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離島の聖地・百島とノーベル賞

2014年10月09日 | 百伝。
今朝、思いついたフレーズ「離島の聖地は、百島!」

忘れないようにするために、スマホでFBに書き込みをしました。

一昨日から、ノーベル物理学賞を日本人3名が受賞というニュース。

その中の中村修二さん・・8年程前、この方のお話を聞いたことがあります。

このブログに、その時の記録を残していました。

・・とても、面白い内容でした!

実は、この時、「中村修二さん」・・百島人のような親しみさと、いつかノーベル賞を取るような予感がありました。

百島からノーベル賞受賞者が現れるのは、おそらく百島二世、三世以降の人材かもしれません。

百島をルーツにする逸材の人物が、多く現れると、いつか、ノーベル賞の聖地・百島になるかもしれません。

今は、「離島の聖地・百島」を呼びかけます。

さて、中村修二さん・・ノーベル物理学賞、受賞おめでとうございます!

・・当時の書き残していた備忘録を再掲載させていただきます。

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先日は、ユビキタス社会における小さな会社のための実践的な戦略戦術セミナーを聴講。

・・面白かったです。

今の日本には、大企業に挑戦する零細企業の元気な人間が、もっと必要かもしれません。

内容は、しかし・・・・忘れてしまいました。(笑)

今日は、記念講演会「未知への挑戦」を聴講。

備忘録として、その内容と感想を早速書き残しておきます。

講演者は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授 中村修二さん。

青色発光ダイオード発見の特許対価200億円訴訟で一躍有名になった方です。

主に、自分の人生体験でしたが、面白い話でした。

話しの途中途中に「ねぇ!」という言葉を何度か入れます。

それにしてもパワフルな方です。

愛媛県の佐田岬の突端近くに生まれて、愛媛県の高校を卒業する頃、徳島大学に入学できるくらいのレベルだったそうです。

それで数学と物理が好きで、物理に似たイメージのある徳島大学電子工学学科に入学。

修士課程修了。

当時から理系の憧れの就職先は、松下、ソニー、東芝、日立、三洋などの大手メーカー。

それが技術者としての日本のエリートコース。

本人は、松下が不合格。

当時は、今ひとつだった京セラには合格。

ただ、家庭を持って暮らすには四国のような田舎がいいなぁと思って、地元徳島の日亜化学工業に入社。

当時社員180人ほどの全国的には無名の中小企業だったとのこと。

入社後、5年間毎日、宇宙服のようなものを着用して溶接作業ばかり。

その後、会社命令で開発したのは大損、もう嫌になっていたそうです。(笑)

会社を辞めようかと思って、辞める前にやりたいことを直接、社長に直訴した。(この方の強さだと思います)

1.青色発光ダイオードの開発。 

社長が簡単に了解。

さらに続けざまに・・

2.資金が5億円程必要。 

3.アメリカへ1年間留学させてほしい。

この3点をお願いしたら、数分間で、当時の社長が了解したそうです。

中村さん曰く、当時の社長は、ボケ老人だったと思ったそうです。(笑)

1988年(昭和63年)、アメリカのフロリダ大学へ客員研究員として、留学。

はじめての海外へ。

これで、この方の運命が変わりました。

そこで中村さんが実感したのは、向こうで何か論文を書いているのか?と聞かれて、論文も何も書いていない。

修士課程(マイスター)だと言うと、手の平を返したように扱い(態度)が変わったそうです。

米国は、格差社会というよりも差別社会を実感したとのこと。

博士課程(ドクター)を修了して論文を書いていないと科学者(サイエンティスト)として認められないとのこと。

修士(マイスター)の扱いは、テクニシャン(裏方、影の助け者)としての扱い・・その「怒り」「見返したい気持ち」が強かったようです。

帰国後、青色発光に関する論文や特許を会社の上司には内緒で提出。

会社は、企業秘密の開示を禁止していた・・。

それが、外部の大手メーカーからの問い合わせで発覚。

おそらく結果オーライということで、1999年頃には、平社員から課長クラスに昇進して年収も1000万円ぐらいになったとのこと。

この頃、世界中のあちらこちらのセミナー等の催しに招待されたらしい。

そこで奇蹟と言われた「青色発光ダイオードの発明家の年収」を聞かれて「1000万円」と答えると、スレイブ中村と言われた。(会社の奴隷)

そうこうするうちに、海外の数多の大学からの教授へのオファーが沢山きた。

そして、2000年(平成12年)退職。

日亜化学を退職する時、会社側から秘密保持のサインを求められた。

その内容を英文で米国の弁護士まで送れと頼んだが、送ってこなかった。

喧嘩別れです。

結局、日亜化学が、中村氏相手に「企業秘密露呈」として米国で訴訟を起こす。

逆に、中村氏が怒って、日本で日亜化学に対して、あの特許対価の200億円訴訟を起こす。

米国では被告。

日本では原告という形で、訴訟問題が処理しなければならなかったこと。

中村さん曰く、日本の教育システムは全く良くないとのこと。

日本もアメリカも、小学生ぐらいまでは感覚が同じだが、日本の場合、中学生ぐらいから五教科ウルトラクイズが始まる。

明けても暮れてもウルトラクイズの勝ち抜き戦で、だんだんとプレッシャーもあってストレスもたまり、おとなしい養殖の鮎のような人間になってゆく。

そして大企業への就職がエリートコースと勘違いしているとの見解。

かつての大学の同級生が大企業メーカーに勤めた例を引き出していたが・・

年収1000万円ならサラリーマンエリート?

年収2000万円ならサラリーマン人生の大成功?

・・ロボットのような養殖のアユ(鮎)です。

そんな永遠のサラリーマン人生って面白いですか?

戦後の日本はそれでよかったかもしれない。

経済大国になった日本社会のシステムはおかしいとの事。

養殖ではない天然のアユが、これからの日本にはもっと必要だとの事。

米国では、小学生の感覚がそのまま大人まで続く。

自宅の車庫(ガレージ)で夢見て、そこから自分の人生や起業を起こすのが人生のイメージ(夢)を作る。

だからチャレンジ精神旺盛な天然アユのような人間が、アメリカには多い。

最後の応答質疑で、ある大手メーカーに勤める技術者が、どういう風にすれば日本は変わると思いますか?の質問には・・

中村氏曰く、「日本人の大部分が生活を維持するために働いているだけではないですか?4~5年ごとに会社を辞めることです。会社を学校だと思えばいい。辞めるという転職現象があたりまえの社会になれば、日本の経営者や企業は、もっと従業員、社員の待遇を一番に考える」との事。

自分のエネルギーは「見返したい怒り」だったとのこと。

競争社会で勝ち残った中村さんの講演会でした。

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う~ん、大きな視点観点から見ると、今こそ日本という国の度量そのものが試されている時代かもしれません。

そして、養殖されたアユのような日本人の個性も抜けて、もっと生き生きと活き活きした天然のアユが生まれる日本の土壌?が必要なのでしょう。

ぼくの見解です。

アメリカの90歳以上の方に「人生を振り返って何を後悔していますか?」というアンケートがあります。

その90%以上の方が「人生、もっと冒険しておけばよかった」との事。

人生二度なし。

以上、2006年10月20日記載・備忘録。


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