメタナ:「わが祖国」



ヤナーチェク:オペラ「イエヌーファ」






作品17 「ビロード革命と現代化」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




第二次世界大戦後ソ連の影響で社会主義国となったチェコスロバキア
1989年のベルリンの壁崩壊を受けチェコスロバキアでも政権交代を訴えるデモが活発化した



この改革は血を流さず穏やかに遂げられたことから「ビロード革命」と呼ばれている



ビロード革命の指導者ハヴェルを大統領とする民主主義国に生まれ変わった



作品18 「ドラゴン伝説」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




ヨーロッパ各地の童話に登場するドラゴンはチェコのおとぎ話の中にも欠かせない存在



暴れていた3つの首を持つドラゴンが騎士に倒され、その栄誉により騎士は助けた娘と結ばれるという物語が有名



作品19 「人形劇とマリオネット」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




2016年に世界無形文化遺産に登録されたチェコの人形劇



砂の美術館を出た後、先に進むか、戻るかいつも迷う
昨年は宮崎県まで走ったが、今回は車のサブバッテリーの調子も悪く戻ることにした



撮影 令和2年9月30日
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2020 砂の美術館 最終回(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月15日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」最終回
*紹介文は配付資料から引用

作品13 「中欧の野生動物」
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




中央ヨーロッパには広大な自然が広がり、国立公園に指定され沢山の動物が生息している






作品14 「プラハ窓外投擲事件」
制作者:メイネイジ・ビュリガード/カナダ

プラハでは窓から人を投げ落とすという奇異な事件が度々起きている



この窓外投擲事件はカトリックによる弾圧に対するプロテスタントの抗議活動として行われた



1618年の2回目の事件はヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争のきっかけとして有名



作品15 「文学 フランツ・カフカ」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ

チェコ出身の小説家フランツ・カフカ
ユダヤ人の家庭に生まれ、会社に勤めながら小説を執筆した



代表作の「変身」「審判」「城」などの作品で人間の孤独や不安、不条理をシュールな世界観で表現している



この作品は、朝起きると主人公が虫になっていたという「変身」の中で最も有名な場面を表現している






作品16 「民族復興運動の音楽家たち」
制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ
制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダ

1918年のチェコスロバキア独立の背景には18世紀後半から始まったチェコ人としての誇りを戻そうとする動きがあった
音楽家たちもチェコの情景や伝統音楽を取り入れた楽曲を発表し、この運動を鼓舞していった



ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」



スメタナ:「わが祖国」



ヤナーチェク:オペラ「イエヌーファ」






作品17 「ビロード革命と現代化」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




第二次世界大戦後ソ連の影響で社会主義国となったチェコスロバキア
1989年のベルリンの壁崩壊を受けチェコスロバキアでも政権交代を訴えるデモが活発化した



この改革は血を流さず穏やかに遂げられたことから「ビロード革命」と呼ばれている



ビロード革命の指導者ハヴェルを大統領とする民主主義国に生まれ変わった



作品18 「ドラゴン伝説」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




ヨーロッパ各地の童話に登場するドラゴンはチェコのおとぎ話の中にも欠かせない存在



暴れていた3つの首を持つドラゴンが騎士に倒され、その栄誉により騎士は助けた娘と結ばれるという物語が有名



作品19 「人形劇とマリオネット」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




2016年に世界無形文化遺産に登録されたチェコの人形劇



砂の美術館を出た後、先に進むか、戻るかいつも迷う
昨年は宮崎県まで走ったが、今回は車のサブバッテリーの調子も悪く戻ることにした



撮影 令和2年9月30日
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2020 砂の美術館 その3(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月14日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その3
*紹介文は配付資料から引用
コロナの影響で入館者が少ない時にしか撮れない写真



正面奥にはいつも大規模な砂像2つが配置されている



作品09 「カレル橋とヴァルタヴァ川の風景」
制作者:ディビット・ドウシャーム/カナダ
制作者:スー・マクグリュー/アメリカ

プラハ城と旧市街地を結ぶ世界遺産のカレル橋
現在のプラハの基礎を創ったカレル1世の命令で14世紀に建造された



左右の欄干には聖ヤン・ネポムツキーやフランシスコ・ザビエルなど30体のキリスト教の聖人像が並んでいる






橋が架けられているヴルタヴァ川はチェコ人にとって馴染みの深い川
チェコ出身の音楽家スメタナも交響詩「我が祖国(モルダウ)」の中にテーマとして取り上げた






作品10 「プラハ城」
制作者:レオナルド・ウゴリニ/イタリア
制作者:アンゲフォン・ディビット/ベルギー

世界で最も大きく古い城といわれているプラハ城



伝説によると870年頃、リブシェの予言に基づきヴルタヴァ川沿いの現在の場所に建てられた



度重なる戦争でも大きな被害を受けず、ゴシック様式やロココ様式といった
中世以降の多彩な建築様式を今に伝えている






かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であった
現在はチェコ共和国の大統領府のある場所である
ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている






2階の見学通路を歩いているうちに背景が夜景になっていた



作品11 「プラハの錬金術」
制作者:アンドリウス・ペトクス/リトアニア

錬金術とは金属を変化させ黄金を作り出す試み
神聖ローマ帝国皇帝ルドロフ2世はこれに傾倒



首都プラハにヨーロッパ中から錬金術師を集め研究を行わせた






そこでは金の錬成にとどまらず、不老不死の薬や惚れ薬なども研究されていた






作品12 「ゴーレム伝説」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ

ユダヤ教の古い伝承に登場しヘブライ語で「胎児」を意味するゴーレム



主人の命だけを聞くこの土人形は宗教指導者ラビ・レーヴにより作られた






しかし彼が使役する上での約束を破ったことで暴走し、止む無く土に戻した



この土塊は今でもプラハのシナゴークの屋根裏部屋に眠っているといわれている



次回に続く

撮影 令和2年9月30日
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