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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

狭き門

2008年10月25日 | 千伝。
フランスの作家アンドレ・ジッドの小説のタイトルに絡んでいます。

今日の午後は、隣の街までNPO法人東京シューレ理事長(フリースクール全国ネットワーク代表)の奥野圭子さんの講演会とシンポジウムを聴きに参りました。

テーマが「不登校・引きこもりの問題を考える」です。

我が子が、3日、3週間、3ヶ月、いや3年間にも及ぶ不登校や引きこもり状態になった場合の親子家族の苦悩やら義務教育の意味や文科省の学校復帰政策のマイナス面を分かり易く論じられていました。

小生、我が子が、通信制高かフリースクールに進学してもよいのではという気持ちに傾いています。

「型が整うと中身が崩れてゆく」・・国作りの教育なのか、人作りの教育なのか・・情報過多の現実をまえにして、学校教育に新鮮さが無くなっているのも事実です。

小生も引きこもりではないですが、海外で暮らしたくなって、まず1年間の休職期間を貰った経験があります。

それが、2年になり3年となってしまったわけですが、全く後悔はありません。

逆に、度重なる転職を含めて「人生を楽しく活きる術」を感覚として得たというような気もします。

世の中で、引きこもりや鬱で苦しんでいる方々に言いたいのです。

どんなに醜くても、どんなに厭らしくても、馬鹿馬鹿しくなるような自分を見つけても、その心身障害になるかのような自己嫌悪感も、自分の個性だと思うしかないのです。

自己否定は、絶対に駄目です。

小生の場合、集団生活や仲間同士での遊び、組織内での仕事上のコミュニーケションは、随分無理しているのだと自覚しました。

余程、独りで動いて働いている方が、気持ちが樂なのです。

それを確信して以来、気持ちが心安まるようになりました。

新約聖書より抜粋:

「力を尽くして狭き門より入れ。滅にいたる門は大きく広く之より入る者多し」

そう、未来を見つめて、未来の門をこじあけるこそが「狭き門」の意味かもしれません。

または・・希望と呼ぶのかもしれません。

狭き門