575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

春立つや新年古き米五升    芭蕉

2012年01月22日 | Weblog
先日、冬の京都へ。寒牡丹を訪ねて下鴨神社に近いお寺に。
数本の寒牡丹、すっかり花が終わっていました。
そのお寺の近くの阿弥陀寺を覗いてみると、・・・
織田信長父子、さらに森蘭丸ら、
本能寺で亡くなった織田方の武将たちのお墓がありました。

阿弥陀寺は、織田家に縁のある清玉上人が創建した寺。
当初は滋賀県坂本に。のち、京都に移転。
本能寺の変に際し、清玉上人は本能寺へ駆けつけ、
信長の遺骸をいち早く発見し、遺骨を持ち帰ったといわれています。

秀吉が後継者争いで有利な立場に立とうと、遺骨の引渡しを要求。
上人は、主家を乗っ取ることは「人の道にあらず」と拒絶。
これを根に持った秀吉は、天下を取ったあと、寺領を削減、
さらに現在の地に強制的に移転を命じたそうです。

本能寺の変の裏には、こんなドラマもあったのですね。

境内には芭蕉の句碑がありました。

  春立つや新年古き米五升  芭蕉

新春ともなれば、さすがに貧しい草庵も春らしくなる。
昨年、貰ったお米も五升ある。清貧の暮らしには充分。

芭蕉から百年のち、阿弥陀寺の住職に蝶夢という俳人があり、
五升庵と号して芭蕉の顕彰につとめたそうです。
この縁で芭蕉の句碑が立っていたのでしょう。

阿弥陀寺、観光地臭さがまったくありません。
本能寺の変の起きた6月2日に、追善供養を行なっているそうです。

                        遅足


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