今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区深草藪之内町京都市伏見区深草藪之内町)

2014年01月31日 | 神社・仏閣
仕事で京都を訪れたとき、2~3時間自由時間があったので訪れたことのない伏見稲荷大社を目指した

伏見稲荷大社 
京都市伏見区にある神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする
全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社。
表参道の一番鳥居から楼門、外拝殿(舞殿)、内拝殿、本殿が一直線に並ぶ
本殿の背後に、斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群がある



楼門(重要文化財)
この建物は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされてきた



千本鳥居
稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっている



この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもち、その色はまた生命・大地・生産の力をもって稲荷大神の“みたま”の働きとする強烈な信仰が宿っている



周辺には若い女性参拝者が多く、甲高い声が響いてくる



雑誌の写真で見る光景が広がっている



遠くに鳥居の終わりが見えてくる



帰りもこの鳥居を通るが、柱に寄贈者の名前が書かれてあり風景が一変する



「おもかる石」
若い女性が集まっている場所があり、石を抱えている



案内板を読むと「持ち上げた時、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶うといわれ、重ければ叶わない」と書かれている



願いは叶わないことが多いのは経験上知っているので挑戦はしなかった
それ以上に気になったのは女子高生のお面、声を掛けて撮らせてもらった



案内図によると今立っている場所は、ほんの通過点で先が長いということがわかったが時間の関係で戻ることにした




撮影 平成24年10月10日
コメント (2)
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青島神社<裸参り>(宮崎県宮崎市青島)

2014年01月30日 | 神社・仏閣
6年前の話である。男6人旅でこの日はゴルフのグループと観光グループに分かれ1日を過ごすことになっていた
観光には私を含めて2名で年長者の私は当然助手席に座りのんびりする予定であった



鹿児島市内で豪華な夕食をとり、二次会終了後、独りで出かけた男がいた
ホテルに帰ってきたのは朝の5時、「薩摩おごじょ」と飲み比べていたらしい



朝、食事をしていると「岡ちゃん」に似ているひとが歩いていると朝帰りの男が話す
サッカー通の彼はジャパンのユニフォームも知っていて間違いないという
後で知ったが、宿泊したホテルの敷地にはサッカー練習施設もあり、日本代表が合宿をしていたようだ
急遽、運転手になり、宮崎県の青島海岸を目指すことになった
助手席の彼は景色を楽しむこともなく、嘔吐と闘っていた

裸参り/青島神社 
駐車場に車を駐め、参道を歩いていると参道の両側に水の入ったバケツが沢山置かれていた
しばらく進むと突如裸の集団が走ってくる



その集団は、青島海岸の波打ち際に並び、合図と共に一斉に海中に向かって走り出す



何が起こっているのかも知らず、夢中でシャッターを切る
海中で写真を撮っている人もいる



この日は風も強く吹き寒い。入ってすぐ戻ってくる子供もいる



昔、彦火火出見命が海神宮から帰還したおり、村人があわてて衣類をまとう暇が無く裸のままお出迎えしたと言う古事から起こったもので、約200名の男女が神社の前の海で禊ぎを行い、身を清めて参拝するまつり



青島参道で冠水(バケツの意味がようやくわかった)



あっという間の出来事であったが素晴らしいものを見た
調べて解ったことだが「成人の日」に行われているようだ

天然記念物 「鬼の洗濯板(岩)」 
砂岩と泥岩が交互に重なった地層(油津層群)からなる山が沈降して海に浸かり、波に侵食された後にわずかに隆起することで「隆起波食台」と呼ばれる地形が形成された









青島神社 
神聖な場所であるため祭日以外に一般人が立ち入ることは禁じられていたが、明治以降は年間を通して立ち入りできるようになった
昭和に入ると周辺の青島海岸に遊園地や海水浴場が整備され、ホテルが建ち並ぶ観光地になった 



青島神社は今回で2度目になるが、写真を2枚しか撮していない
この当時神社には全く興味を持っていなかったということだ
昔の写真を見ると残念でならない


撮影 平成20年1月14日 
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太宰府天満宮(福岡県太宰府市宰府)

2014年01月29日 | 神社・仏閣
男5人による旅も最後の日を迎えた
出発時に経由した羽田では悪天候のため私たちの乗った後の便が降雪のため欠航するなどギリギリの所で幸運に恵まれてきた
そして最後の夜も宿泊したホテル内で美女軍団に遭遇した
その正体は宝塚歌劇団。10年ほど前に観客獲得のためにと招待されたことを思い出す
「躾」を重んじているだけのことはあり、立ち居振る舞いは立派であった
九州最後の観光は「太宰府天満宮」。自分の限界を知っている5人だけに、他人の幸運を願い訪れることに

