おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

すみだ北斎美術館。(じじばばがゆく。鑑賞編。)

2016-12-09 21:31:14 | じじばばがゆく

 お持たせ、何とか間に合ったわ。なんだかんだ家から出てくるのって大変なのよ、主婦は。

 さて、ここからどう行くの? 両国駅の近くだって言うじゃない、タクシーで行きましょ。

 このあいだ、新聞に出ていたわよね、「北斎美術館」のこと。墨田に関係あるの、葛飾北斎さん。

 へえ、この通り「北斎通り」って言うんだ。やっぱり関係があるのかしらね。

 向こうに見えるのは、「江戸東京何とか」って言う建物よね、その横にあるのが、「国技館」か。

 あんな高いホテルあったっけ。「第一ホテル両国」っていうのか。ということは「日大一高」のところよね。

 おばさんが「安田庭園」の近くに住んでいて、昔、来たことがあるけれど。すっかり変わったわね。

 この公園の向こうにあるのが、「北斎美術館」なのね。子どもがいっぱい遊んでいて賑やかなところみたいね。

 公園の一角につくったという感じね。面白い形をした建物だわ。錦糸町からは歩くとけっこうあるわよ。

 65歳以上は900円か、企画展込みの料金なのね。たくさんの人ね。22日にオープンしたばかりでしょ。

開館記念展「北斎の帰還-幻の絵巻と名品コレクション-」―2016年11月22日(火) 〜 2017年1月15日(日)―

 世界的な芸術家として評価の高い葛飾北斎【かつしかほくさい】(1760-1849)は、本所割下水【ほんじょわりげすい】(現在の墨田区北斎通り)付近で生まれ、およそ90年の生涯のほとんどを区内で過ごしながら、優れた作品を数多く残しました。
 本展のタイトルには、二つの「帰還」の意味が込められています。一つ目は、約100年余りも行方知れずとなっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻【すみだがわりょうがんけしきずかん】」が、平成27年に再発見され、海外から日本へ里帰りしたことを意味します。二つ目は、世界に散逸した北斎の名品が、生誕の地すみだに再び集められ、それが北斎専門の美術館で展示される、つまり北斎が名品とともにすみだに帰ってきたことを意味しています。
 これら二つの意味での「北斎の帰還」を祝い、序章「北斎のイメージ」、1章「北斎の描いたすみだ」、2章「幻の絵巻-隅田川両岸景色図巻-」、3章「名品ハイライト」、以上の4つの構成で、前後期合わせて約120点の名品を選りすぐり展示いたします。
 北斎の生まれ故郷に誕生した新しい美術館の建築や展示空間で、北斎の名品の数々をご堪能いただき、その芸術世界をお楽しみいただければ幸いです。
                                                                                                      (HPより)

 これが「隅田川両岸景色図巻」ね。ま、こんなに長く隅田川の景色が細かく描かれていてすごいわね。ここが浅草、ここが向島ね、長命寺か、そうそう、桜餅を買いに行ったことがあったわよ。
 ここが「大槁」って「吾妻橋」のことでしょ。今と比べると楽しいわね。この辺りはあなたのテリトリーでしょ。

常設展示室のごあんない
 常設展示室は7つのエリアで構成されています。北斎とゆかりの地「すみだ」とのつながり「1.すみだと北斎」から始まり、主な画号により6つに分けたエリア(「2.習作の時代」〜「7.肉筆画の時代」)は、各期の代表作(実物大高精細レプリカ)とエピソードを交えて、北斎の生涯を辿ることができます。白黒写真を基に推定復元した、『須佐之男命厄神退治之図すさのおのみことやくじんたいじのず』、『北斎漫画』などの絵手本をタッチパネルモニタで紹介する『北斎絵手本大図鑑』、高精細画面モニタでの錦絵鑑賞、錦絵の制作工程を映像も交えて紹介するコーナーなども見どころです。北斎アトリエの再現模型もあり、楽しみながら北斎についての理解を深めることができます。

                                               (「同」HPより)

 北斎は本所割下水付近で生まれ、幼名は時太郎[ときたろう]のちに鉄蔵[てつぞう]といったといわれています。父親は川村氏としかわからず、幕府の御用鏡師である中島伊勢の養子となったとされています。6歳から絵を描くことに興味を覚え、12歳頃には貸本屋で働いたとされ、14歳頃には版木彫りの仕事をしていましたが、絵を描きたかった北斎は、浮世絵師勝川春章への弟子入りを決意します。

 安永7年(1778年)に勝川春章[かつかわしゅんしょう]に入門し、勝川春朗[しゅんろう]の雅号で浮世絵の世界に登場してから、寛政6年(1794年)に勝川派を離脱するまでの時代。この時代は、勝川派の絵師として、春章の様式に倣った役者絵や黄表[きびょうし]の挿絵などを描いていましたが、子供絵、おもちゃ絵、武者絵、名所絵、角力[すもう]絵、宗教画など幅広い題材の作品も発表しています。なお、肉筆画は少なく、現在確認できるものとして、「鍾軌[しょうき]図」や「婦女風俗[ふじょふうぞく]図」などが遺っているのみです。

 勝川派を去った北斎は、寛政6年(1794年)新しく宗理[そうり]の雅号を用いました。宗理は俵屋宗達らによって開かれた琳派の頭領が使用した雅号です。北斎は、それまでの琳派とも異なる独自の宗理様式を完成させ、狂歌の世界と深く関わり、たくさんの摺物や狂歌絵本の挿絵を描いています。寛政10年(1798年)には、北斎辰政[ときまさ]を名乗って琳派からも独立し、どの流派にも属さないことを宣言しています。作風から享和4年(1804年)頃までが、宗理様式の時代と呼ばれています。

 文化年間(1804年から1818年まで)に入ると、北斎は読本挿絵の制作を精力的に行います。読本挿絵には、基本的に墨色のみでわずかに薄墨が使われることがあります。北斎は墨の濃淡を利用した奥行のある空間表現、奇抜な構図などで読本挿絵の芸術性を飛躍的に高めました。また、陰影表現が特徴的な洋風風景版画も制作しました。肉筆画も多く遺し、最も多作な最晩年に次ぐ制作数があります。現在おなじみの「葛飾北斎」や「戴斗[たいと]」の雅号が登場するのもこの時期です。

53歳から70歳まで
 この時期には門人が増え、北斎の絵を学ぶ人は全国にいたため、北斎は絵手本の制作に情熱を注ぎました。現在、「ホクサイ・スケッチ」の名で世界的に有名な『北斎漫画』の制作もこの時期に始められました。北斎の絵手本は、眺めるだけでも楽しく、工芸品の図案集としても使われました。絵手本以外では、文政年間(1818年から1830年まで)に錦絵の鳥瞰図があり、「為一[いいつ]」の号を使い始めた文政3年から5年までにかけては摺物の制作が増えました。

71歳から74歳まで
 この時期には「冨嶽三十六景」などの風景版画や花鳥画など、現在も有名な錦絵の名作が多数生み出されました。従来、浮世絵には現在風景画と称されているジャンルはなく、「冨嶽三十六景」の大流行により、浮世絵に風景画を確立したのは、北斎の偉大な業績の一つです。絵手本の時代には、洋風表現を大胆に使用した作例もありましたが、この時代にはより洗練した方法で洋風表現を使い、中国の南蘋[なんぴん]派の表現も取り入れています。

75歳から90歳まで
 天保5年(1834年)刊行の『富嶽百景』の中で北斎は、百数十歳まで努力すれば生きているような絵が描けるだろうと記しました。この時期の北斎は、卍[まんじ]の雅号を用い始めたほか肉筆画に傾倒し、題材も風俗画から和漢の故事に則した作品や宗教画等へと大きく変化する一方、絵を描く人々のために作画技法や絵の具の調合法を記した絵手本等も刊行しています。嘉永2年(1849年)春、病を得た北斎は真の絵師となることを切望していましたが、ついに90年の生涯を終えました。

                                              (「同」HPより)

 ずいぶん有名な作品も展示されているのね。

    

 この「神奈川沖浪裏」。ドビュッシーの交響詩「海」はこれに触発されて作曲されたようなんだって。  「赤富士」。
 
 写真を撮ってもいいんだ、ここは。でも、携帯じゃね、無理だわよ。

           

 ずいぶん前に緒形拳が主演した「北斎漫画」っていう映画があったけど、けっこう面白かったわ。



 ところでさ、北斎ってあっちの絵も描いていたはずでしょ、ほら、去年見に行ったじゃない「春画展」。細川さんのところでやっていた、あれ。ああいうのは展示するわけないよね、ここじゃ。 

 何だっけ、蛸と海女が絡み合っている絵があったじゃない、海女が2匹の蛸に襲われているっていう趣向のもの。あのときもあったわよね、たしか。あら、思い出しちゃったじゃない。

 他にもいくつもあったわ。北斎さん、70過ぎてからもますますお盛んって感じだわね。

 「北斎漫画」では、北斎の老いてまでの絵に対する執念が、猥雑かつ巧みに描かれていたと思ったけど。 
         

 歩き疲れたわ。もうそろそろ、出ましょうか。このソファで寝ちゃダメでしょう、やっぱり。

    

 トイレに行きたいわ、ちょっと待ってて。あれ、ちょっとトイレが男女各一つずつって、少なすぎない? 来るのは年寄りも多いんだから、もっとあっていいわよね。

 もう、公園のトイレに行くしかないかな。いやだ、ここも一つしかないわよ、子どももたくさん遊んでいるのに。

 そういう配慮はあまりなさそうね、ここは。


 これから上野に行かなきゃならないの、久々に「女子会」があるのよ、「女子会」。失礼ね、まだまだりっぱな女子ですから。

 「両国」から「大江戸線」で「御徒町」の方に出ればいいのか。JRじゃなくていいのね。

 そう、「不忍池」の近くにある「何とか農場」だったか「何とか牧場」とかでね。

 今日は、すてきな体験をしたわ。懐かしいところだったし。では、またね。

 ※ 美術館に展示されていましたが、携帯写真では写りが悪いので、改めて「Wikipedia」から借用。

        

                      

 ついでに、
                     『蛸と海女』。 
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葛飾北斎 (もののはじめのiina)
2017-03-30 10:30:34
葛飾北斎の 「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」のような荒浪を求めて、江の島で撮影してまいりました。

こんなときに、サーファーが海上をトレーニングしてましたから、小舟で沖に出ることも納得でした。

1年ぶりでした。    m(_ _)m

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