百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

名を挙げて。

2022年01月28日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

今春の高校選抜野球、広島県から広島商と広陵の古豪2校が、20年ぶりにアベック出場決定・・楽しみです。

個人的には、福井県から21世紀枠で丹生高校が初出場・・嬉しいのです。

丹生と書いて「にゅう」と読みます。

福井で暮らし始めた頃、当時、丹生郡だった清水町、朝日町、織田町、宮崎村、越前海岸の皆々様に大変お世話になり、丹生(にゅう)の人たちは、何でこんなに親切なんだ❗という思い出が沢山あります。

今は、市町村合併で福井市に編入した清水町、他は越前町として一体化、海あり山あり里あり、かつての宮崎村・・日本一美しい村でした。

福井県の丹生という地域ブランド、もっと有名になればいいのにと、地元の丹生高校が甲子園でも出場すればよいのにと。

そう、考えていたのが30年以上昔・・想いは、いつか通じるものです。

因みに丹生郡の織田地区は、織田信長のルーツとなります。

さて、先日のNHK テレビ「歴史探偵」は、その覇王である織田信長に立ち向かった村上海賊と雑賀衆を取り上げていました。

謎多しのミステリアスな村上海賊、その歴史とエピソードを紐解くのが、「武家万代記」。

テレビ番組で初めて紹介されたのでは?

その横に、ちゃんと著者(口述伝承者)の村上喜兵衛(高吉)の名を見つけました。

もっと歴史のスポットライトを浴びてもよいのではないかと考える、百島村上海賊大将、村上喜兵衛(高吉)。

喜兵衛は、百島の曹洞宗西林禅寺のお墓に眠っています。


一ノ日は「百」。

2022年01月24日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

65歳になると、年金受給を繰り下げるか、どうかの判断を求められます。

そうこうすると、居住地の役所(自治体)から介護保険料の支払通知が届きます。

ちょっと、えー?という気持ちになります。

これって払わなければならない義務化なのかな?という感覚。

40歳以上の日本国民に課せられた介護保険制度だというのは、理解しています。

但し、介護保険料は、自治体によって料率が異なります。

今は便利なネット時代。

気になる他の自治体との介護保険料、福井市と比較調べてみたくなりました。

まずは、故郷の尾道市。

次に、鎌倉市。

それから、隣りの石川県の野々市市、ここは2年連続日本一住みやすい自治体に選ばれています。

そうこうしているうちに他の自治体のホームページへ、案外と面白いユニークさを時々アピールしているのが興味深いです。

自治体にも貧富の格差が拡がっているのでしょう。

市民町民村民の為、何をしているのかアピール、サービスするのが、自治体の役割、使命だと考えます。

請求されるばかりで、申請しないと全く恩恵を受けられないというのがお役所へのイメージ。

年収200万円以下の人口が約1200万人、貯金もなく結婚、家庭すら維持できない貧困が、今の日本の社会実態なのです。

例えば、生活保護家族に子供3人居れば、最低月30万円(年収360万円)支給されるとか、そういう自治体アピールもあってもよいのでは?

そんな自治体、国家は、ないのかな?

中国の寝そべり族、日本の引きこもり、世界のあきらめ症候群へのサービス提供の優劣性・・アメリカや日本の国民は、貧富関係無く自らの国家政府を全面的に信頼してはいないと思いますが、中国人(富裕層)の中国共産党政府への信頼度は高いのです。

これは、何を意味しているのでしょう?

