昨日、もしくは今日計画通りならば、福島県三春、もしくは広島県百島に居るはずなのですが、左目が結膜炎で炎症を起こして、お岩さんの瞼のように腫れ上がってしまいました。
老いるほど、なかなか元の体調に戻るも時間がかかるようです。
人生も日常生活も、なかなか予定通りにはなりません。
されど、きょういく、きょうよう・・今日行く場所がある、今日用事がある。
行きたい場所があるだけでも、感謝、幸せなのかもしれません。
最近、福井県が県内の小学校、中学校、高校、全児童・生徒に2025大阪・関西万博の無料招待券を配布しました。
しかしね・・それに伴い親・家族も一緒に行くとなると交通費等の家族にかかる金銭的な負担を考えて、素直に「行きたい」と言えないという福井県の優しい子供たちが、何と多い事か!・・切ない気持ちになります。
どうせならば、福井県は大阪までの無料バス往復運行をすればよいのにと考えてしまいます。
今から、55年前の1970年大阪万博を思い出しました。
当時、僕は中学生、大学生だった兄は大阪万博見学に行ったけれども、僕はやはり家族の金銭的な負担を考えると、親に「行きたい」とは言えなかったです。
あの時の切ない気持ちは、多分今も続いているから、いろいろと行きたい場所があるのかもしれません。
あの頃は、まだまだ「輝く未来が来る」と信じていた時代だったのでしょう。
そして、現在・・・老いること、貧すること、日本の現状は何だろうね?
一昨晩のNHK火曜ドラマ「しあわせは食べて寝て待て」・・「食べ物」の食べ方と「お金」の使い方を考えさせてくれます。
ドラマの中の台詞、「私が死んだら誰が葬儀に来るのかな?・・誰も来なくてもいいわ」・・実感同意しました。
僕自身も、葬儀不要、戒名不要・・直葬でよいと考えています。
お墓も仏壇も供養も、必要ありません。
因みに、身内の葬儀で知ったことですが、散骨するにはお骨を粉骨にしないといけないという事。
海に散骨する際にも、自治体によっていろいろ規則があり、陸地から1海里は1.852キロメートル(km)以上離れている必要があるとの事・・瀬戸内海の百島界隈では陸地が近いので難しいかもしれません。
死に際のことを考えれば、今行うことが見えてくる・・と、先人賢人はよく言ったものです。
「今をもっともっと」貪欲は、今をむさぼり、心が疲れてゆく。
「分かつように」貧欲に生きると、悩みが消え、心が楽になる。
貪欲と貧欲、貪と貧は、まことに文字が似ています。
百の風になって、今のもっともっとを分かつように雲の上を、海の上を歩いてみたいものです。
