「羽黒坂」。
山手の石段73段上に古社羽黒三田神社が鎮座して坂の名となりました。
旧青梅街道が明治32年に改修されてからは、小河内方面で生産された木炭運びの多数の馬力・大八車・背負荷の人々と青梅・氷川方面からの上げ荷の人々が苦労した坂です。
いきなり急坂「羽黒坂」を上がっていくと、右手に「羽黒三田神社」。平将門の子孫という豪族三田氏が尊崇した神々が祀られています。
緩やかになって線路跡を越えます。。
左手にはトンネル跡。
これは、「東京都水道局小河内線」の廃線跡です。
起点氷川駅 終点水根駅 駅数2駅
開業1952年 休止1957年 路線距離6.7 km
橋梁:23箇所、延長1,121m
トンネル:23箇所、延長2,285m
東京都水道局小河内線
1952年(昭和27年)に開通し、1957年(昭和32年)まで運行していた、東京都水道局の専用鉄道。正式名称は「東京都専用線小河内線」であった。
小河内ダムの建設用資材輸送用に東京都水道局が敷設・管理した貨物線であり、ダム竣工後は西武鉄道へ譲渡され、さらに奥多摩工業へ譲渡され、現在は「水根貨物線」として遺構が残っている。
運行期間はわずか5年半のみという地味な鉄道路線であったが、東京の水がめである小河内ダムの完成に重要な役割を果たした。
小河内貯水池(小河内ダム)の築造に伴い、ダム工事現場までの資材輸送(セメント約336,000トンおよび川砂約609,000トン)の方法について、戦時中の工事中止前に道路および索道によって運搬する計画が立案されていたが、1948年(昭和23年)の工事を再開した直後、東京都水道局は計画の見直しを行い、従来の計画は白紙に戻して、改めて鉄道、自動車および索道の3案について、技術的、経済的に検討した結果、鉄道案が採択され、氷川駅(現:奥多摩駅) - ダム現場間に専用鉄道を敷設する方針が決定した。
1952年(昭和27年)3月に土木工事を完了。軌条敷設及び保安設備工事を実施し、同年11月に全工程を完了して氷川 - 水根間が開通した。
1953年3月からダムコンクリート打設を開始することとなった。資材輸送を開始するに至って、専用鉄道の運転を東京都水道局直営運転とした。
小河内線は急勾配のうえ最小半径の曲線部が連続しており、切取部が多く、竣工後間もない頃だったので、土砂崩壊や落石も多く保線作業は予想以上に困難であった。資材輸送が完了するまでの5年半の間に148件の土砂崩壊や落石に見舞われた。1956年(昭和31年)11月4日、大量の土砂崩壊によって、遂に列車転覆事故が発生し、6名の殉職者を出した。
年表
1952年(昭和27年)5月1日 - 氷川(奥多摩駅) - 水根間開通。
1952年12月16日 - 氷川駅分岐専用側線として運転開始。
1954年(昭和29年)12月7日 - 専用鉄道として運輸省から免許交付。
1955年(昭和30年)4月20日 - 専用鉄道として運転開始。
1957年(昭和32年)5月10日 - 小河内ダムの資材輸送完了。
1963年(昭和38年)9月21日 - 西武鉄道へ譲渡。
1978年(昭和53年)3月31日 - 奥多摩工業へ譲渡。
(以上「Wikipedia」参照)
路線図。
(地図はHPより拝借)
この方は全線踏破していて、その記録が映像と共にUPされています。
また、ネットには他の方々の記録がけっこう掲載されていて、「廃線」マニアにとってはたいそう魅力ある廃線跡です。
トンネルも線路もしっかり残っています。
しばらく左手下に線路跡が続きます。
眼下には橋梁。
トンネル上から線路を望む。
道沿いには家。急峻な地形で、見上げるほど高いところにも。家と道路を結ぶ簡易な昇降機が取り付けられています。
(12:24)しばらく進んだ左手には「槐木(さいかちぎ)」の巨樹。マメ科サイカチ属。樹高 15㍍ 幹囲 3㍍
羽黒坂の急坂と桧村からの坂を登りつめた所
槐木の巨樹が地名となりました。
馬力・大八車や背負荷の上り荷・下り荷の人々の休み場として賑わった所です。槐木と向きあって、赤松の根元に正徳2年(1712)の修業僧木食三世真円唱謁の念仏供養塔・文化13年(1816)馬頭観音他があります。
下の方からは国道を行く車の音が聞こえてきますが、まったく道は見えず、旧道からは急に落ちる森。
(12:34)路傍には古仏が二体。
しばらくすると、下に国道が見えてきます。
この付近が現青梅街道(国道411号線)と最接近するところ。道標にしたがって右手の坂を上ります(12:51)。
ここで、「奥多摩駅」方向に向かう外国人3人連れに会います。「奥多摩むかし道」を歩き初めて最初の人達。
案内板。
階段を上り道標にしたがって左手の階段を上っていきます。そこには中年の男女が休憩中。のんびりと進みます。急角度に曲がるところが「小中沢橋」。立派なトイレ。そこにはバイクの青年が。
「不動の上滝」はこの上部に。
(13:01)今まで歩いたどの街道よりも山深く急峻な印象。
しばらく行くと、小さな集落「境」に近づきます。
(13:06)はるか頭上に「水根貨物線廃線」の高架橋。
橋上を歩いた人がいるらしい。
山手の石段73段上に古社羽黒三田神社が鎮座して坂の名となりました。
