Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

宝珠院(2013年7月13日参拝)

2013-08-26 | 仏閣
所在地:東京都港区芝公園4-8-55
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:貞亨二年(1685)
開山:霊玄上人
札所:港区七福神



【東京タワー】


暑い中、歩いて東京タワーの下までやってきました。

これでもう充分満足したので東京タワーの上まで登ってません。


しかし東京タワーの近くに南禅寺東京出張所の金地院があると、
後日知りちょっと悔しかったです。(^^;


【境内入り口】


芝東照宮へ向かいグルっと回っているとお寺を発見。


【本堂】



【弁天堂】



【閻魔堂】





【子育水子地蔵尊】



【妙見堂】



【弁天池】



【御朱印】


全て書置きで弁天堂の前に置いてありました。

熊野神社(2013年7月13日参拝)

2013-08-25 | 神社
所在地:東京都港区芝公園4-7-35 
御神体:家津御子大神、大己貴命、伊弉諾尊
創建:元和十年(1624)
勧請:正誉廓山上人


【鳥居】


増上寺の鎮守社のようです。

よって増上寺の鬼門に鎮座しております。




振り返ると東京タワーが見えた。


【由来記】



【手水舎】



【八咫烏】




日本書紀によると神武天皇が天下統治のため紀の国(和歌山県)の熊野に上陸した際に、
東征中の荒れすさぶる中で道に迷った時、日輪の中の天照大命より
「天から八咫烏やたがらすを使わそう。その八咫烏が道案内をするであろう。
八咫烏の飛びゆく後ろに付いて行きなさい。」というおさとしがありました。

そうして無事山越えを出来たという、まさに神のお導きという言い伝えが残されています。

ルーツは中国で太陽の中に三本足の烏が住む(おそらく黒点であろう)と考えられ、
太陽は烏によって空を運ばれるとも考えられました。
 
烏の足を三本とするのは二本足は陰数の為、
陽の数である「三」こそが太陽にふさわしいと考えられます。
 
日本に於いても三本足の烏が太陽の象徴であると伝わったと推測されます。
 
また時代によっては「地・仁・勇」或いは「天・地・人」を表すとも言われています。
 
日の神、天照大神の子孫である天皇が三本足の烏と八咫烏が習合し、
熊野の烏も三本になったものと考えられます。


【社殿】



御朱印は無いと思います。

増上寺(2013年7月13日参拝)

2013-08-24 | 仏閣
今日は東京の江戸川に用事があり遠征です。

仕事じゃなく遊びで東京に行くのは約4年振りです。

浮足立っていたのか新大阪で携帯持ってくるのを
思いっきり忘れていたのを気付く。

茫然とするとともに携帯無いと不安を感じた。(^^;


東京で最初に参拝するのは徳川家の菩提寺として、
また関東浄土宗の本山として有名な増上寺です。



所在地:東京都港区芝公園四丁目7番35号
宗派:浄土宗鎮西派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明徳4年(1393)
開基:聖聡
札所:江戸三十三箇所21番



【縁起】
浄土宗の七大本山の一つ。
江戸時代の初め源誉存応が徳川家康の帰依を受け大伽藍が造営された。

以後徳川家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆した。
さらに江戸時代総録所として浄土宗の統制機関ともなった。

戦災によって徳川家の将軍やその一族の御廟は焼失した。
焼失をのがれた三門・経蔵・御成門などを含む境内は、
昭和四十九年(1974)完成の大本堂とともに近代的に整備された。



【東京タワー】


増上寺へ行くには最寄駅が幾つかありますが、
私は品川から大門駅へ。

駅に着くと東京タワーが見えました。
テレビでは腐るほど見てますが生で見たのは初めてです。

東京には何回も来てますが今まで東京タワーが見える場所には行って無かったので。

意外と嬉しかったです。

しかし今日の東京はメチャクチャ暑いっす。


【大門】



【三解脱門】








知恩院の山門に匹敵するような立派な門です。

三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことで、
非公開の二階部分には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されているそうです。


私なんかなかなか解脱出来ませんわ。(^^;


【土塀】


境内に入って本堂を見たい欲求を抑え土塀沿いを歩いていく。


【旧方丈門】




さすが増上寺だけあって三解脱門とは別に渋い門があります。

三代将軍家光公の寄進・建立とされ慶安年間(1648~1652)の建立とされております。


【慈雲閣】




参拝した時は知らなかったが葬儀会場だとか。


【境内】


広い境内の奥に見えるのが大殿と東京タワーのコラボです。


【経蔵】


徳川幕府の助成により建立されたもの。


【境内】


いよいよ大殿へ向かいます。

ふぅ、暑いなぁ。


【光摂殿】


「心を洗い、生きる力を育てる」為の講堂、道場として、
平成十二年(2000)に建立されたもの。


【大殿】






東京タワーとのコラボが素晴らしい。

絵になるとはまさにこのことです。

屋根に光る金色の鴟尾はまるで東大寺の大仏殿と同じような感じですね。


【扁額】



【東京タワー】



【本堂内部】






最初に堂内に入った時はちょうど僧侶達による読経と法話をされておりましたので拝聴。

法要や法話されている時は撮影禁止ですが、
それ以外の時は撮影OKです。(許可済み)