かつては、水は井戸から飲んでいました。

今は、水は上水道、ミネラルウォーター、買うものになりました。

昔の熱源は、山にある樹木、小枝や枯れ葉でした。

今は、山の所有者が、それらを商品として扱います。

海辺に行けば、海の幸、アサリ、採り放題でした。

今は、漁業組合が管理します。

衣食住、年収200万円の人は、月額18万円、賃貸アパート、水道光熱費を差し引けば、毎日数千円で暮らさないと赤字借金の日々となる、日本の人口1200万人の現実生活です。

逆に、日本有数の億万長者の方は、毎日100万円を使って、1年3億6500万円、生涯百年として、365億円です。

世界一の富豪と言われるアマゾンのCEO ジェフ・ベゾスの資産は2000億ドル(約21兆円)を超えているとの事・・それでも彼はまだまだ働いて稼ぐようです。

一日の人間一人が生きる為の食べる量なんて限りがあるのに、底なしの強欲に映ります。

お金に賞味期限、使用期限を設定すれば、お金は自動的に富裕層から貧困層に流れて行きます。

個人の自由と社会への貢献、働かない自由人と働く社会人、強者と弱者、その両者が豊かな自由社会の世界を築く、それに気がつかないと格差社会は拡がるばかりです。

僕らは、この地球へ遊びに生まれて来たのです。

一ノ日と書いて、「百」となります。


百島かるた。

2022年01月14日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

鎌倉から保ちゃんから「百島かるた(みんなの百島)」が届きました。

なかなかのモノです。

百島小中学校の先生方、百島有志の皆さまが編纂した百島の歴史、地名、先人の偉業等々をコンバクトに纏めた「百島かるた」です。

但し、応援するのなら兎も角、現在尚、現役で一所懸命に活躍している人物を「百島かるた」に登場させるのは、どうなのかなぁ?という疑問もありました。

未来は、何が起こるかは分かりにくい分野だからです。

明治時代に設立された百島造船所、村上喜兵衛高吉、百島の米騒動、平家の厳島神社(泊)、源氏の八幡神社(本村)、泊の分校、本村の蚕工場、パナマ帽子工場、シルバーオックスを創業した西崎保三さんの事等々、まだまだ載せて欲しかった「百島かるた」。

それでも今回の百島かるたを詠んでいると、百島という郷里を誇りに思うだろうなぁ❗

知的でした❗

最近、よく耳にする話。

百島の僕らの同年代の子供が優秀で、東京大学に進学卒業した子が多いとか❗

しかし、偏差値の高い難易度入学の大学に進学するだけが取り柄になってはいけません。

それを、どう活かすかでしょう。

例えば、最近マスコミからの取材も多く世界からも注目されている日本を代表する若きワクチン学者の赤畑渉さん・・彼のお母様は、百島中学校の先輩にもあたり兄の同級生です。