太宰府天満宮
菅原道真を祭神として祀る天満宮の一つ
全国約12,000社の総本宮と称えられ、「学問・至誠・厄除けの神様」として、崇敬を集めている

参道
東西約450mに伸びる石畳の小路には、約80店舗の土産屋が立ち並ぶ賑やかな門前町となっている
名物の「梅が枝餅」は美味しく、土産としても喜ばれる



1時間後には観光客も増え、年間700万人(1日平均2万人)という数もうなずける



鳥居近くにいるのが、今回の旅の仲間である



御神牛
菅原道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなった
これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒正行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山廣院安楽寺と号した



志賀社(重要文化財)
室町時代の長禄2年(1458)の再建
和風・唐風・天竺風の様式が合わさったつくりで、海の神様である綿津見三神が祀られている



麒麟と鷽 
麒麟は中国の瑞獣思想上の動物 



聖人が現れて王道が行われる時に出現すると伝えられ菅原道真を称えたもの



鷽は1月7日、1年中の嘘を天神様の誠心と取り替える鷽替神事縁の鳥で、幸運を運ぶ天満宮の守り鳥



さらに参道を進むと鳥居あり、その奥に楼門が見えてくる



楼門
太鼓橋側と本殿側で形状の異なる楼門。現在の門は大正3年(1914)の再建



本殿(重要文化財)
本殿は五間社流造で屋根檜皮葺。正面に1間の唐破風造の向拝を設ける。また、左右側面には各1間でこれも唐破風造の車寄を付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされている



本殿前にて熱心に参拝しているのは仲間の一人
数ヶ月後には2人の子供の進学と自分の栄転が叶った



飛梅
「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」  
道真を慕って、都から一夜にして飛んできたと伝えられる由縁の神木



左側には「皇后の梅」



宝物殿 
国宝「翰苑 巻第三十」をはじめ、天満宮や道真にまつわる貴重な文化財が所蔵・展示されている



近隣にある「九州国立博物館」



東京・京都・奈良に次ぐ、日本で4番目の博物館
この日は「ボストン美術館」所蔵の日本のお宝の公開をしていた
そして私のリクエストで九州随一の仏像彫刻の宝庫である「観世音寺」



東大寺、下野薬師寺とともに「天下三戒壇」のひとつ
大同元年(806)に唐から九州・大宰府に帰り着いた空海だが、朝廷から帰京の許しが出なかった
その間、滞在したのがこの寺といわれている 



男5人の旅だが「私ともう一人」の退職旅行でもあった。天候にも恵まれ、楽しく過ごすことができ感謝している


平成25年1月16日
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吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手)

2014年01月28日 | 名所・旧跡
男5人旅の2日目、私を含めて2人が希望したのが吉野ヶ里遺跡である

吉野ヶ里遺跡 
弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡
物見やぐらや二重の環濠など防御的な性格が強く日本の城郭の始まりとも言えるものであり、1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された
現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている

逆茂木・乱杭 
先を尖らせた杭や鋭い枝の付いた木を斜めにたくさん立てて、敵の侵入を防ぐバリケードの役割をはたしていた



外壕<上の写真で確認できる>
吉野ヶ里丘陵の袖部を巡るように外壕が掘削されており、外壕で囲まれた範囲は南北1km以上、東西は最大で0.5km以上


門と鳥形
弥生時代の土器等に描かれた高床建物や重層建物の屋根の棟飾りや軒飾りには、鳥の姿が描かれていることがある



弥生時代の遺跡からは木製の鳥形が出土しており、当時の習俗的シンボルであったと考えられる



環壕入口 
吉野ヶ里集落の、当時の東の正門と考えられている場所



東の正門を始め吉野ヶ里は外壕に7カ所、南北内郭に3ヶ所の入口が確認されている。入口では、兵士たちが厳重に警備



環壕入口 
南内郭には4棟の大きな高床建物がある。



兵士が南内郭への侵入者を厳重に見張っていたと考えられている



南内郭 ~王や支配者層が住んでいた場所~ 
吉野ヶ里が最盛期を迎えた頃、吉野ヶ里の集落をはじめ、周りのムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられている









