自分の気持ちや感動をそのまま書くだけでは他人に分かってもらえない、と思ったとき、ことばの響きやリズム、イメージの力を借りて表現する作品(飯間浩明「日本語をもっとつかまえろ!」詩って、一体何だろう?)
レトリックを使って遊んでみるということですね。
また、飯間さんはこの本の中で中原中也「春の日の夕暮」を引用してこんなふうに書いています。
詩の意味は分からないのに、作品を読むうちに、なんとなく楽しくなってきます。これが詩の力です。理屈をぬきにして、ことばの響きやイメージを楽しんでほしい。それが作者のねらいでしょう。
春の夕暮 中原中也
塗板がセンベイ食べて
春の日の夕暮は静かです
アンダースロウされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は穏かです
あゝ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶くか――嘶きもしまい
たゞたゞ青色の月の光のノメランとするまゝに
従順なのは春の日の夕暮か
ポトホトと臘涙に野の中の伽藍は赤く
荷馬車の車、油を失ひ
私が歴史的現在に物を言へば
嘲る嘲る空と山とが
瓦が一枚はぐれました
春の日の夕暮はこれから無言ながら
前進します
自らの静脈管の中へです
レトリックを使って遊んでみるということですね。
また、飯間さんはこの本の中で中原中也「春の日の夕暮」を引用してこんなふうに書いています。
詩の意味は分からないのに、作品を読むうちに、なんとなく楽しくなってきます。これが詩の力です。理屈をぬきにして、ことばの響きやイメージを楽しんでほしい。それが作者のねらいでしょう。
春の夕暮 中原中也
塗板がセンベイ食べて
春の日の夕暮は静かです
アンダースロウされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は穏かです
あゝ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶くか――嘶きもしまい
たゞたゞ青色の月の光のノメランとするまゝに
従順なのは春の日の夕暮か
ポトホトと臘涙に野の中の伽藍は赤く
荷馬車の車、油を失ひ
私が歴史的現在に物を言へば
嘲る嘲る空と山とが
瓦が一枚はぐれました
春の日の夕暮はこれから無言ながら
前進します
自らの静脈管の中へです