尾道に暮らす高校時代の同級生から、来月同窓会を行うという電話連絡を頂きました。
夏に予定延期したので、秋の同窓会となったとの事。
幹事役は、あの村田兆治さんと親戚関係にある三原のKだとの事、昔も今も心優しい人物。
久しぶりの高校の同級生との会話は、地元尾道や福山、三原の今、昔の事、話が長く弾みました。
彼のお兄さんは、エリートコース。
彼は次男なれど、尾道に残り暮らしています。
我々の高校同級生は、受験失敗、不合格の烙印を押された「落ちこぼれた同輩」なのです。
私立男子校の高校生活の3年間は、何とか面白可笑しくし、素早く通り過ぎたような青春でした。
加えて家庭内での劣等感、多くの同級生には出来のよい優秀な兄弟が多くて、地元進学校の広大附属、誠之館、尾道北、三原に進学卒業、更に偏差値の高い大学ヘ進学卒業。
その後もエリート街道ヘ、某大手都市銀行役員、某大手メディア放送局役員、某大学教授等々、ちゃんと勤めあげた同級生の自慢の兄さんたち方々の話を、よく耳にしました。
自慢兄弟の人生に較べて、我等の同級生も、それなりに努力、社会貢献はしているはず。
甲子園を目指す高校球児たちと受験生は似ています。
高校レベルで一度馴れた教育環境、緩い練習学習では、甲子園出場、偏差値の高い大学進学への可能性は難関難題となります。
劣等感・・今では全く無し、男子校でよかった。
挫折感・・沢山盛りすぎる程に体験有り。
今思うのに、自慢出来る兄弟姉妹がいるのと、自慢出来ない兄弟姉妹がいるのとでは、どちらがツラいのかな?
家族も然り、出来の悪い子供だらけならば、その両親は、どんな想いで子供たちを育てたのかな?
でもね、ご近所では出来のよい子は、都会やら海外に行って、そのまま故郷に戻らない帰らない、そして、親は施設暮らしが終の住処となり、実家が負の空き家となる傾向へと増えているのです。
都会も田舎も離島も、独居も大家族も、そこでの暮らしが個性、ありがとうの感謝なのです。
出来の善し悪しは、卑屈でも自慢でも何でもない個性という人生表現なのです。
老若男女、障がい者も、同性愛者も、老いも、幼さも、個性なのでは?
責める権利、馬鹿にした縛り付けるような権限は、誰にも無いのです。
依怙贔屓とか、区別差別とか、出来の善し悪し、運の良し悪し、愛情友情、好き嫌い、生きる上での爽やかさ、鮮やかさは、何だろうね?
そこから学んだ事。
人間関係は、ほどほどに、トラブルの源。
お金儲けも、ほどほどに、デコボコの平。
お金に賞味期限を❗
人生は、楽しんだ者勝ちです。
人生は、よく笑った者勝ちです。
同窓会に想う、ありがとう。
今回も同窓会には欠席、参加せず。
まだまだ、参加したいという気持ちにはならないのです。
いつになれば、同窓会に参加したくなるのかな?
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