![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/5d/b8f7407d26863d9a7aca29bb4bc43ab0.jpg)
ここも古い商家。家の前には「明治の寿るがや跡」という行灯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ff/278a4f440fc6fe38328a0509795fdb82.jpg)
「美容室らぶらぶ」のしゃれた門前。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/77/99b8a60bdd5c3cb2efa268653671161e.jpg)
これまでの街道歩きでも美容院はけっこう昔の風情にマッチした粋なお店が目立ちます。
(11:10)「佐倉新町おはやし館」。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c1/6b9739b94c6694dda9d668c96976beb1.jpg)
佐倉新町おはやし館は、市民の憩いの場として、郷土の文化、伝統行事、物産などの紹介や観光情報の提供を行っています。
江戸時代から続いている麻賀多神社の祭礼に、各町内が繰り出す山車に乗る山車人形2台が展示され、演奏される佐倉囃子伝承の場として活用されています。
建物は2階建てで、1階は展示室、2階は多目的室となっています。おはやし館入口に展示されている山車人形は竹生島、玉ノ井です。
注:現在、佐倉には山車人形六体が残され、夫々の町内会が所有している。これらは江戸で使用されていたものを、江戸時代から明治にかけて購入した もので、これらの全てが佐倉市の指定有形文化財になっている。
□横町・・・石橋(しゃっきょう)、 □上町・・・日本武尊(やまとたけるのみこと)
□二番町・・・玉の井(たまのい)、 □仲町・・・関羽(かんう)、 □肴町・・・竹生島(ちくぶじま)
□弥勒町・・・八幡太郎(はちまんたろう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ee/aa303cdb06e211afb9c497cdf7ba36af.jpg)
(この項、「
」HPより)
その脇にも「高札場」。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/c7/0518a5de41f122fd4dcf077be04bfa38.jpg)
「佐倉市民憲章」の他、慶応4年3月の太政官布告「人その五倫の道を正しくすべき事・・・
「日本遺産 北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の街並み・城下町 佐倉」案内板。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/e7/e79c220aa381aa076b1430156d294ddf.jpg)
注:「北総四都市」とは「城下町 佐倉」「門前町 成田」「商家の町 佐原」「港町 銚子」
城下町「佐倉」
土井利勝は、江戸の東を守る要として佐倉城築城と城下町を整備しました。その後も幕府の要職に就いた有力譜代大名が城主を務め、政治・軍事の両面で江戸を支えました。
現在も当時の道筋、地割りや建造物が残されており、秋には祭礼が行われます。佐倉囃子とともに麻賀多神社大神輿の渡御、江戸型山車や御神酒所(屋台)が曳き廻されます。
また、当時の佐倉は蘭学の先進地でした。幕末には江戸から佐倉へ移住した佐藤泰然が順天堂を開き、日本近代医学の発祥の地となりました。このような先進性を支えたのが藩主堀田家です。旧堀田邸や甚大寺の墓所、藩校資料にその業績が偲ばれるとともに、地域の象徴として地元の人々に親しまれていたことがわかります。
「手づくり工房 さくら」。
街道は枡形に。右に曲がり、続いて左に。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/cb/15c8cd51d0d99017239b5b845c7c135c.jpg)
来た道(宿内)を振り返る。この付近までが佐倉宿の中心部。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/cc/3df26b0731058b5d5782a0349e155f7b.jpg)
店先に山車や祭りのようすが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3f/6070d99e6f6422c837aa61579dcd9d95.jpg)
「肴町」。
しばらく直線道路。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/02/5e4346afe09dea71027e9a5ea63c2987.jpg)
山車飾りを外壁にはめ込んでいるおうち。江戸後期の肴町山車飾り。
左に折れ、東に向かいます。
曲がり角から振り返る。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/46/afad7fbde7f00db71ee3f825e1c5228a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/13/88073072546d189032fd0b8809c1a4a0.jpg)
1880年代のようす。○が曲がり角。 2010年代のようす。道筋は変わらない。
ここにも古い商家。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f0/a0bcf0880129157393da4d2ebe0e1797.jpg)
街道を右折、「佐倉ゆうゆうの里」を通って、「旧堀田邸」へ(11:28)。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/37/6f9912518654e25d8df4ff38721265c3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/f8/7a759c2dd4347079525e412eaa3a95ae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/d1/df7fe9a08c0223a66139e773687d1905.jpg)
旧堀田邸(重要文化財 旧堀田家住宅)・さくら庭園
旧堀田邸・さくら庭園は、最後の佐倉藩主であった堀田正倫が、旧領地に住居を移すために建設した建物と庭園です。
主屋は木造平屋建て一部二階建て、屋根は寄棟造り瓦葺きの建物5棟で構成され、明治23年(1890)に竣工しました。その後、明治44年(1911)には湯殿が増築されました。主屋や門番所、土蔵はほぼ建設当時のまま良好な状態で残されております。庭園は、芝を中心に赤松やサルスベリなどの樹木と景石や石塔を配し、高崎川と対岸の台地を借景にした眺望が広がっています。
平成9年3月26日に佐倉市指定文化財名勝に、平成13年3月30日には千葉県指定文化財名勝にそれぞれ指定され、平成18年7月5日には住居部5棟と門番所、土蔵の合計7棟が国の重要文化財(建造物)に指定されました。更に、平成27年(2015)3月には、庭園を含む一帯が「旧堀田正倫庭園」として国名勝に指定されました。
落ち着いた佇まいの建物と庭。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/8d/021a69b8c3ec13fea8254a123bc183e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a2/04d964affb0cfce76cb967623113f3e9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ff/278a4f440fc6fe38328a0509795fdb82.jpg)
