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南洋編 2 ~水葬の儀~

2010年06月21日 | 人生航海
夜に入り、高雄港の岸壁に接岸中の輸送船に全員が乗船を終えた。

船内は、多くの物質と人員で身動きも出来ぬほどであった。

船倉内は、三段作りで千人以上の兵隊が乗れると言う事だった。

そして、夜が明けぬうちに台湾高雄を出港して、フィリッピンのルソン島のリンガエン湾に向かったのである。

リンガエン湾に到着後、約50数隻の大船団を組むことになったのである。

数日後には、日本海軍の巡洋艦、駆逐艦、駆潜艇等の十数隻の艦船に護衛されて、フィリッピンのリンガエン湾から南方に向けたのである。

いわゆる、ジャワ島上陸作戦の開始となったのである。

主力部隊は台湾第四十八師団であったが、勿論他の部隊も多く参加した事は言うまでもなく当然の事だった。

船団の隊列は、二列縦隊で航進して、約500メートルぐらいの間隔を保ち、左右前後に護衛艦の守られていた。

悠々と航進を続ける大型輸送船団の威風堂々たる光景は、まさに壮観であり、日本国の威力の象徴だった。

既に制海権は我が方にあったので、時折高度で飛んで来る敵方の偵察機が気になるぐらいで、それほど怖いとは思っては無かった。

むしろ目に見えない潜水艦からの攻撃が不安だったのである。

船団の速力は、約10ノットを保ち、ジャワ島を目指して一路南下を続けた。

航進中のある朝・・船倉の底に兵隊が落ちて死んでいると、皆大騒ぎになった痛ましい事故があった。

所属の隊長と船長の指示により、遺体は水葬の儀に付されたのである。

初めて観る水葬式であった。

誰も悲しい別れの出来事で、遺体は日章旗に包まれて船尾から静かに海に降ろした。

見送る人々は全員合掌すると、長声一発汽笛を吹奏して見送ったが、悲しい別れであった。

他船も無線で知ったのか、遠くから寂しく汽笛の音が聞こえてきた。

遠洋航路での水葬の話はよく聞いていたが、私は、この時初めて水葬の儀に立ち会ったのである。




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