旧青梅街道が明治32年に改修されてからは、小河内方面で生産された木炭運びの多数の馬力・大八車・背負荷の人々と青梅・氷川方面からの上げ荷の人々が苦労した坂です。
いきなり急坂「羽黒坂」を上がっていくと、右手に「羽黒三田神社」。平将門の子孫という豪族三田氏が尊崇した神々が祀られています。
緩やかになって線路跡を越えます。。
左手にはトンネル跡。
これは、「東京都水道局小河内線」の廃線跡です。
起点氷川駅 終点水根駅 駅数2駅
開業1952年 休止1957年 路線距離6.7 km
橋梁:23箇所、延長1,121m
トンネル:23箇所、延長2,285m
東京都水道局小河内線
1952年(昭和27年)に開通し、1957年(昭和32年)まで運行していた、東京都水道局の専用鉄道。正式名称は「東京都専用線小河内線」であった。
小河内ダムの建設用資材輸送用に東京都水道局が敷設・管理した貨物線であり、ダム竣工後は西武鉄道へ譲渡され、さらに奥多摩工業へ譲渡され、現在は「水根貨物線」として遺構が残っている。
運行期間はわずか5年半のみという地味な鉄道路線であったが、東京の水がめである小河内ダムの完成に重要な役割を果たした。
小河内貯水池(小河内ダム)の築造に伴い、ダム工事現場までの資材輸送(セメント約336,000トンおよび川砂約609,000トン)の方法について、戦時中の工事中止前に道路および索道によって運搬する計画が立案されていたが、1948年(昭和23年)の工事を再開した直後、東京都水道局は計画の見直しを行い、従来の計画は白紙に戻して、改めて鉄道、自動車および索道の3案について、技術的、経済的に検討した結果、鉄道案が採択され、氷川駅(現:奥多摩駅) - ダム現場間に専用鉄道を敷設する方針が決定した。
1952年(昭和27年)3月に土木工事を完了。軌条敷設及び保安設備工事を実施し、同年11月に全工程を完了して氷川 - 水根間が開通した。
1953年3月からダムコンクリート打設を開始することとなった。資材輸送を開始するに至って、専用鉄道の運転を東京都水道局直営運転とした。
小河内線は急勾配のうえ最小半径の曲線部が連続しており、切取部が多く、竣工後間もない頃だったので、土砂崩壊や落石も多く保線作業は予想以上に困難であった。資材輸送が完了するまでの5年半の間に148件の土砂崩壊や落石に見舞われた。1956年(昭和31年)11月4日、大量の土砂崩壊によって、遂に列車転覆事故が発生し、6名の殉職者を出した。
年表
1952年(昭和27年)5月1日 - 氷川(奥多摩駅) - 水根間開通。
1952年12月16日 - 氷川駅分岐専用側線として運転開始。
1954年(昭和29年)12月7日 - 専用鉄道として運輸省から免許交付。
1955年(昭和30年)4月20日 - 専用鉄道として運転開始。
1957年(昭和32年)5月10日 - 小河内ダムの資材輸送完了。
1963年(昭和38年)9月21日 - 西武鉄道へ譲渡。
1978年(昭和53年)3月31日 - 奥多摩工業へ譲渡。
(以上「Wikipedia」参照)
路線図。
(地図はHPより拝借)
この方は全線踏破していて、その記録が映像と共にUPされています。
また、ネットには他の方々の記録がけっこう掲載されていて、「廃線」マニアにとってはたいそう魅力ある廃線跡です。
トンネルも線路もしっかり残っています。
しばらく左手下に線路跡が続きます。
眼下には橋梁。
トンネル上から線路を望む。
道沿いには家。急峻な地形で、見上げるほど高いところにも。家と道路を結ぶ簡易な昇降機が取り付けられています。
(12:24)しばらく進んだ左手には「槐木(さいかちぎ)」の巨樹。マメ科サイカチ属。樹高 15㍍ 幹囲 3㍍
羽黒坂の急坂と桧村からの坂を登りつめた所
槐木の巨樹が地名となりました。
馬力・大八車や背負荷の上り荷・下り荷の人々の休み場として賑わった所です。槐木と向きあって、赤松の根元に正徳2年(1712)の修業僧木食三世真円唱謁の念仏供養塔・文化13年(1816)馬頭観音他があります。
下の方からは国道を行く車の音が聞こえてきますが、まったく道は見えず、旧道からは急に落ちる森。
(12:34)路傍には古仏が二体。
しばらくすると、下に国道が見えてきます。
この付近が現青梅街道(国道411号線)と最接近するところ。道標にしたがって右手の坂を上ります(12:51)。
ここで、「奥多摩駅」方向に向かう外国人3人連れに会います。「奥多摩むかし道」を歩き初めて最初の人達。
案内板。
階段を上り道標にしたがって左手の階段を上っていきます。そこには中年の男女が休憩中。のんびりと進みます。急角度に曲がるところが「小中沢橋」。立派なトイレ。そこにはバイクの青年が。
「不動の上滝」はこの上部に。
(13:01)今まで歩いたどの街道よりも山深く急峻な印象。
しばらく行くと、小さな集落「境」に近づきます。
(13:06)はるか頭上に「水根貨物線廃線」の高架橋。
橋上を歩いた人がいるらしい。
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