おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

TAKESHIS

2005-11-18 23:36:00 | お芝居
久々に映画を観た。去年の「TAIZOU」以来だ。
 北野武の映画はどんなものか、これまでの作品がそれなりに面白かったと聞いていたので、今回初めて観たというわけ。
 率直に言って「駄作」であった。ストーリーも陳腐、使っている役者も切れがない、まるでビートたけしのためにしかいないような役者ばかり。不快なほど下手であった。
 という観客の批判(うけ)を狙って、武監督は作ったのだろう。彼の肉体的・精神的衰えは隠せない。役者的な鍛錬も何もしていない、肉体的醜さ。「戦・メリ」での鮮烈なデビューが、印象に残った、それからこの映画は始まる。取り巻きしかしないタケシが、とりまきのいないタケシを撮るところに、面白さがあるはずのなのに。あまりにも先の読める展開であった。
 日本の芸術家は、とりわけ小説家は、最後には私小説になっていく。それまで、そうした日本文学の貧困さを、その依拠する私的立場故に、批判してきた作家もついには、そこに落ち着く。大江健三郎がその代表だ。彼に、もし障害者の子どもがいなかったら、と考えるのは過酷すぎるし、差別的すぎるだろうが。
 タケシが、元相棒のキヨシへの思いもまたそこにはある。すなわち、この作品の根底にある。キヨシへの思い・重い・想いが・・・。おそらくは浅草時代の無名の仲間たちへの挽歌が、そこにはある。まさにビート・タケシの私小説。少しばかりの相変わらず斜に構えながらの。その「斜」の部分がまたおかしいのだが。
 古き・良き日本への郷愁と、それへの反抗と・・・。日本であって、日本でなかった、否、日本であり続けよう、とはけっしてしない沖縄を、最終の地点として映画は終わる。もしかしたら、タケシは、今の日本と、今の腐敗した芸能界への挽歌を、私的に捧げたのかもしれない。
 書き忘れた!京野ことみの乳首が、やけに黒ずんでいたのにはショックだった。役柄なのか、私的なのかそれは分からないが。
 でも、今、映画は面白い。吉本はつまらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする