おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

なし坊。根。梨園。競馬学校。武蔵野線「船橋法典」駅~北総線「千葉ニュータウン中央」駅。その4。(「木下街道」をゆく。第2日目。)

2020-11-18 18:54:45 | 木下街道

                        「木下街道旧道」。

住宅地の中を進みます。 

しばらく進むと右手に鬱蒼とした森「岩崎桔梗園」。船橋市高野台。大きなお屋敷のようです。

 

高野台の住宅街を望む。

街道を挟んで右手が船橋市、左手が白井市になります。

振り返ると、右が白井市、左が船橋市。

「現木下街道(県道59号線)」に合流します。

左手が旧道。ここにも「オカルト店長」の看板。

この先は、白井市に入ります。

「ナッシー号」バス停。白井市のマスコット「なし坊」。

なし坊からのあいさつ

 ボクは白井のマスコットキャラクター、なし坊です。
 平成7年に誕生し、公募で市民(当時町民)の皆さんに名前を付けてもらいました。ボクの家族は全部で6人です。
 ボクたちの仕事は、白井の梨をはじめとする特産品の宣伝や、市のイメージアップなどをお手伝いすることなんです。ボクたちを見かけたら、応援してね。

「梨園」が左右に広がります。さすが「白井の梨」。

奥に梨園。

「白井新田」バス停。

大きな空き地もあります。

「根」という地名が。

・・・

一文字地名が誕生したのは明治維新の廃藩置県後

調べてみたところ、一文字地名が誕生したのは明治7年(1874)に明治維新後の新政府が行った廃藩置県だとわかりました。

廃藩置県によって以下の3つの村ができたそうです。

根村←白井木戸新田、七次新田、中木戸新田、七次村

木村←所沢村、野口村

復村←長殿村、法目村、富ヶ谷村、富ヶ沢村

そして明治22年(1889)にこの3つの村が合併して白井村に。

その後も字名として地名に残り、現在まで続いているそうです。

“木・根・復”の由来は地形だった?

そもそも地名の由来は、元々の地形に関するものが一般的。

(例えば、「谷」がつく地名は窪地になっていたり、「台」がつくところは周囲より標高が高くなっていたりと)

また、地名は他のエリアと区別するため、そのエリアならでは特徴を表していることが多いのですが、「木」や「根」ってどこにでもありますよね?笑

「根」地区は、神崎川最上流の台地の付け根にあたります。

一方で「木」はその下流、谷や支流が分岐するあたり。

上記を踏まえて「明治7年に村の名前を決める際、当時の地形をイメージして、これらの名前がついたのではないか」という説があります。

とすると「復」は?

という疑問が残りますよね。

復村には、村が誕生した明治7年に学校が開設されています。

「この地域の中心となる場所を、人間の体で重要な”腹”に例えて、こう名付けられたのではないか」という説があります。

残念ながらこれらの説は、地元の郷土史研究家の方々の間でも確証は得られていないのが現状ですが、なかなか説得力がありますよね!!

(この項、「」HPより)

この方のHPは、けっこうユニークで興味深い記事が。

         ここにも梨園。

木下街道」の表示。

梨園」。

ところで、歌舞伎界を「梨園(りえん)」とも言いますが。

・・・

演劇界、特に歌舞伎の世界を指すことば。

 8世紀、唐の玄宗皇帝は、音楽が好きでしかも理解がとても深く、宮中の「梨園」(梨の木のある庭園)に音楽家たちを集めては、自ら指導して音楽や舞踊を教えていました。そこで、彼らは「梨園の弟子」と呼ばれました。ここから、音楽や舞踊の世界のことを「梨園」と呼ぶようになり、日本では、特に歌舞伎の世界を指して使われるようになりました。

左手に「JRA競馬学校」。

奥に広がっています。

校長からのメッセージ

雄大・挑戦・ここが、ドラマの第一歩

競馬学校は、昭和57(1982)年に、「世界に通用する強い馬づくり、そのために必要な人づくり」をスローガンに設立され、以来、優れた技術と知識をもった多くの騎手と厩舎スタッフを中央競馬サークルに送り出してきました。 また、適宜、授業カリキュラムの改善を行い、環境の変化に応え、その時代に適合した人材の養成に努めています。 苦楽を共にした競走馬がレースで勝利した時の喜びは、厳しい環境であっても、この仕事でしか味わうことができないものであり、これからも続いていくものです。 騎手としてレースを経験した者やオリンピックや国体の馬術競技で活躍した者など、優秀なスタッフとともに、皆さんの入学をお待ちしています。 我々と一緒にドラマの第一歩を踏み出しませんか?

(この項、「」HPより)

                     (「歴史的農業環境閲覧システム」より)。右下の道路が「木下街道」。

小さいですが、森も残っています。

遠く、一面に梨園。


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