湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

森鴎外住居跡巡り

2015-05-25 07:20:35 | 旅行
5月17日に行った森鴎外文学散歩のルポ。今日は鴎外住居編を投稿します。

明治22年に海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚。その夏、根岸からこちらに移り住んだのだそうです。

現在の住所でいうと台東区池之端3丁目で、天然温泉付き宿泊施設が建っています。ホテルの中庭に鴎外旧居が保存され食事処として使われています。

明治23年に鴎外は登志子と離婚。本郷区駒込千駄木町57番地に転居しました。今の住所でいうと文京区向丘2丁目で日本医科大学同窓会館が建っています。碑文・鎌倉漱石会、題字・川端康成と脇に彫られた碑があります。
そう、ここは鴎外が次の家(終の棲家となった観潮楼)に引っ越してから約十年後に、夏目漱石が移り住んだ場所なのです。文豪の町の中でも文豪濃度の高いスポットですね! ここで漱石が「我輩は猫である」を執筆しその舞台ともなったことから「猫の家」と呼ばれています。塀の上には猫の像が

鴎外は30歳の時、本郷区駒込千駄木町21番地に居を構え、大正11年に60歳で亡くなるまでここに住みました。現在の住所でいうと文京区千駄木1丁目です。この住居跡地が鴎外生誕150年を記念して、平成24年に文京区森鴎外記念館になりました。プロポーザルコンペで選ばれた設計のモダンな建物です。7月12日まで特別展「谷根千“寄り道”文学散歩」を開催中。

外壁にこのような解説板が付けられています。
増築した2階部分から東京湾が眺められたとされたことにより、観潮楼と名付けられた。鴎外はこの地において半生を過ごし、「青年」「雁」「阿部一族」「高瀬舟」「渋江抽斉」など代表作を執筆した。その後、建物は火災や戦災により焼失したが「胸像」「銀杏の木」「門の石畳」「三人冗語の石」は残り、当時の姿を偲ぶことができる。(観潮楼 解説板より)
コメント (2)
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