北内郭 ~まつりごとの場所~ 
吉野ヶ里集落だけでなく、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって最も重要な場所であったと考えられている



主祭殿(3階建ての建物)
吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられている



主祭殿2階。吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラの長が集まる

主祭殿3階。祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っている



この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられる 



邪馬台国の女王「卑弥呼」を意識した造りになっている

屋根倉、高床倉庫 
屋根倉には神に供える稲穂や、次の年にまく種籾などを収めていたと考えられる
高床倉庫には北内郭や北墳丘墓での祀りに使われる道具や宝物などの貴重な品々が収められていたと考えられる



高床住居 
正方形に近い、特殊な形をした高床の建物。主祭殿の近くに位置していることから、普段は人前に姿を見せなかったと言われる最高司祭者の住まいだったと考えられている
神聖な人が住む場所であることから、1階部分についても網代で囲われ、建物全体が閉鎖的な空間になっている



北墳丘墓 ~歴代の王の墓~  
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられている
このお墓は人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっている



墳丘の頂部から2m程穴を掘り、さらに掘り下げた穴から横穴を設ける
掘った横穴に甕棺をひとつに据える。甕棺の中に死者を埋葬する



広大な敷地のなかに弥生時代の建物が見事に復元されている
今回は駆け足で見学したが、考えながら、ゆっくり廻ると楽しめる場所だ。今晩は「博多」に宿泊し、夜は「もつ鍋」を食べる予定だ
福岡天神が大好きな運転手のアクセルに力が入る


撮影 平成25年1月15日
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浦上天主堂(長崎県長崎市本尾町)

2014年01月27日 | 教会
浦上教会<浦上天主堂> 
1945年の長崎原爆によって破壊されたが、1959年に再建された



1962年以降、カトリック長崎大司教区の司教座聖堂(カテドラル・大聖堂)となっており、所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本最大規模のカトリック教会



被爆した聖人の石造遺構 



浦上天主堂の正面左手表庭に、原爆で破壊された聖人の石像が並んでいる



 


黒く焦げ、強烈な爆風の影響で鼻、指、頭部などが欠けている









東洋一の壮大さを誇った天主堂であったが、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、原子爆弾の炸裂により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった



浦上天主堂遺壁 
この側壁は聖堂の南側の一部で1958年(昭和33年)に新しい天主堂建設のため平和公園に移築された

 

教会入り口の上にあるキリスト像



この日は「休み」ということで、教会内には入ることができなかった。僅かな隙間から内部を撮ったもの



教会の左右の壁にある像



「悲しみのマリア像」と呼ばれる石像 



浦上天主堂が長崎市最後の観光となる。男の5人旅、やはり教会は似合わない  



この5人に共通するところは、人相が悪いことと、長崎県が初めてということ


撮影 平成25年1月15日
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長崎市平和公園(長崎県長崎市松山町)

2014年01月26日 | 名所・旧跡
男5人旅の2日目になる。誰から言い出すこともなく暗黙の了解で平和公園を訪れる

祈りのゾーン
中心地地区は、「祈りのゾーン」として聖域化を図り、被爆の史実を伝え、被爆により亡くなられた方々のご冥福を祈る空間として整備されている

原爆落下中心碑  
この地の上空500メートルで炸裂した原爆は、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪った



塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には原爆により爆死された方、被爆者でその後亡くなられた方々の氏名を奉安している

被爆50周年記念事業碑 



21世紀にはばたく日本の未来を、偉大なる母の慈悲心と温かな母の胸で眠る傷心の子供の姿で表現



浦上天主堂遺壁 



大正3年(1914年)に天主堂、大正14年(1925年)にその双塔を完成させ、東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂は、原爆によりわずかな堂壁を残し崩れ落ちた



この遺壁は、聖堂の南側の一部を移築したもので、原爆による石柱のずれが注目される



願いのゾーン 

平和祈念像 
郷土出身の彫刻家・北村西望氏の作で、昭和30年(1955年)に完成。像の高さ約9.7メートル、重さ約30トンの青銅製



「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれている






人生の喜び(チェコスロバキア社会主義共和国寄贈) 
長崎市が計画している「世界平和シンボルゾーン建設」に賛同してチェコスロバキア社会主義共和国から贈られた作品「人生の喜び」



