湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

平曲「六代被斬」

2018-08-01 10:10:26 | 文学
先月26日、六代御前護摩堂で平曲弾き語り奏者、荒尾努さんの奉納演奏を鑑賞させてもらいました。

ラストの曲は平家物語の最後の巻六代被斬(ろくだいきられ)です。
荒尾さんの解説文からかいつまんで、その内容とその後の物語をご紹介します。
 六代御前は平清盛公の子平維盛の長子。平家繁栄の礎を築いた清盛の祖父正盛から数え六代目ということで、六代御前と呼ばれ将来を期待された。
 平家が壇ノ浦に滅んだ後、六代御前たちは都に隠れ住んでいた。しかし捕まって鎌倉に送られることに。六代の母や乳母は何とか命を救おうと、文覚上人に頼む。文覚は護送中の一行に追いつき、源頼朝に許しをもらうのでそれまでは殺すなと伝える。鎌倉で頼朝を説き伏せ、六代が首を斬られようとする時に戻り命を救った。
 その後立派に成長した六代は源氏にとっては脅威。母親は六代を出家させる。やがて頼朝は亡くなり、二代将軍頼家の時代になる。都では平家の擁した安徳天皇の弟後鳥羽天皇が力を振るい、文覚は時の政治を批判。その結果隠岐に流され六代の庇護者はいなくなってしまった。その頃六代は都の高雄の奥でひっそり暮らしていた。
 頼家は「さる人の子、さる人の弟子なり」と、平家の嫡流で文覚の弟子であるから「出家しているとはいえ、心の奥底までは頭を丸めていまい」と、鎌倉に向けて連行。鎌倉に入る直前の逗子の田越川のたもとで、首を刎ねた。
 多くの人に愛されていた六代は手厚く葬られ、田越川のほとりで静かに眠っている。墓所は桜山氏子会の人たちによって守られ、命日の七月二十六日には毎年欠かさず、神武寺の住職によって供養祭が営まれている。

平家物語はこう結ばれています。
三位の禅師斬られて後、平家の子孫は長く絶えにけり
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