まだまだ、未来の「百島かるた」に載せる可能性の夢は盛り沢山あるのでしょう。

百島恐るべし❗


武家百代記。

2022年01月05日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

最初に、タイトルの武家百代記の「百」は、万(よろず)の百島を意味している事に気がつきました。

さて、俳優でもあり、武道にも通じる藤岡弘、さん・・・・個人的にも好きなタレントです。

藤岡さんの出身地は愛媛県松山市、ルーツは松山市沖に浮かぶ忽那諸島。

伊予の河野水軍の中心部隊である忽那水軍を誇りにしているとの事。

その後の瀬戸内海の水軍歴史は、村上水軍へと集約して、村上三島(因島、来島、能島)へと分散します。

村上宗家であり総大将となるのが、能島村上水軍です。

瀬戸内海水軍史を学ぶと、愛媛県側の史料が実に素晴らしいのです。

分家としての海上位置、百島村上水軍の存在意義も深く理解出来ました。

愛媛県全体が村上水軍(能島、来島)をバッグアップしているかのような史料の明快さがあります。

それに較べて、広島県側の史料は、主に因島村上水軍を中心とした備後の地域性、毛利、小早川家からの視点で記録のみで想像性が欠けています。

能島村上水軍としては、毛利側についた因島村上水軍の勢力拡大が面白くなかったのかもしれません。

初めは因島村上水軍の統轄地であった百島、田島、鞆の浦を、能島村上水軍は奪い取る策を謀ったのでしょう。

まず百島村上と田島村上の連合軍を、因島村上へと攻撃を仕掛けます。

戦場になった場所は、今の因島大浜で千人塚として名が残っています。

しかし、このクーデタ―は失敗に終わり、田島村上軍の大将は戦死、百島村上軍の大将村上吉高は、百島に逃げ帰り、軍殿山で自刃。

ところが、因島村上軍の勝利で終わったあとの、その後は不可解です。

このクーデターは、村上宗家である能島村上が、裏で糸を引いていたとしか思えません。

その策略としては、大成功だったかもしれません。

毛利、小早川家は、他家の内紛事として穏便に済ませています。

百島村上は存続、自刃した吉高の嫡子村上高吉が継いでいます。

一方、鞆の浦、田島村上は、能島村上水軍の支配下、統轄地になります。

さらに、能島村上水軍は、小早川家より笠岡の領地まで与えられています。

愛媛県側の史料を読み解くと、毛利、小早川側からすると、伊予の国の村上水軍を重要視しなければ、戦国時代に生き残れなかったのです。

毛利氏が歴史上に台頭した厳島合戦。

陶氏に奇跡的に勝利した要因は伊予の国の村上水軍の動静、活躍しかないのです。

毛利家側には、伊予の河野家、村上水軍に足を向けて寝られないぐらいの恩があるのです。

実際上、京、大坂から九州までの瀬戸内海の海上交通の最短ルートは、中継地の備後の国鞆の浦から、田島、横島の南側沿いの燧灘を通ると、直ぐ目の前が伊予の国の弓削島(平城京時代からの荘園)になります。

つまり、鞆と尾道ルートの備後圏を支配していた因島村上水軍の価値、必要性も無くなります。

収入源である通行税も減少します。

南北朝時代から、南朝を支えていた伊予の国の水軍。

室町時代、嘉吉の乱以後、戦国の世が終わるまで水軍は徐々に村上三島水軍として組織化され強大化され、瀬戸内海の覇者となりました。

能島村上水軍と因島村上水軍の覇権争いの中で、村上水軍全体を一番把握していたのが、百島村上軍の村上(喜兵衛)高吉だったようです。

村上(喜兵衛)高吉が居住していた百島茶臼山城を訪ねて、その暮らし、その眺めを見たいものです。

愛媛県の「えひめのデータベース」より抜粋。

村上喜兵衛(高吉)という人が書いた(口述)、『三島海賊家戦日記』というのがあります。略して『武家万代記』と言いますが、それらによりますと、三島村上氏に限らず、縄張りが皆記載されて、どこでいわゆる帆別銭を取るか、通行税である駄別料を取るかというようなことも規定されております。

百島は、その万の情報源の中心位置にあったのでしょう。

因みに、歴史によく登場する村上水軍全体の総大将である村上武吉と小早川隆景、そして村上(喜兵衛)高吉は、同い歳です。


ひと休み

2021年12月28日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
・・一休さん。

朦々(もうもう)として三十年
淡々(たんたん)として三十年
朦々淡々として六十年 
末期の糞をさらして梵天に捧ぐ
借用申す昨月昨日
返済申す今月今日
借りおきし五つのもの(地水火風空の五大)を
四つ(地水火風)返し、
本来空に、いまぞもづく

この世のめでたき言葉は、「親死に 子死に 孫死に」と言った・・一休さん。

大徳寺です。

晩年の一休さんは、この寺の住職でした。



利休も、細川ガラシャも関わり合った・・大徳寺。

播州赤松一門が、大徳寺の起源となり、日本の文化にも多大の影響を与えた臨済宗大徳寺派大本山です。

かつて、遠い昔、百島の山を十文字山と名づけた先人は、京都四条通り沿いの十文字界隈から眺めた大文字山に想いを馳せたのでしょう。

百万遍手前から眺める大文字山と十文字山は、似ています。

東京五輪スタート。

2021年07月23日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

今日は東京オリンピック開会式。

昨日は、大暑と海の日。

一昨日は一日中、伐採仕事・・顔は日焼けしてピリピリ、喉が乾いて熱中症気味。

でも何か似たような達成感。

百島での伐採は、富士山登山の時のような疲労感、達成感と非常によく似ているのです。

帰りのフェリーを待っている最中に、百島の福田桟橋で、5月に亡くなった同級生広喜君の奥さんと会話する機会を得ました。

懐かしい思い出を振り返る事が出来ました。合掌。

生きるということは、キックとゴールまでの旅立ちの途中という事なのかな?