女性が男の子を両手で差し上げ、母親と子供の喜びを表現している



平和(ソビエト社会主義共和国連邦) 
ゾヴィエト社会主義共和国連邦から長崎市が計画している「世界平和シンボルゾーン」建設の主旨に賛同し寄贈された平和の像



母親が子供を抱いた姿で、愛とともに平和を表現している

諸国民友好の像(ドイツ民主共和国寄贈) 
平和と人類の幸せな未来、そして諸国民友好を求める努力を象徴するドイツ民主共和国からの寄贈品



あの夏の日 



世界の核の廃絶と永遠の平和を希求



平和の母子像  
あの閃光の下で、幾万もの男女、無数の母と子が灼かれ、ひき裂かれ息絶えた



平和への切なる願いを次世代へ伝える



平和を祈る子(像) 
原爆犠牲者慰霊、永遠の平和祈念



平和の泉 
水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り、昭和44年(1969年)につくられた 



公園内で地元の人に「美味しいカステラ」の話しを聞いた
100人中70人以上が選んだのは大浦天主堂近くに店を構えているカステラだそうだ


撮影 平成25年1月15日
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聖寿山 崇福寺(長崎県長崎市鍛冶屋町)

2014年01月25日 | 神社・仏閣
長崎市に国宝の建築物が2つある。その一つが「崇福寺」
私が強く希望していたこともあり、他の4人も付いてきてくれた

崇福寺  
長崎市にある黄檗宗の寺院
寛永6年(1629年) 長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然を招聘して創建
中国様式の寺院としては日本最古のものである

三門(重要文化財)
しばしば竜宮城とたとえられることから、「竜宮門」と称される



中国の寺院であり、日本の山門とは趣が異なる



遠くから見るとより顕著である



第一峰門(国宝)
崇福寺第一峰門(そうふくじだいいつぽうもん)  四脚門、入母屋造、本瓦葺、寛永21年(1644)






近くに寄り見上げてみると、これまで見たことのない文様が



 


組み物「四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)」と彩色が特異である



大雄宝殿(国宝)
1646年建立、桁行五間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦葺



定住した中国人が、先祖の菩提を弔ったり切支丹でないことを証明したりするところとして建立した



大雄宝殿内部 本尊釈迦像、脇侍の迦葉(かしょう)と阿難(あなん)、十八羅漢を祀っている









護法堂(重要文化財)
1731年(享保16)中国工匠により再建
中央に観音堂を、向かって右が関帝堂(関聖帝(関羽)を祀る)、左手が天王殿(韋駄天を祀る)が祀られてある



関聖帝(関羽)



天王殿(韋駄天)



媽祖堂
媽姐(海上守護神で別名を天后聖母・天妃・菩薩)を祀ったお堂で、長崎の唐寺だけに見られる












魚板。1831年(天保2)三門建築の棟梁・大串五良平らが寄進したもの



魚の形をしているのは、魚は常に目を見開いていることから「惰眠(だみん)をむさぼるなという戒めの意」であるという



大釜 1681年(延宝9)長崎が大飢饉に襲われ、餓死者もでた



この大釜で粥を炊き、多くの難民を救ったといわれる






辺りが暗くなってきた、この後は中華街で食事をすることになっている
山門の左下の車でこの後も5人旅が続く


 

撮影 平成25年1月14日
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グラバー園(長崎県長崎市南山手町)

2014年01月24日 | 名所・旧跡
大浦天主堂から近い距離にグラバー園があるが、写真の枚数も少なくぼんやりとした記憶しかない

グラバー園 
スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが、ここ南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと
当時の長崎の街は、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていた



グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築

プッチーニ像
長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く



三浦環像広場に立っている



三浦 環 
日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手
十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて、国際的に有名だった



奥にプッチーニ像が見える



旧グラバー住宅(重要文化財)
貿易商であり、グラバー商会を設立したトーマス・ブレーク・グラバーが住んでいた日本最古の木造洋風建築



三菱重工業 長崎造船所を見下ろす位置にあったため1939年(昭和14年)に戦艦武蔵の建造を秘匿する目的で買収され、所有が三菱重工業へと移った



1957年(昭和32年)には同造船所の創業100周年を記念して長崎市へ寄贈された
1961年(昭和36年)6月7日、主屋・付属屋が国の重要文化財に指定



趣味興味の全く違う5人旅、各人が勝手に行動していたため、人捜しのグラバー園になった
「ある晴れた日に…」 疲れてベンチで休憩




グラバー園には、重要文化財の建築物が3つ、他にも見るところはたくさんあるので、次に訪れる機会ができたら詳細に報告したい

撮影 平成25年1月14日
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大浦天主堂(長崎県長崎市南山手町)

