百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百助さんの子。

2024年08月09日 | 百伝。

今朝は、早朝5時から墓地でお墓掃除を行いました。

明日からの三連休、お盆の間は、仕事です。

お墓掃除の後は、境内のパワースポットに座り込み、青空を仰ぎながら休憩。

九州の大分県に行きたいなぁ。

神仏に参拝すると、気になるのが「水」と「石」。

今朝、お墓掃除中に何処から転がって来たのか不思議? パワーストーンと言えるレベルの丸まった小石を見つけました。

そのまま、お墓の門に置いて帰りました。

最近は、石ころを集めてはいませんが、若い頃は行き着いた場所の日本各地、世界各地の砂やら石ころを集めたものです。

四国八十八ケ所、西国三十三ケ所の砂踏みが大事であるかのように、上賀茂神社、京都の伏見稲荷なんか、「砂」を御利益として御守り同様に売っていますから、驚きです❗

仏国のノートルダム寺院、英国ノーカンタベリー大聖堂の石ころ、売れるかな?

もう40年前の20代の頃、福澤諭吉さんの新一万円札が発行。

当時、福澤諭吉さんの墓所、麻布の善福寺へ仕事取材にも行きました。

百島中学校の修学旅行で大分県中津の諭吉さんの生家を訪問した思い出があります。

百島は、豊後(大分県)と深い繋がりがあるのです。

福澤諭吉さんの父の名は、百助さん。

当時、個人的にとても親しみのある新一万円札でした。

余談ですが、あの時の修学旅行の行き先。

山口県秋芳洞から一気に九州大分県中津市にある諭吉さんの生家、宇佐八幡宮、別府、湯布院、やまなみ街道を抜けて阿蘇、熊本城、水前寺公園、福岡、大濠公園、大宰府まで中身の濃い修学旅行でした❗

新一万円札が話題になっていた頃のある日、北鎌倉のどこかの葬儀を取材して、鳩を飛ばすシーンを写真に撮って仕事終了。

それから、北鎌倉からブラブラとあてもなく歩いて鎌倉駅までの途中に、道の右側に突然、洞穴の入り口が現れました。

それが、銭洗弁財天の宇賀福神社。

今はつとに全国的にも有名なパワースポットになりましたが、当時はまだまだ無名に近い弁財天でした。

興味津々で洞窟のような洞穴に入り、ここで銭を洗うと「福銭」になるとの説明がありました。

持ち合わせの福澤諭吉さんの新一万円札を笊の中で洗いました。

福、福、福と続き、それから3年後、福銭としての御利益の効果があったのでしょう。

英国へ渡航する準備金ぐらいの貯蓄は用意できました。

百助さんの子、諭吉さんは言いました。

「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

諭吉さんが、旧一万円札になる今日この頃、寂しい限りです。

福銭を望むのであれば、神奈川県江ノ島、滋賀県琵琶湖の竹生島、広島県宮島にある日本三大弁財天を巡り参拝するのもよいかも知れません。

神仏に祈る、神仏に頼りたくなるのが、目に見えない良心なのでしょう。

ぼくが言えるのは、此れぐらいです。