昨日、90代の高齢者が「やっと、あの世で母さんに抱っこして貰える」という言葉を残して、あの世に旅立ったとの事。

さて、福田桟橋に応援幕が張ってありました。

旗手怜央選手のお祖父様が百島出身ということで、彼もこの百島の風景を見たことあるのかな?

コロナ禍の緊急事態宣言はなんのその、4連休初日の高速道路は混雑していました。

サービスエリアで流れていた加山雄三さんの「海、その愛」。

学生時代通っていた中央線荻窪駅の南口にあった喫茶店は、朝から晩まで延々と一曲「海、その愛」を流していたのを思い出していました。

日本、アメリカがボイコットしたモスクワ五輪の頃だったかな?

そのモスクワ五輪で金メダルを獲ったのが、今のオリンピックを動かしているIOC会長のバッハさん、世界陸上連会長のセバスチャンコー氏です。

今日は、東京五輪2020開会式。


人間ドックの日。

2021年07月12日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

今日7月12日は、人間ドックの日だとの事。

身体は乗り物だから、人間にも、車同様に点検、車検は必要です。

40年以上過ぎても、この時季は、いつもドキドキ、ワクワクしています。

学生時代、母校亜大の夏期休暇は7月10日がスタート、長い2ヶ月間の夏休みが始まりました。

その際、最大の関心事は百島への帰省を含めて、何をして、どのように過ごすかという事でした。

あの若い頃は、百島に橋が架かればいいのにとか、事を起こそうとか、日常生活の便利さを求めていたのでしょう。

我々の百島の親世代の子世代への教え、口癖は、「風(ふぅ)が悪りぃ事をするな」でした。

つまりは、世間体に対する風評を気にしていたのです。

親世代になった今、やはり子供には「風(ふぅ)が悪い事をするな」と言い、付け加えて「学業の成績が悪くてもいいから、破廉恥な事をするな。女部屋を覗いたり、下着泥棒などするな」という代々続く教育方針でした。

来年から65歳、余生の過ごし方、休みの過ごし方を考えています。

今日の百島大発見。

百島村上水軍の拠点、茶臼山城跡は西林寺の裏山ではなく隣山にあったという確信を掴みました。

しかも、同級生の実家の裏山でした。

和ちゃん、ありがとう❗

これは、天からの使命というモノかも?

同級生を中心にして百島歴史探検隊を組んでみたいものです。

瀬戸内海を制覇した村上水軍の盛衰史という記録は、総大将村上武吉(能島)と同い年の百島村上水軍大将の村上高吉の口伝なのです。

因みに、百島村上水軍と田島村上水軍は連合して、因島村上水軍を一時裏切り攻撃、能島村上水軍側に付いたという記録もあります。

この発端となる内紛の原因が、どうやら嘉吉の乱まで遡るようです。

それにしても、65歳に近づくとなると・・人生の見える風景が大きく変わります。

簡単に纏めると、変革よりも、穏やかな和やかな面白くという事かな?

明日は、母が逝って百日目の「卒哭忌」。

百島へ墓参り、実家に帰省しても、親は無し。

そうなると、食事も用意、食糧も寝具も持参しないとね。

これからは、実家内でのテントと寝袋は必需品となる百島への帰省旅行です。

百島への滞在は、心身の人間ドックの日ならぬ人生ドックの日々を兼ねるようになると、重ね重ね有り難いです。

人間、誰もが悩んで生きている。


百島応援団旗手。

2021年06月24日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

東京五輪U24代表に、川崎フロンターレ所属の旗手怜央選手が選ばれた❗

いいね❗

次は、A代表へとコツコツとね🎵

フレー、フレー、走れ❗

あらためて、百島をルーツにした旗手姓の全国人口分布を見ると、広島県をトップは勿論だが、百島郷土史によると、明治大正時代から関西、関東及び、北海道栗山町にも多く移住しているのが判ります。

