百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

伊賀国 名張市百々。

2020年10月19日 | 日本の百々巡り。

伊賀盆地と言えば、現在は伊賀市と名張市にまたがる伊賀忍者の拠点として知られています。

この地域には、「百」が付く地名が多いのです。

伊賀忍者は、上忍三家(服部、百地、藤林)を中心として、金銭による各地の雇い主と傭兵契約をしていました。
(因みに余談ですが、一方、ひとつ山を越えた甲賀忍者は合議制で成り立ち、主君が変われども、甲賀の支配大名に従い仕えていたとのこと。)

何故に、伊賀の里には、「百」が付くの地名が多いのかな?

百地三太夫(丹波)の百地家が実効支配していた伊賀盆地南部、現在の名張市まで出掛けて参りました。

まずは、名張市百々・・・ここに辿り着くのには大変でした。

カーナビ、スマホのマップが誤作動するのです。

役立つのは、やはり地図帳かもしれません。

奈良県に隣接した三重県の名張市。

伊勢湾沿いから考えると、山奥の三重県最深部の地域となりますが、そうでもあるようで、そうでもありません。

名張市は、大阪まで1時間弱で行ける通勤圏内に位置するのです。

だから、山の中腹にドンキーホーテのメガ店があり、何でこんな所に・・・??、と疑問に思いながら、道を上がると、ビックリです。

広島や横浜の郊外で現れるような、山の頂きまで続く宅地造成地が急に現れるのです❗



百々地区は、どこだ?

この宅地開発に呑まれたのかな?

と思いながら、カーナビの指示通り、迷路を進みます。

山の中へと向かう細い登り道に入れという指示・・・これはオカシイ。

カーナビを終了して、逆に下りの道を降りたら、人の姿があり、道順を聞いて、やっと到着。



美しく映える集落でした❗

現在の桃源郷かと見間違うほどでした。

狭い百々橋を渡り、百々地区に入ります。



誰も歩いていません。

春には桜、秋には紅葉が冴え渡るのだろうなぁ。

流れる川は、百々川です。



百々文化会館という建物がありました。



ですが、過疎地域なのでしょう。

住民が居ないのです。

しばらく、手入れもなく、使われていない雰囲気でした。

帰り道、柿ノ木の柿を取っている御夫婦かな?

ちょっこと挨拶して、百地三太夫の屋敷跡地を教えて頂きました。

ここ伊賀国名張の百々地区には、百地という名字が多いのです。

もう少し、お話しを訊いて見たかったのですが、やはり突然現れると不審者に映るのでしょう。

ほんとうに、自己紹介できる名刺が必要かもしれません。

秘境の桃源郷とは言いませんが、ほんとうに美しい百々地区でした。

百々地区から、約10キロ程、西に向かいます。

百地三太夫の屋敷跡地、秘境に入るような道をどんどんと上がります。

すると、急に開けた隠れ里のような農村が現れます。

地元の方によると、先祖代々から伝わる話では、この界隈にあったそうです。



ちなみに、この向こうの山の反対側には、女人高野「室生寺」があります。

直線距離にして、約5キロぐらいかな?



ちなみに、この後ろにある山の裏手には、景勝地「赤目四十八滝の渓谷」があります。

直線距離にして、約3キロとのこと。

おわりに、ここより、北方向約20キロ程離れた所にある百々苦離地蔵尊に参詣。



感謝。


田原市六連町百々(どうどう)。

2020年10月19日 | 日本の百々巡り。

田原市は渥美半島のほぼ丸ごとを市域としています。

その西南の先端が伊良湖岬となります。

東西約50キロの表浜沿岸(太平洋側側)のほぼ中央に、百々海岸があります。

この地では、どうどう(百々)と呼びます。

地元では、サーフィン、海亀の産卵地としても有名だとの事。

その百々地区まで、出掛けて参りました。



まず驚いたのは、地元の百々神社が大変立派だった事。





中段の中庭には、大きな池があり、鯉や鮒がいっぱい泳いでいました。

祭神は、天照大御神だとの事、さらに稲荷神社も鎮座、一緒に祭っておられるのです⁉





氏子に資産家が多いのかな?

この百々地区は、江戸時代には三河国吉田藩(現、豊橋市)の直轄地だったとのこと。

何かしら、昔から素晴らしい土地柄だったのでしょう。

百々陶器窯跡(国指定史跡)を見学。







百々集会場の傍らに、小さな花壇が植えられていました。





「百」への愛着が伝わってきます。

「もも」、「どど」から「どうどう」へと呼び名が変化した経緯に、何かしらの要因が過去にあったのでしょうが、それはそれ。

また、行きたくなる田原市の百々(どうどう)地区でした。



「椰子の実」を口ずさみながら、伊良湖岬をあとにしました。
 
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
 ふるさとの岸を離れて なれ(汝)はそも波に幾月

もとの木は お(生)いや茂れる 枝はなお影をやなせる
 我もまた渚を枕 ひとりみ(孤身)の 浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
 海の日の沈むを見れば たぎ(激)り落つ異郷の涙

思いやる八重の汐々 いずれの日にか くに(故国)に帰らん