Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

一運寺(2013年10月5日参拝)

2013-10-24 | 仏閣
続きまして閻魔地蔵尊から一運寺へ。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-6-23
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:聖徳太子


【歴史】
およそ千三百九十年余り前に聖徳太子が夢の中で
西の方角に地上から天に昇るまばゆい一筋の光があり何事か?と驚いていると
「住吉の地こそ実に過去七仏転法輪の処」という声を聞き夢から目覚めた。

そんな夢を見た聖徳太子は四十二歳の時(616)
この地に自らの厄除けの意味も込めて七堂伽藍を建て転法輪寺と名付けた。
それが当山の始まりである。

その為本堂には昔から聖徳太子像が大切に祀られており、
厄除けの参拝にこられる人もおられます。

当寺は何度も焼失、復興を重ね室町時代・寶徳二年(1450)
一蓮社光日良公上人が法然上人ご旧跡として法性山宝樹院一運寺
(現在は金龍山寶珠院一運寺)と命名し浄土宗の寺として再建された。
それまでは天台宗の寺院だったようである。


【山門】


元々、住吉細井川の近くにあった明治天皇の側室・若菜局のお屋敷の門を移築したもの。


【鐘楼堂】



【本堂】


本堂は残念ながら閉まったままでした。


【内陣】


HPより拝借したものです。

御本尊の手前に知恩院よりおくられた法然上人御分身が祀られています。


【聖徳太子像】


威厳のあるお顔をされてますね。

見てみたかったなぁ。


【赤穂義士】




赤穂義士四十七士の内、大石父子と寺坂吉右衛門の三基の墓がありました。


【法然上人御詠歌碑】




建永の法難で讃岐に流されていた法然上人はすぐ赦免されましたが、
まだ都に帰る事は許されませんでした。

勅命で箕面の勝尾寺に入る事になり一路箕面を目指した船が、
嵐に遭われ泉州岸和田へ漂着、船が住吉の浜まで流されました。

船の修理する間法然上人は当山に長くご滞在されまたご説法され
「ゆきめぐる山路も里も吉水の清き流れの尽きじとぞ思う」と
御歌を詠まれて当寺を去られたとのこと。


御朱印はございますが不在でいただけませんでした。