さらに今回、個人的に驚いたのは、九州豊後の大分県速見郡日出町(ひじまち)にも旗手姓の方が多く暮らしているという事実。

日出町は、母が子供の頃に暮らしていたというのを最近知ったばかりで、憶測として想像するのに、大正時代には九州にも百島から集団移住していたのではないかと想いを巡らすのです。

ともかく、遠縁として旗手(はたて)という姓は「故郷百島応援団の旗手(きしゅ、シンボルマーク)」であって欲しいものです。


百年後の人類。

2020年11月26日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
NHK BS 世界のドキュメンタリー「新人類2.0 夜明け」を観て考えたこと。

すべての生命体は、個体を基本として存在している。

人類も然り、進化して現代人まで辿り着いているが、個体として人類1.0レベルであるとのこと。

新人類2.0レベルになると、人間とサイボーグ間の交換行動、人間とロボット間とのセックス、さらには人間間同士でのテレパシー交流の実現は、百年以内に可能だとのこと。

スウェーデンの科学者か政治家だか知らないけど、こんなコメントを言っていた。

「新しいテクノロジーを受け入れることに我々は躊躇わない。古いテクノロジーに依存するということは競争力に負けることで、失業する?未来を失う?」

実際、既に、集団生活の中で実験が始まっている。

本人の個人情報データを極めて小さなマイクロチップにインプット、それを手のひらに埋め込んでの実験社会が進んでいるのである。

手のひらを当てるだけで、本人確認も支払いも可能になるのである。

例えるならば、スマホが小さなマイクロチップになり、マイクロチップが、細胞化するのである。

もうひとつ例えるならば、どこの街中にもある貸し自転車、レンタルな物がサイボーグと化して、すべて通信可能、自動化歩行可能なAI サイボーグであれば、それを通して一体感のバーチャル視化的に、いつもどこでも行けるドラえもん感覚になれるというイメージ。

AI ロボットとのセックスに関しての感想は省くが、頭部を交換移植できるグロテスクな科学医療レベルな話よりも、まだ現実的かもしれない。

つまり、人工AI マイクロチップが細胞化すれば、神経細胞、遺伝子レベルからの人体改造も可能だとのこと。

脳内に脳波を利用したマイクロチップが細胞化すれば神経細胞まで利用可能、言語の壁を超えて、テレパシー的な交流も可能だということ?

そうなると、人間は言葉を覚えると同時期に、脳内に細胞化したマイクロチップの中に人類全知識をインプットすれば、勉強する必要がないのでは?

欲しい情報は、すべて自動的に脳内で集められる。

誰もが天才になれる、そうなるとコミュニケーションはどうなる?

心を交換移植できる(盗む)ということにもなる。

ここまでが、今の人類の科学知識で人間工学ソフトウェア設計上、可能な段階だとのこと。

百年以内に新人類2.0誕生は可能だとのこと。

意識ある世界なのか、無意識な世界なのか、新人類2.0の誕生のあとにも、進化するであろうとのこと。

それは、心の移植が可能となるならば、新人類は2.1レベルに進むとのこと。

夢想社会なのかな?

百年後の未来社会、新人類を観て見たいものです。


百島愛。

2020年11月09日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
また、百島の宝が一つ消えました。

溢れる百島愛一筋だった藤田武士さんが亡くなられたとのこと。

藤田さんは、松下電器を退職後、故郷の百島に戻り、百島農園を立ち上げました。

ブランド化栽培として、瀬戸イチゴを世に出したのも藤田武士さん。

百島活性化の為の仕掛け作り、起爆剤となるような発想力、様々な活躍をされた藤田武士さん。

テレビ朝日の「人生の楽園」にも、ラジオにも出演されていたなぁ。

生前の藤田武志さんとは、一度もお話しをする機会がありませんでしたが、兄によると、父が元気だった頃には、我が家の実家にもよく遊びに来られていたとのこと。

藤田武志さんとの個人的な繋がりは、ほんのひと月ほど前に、Face book上で友達になったばかりでした。

百島のこと、百のこと、何もお話しできなかったことが、残念でなりません

昨日は、岡山県の百々巡りをしながら、こういう体験を藤田武士さんに直接伝えて、話してみたかったなぁ・・・と。

心より深く、ご冥福をお祈り申し上げます。

合掌


トリアージ。

2020年11月02日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
トリアージ、もともとは、コーヒー豆の選別を意味します。

