おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東京大空襲とアメリカの戦争犯罪

2005-03-10 23:44:06 | 平和
 第二次世界大戦後、ドイツのニュルンベルクと東京で国際軍事裁判が行われた。戦勝国が敗戦国の指導者を裁いたこの二つの法廷のどちらでも、その起訴の根拠となった罪は、3つあった。
A 平和に対する罪(侵略戦争を共謀、遂行した罪)
B 通例の戦争犯罪(民間人や捕虜の虐待・殺害、略奪、軍事上不必要な都市破壊など)
C 人道に対する罪(政治的または宗教的、人種的理由にもとづく迫害行為など)
 ただし、東京裁判(極東国際軍事裁判)では、BとCとは一括り。
 第二次大戦では、連合国側にも戦争犯罪の疑いが濃いケースもある。その例としては、ドイツ・ドレスデン空襲、広島・長崎の原爆投下などがあげられる。1945年3月10日未明の「東京大空襲」もその一つである。
 しかし、ニュルンベルク、東京ともに、連合国側の罪はすべて不問とされ、敗戦国側の罪だけが問われた。裁判そのものも、裁判官や検察官は、連合国か第3国の人に限られていた。また、裁判の根拠となる法律(根拠)が事後法であった。(戦争が始まったときは、まだ制定されていなかったことをさす。ーある行為があったとき、それを罪とする法律がそのときにはなかったにもかかわらず、後から制定した法によってそれを犯罪行為として裁くことは出来ない。特にAとCの罪ー)このことなどから、東京裁判を非難する立場も生まれる。
小生は、「だから、東京裁判は無効だった」とする立場はとらない。公開された東京裁判によって、それまで国民には見えていなかったさまざまな戦争の実態、特に、これまで知らされていなかった、アジア諸国民への加害者としての日本軍(軍部)の実像、また戦争の悲惨さや平和のもつ重みなどが暴き出された点では、大きな意義をもつ裁判だったと考える。
 一方で、アメリカ軍をはじめ、連合国軍にB(第二次大戦以前から存在していた戦争犯罪)級戦犯がいないわけではない。「東京大空襲」「広島・長崎の原爆投下」たくさんの無辜の市民を殺害した作戦策定者、実行者、為政者などへの戦争責任(個人的罪から国家的罪まで)を追求する必要があるはずだ。これは、いまさら何も国家が行えというのではない。日米の市民レベル、学者レベルでの真摯な検証が必要なのではないだろうか。軍事的な側面ではなく、太平洋戦争(大東亜戦争)そのもの検証としても重要だろう。
 同じように朝鮮半島や中国大陸での戦争犯罪も、市民レベルで議論する必要を感じる。そうした中ではじめてお互いの国民同士の理解と交流が出来るのではないだろうか。東北アジアの平和はそこから始めなければならない。
 以前、原爆展をアメリカで開催しようとした際、それが元軍人たちによる反対運動で縮小されてしまった教訓もあるのだから。
コメント
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