おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

荒川沖~中村~土浦~中貫~稲吉~府中。その3。(「水戸街道」をゆく。第4日目。)

2016-12-23 12:47:44 | 水戸街道

(10:51)国道6号線」バイパスを越えて松並木の脇を過ぎると、「国道354号線」に合流します。
    

 (11:02)しばらく進むと、中高津地区の「セブンイレブン」の北側の角に、大きな天保15年の「馬頭観音」と足元に小さな道標があります。馬頭観音には「「水海道 布施 関宿 流山道」と刻まれ 、小さい道標には「右やたべ おばり いたばし みつかいどう」 と刻まれています。

  





 「布施街道」は享保15年(1730)頃に開かれた「水戸街道」の脇往還。根戸(柏市)で水戸街道から分かれ、布施弁天、利根川の渡し、守谷、板橋、谷田部を経由し、土浦の中高津で「水戸街道」に合流します。布施弁天、板橋不動尊などへの参拝の道としても利用され、利用者が多く、水戸街道の宿場が衰えるので、布施街道を通らないようにとの触書が「水戸藩」から出たそうです。

 「布施街道」は左に進む道。古地図では途切れずに西南に下って行く道が記されています。
    

 国道354号線(旧水戸街道)の両側には旧家らしいおうちが並んでいます。
    

    

(11:12)「国道354号線」と分かれ、右の道に。

すぐ右手にある旧家。

 「霞ヶ関医療センター」入口の向かいには「下高津小学校」の旧校舎跡地で、創立100周年(昭和51年)と130周年(平成18年)を記念して作られた碑があります。ずいぶんと長い歴史を持った小学校です。



坂道を左に下って行きます。前方に土浦の街並み。

 (11:17)途中、坂の右手に「下高津の道標」。水戸街道と板東街道との分岐点になります。
    

 亨保18(1733)年、東崎の観音講の人々によって建てられたもの。道標には、右「江戸道」、左「なめ川阿ば道」と刻まれています。


「板東街道」はこの道? 行き止まりのようですが。

 坂を下って行くと、左手の高台にあるのが、「愛宕神社」。その奥にはお寺があります。
    

「桜川」に架かる「銭亀橋」に向かいます。


 沿道には旧街道らしいおうちが何軒か。
    

(11:25)「銭亀橋」を渡ると、城下町「土浦宿」に。

 「桜川」はもともと土浦の街の真ん中を流れていましたが、洪水を避けるため、大町付近から現水路に切り替えられました。「銭亀橋」は、1613(慶長18)年、水戸街道の橋としてはじめて架橋された歴史ある橋で、当時は木造の太鼓橋でした。

                               「桜川」。
    

 「桜川」。桜川市山口の鏡が池に源を発し、筑西市、つくば市を経て土浦市で霞ヶ浦に流入する一級河川。延長63.41㎞、流域面積350.3平方㎞。筑波山の西麓、南麓を流れている。筑波山の多くの沢は、「桜川」に流れ込んでいる。

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