今は、災害後の患者に対する緊急度と優先度を選別するという意味の方が分かりやすいかもしれませんね。

災害後は、災害関連死という対策も考えないとね。

騒がしい患者さんは、元気なのです。

廃用症候群(生活不活動症候群)や、ストレス、トラウマもあるでしょう。

無気力、理不尽、残酷・・・自殺の要因は、さまざまストレスもあるでしょうが、「疲れ果てないこと」です。

楽しく、ふざけて生きていくのも必要。

最大多数の最大幸福とは、かな?

恐竜は、知っているかも。







最近の楽しみは、次はどこの「百」が付く地名を訪ねてみようかと考えるだけで楽しいです。

ハザード。

2020年11月01日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今日から11月1日。

コロナ禍で今日に延期されたのか、先程、東京で災害防災訓練があったニュースが流れていました。

訓練に参加していた菅首相が、その場で「自助、共助、公助」それぞれの役割をスピーチ、意味合いを説いていました。

実際の災害に遭えば、自分の身は自分で守るというのが自助ですから、当たり前の事です。

ハザードとは、人間社会にとっての外からの危険因子力・・・つまり、台風、地震、竜巻が引き起こすのは、災難災害。

しかし、これらは自然の営み、地球上の日常なのです。

災害となるのは、人間社会、人間生活に大きな支障、困難、事故をもたらす事を、人間は「災害」と呼ぶのです

人間社会の災害となるものを、災害前に対策を抗じるのが「防災減災」です。

地震は必ず来る。

津波は必ず来る。

山は崩れるもの。

河は溢れるもの。

自然の営みです。

広島の市街地が証明しています。

広島の街は、山から運ばれた土砂崩れ、デルタ洲から成り立っています。

東京のような大都会の都心部で大きな災害があれば、400メートル進むのに1時間かかるとのこと。

そして、都心部ではトイレ問題と水分補給、これが深刻な問題を引き起こすとのこと。

運良く生き残った者としても、大変な問題です。

防災絡みですが、新型コロナウィルスの感染対策と原子力災害の放射線への恐怖心・・・似て非なる危機管理です。

両方、目に見えないものに対する防災意識の課題。

リスク(危険)管理は、生じた危機(クライス)管理をも含みます。

原子力の専門家は、興味深い事を話していました。

約10年ごとに、重大な原発事故が起こる、順番からすると、次は、韓国か、中国か?」

ハザードとは、危険因子力。

・・・恐竜がくる。





さて、最近「百」が付く地名あれば、どういう場所なのか?・・・と、よくハザードマップでも確認して見ます。

とても、興味深いです。

百人一首 百番歌。

2020年10月25日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
百人一首、最後の百番目となる和歌は、百敷から始まります。

鎌倉時代初期、選者の藤原定家の面持ちを推し測ると、見事としか言い様がありません。

百番歌
百敷(ももしき)や古き軒端(のきば)のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
(順徳院)

〈意味〉
百敷とは、宮中(大宮)を意味します。
宮中の古い軒端に忍ぶ草を見て、遠く華やかだった昔の往時を偲ぶ刹那さ。

作者の順徳院は、第84代の天皇です。
父親の後鳥羽院と朝廷復権を旗印に「鎌倉を討て」と承久の乱を起こしますが、鎌倉側の武士に敗れて、後鳥羽院は隠岐の島に、順徳院は佐渡島へと流刑の身となります。