2014年01月23日 | 教会
平成25年1月に職場の親しい仲間と2泊3日で九州旅行したときの記録である
千歳空港から羽田空港を経由して長崎空港へ到着したが、羽田の大雨が雪に変わり航空便を含め交通網が乱れていたことを後で知ることとなった

大浦天主堂(国宝)
長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物



正式名は日本二十六聖殉教者堂
その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている



キリスト信者発見百周年記念碑



教皇ヨハネ・パウロ二世
記念碑には「ここは日本の新しい教会の信仰と殉教と宣教の原点です」と刻まれている






「教皇は1981年2月26日午後 日本カトリック教会再復興の地 大浦天主堂をご訪問なされた」と刻まれている



仏教との違いはあるが、キリスト教の建築物もすばらしい



聖母マリア像
 


この写真は私のパソコンの壁紙になってもう1年になる



教会の中は明るく大変美しい



建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさとものめずらしさで付近の住民たちが多数見物に訪れていたという



このような規模の教会を初めて見たので当時の住民の気持ちも良く理解できる




撮影 平成25年1月14日
コメント (2)
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リニア・鉄道館 その3(愛知県名古屋市港区金城ふ頭)

2014年01月22日 | 博物館・美術館・記念館
「フェリーまでの時間つぶしになりますよ」と勧められた「リニア・鉄道館」であるが、時間の経つのが忘れるほど立派な博物館である
イベント広場にある車両を紹介している

クハ111形式 電車 
東海道本線の通勤電車として活躍



キハ181形式 気動車
日本初の大出力特急気動車で勾配区間の高速運転を実現
中央本線の「しなの」としてデビューし全国で活躍した



運転席のメーター類



EF58形式 電気機関車 
戦後の代表的な旅客用電気機関車
特急列車の「つばめ」「はと」を牽引したほか、ブルートレインやから荷物列車の牽引まで幅広く活躍した



922形 新幹線電気軌道総合試験車 
通称「ドクターイエロー」。新幹線の安全走行を保つために、走行しながら架線、信号、軌道の検査を行う事業用の新幹線電車



収蔵庫車両エリアの展示車両の紹介
この区画内には入ることが許されていない

オヤ31形式 建築限界測定者 
線路付近の支障物の有無を走行しながら確認できる測定車



この後の車両については画像のみ
























鉄道ジオラマ
1階展示コーナーにある鉄道ジオラマ。昼と夜、東京から大阪まで見事に特徴をとらえ製作されている












2階にも展示コーナーがあり、私は「映像シアター」で歴史を学んだ

2階から見た1階イベント広場の展示車両















国鉄バス 1号
国鉄が初めてバス輸送を開始した際に使用された車両



自動車産業育成のため国産車が使用された



鉄道ファンのみならず、親子で楽しめる「鉄道博物館」である
名古屋港のフェリー乗場から5キロ足らずの所にあり有意義な時間を過ごすことができる
リピーターになりそうだ 


撮影 平成25年11月22日
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リニア・鉄道館 その2(愛知県名古屋市港区金城ふ頭)

2014年01月21日 | 博物館・美術館・記念館
「リニア・鉄道館」のイベント広場の1列目に展示されている車両を紹介している

クハ381形式 電車
「振子式」システムを初めて採用した特急形式電車。中央本線「しなの」で活躍した



私の青春時代に活躍していた車両が並んでいる。懐かしく嬉しい



イベント広場の1列目の左半分に展示されている車両



モハ52形式 電車 
戦前に京阪神間の急行電車として活躍。流線型デザインから「流電」と呼ばれた



「流電」の車内



モハ1形式 電車
鉄道省が製作した木製電車で現存する唯一の車両



京浜線、中央線などで活躍、通勤電車の標準となった



座席も通勤電車仕様。木製の質感と細密な造りは芸術品



ED11形式 電気機関車 
東海道本線、横須賀線の電化に備えて、電気機関車を国産できなかった鉄道省がアメリカから輸入したもの






子供の頃から連結器に興味をもっていた
今なら危険と立入は禁止されているが、当時の鉄道員は子供の夢を叶えてくれた



ED18形式 電気機関車
東海道本線の電化に備えてイギリスから輸入した車両



飯田線で使用するために改造したもの



C57形式 蒸気機関車
主要路線で運転される旅客列車を牽引するために製作された蒸気機関車



子供の頃、駅で遊んでいると「乗るか」と言われ、蒸気機関車の運転席に乗せてもらったことがある
貨物列車ではあったが、石炭を投入するのが楽しく、汽笛まで鳴らさせてくれた。いい時代に育った