しかし巨大な大殿の割には御本尊様は小さいなぁと思った。

このような建物にはせめて丈六ぐらいの大きさが無いと、
釣り合わないと大変失礼ながら個人的にそう感じました。


【法然上人像】



【善導大師像】



【境内】


大殿から見た境内です。


【法然幼年像】



【安国殿】




恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られていますが、
厨子の中にあり代わりに御前立が見れました。

こちらも法要の時以外は撮影OKです。

御朱印はこちらでいただけます。


【西向聖観世音菩薩】






かなり古そうな観音さんです。

いままで一体何人の方が拝んできたんでしょうね。


【四菩薩像】


左から文殊、虚空像、地蔵、普賢菩薩となります。


【徳川家霊廟】




中に入ると霊廟絵葉書付きですが拝観料500円かかりますが、
ここまでは無料で見れます。

この重厚な門は旧国宝で「鋳抜門」と呼ばれ、
もと文昭院殿霊廟(六代将軍徳川家宣公)の宝塔前中門であったもの。




折角なんで拝観料を支払い入ってみました。






二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、
十四代家茂公の六人の将軍の他、崇源院(二代秀忠公夫人)、
皇女和宮さま(十四代家茂公夫人)ら五人の正室、
三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ五人の側室、
及び三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。

しかし肝心の家康、家光、吉宗等のビッグネームの石塔や宝塔はありませんでした。


【増上寺御霊屋】






絵葉書より。

旧徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ墓所・本殿・拝殿がありました。
戦前には国宝に指定されていましたが、先の大戦の二度にわたる空襲直撃で
ほとんどが焼失し僅かに残った建物も国宝指定を解除。


惜しい。
実に惜しい。

絵葉書を見ただけでその素晴らしさが分かる。

これほどのものが戦争で失われるとは残念で仕方無いですね。


【東京タワー】


霊廟からも良く見えます。

かなり近いんですね。


【景光殿表門】






大殿の裏側になります。


【大殿】


表門から見た大殿です。


【圓光大師堂】




大師堂や法然上人像を見て分かる通り新しいものです。


【貞恭庵】




皇女和宮所縁の茶室。

貞恭庵の名は和宮の戒名である静寛院宮贈一品内親王好誉和順貞恭大姉から。


【聖観世音菩薩】



【舎利殿】




地蔵尊像が祀られていました。


【鐘楼堂】





【写経塔】



【観音像】



【旧台徳院霊廟惣門】




いわゆる仁王門ですが実に美しい惣門です。

重要文化財。


【仁王像】




修理の際に体内から修理銘札が発見され、元は埼玉県川口市西立野の西福寺(真言宗)の
仁王門に安置されていたもの。

安政二年(1855)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、
昭和二十三年(1948)同寺三重塔の修理と同時期に三度目の修理が行われた後で、
東京浅草寺に移されたことも記載されています。

その後の経緯は詳らかではありませんが、
昭和三十三年頃までにはこの惣門に安置されたと考えられます。


【勅額門跡】


元々あった重文の勅額門は狭山不動尊に移築されています。

狭山不動尊を調べてみますと西武鉄道グループの堤オーナーが、
プリンスホテルを開発する際に芝増上寺やその他からの文化財をこの地に集めて、
1975年に創建されたお寺。

勅額門の他に御成門、丁子門(全て重文)も増上寺から移築されているとか。


買収した土地にプリンスホテルを建てる為なら、
偉人の墓を掘り起し、歴史的な建築物を己の他宗派の寺に移築する。


有り得ない。

私なら恐れ多くて絶対出来ない事ですが、
これぐらいh酷い事が出来ないと実業家として成功しないんだろう


【御朱印】


基本的に阿弥陀如来と西向聖観世音の御朱印がいただけますが、
リクエストすれば黒本尊と六字名号の御朱印もいただけます。


【御朱印帳】


この御朱印帳は実に渋くて一目惚れしました。(^^

熊野那智大社(2013年7月6日参拝)

2013-08-23 | 神仏霊場巡拝の道

所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
主祭神:熊野夫須美大神
社格:官幣中社、別表神社
創建:伝仁徳天皇5年
札所:神仏霊場巡拝の道第3番


