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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

木曽の百島。

2018年04月06日 | 日本の百々巡り。

10数年ぶりに木曽の百島を訪問しました。

当時は、日義村百島でしたが、今は周辺の自治体が合併したため木曽町日義になっています。

日義というのは、朝日将軍源義仲が、天下統一に向けて旗挙げした場所なのです。



久しぶりの義仲館です。

この裏手からは、百島地区になります。



外観は変わっていませんが、展示物は手作り感満載で、かなり変更になっていました。

10数年昔の前回、瀬戸内海の向島、百島のことを強く説明したせいかどうかは分かりませんが、こんな風になっていました。





百島が載っているでしょう。



宝剣岳も見えます。

さらに、驚いたこと!

木曽(源)義仲が、行動した地図です。



西の果ては、尾道の向島になっているのです。



でも、義仲が生きていた頃、向島ではないのではと思いますが・・(笑)

向島の義仲関連の神社の写真も飾ってありました。

ちなみに、向島には、木曽という名字がありますが、木曽地方には、木曽という名字は皆無です。



義仲館のすぐ近くにある義仲、義仲の母、巴御前の菩提寺は音徳寺(百島地区)。

裏手の山は、向山と呼びます。





木曽八景にも選ばれている・・とても立派なお寺です。





義仲のお墓参りもしました。



旗手という名字は、「旗挙げ」がルーツなのでは?

さて、10数年昔、この木曽の百島を訪れたときは、我らの尾道の百島の過疎化を心配していました。

今回の訪問感想ですが、木曽町は、大丈夫なのだろうか?・・という心配でした。



江戸時代は脚光を浴びた旧中山道の木曽路ですが、観光資源が「木曽義仲」と「本陣」と「中央アルプスの山並み」。



木曽の百島のメイン通りです。



前回、お伺いして、お話をしてくださったお家は、空き家になっていました。

徳音寺の奥様の話では、百島地区は、10軒もないとか・・いづれは消えていくのかもしれません。



何だか哀しい木曽の百島への旅路でした。

でも、木曽義仲という人物を、およそ500年後、あの江戸時代の俳人松尾芭蕉が憧れて追っかけをしているのです。

芭蕉の切望で、義仲の隣りで眠っています。

滋賀県大津にある義仲寺という小さな寺にお墓があります。

なんだかんだと時空を超えて、いろいろと空想も出来ますが、今日はここまで。



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