575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

初謡は「朝長(ともなが)」     遅足

2012年01月16日 | Weblog
数年前から宝生流の謡曲を習っています。
毎年一月は、初謡(はつうたい)といって、
昨年習ったものの発表会。今日がその初謡の日。
私は「朝長」の前シテ。

朝長は、源義朝の次男。頼朝の兄です。
義朝は、清盛と戦った平治の乱で負けて都落ち。
東国で再起を図ろうとした義朝は、朝長に、
「信濃へ下り兵を集めよ」、と命じます。
しかし朝長は、途中で矢を膝に受けて負傷、美濃の父のもとに。
義朝は「頼朝なら、こんなことには」と嘆き、
「念仏申せ」と、自らの手で殺したと、平治物語にあります。

朝長十六歳。性格がやさしく、武士としては失格だったようです。
平治物語では脇役だった朝長を謡曲では、
シテ(主人公)にして一曲を作りあげています。

芭蕉は能が大好きだったようで、美濃の青墓に足を運び、
朝長の墓を訪ねています。その時の一句。

  苔埋む蔦のうつつの念仏(ねぶつ)哉

念仏かな、と詠んだのは、朝長が最後に
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、二声念仏を唱えて
自害したという能の一節を踏まえています。

私も、随分前に朝長のお墓に行ったことがあります。
大垣の北、山際の円興寺一角にありました。
ひっそりとして訪れる人もありませんでした。   
コメント (2)
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