575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

羅(うすもの)や人悲します恋をして    鈴木真砂女

2013年01月26日 | Weblog
「真砂女」という劇をみてきました。
恋を貫くゆえに、老舗旅館の女将から、銀座の小料理屋「卯波」の女将へ。
恋の句を詠み続けた俳人・鈴木真砂女の一代記です。

鈴木真砂女(本名まさ)は、千葉鴨川の老舗旅館の三女として生まれました。
22歳で日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚。
娘に恵まれますが、バクチで借金をつくった夫は失踪。
真砂女は、娘を婚家に残したまま鴨川に戻ります。

これは、姉の急逝により義兄と結婚、旅館の女将となるために。
俳句を始めたのは、ちょうどその頃から。

やがて日本は戦争の時代に。この頃、運命の人、海軍士官と出逢い恋に落ちます。
そして駆け落ち、しかし恋人は戦地へ。真砂女は鴨川に連れ戻されます。
 
戦後、恋人は帰還。この恋が原因で、吉田屋から去ることとなります。
いわば追い出されたかたちで、真砂女は、娘のところに身を寄せます。
そして銀座に小料理屋「卯波」を開店。この時50歳。
世間のしがらみから自由になって第二の人生をスタートさせます。

   あるときは船より高き卯浪かな

お店の名前となった句。

   長き夜や日本酒一点張りの客

恋人が卯波で飲んでいる姿を詠んだもの。
やがて恋人も亡くなり、通夜の日、一人こっそりと見送っています。

   かくれ喪にあやめは花を落としけり

生きる目的を失った真砂女ですが、句を詠む力は衰えを見せません。
八十歳を超えて詠んだ句。

  今生のいまが倖せ衣被

96歳でこの世を去るまで俳句人生、現役を貫きました。

  戒名は真砂女でよろし紫木蓮

真砂女を演じたのは藤真利子さん。
少女時代は「姫」と呼ばれていた真砂女役にはピッタリ。
また、真砂女の娘さんは、文学座の女優本山可久子さん。
この劇では舞台に登場し、ナレーター役をとつめていました。
母娘の葛藤もドラマの見せ場になっていました。

  羅(うすもの)や人悲します恋をして

まさにこの句のようなドラマでした。 遅足


 
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