【由緒】
熊野那智大社は熊野三山(本宮、新宮、那智)のひとつとして信仰を集めてきました。

古来、神武天皇東征の折、熊野の地に上陸され、
八咫烏の道案内で山々を超え大和の国に入られる前に那智の滝に大己貴神をお祀りしました。
 
那智山の信仰の始まりは、神倭磐余彦命が那智の瀧を神として祀られたことに始まり、
その後、仁徳天皇5年(317)に那智の滝から現在地に社殿を移し、
夫須美大神をお祀りしたのが熊野那智大社の起源といわれています。

修験道の霊場となってからは「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」と崇め、
熊野信仰の御本社としての篤い信仰が寄せられ那智山熊野権現と申しました。
 
御祭神の夫須美神は「むすび」=「結」で願望成就の信仰であり
一時期「結宮」とも申しましたが、後に官弊社となり今日では「熊野那智大社」と称し、
熊野本宮大社・熊野速玉大社と共に「熊野三山」と申します。


【一の鳥居】



【社殿】


青岸渡寺の隣に鎮座しております。


【神門】


こちらから境内に入りました。


【那智大楠】


樹齢八百年を超えるこの大楠は平重盛が参詣の際に手植したものと伝えられていますが、
信じる信じないはあなた次第。(笑)




確か300円の願掛けの護摩木と共にその洞を通り抜けると願いが叶うとか。

商売の為に神木をくぐらせるなんて罰当たりな、
と思うのは私だけでしょうか。(^^;


【拝殿】



【本殿】



【八社殿】



【外陣香炉】


拝殿前に神社では珍しく外陣香炉が置かれておりましたが、
さすがに線香を焚く訳にもいかないので薪がくべられていました。


【宝物殿】



【二の鳥居】



【遠景】




熊野の山だけあってどんよりとした曇り空で時折雨も降っていました。

しかしついてることにバスに乗ったら豪雨になったので助かりました。


【御朱印】



那智の日帰りツアーを参加して思ったのは、
やはり500キロもの距離をバスで来て美味い海の幸を食わずに日帰りでは勿体ない。

熊野古道や阿弥陀寺、熊野本宮大社や熊野速玉大社等も行きたいしね。

青岸渡寺(2013年7月6日参拝)

2013-08-22 | 西国三十三ヶ所
本日メインの青岸渡寺に到着。



所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
宗旨:天台宗
御本尊:如意輪観音菩薩
創建:伝・仁徳天皇治世(4世紀)
開基:伝・裸形上人
札所:西国三十三所第1番、東海白寿三十三観音、神仏霊場巡拝の道第2番



【由緒】
印度天竺の僧、裸形上人が那智大滝において修行を積み、
その暁に瀧壷で八寸の観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初です。

その後、200年推古天皇の頃、大和の生佛上人が来山し、
前述の話を聞き一丈(3m)の如意輪観世音を彫み、
裸形上人が感得した八寸の観音菩薩を胸佛に納め
勅願所として正式に本堂が建立されたのです。

平安朝中期から鎌倉時代は、「蟻の熊野詣」といわれ、
熊野三山の信仰が盛んになり、この時、65代花山法皇が三年間山中に参籠され
那智山を一番にして近畿各地の三十三観音様を巡拝されましたので、
西国第一番礼所となりました。


【遠景】


駐車場から見た青岸渡寺です。

473段の石段を登りますが所々で平坦な道を歩くので思ったより軽い軽い。

暑い時、寒い時、大雨の時はしんどいでしょうけど。


【石碑】



【山門】





【本堂】


本堂外陣、内陣とも撮影禁止。
中の雰囲気はいかにもって感じです。

現在の本堂は織田信長南征の兵火にかかり天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建。
桃山時代の建築をとどめた建築物で重要文化財に指定されています。


何と言うか信長が焼き払い秀吉が再建っていっぱいありますね。


【香炉】


煙じゃなく炎が立ってました。(^^;

寺の方が沢山のお線香を真ん中に集めたのかな。
こうしないとお線香を立て難いもんね。


【三重塔】




安いバスツアーの悲しい宿命で時間の都合で近くに行くことも叶わず。(泣)

三重塔から那智の滝を見たかったなぁ。


【宝篋印塔】


鎌倉時代の元享2年(1322年)に建立されたもので重要文化財。


【鐘楼堂】



【大黒堂】




悲しいかな、
本堂であれだけ居た参拝者も大黒堂を訪れたのは私だけでした。


【尊勝院】



【紫陽花】



【風景】



【御詠歌符】


西国霊場公認先達と同行していたのでいただきました。

正直要らないのですが。(^^;


【笈摺】


今回は御詠歌の笈摺を始めます。


【御朱印帳】


二回目の西国用御朱印帳です。

これは四天王寺近くのお店で買ったもので、
満願になったら次は掛け軸では無く額装にする予定です。


【御朱印】


三重塔の御朱印です。




西国の御朱印です。

あと御詠歌と大黒天の御朱印がありますが、
それはまたの機会に。