ホジ6005形式 蒸気動車
動力源を蒸気機関とし、客室内に小さな蒸気機関車を組み込んだ



1両だけで走れる、現代の気動車始祖



車内の様子からも、蒸気機関車と客車の機能が1陵に集約されていることがわかる



つり革のデザインと付け根の部分の竹が妙に調和している 



次回につづく


撮影 平成25年11月22日
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リニア・鉄道館 その1(愛知県名古屋市港区金城ふ頭)

2014年01月20日 | 博物館・美術館・記念館
フェリーで同室だった方に、「リニア・鉄道館」の事を聞いて是非寄りたいと思っていた
父は国鉄職員で、樺太そして戦後は北海道で勤務していた。私にもその血が流れている

リニア・鉄道館
JR東海が2011年(平成23年)3月14日に愛知県名古屋市港区金城ふ頭に開館した、鉄道に関する事物を展示する博物館



現在の東海道新幹線を中心に、在来線から次世代の超電導リニアまでの展示を通じて、「高速鉄道技術の進歩」を紹介している



入館料(1,000円)を支払い中へはいると、薄暗い部屋がある



その扉を開けると、大音量とともに鉄道の歴史がスクリーンに映し出されている

世界最高速を記録した高速鉄道のシンボル展示

C62形式 蒸気機関車(時速129Km)  
日本最大最速の蒸気機関車。特急「つばめ」「はと」で活躍



955形式 新幹線試験電車 300X(時速443Km) 
JR東海が開発した試験車両。電車方式による当時の世界最高速を記録






超伝導リニア MLX 01-1(時速581Km)  
磁力で車体を浮上させて走る超伝導リニア。山梨リニア実験線で当時の世界最高速を記録 



 


車内も公開されている



イベント広場

300系323形式 新幹線電車
 


300系322形式 新幹線電車
270Km/hを実現した300形量産先行試作車



100系123形式 新幹線電車






0系21形式 新幹線電車
東海道新幹線開業時(1964年)から使用した0系と同型の先頭車両。世界で初めて時速210Kmで営業運転を行った



高校2年の修学旅行で初めて乗った新幹線がこの車両だと思う



男子高校だったが富士山では歓声があがったことを思い出す



新幹線電車の横顔



時間の経過と共に気持ちが高ぶっていくのがわかる。親子連れも多いが、こどもより父親の方が喜んでいる 

次回に続く


撮影 平成25年11月22日
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宀一山 室生寺 その3(奈良県宇陀市室生)

2014年01月19日 | 神社・仏閣
紅葉の室生寺

奥の院から五重塔附近に戻る
日本一小さい五重塔だが右下の人間と比較するとやはりそれなりの高さはある



参拝客が増えてきている
私のように寺の写真を撮ろうと考えている人はなかなかシャッターを切ることができない
仕方がないから人のいない場所を撮ると、周囲の人も同じように撮る



奥に見えるのは本堂(国宝)



団体客が引けたのでやっと全体を撮ることができた



再び金堂(国宝)の特別拝観へ
狭い空間に大勢の人がいるため、お目当ての十一面観音(国宝)の近くにはなかなか行くことができない



翌年の特別拝観は春の1回だけと聞く
お世話になった係の人も参拝者が多く忙しそうだ、黙礼してお堂をでた



弥勒堂(重文)の前から急に人がいなくなった



写真家 土門拳が「男前」と絶賛している弥勒菩薩(国宝)が右に見える



奥の院で読経していた僧侶だが、参拝者からの記念写真の依頼に快く応えていた



朝、仁王門をくぐり、既に3時間が経過している



春、夏、初秋、そして、この紅葉の季節と4回目の参拝になるが、どの季節も素晴らしいのがこの寺の魅力だ



寺を入れた風景写真が増えているのもこの季節の特徴だが、古寺と紅葉はよく似合う



太鼓橋から見た室生川の風景




撮影 平成25年11月21日
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宀一山 室生寺 その2(奈良県宇陀市室生)

