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越す国

2008年03月26日 | 千伝。
「善人なおもて往生をとぐ況や悪人おや」と親鸞が言うように、なぜ神がいるとしたら、人間皆、善人に創造しなかったのか・・スピードが出ない車をつくれば、スピード違反がないようにである。

ここ続けて起こる衝動的殺傷事件・・何故?
こんなにも犯罪者やずるい人間で、巷はあふれているのだろうか?

古今を問わず、親鸞の時代は、鎌倉時代初期の不遇の時代、越後に流刑になったりした後、教行信証を著す。

如何に、仏に近づこうとしても、それは許されず。
善行だけでは、生きていけない。
そこで開き直りの思想が生まれたのだと思う。
自分の欲望に蓋をするでなく解き放つ。
そして懺悔する。
まるで、宗教改革のカルビンやツイングリを彷彿させる。

よって、商売は、善人には出来ない。
善人面をした悪人が良いという事かもしれない。

ご承知のように悪人と犯罪者は違う。

単純な善人を演じるのは、比較的に容易だが、
善人面をした悪人巧者は、鍛えなければできない。

要するに、この世には、善人は存在しなく、如何に善人モドキの演技ができるかが、 
親鸞上人の12世紀の時代からの、命題かも知れない。

やりたいことをやり反省しながら気楽にいくべし。

悪人とは、「人を食って生きる」人かも知れません。


「「「「「「「「
人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。
やはり向こう三軒隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、
寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
<漱石「草枕」から抜粋>
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