Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

浄光寺(2013年10月5日参拝)

2013-10-27 | 仏閣

所在地:大阪府大阪市住吉区上住吉1-9-29
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:永禄元年(1558)


【山門】


山門から境内を見ると本堂まで左右にお墓が並んでいる。(^^;

小さな檀家寺だから仕方無いけど、
これはなかなか入りづらい。(^^;


【本堂】


檀家寺の多くは本堂が閉められていますね。


【油かけ地蔵尊】




鎌倉時代造立かと思われる石仏で、油をかけて無病息災を祈願する。
かつて疫病が流行した時に「油を掛ければ良い」とのお告げ通りにして
回復したのが始まりという。


【稲荷社】



御朱印の有無は不明ですが、
恐らく無いと思われます。

東福寺(2013年10月5日参拝)

2013-10-26 | 仏閣
住吉東駅から徒歩1分ほどの場所にあるのが東福寺。

京都の東福寺とは全く関係ありません。(笑)



所在地:大阪府大阪市住吉区住吉一丁目7番15号
宗派:信貴山真言宗
御本尊:毘沙門天王
創建:不明
開基:(伝)弘法大師


【由来】
当寺は弘法大師の開創にして南北朝時代の忠義の武将楠木正成の千早城における
念持仏の毘沙門天王をご本尊とする古刹である。

楠木正成は当寺御本尊に祈願して息子楠木正行を授かり、
毘沙門天王を千早城から当寺にお移しした後も、正行は住吉、天王寺の合戦や、
かの四条畷の合戦に趣く際、当寺御本尊毘沙門天王に戦勝の祈願を行い、
出陣したと伝えられる。

創建時は、現在地から約百米程西の熊野街道に面した所にあったが、
文化年間に住吉村の会所にする為、現在地に移転した。

現在の本堂は正徳二年(1712)峻昌龍喜和大和尚の再興によるものである。


【鳥居】


一瞬、神社かと錯覚してしまいますが、
よく見るとお寺です。

しかも真言宗で鳥居とは珍しい。


【親子地蔵】





【本堂】



【内陣】


御本尊は秘仏で正月3日間のみ御開帳されます。

向かって奥に見えるのが弘法大師尊像です。

須弥壇の上部、天上の四隅に四天王が向かい合わせとなっている例は、
大変珍しく美術的にも高い評価を受けているそうです。


【宝篋印塔】



【稚見大師】



【七福神】



【一願毘沙門天】



【御朱印】

宝泉寺(2013年10月5日参拝)

2013-10-25 | 仏閣
一運寺から次に参るお寺は宝泉寺です。

こちらも小さなお寺ですが十三佛が見所みたいです。



所在地:大阪府大阪市住吉区住吉1-6-2
宗派:融通念仏宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天元5年(982)
開山:恵心僧都


【由来】
当寺は萬年山 西光院 宝泉寺と称し、平安時代中期天元五年(982)五月
「往生要集」の著書で名高い名僧恵心僧都(源信)により開基された寺院で、
本尊一光十三佛は同僧四十二歳の厄除けのため自ら削まれた佛像であります。

往時は念仏坊と称していましたが、室町時代後期元亀二年(1571)に
宝泉上人が再興し宝泉寺と改称されました。

また、石佛の十三佛は元亀年間に旧住吉村字石本より
掘り出された巨石を十三体の石佛に刻んだもので、
此世の安穏と後の世の極楽往生を願ったものです。



【山門】


門は閉じられ境内に入ることすら許されていません。


【本堂】



【二重塔】



【仏堂】



【十三佛】












花崗岩製の丸彫りの十三佛で、住吉大社周縁に残る石仏。

忌日供養や使者供養のため造像され、
現世と使者の国との境界の地に祀られているとか。


御朱印の有無は不明です。

一運寺(2013年10月5日参拝)

2013-10-24 | 仏閣
続きまして閻魔地蔵尊から一運寺へ。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-6-23
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:聖徳太子


【歴史】
およそ千三百九十年余り前に聖徳太子が夢の中で
西の方角に地上から天に昇るまばゆい一筋の光があり何事か?と驚いていると
「住吉の地こそ実に過去七仏転法輪の処」という声を聞き夢から目覚めた。

そんな夢を見た聖徳太子は四十二歳の時(616)
この地に自らの厄除けの意味も込めて七堂伽藍を建て転法輪寺と名付けた。
それが当山の始まりである。

その為本堂には昔から聖徳太子像が大切に祀られており、
厄除けの参拝にこられる人もおられます。

当寺は何度も焼失、復興を重ね室町時代・寶徳二年(1450)
一蓮社光日良公上人が法然上人ご旧跡として法性山宝樹院一運寺
(現在は金龍山寶珠院一運寺)と命名し浄土宗の寺として再建された。
それまでは天台宗の寺院だったようである。


【山門】


元々、住吉細井川の近くにあった明治天皇の側室・若菜局のお屋敷の門を移築したもの。


【鐘楼堂】



【本堂】


本堂は残念ながら閉まったままでした。


【内陣】


HPより拝借したものです。

御本尊の手前に知恩院よりおくられた法然上人御分身が祀られています。


【聖徳太子像】


威厳のあるお顔をされてますね。

見てみたかったなぁ。


【赤穂義士】




赤穂義士四十七士の内、大石父子と寺坂吉右衛門の三基の墓がありました。


【法然上人御詠歌碑】




建永の法難で讃岐に流されていた法然上人はすぐ赦免されましたが、
まだ都に帰る事は許されませんでした。

勅命で箕面の勝尾寺に入る事になり一路箕面を目指した船が、
嵐に遭われ泉州岸和田へ漂着、船が住吉の浜まで流されました。

船の修理する間法然上人は当山に長くご滞在されまたご説法され
「ゆきめぐる山路も里も吉水の清き流れの尽きじとぞ思う」と
御歌を詠まれて当寺を去られたとのこと。


御朱印はございますが不在でいただけませんでした。

閻魔地蔵尊(2013年10月5日参拝)

2013-10-23 | 仏閣
住吉神社の周りには意外にもお寺が多く、
折角なんでお寺巡りをしてみることに。

生根神社から阪堺電軌上町線を越え閻魔地蔵尊へ。


【ちん電】


衝撃の一両編成。

大阪でも一両の電車が走っているんですね。(^^;


【閻魔堂】


六道の辻に建つ小さなお堂に祀られているようです。

中に入ると堂守のおばちゃんがいて驚いたよ。
てっきり無人だと思っていたので。

現在も講組織によって護持されているそうです。


胸前で杓を執り結跏趺座する閻魔王を半肉彫した像で、
天文7年(1538)の銘が残る。

死者供養、六道救済の地蔵尊としての側面を併せ持つ、
全国的にも珍しい閻魔と地蔵が一体となった、
まるで油掛け地蔵のように黒光りされたお顔の小さな坐像石仏でした。

残念ながら撮影不可でした。

御朱印もございません。