Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

菅原神社(2013年6月22日参拝)

2013-08-15 | 神社
開口神社から300メートル離れた場所に鎮座するのが菅原神社。

菅原神社といえば菅原道真公しかありますまい。


所在地:大阪府堺市堺区戎之町東2丁1-38
主祭神:菅原道真公、天穂日命、野見宿祢
創建:長徳3年(997)



【由緒】
今から千年以上前、節摂津の国北の庄、海船の濱に一体の木像が流れ着きました。
これは菅原道真公が配流された大宰府の地で自ら作られ、
海へ放された七天神のうちのひとつと伝えられています。
御神体は暫く付近の住人によって大切に祀られていましたが、
摂津の国北の庄の氏神であった天台宗威徳山天神常楽寺の僧徒が御神体を同寺に遷し、
九九七年(長徳三年)に天神社を創建したことが菅原神社の始まりです。

一五三二年(天文元年)十二月十四日、夜半に北の庄から出た火は折からの季節風にあおられて、
天神社を含む北の庄のほぼ全域にあたる四千軒を焼きつくしました。

それから約四十年、一五七四年(天正二年)当時の神社の配置図を見ると、
本社、拝殿、大梵天堂、金殿、観音堂、薬師堂、護摩堂、御影道、食堂、経堂、連歌所、
塔、鐘楼、仁王門および南北の門がえがかれており、
再建後、敷地と規模を拡大させていたことがうかがえます。

また本社、大梵天堂、観音堂などの名称から神道と仏教の建物が共存していたことが示されています。
一八七二年(明治五年)、天神社は大梵天社など仏教関係を廃絶。
明治には神仏分離令により天神社を菅原神社と名称を改めた。

また先の大戦では随身門と金毘羅宮を残して建物や宝物が完全に焼失。
戦後復興のよりどころとして再建の声が高く、
それを受けて昭和二十六年一月に菅原神社と戎神社、
昭和三十年八月に薬祖神社の三社が再建されました。
幸いに焼失を逃れた金毘羅宮は菅原神社の拝殿の一部として使われています。


【鳥居】



【随身門】




慶安5年(1652)に建立されたもの。

いや~堺でこんな立派な楼門が見れるとは夢にも思いませんでしたよ。

というかそもそも大阪ではあんまり無いと思う。
大戦でことごとくアメリカの爆撃により大阪は破壊されましたからね。

本当にアメリカは無差別攻撃なんて、
アルカイダも真っ青な事をしてくれたもんです。(怒)

あ、こんなことを書いたらアメリカのNSAからチェックが入ってるかも。(苦笑)


【小西行長 傘松の幹】


小西行長は秀吉に仕えた水軍の武将で天下統一や朝鮮出兵で
重要な役割を担ったにもかかわらず、これまで関ヶ原の敗戦の将、
キリシタン大名として歴史のベールに包まれてきた堺の武将で楼門には、
彼が朝鮮半島から持ち帰ったとされる傘松の幹が置かれています。


【千両松幹】


こちらも随身門に置かれておりました。


【境内】



【神牛】



【薬祖神社】


御祭神は少彦名命と神農大神が祀られています。

少彦名命は童話「一寸法師」のモデルといわれ医業・酒造の神、
神農大神は古代中国の伝説上の王で医薬の基礎を作ったことから薬祖神として知られています。

応永4年(1397年)創建され明治40年菅原神社に合祀されました。


【拝殿】





【狛犬】



【堺戎神社】




1666年に現在の戎島町に創建され昭和26年に境内に遷されたもの。

堺戎神社の御朱印も菅原神社の社務所でいただくことが出来ます。
今回はいただきませんでした。

こっちの方が社殿が大きく立派なような気がする。(^^;


【稲荷神社】


平成13年に再建されたもの。


【南大門】


時代劇のセットかというぐらい立派な門です。

駐車場はこの門の奥に数台分ありました。


【東大門】



【御朱印】