「美容室らぶらぶ」のしゃれた門前。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/77/99b8a60bdd5c3cb2efa268653671161e.jpg)
これまでの街道歩きでも美容院はけっこう昔の風情にマッチした粋なお店が目立ちます。
(11:10)「佐倉新町おはやし館」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c1/6b9739b94c6694dda9d668c96976beb1.jpg)
佐倉新町おはやし館は、市民の憩いの場として、郷土の文化、伝統行事、物産などの紹介や観光情報の提供を行っています。
江戸時代から続いている麻賀多神社の祭礼に、各町内が繰り出す山車に乗る山車人形2台が展示され、演奏される佐倉囃子伝承の場として活用されています。
建物は2階建てで、1階は展示室、2階は多目的室となっています。おはやし館入口に展示されている山車人形は竹生島、玉ノ井です。
注:現在、佐倉には山車人形六体が残され、夫々の町内会が所有している。これらは江戸で使用されていたものを、江戸時代から明治にかけて購入した もので、これらの全てが佐倉市の指定有形文化財になっている。
□横町・・・石橋(しゃっきょう)、 □上町・・・日本武尊(やまとたけるのみこと)
□二番町・・・玉の井(たまのい)、 □仲町・・・関羽(かんう)、 □肴町・・・竹生島(ちくぶじま)
□弥勒町・・・八幡太郎(はちまんたろう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ee/aa303cdb06e211afb9c497cdf7ba36af.jpg)
(この項、「
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/57/beca24a78f7c593b32934bc123ba6fc8.png)
その脇にも「高札場」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/c7/0518a5de41f122fd4dcf077be04bfa38.jpg)
「佐倉市民憲章」の他、慶応4年3月の太政官布告「人その五倫の道を正しくすべき事・・・
「日本遺産 北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の街並み・城下町 佐倉」案内板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/e7/e79c220aa381aa076b1430156d294ddf.jpg)
注:「北総四都市」とは「城下町 佐倉」「門前町 成田」「商家の町 佐原」「港町 銚子」
城下町「佐倉」
土井利勝は、江戸の東を守る要として佐倉城築城と城下町を整備しました。その後も幕府の要職に就いた有力譜代大名が城主を務め、政治・軍事の両面で江戸を支えました。
現在も当時の道筋、地割りや建造物が残されており、秋には祭礼が行われます。佐倉囃子とともに麻賀多神社大神輿の渡御、江戸型山車や御神酒所(屋台)が曳き廻されます。
また、当時の佐倉は蘭学の先進地でした。幕末には江戸から佐倉へ移住した佐藤泰然が順天堂を開き、日本近代医学の発祥の地となりました。このような先進性を支えたのが藩主堀田家です。旧堀田邸や甚大寺の墓所、藩校資料にその業績が偲ばれるとともに、地域の象徴として地元の人々に親しまれていたことがわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/62/bd8306d87bbcc2f152064843c1f591d4.jpg)
街道は枡形に。右に曲がり、続いて左に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/cb/15c8cd51d0d99017239b5b845c7c135c.jpg)
来た道(宿内)を振り返る。この付近までが佐倉宿の中心部。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/cc/3df26b0731058b5d5782a0349e155f7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/bb/7a8d2bc1cce7ddd078c08aefc55facce.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c6/2e3f4c6594b346215eb00cc39aaa32a5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3f/6070d99e6f6422c837aa61579dcd9d95.jpg)
「肴町」。
しばらく直線道路。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/02/5e4346afe09dea71027e9a5ea63c2987.jpg)
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曲がり角から振り返る。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bf/07ff3e1aec8e593fcd6142e633347108.png)
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1880年代のようす。○が曲がり角。 2010年代のようす。道筋は変わらない。
ここにも古い商家。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f0/a0bcf0880129157393da4d2ebe0e1797.jpg)
街道を右折、「佐倉ゆうゆうの里」を通って、「旧堀田邸」へ(11:28)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/37/6f9912518654e25d8df4ff38721265c3.jpg)
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旧堀田邸(重要文化財 旧堀田家住宅)・さくら庭園
旧堀田邸・さくら庭園は、最後の佐倉藩主であった堀田正倫が、旧領地に住居を移すために建設した建物と庭園です。
主屋は木造平屋建て一部二階建て、屋根は寄棟造り瓦葺きの建物5棟で構成され、明治23年(1890)に竣工しました。その後、明治44年(1911)には湯殿が増築されました。主屋や門番所、土蔵はほぼ建設当時のまま良好な状態で残されております。庭園は、芝を中心に赤松やサルスベリなどの樹木と景石や石塔を配し、高崎川と対岸の台地を借景にした眺望が広がっています。
平成9年3月26日に佐倉市指定文化財名勝に、平成13年3月30日には千葉県指定文化財名勝にそれぞれ指定され、平成18年7月5日には住居部5棟と門番所、土蔵の合計7棟が国の重要文化財(建造物)に指定されました。更に、平成27年(2015)3月には、庭園を含む一帯が「旧堀田正倫庭園」として国名勝に指定されました。
落ち着いた佇まいの建物と庭。
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