平安貴族の権力の終焉でもあります。

政治の実権は鎌倉幕府へと変わり、幕府と朝廷の力関係に配慮して、当時は、後鳥羽院、順徳院親子が詠んだ和歌も封印されたとのこと。

にもかかわらず、政治的立場を超えて、藤原定家(京極中納言)は、優れた歌人百人の中に、九十九番目に後鳥羽院、百番目に順徳院、流刑された二人を選んでいます。

現代風に例えるならば、政治力学よりも芸術文化を優先させたのでしょうが、それよりも、人間としての定家は、敗者にも弱者にも、必死で生きた者に対して、平等な立場の選者でいます。

優越的な上から目線で嘲笑う事はしていません。

僕の個人的な興味視点に戻ります。

昔昔、百人一首で「百敷」という言葉を見ても、余り深く考えもしなかったのですが、この頃、「百」が付く各地の地名を調べたりしていると、近くに大宮神社とかも現れます。

「百」という文字には、古くから宮中(大宮)に関連した「まつりごと」の意味合いもある事が判ります。

でも、「百」には、桃太郎の「桃」のように、鬼を退治して、人様を助けるようなパワーがない❗

昔を偲ぶだけの「百」では、寂しくなります。

先日、普通救命士講座に参加しました。

人様を助けるのには、体力もハートの強さも必要です。

災難に遭うときには、災難に遭うのがよい、これが災難から逃れる唯一の妙法と言ったのは、良寛和尚さんでした。

人間は、この世に裸で生まれてきたから、何も所有していないとのこと。

だから、人生には、不要なものが多すぎて、その不要なものを、何故か人間は多く必要とします。

剣の達人になると、刀で人を殺すことはしなくなり、剣術を教え人を生かそうとするようです。

つまり、人目のつかないところで、よい行いをする事に繋がるのでしょう。

平安時代の貴族の言葉、文字の情感に、驚かされてしまう小倉百人一首です。

17番歌
ちはやぶる神代(かみよ)もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
(在原業平)

99番歌
人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふ故にもの思ふ身は
(後鳥羽院)

百は、表意文字です。

文字、言葉は、素晴らしい❗

その時の気持ちが、何百年過ぎた後も、文字通り今に伝わって来ます。



十六夜月に想う。

2020年10月02日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今宵の十六夜月、澄み渡っています。

昨夜は、琵琶湖湖畔の高月町で、中秋の名月を眺めていました。

冴え渡っていました❗

考えること、整理すること、淀む心が、浄化してゆくような面持ちでした。

さて、近江八幡市の百々(もも)神社に参拝。



宮司さんと1時間ほど談笑。

いろんな事を伺い教えていただきました。

織田信長が築城した安土城から、車で10分か15分程度の距離に百々神社があります。

信長が滅亡したあと、豊臣秀吉の時代には、百々神社の裏手の八幡山に城を築いたのは、この地を治めのが養子で甥である秀吉の跡継ぎとなる予定だった太閤豊臣秀次でした。

この界隈、かなり重要な地域だったのでしょう。

近江八幡の歴史を含めて、整理中です。

加えて、愛荘町の百々を訪ねました。



この近くには、荒神山があります。

思い出すのは、百島小学校のグランド前、坂上(さこじょう)側にある小山です。

誰が名付けたのか、百島の荒神山です。

赤松一門の五輪塔なるものが残っています。

此れまた、この事実を整理中です。

・・・後日に続く。

今朝の中秋の名月です。





明るい月が沈んで、夜が明けました。

夕日と朝陽が同時に来たような不思議です。

秋と夏がひっくり返ったような不思議です。



何か起こるような期待と予感です。

琵琶湖湖畔、高月町にて。

百島 最北端。

2020年09月20日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
百島最北端の絵図。

先日、地元RCCテレビ(中国放送)の番組で使われた空撮映像です。



撮影は、百島ネットワーク代表のキャプテン。

・・・女男岩は、どこかな?

こういう場所で生まれ育ったならば、不便で、楽でもないけど、無垢な魂に戻ります。

偉い人間にはなれなくても、善い人間にはなれます。

理想の人間にはなれなくても、思いやりのある人間にはなれます。

百島からのメッセージが伝わりました。