2014年01月18日 | 神社・仏閣
紅葉の室生寺

石段を上がり五重塔の近くに来る
私もそうであったように下から塔の写真を撮っている人がいるので、立つ位置には注意しなければならない



室生寺の「五重塔(国宝)」は日本一小さい
その小ささを感じる場所がここだ

 

見た目に特徴のある若い集団がやってきて、奥の院を目指し石段を上がっていく



東京にある服飾関係の専門学校生で、全く違う分野の見学をさせていると教師が話してくれた



参道途中にある小さな石仏
 


奥の院「常燈堂(位牌堂)」を下から見上げる



700段をこえる、この辺りでは息も切れ余裕がなくなるが今日はゆっくり歩いてきたので余裕がある



奥の院に着き、「御影堂(重文)」にお参りをする



いつもは殺風景なお堂なのだが、今日は紫の幕が引かれている



常燈堂(位牌堂)では若い僧が何かの準備をしている



5名の僧侶が石段を上がって来たとき、空海の命日ということを思い出した



常燈堂に着座し、御影堂に向かって読経が始まった



左が常燈堂、右が御影堂になる。真言宗室生寺派の各住職が集まっているようだ



御影堂に左上の小高いところに「七重石塔」が立っている



天気も良く、石塔が青空に映える



奥の院からの帰り、横道があったので行ってみると石塔が2つ



苔の緑が強烈に目に入ってくる



五重塔まで戻ってきた。目線の高さの塔もいい



「紅葉の室生寺」とタイトルはつけたが、今日の写真には紅葉している木々の写真がない
次回は真っ赤に染まるはずだ

次回に続く 


撮影 平成25年11月21日
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宀一山 室生寺 その1(奈良県宇陀市室生)

2014年01月17日 | 神社・仏閣
昨日、札幌エスタ・プラニスホールで「土門拳の昭和」と題された展示会に行ってきた
200枚の作品が展示されていたが、「風貌」と「古寺巡礼」は好きな分野なので、時間をかけてゆっくり鑑賞した

紅葉の室生寺
今日紹介する室生寺は土門拳が数え切れないほど通った寺である
私自身、紅葉の室生寺は初めてなので、とても楽しみにしていた



太鼓橋から見える風景もこれまで経験したことないもので、真っ赤に染まった木々に囲まれ、気持ちが高まってくるのがわかる



正面に見えるのは「仁王門」だが、これまでとは違った表情を見せる



周囲の色が変わるだけで建物も違って見える



しかし、仁王像だけは阿吽の呼吸で変わらず寺を護っている






仁王門周辺の紅葉は美しく、カメラを構えている人が多い



ふだんは、見向きもしない「バン字池」周辺だが、数枚撮ってしまった



「鎧坂」では、三脚を立てているひとが多く、石段の途中で写真を撮っていると、手でじゃまだと合図を送ってくる



土門拳も鎧坂を撮っているので、撮影スポットとなっている



緑もいいが、紅葉は人の心を高揚させる。奥に見えるのが「金堂(国宝)」である



私の好きな石仏でいつも近くで撮っていたが、離れてみると大きな石の塊だった



これがいつも撮る写真、やはりこの季節はいつもとは違うものを感じる



旅の途中で最後に廻る寺を「室生寺」にしたのは、金堂の特別拝観があったからだ



わずか2~3m前にある内陣に入ることができるだけなのだが、左端にある「十一面観音立像(国宝)」を間近で拝観することができる
今回は係の男性から仏像の他、建物についての説明もしていただいた
また、今日は空海の命日にあたり、各寺の住職が集まってくるということも聞いた



「弥勒堂(重文)」も色づいた木々に囲まれている。弥勒菩薩も遠くから拝観できる



「本堂(国宝)」周辺の紅葉は特に美しい



この辺りはカメラを構えている人の数が多く、人を入れないで撮る技術も必要になってくる



そのため、多くの人はカメラを上に向けて撮っている



また、人のいないところに入り込んで撮っている



人気のある「五重塔(国宝)」を撮るためには、じっと待つということが大切だ



1枚を撮るために数分待っている人が何人もいる



連帯感も生まれ「今だ」と声を掛けてくれる人もでてくるから楽しい



団体客がくるとカメラを違う方向に向けなければならない。この写真の下の方にも数人が写っている



私のブログでも室生寺は3回目になるので、今回は撮影した順に紹介していく。次回は五重塔から奥の院方向 


撮影 平成25年11月21日
コメント (2)
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