前回安土に来た時はすっかり忘れていた石馬寺。
安土を堪能するのに精一杯で石馬寺まで頭が回りませんでしたよ。
住所:滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面千手観世音菩薩
創建:推古2年(西暦594年)
開基:聖徳太子
札所:聖徳太子霊跡、役行者大菩薩霊場、近江百八観音霊場、湖国十一面観音霊場、
近江湖東二十七名刹霊場
【縁起】
今からおよそ1400年前の推古2年(西暦594年)のこと推古天皇の摂政であった聖徳太子が
霊地は近江国にあると占い永久に鎮護国家、興隆仏法、利福衆庶を祈る道場を求めて
行く駒の蹄に任せて繖山の麓辺りに来ると駒は歩みを止めて進まないので、
ここの松の樹に乗馬をつないで山に登り、自らこの山の地形を観察されたところ、
風光秀麗、瑞雲靉靆、深く感動して積年の望みをこの地に得たりとして、
再び山を下ると松の樹につないだ馬が、そばの池に沈んですでに石と化していました。
聖徳太子はこの奇瑞を覧て感動、大いに霊気を感じ、
直ちに山を『御都繖山』と名付け寺を建立して馬が石となった寺、
つまり『石馬寺』と号されました。
【歴史】
「石馬寺」は聖徳太子の創立以後、法相宗、天台宗と転宗し、近江源氏、
代々木氏の篤く帰向するところとなりましたが、永禄十一年(1568)、
織田信長が京都に上ろうとして佐々木承貞を攻めた時その戦禍を受け伽藍、
院妨ことごとく兵火の災いに罹り昔日の壮観を二度と見ることができなくなりました。
越えて豊臣氏が天下を取るや寺領、山林を没収され山主、僧徒は退散を命じられ、
ある者は農民となり、ある者は商人となるに及びました。
後、慶長八年、徳川氏の知るところとなり「石馬寺」が復興、寛永十一年、
家光公上洛にあたり現、神崎郡能登川町に造営された御茶屋御殿を移して大方丈としました。
そして正保元年(1644年)十一月、仙台、松島瑞巌寺の開祖、雲居希贋国師を中興開山とし
臨済宗妙心寺派となり現在に至っております。
【太子駒つなぎの松】
駐車場に車を停めていざ参拝するもデジカメのバッテリーが終了寸前。
だましだまし使っていくも写メも使わざるを得ないことに。(泣)
【石馬の池】
【かんのん坂】
むむ~、
滋賀県の有名どころの寺はキツイ石段がお出迎えしてくれるぜ。(苦笑)
ここも大きさや高さが違うので歩き難いったらありゃしない。
【大仏宝殿】
書院で拝観料を支払い大仏宝殿へ。
入ると重要文化財の仏像がズラリと並び、
まずは阿弥陀如来坐像に御挨拶。
その素晴らしさにうっとり。
横に並んで四天王像、十一面観音菩薩像など凄い仏像ばかり。
滋賀県でやっとこれほどの素晴らしい仏像を間近に見れて興奮しましたよ。
でも、その素晴らしい仏様達を凌駕するのが役行者像です。
これは本当に凄い。
鎌倉時代に造られたそうだが、
精巧な顔の表情に痩せた足の肉体表現など、
見事としか言いようがございません。
間違いなく役行者像ではこれを超えるものは無いと思われます。
是非とも生で拝んでいただきたい。
堂内は全て撮影禁止だったのが残念でした。
【石馬の石庭】
なかなか良いんだけどね、
書院から見ると大仏宝殿の横壁が真ん前に見えて風情が削がれています。
大仏宝殿の横壁を何かで隠した方がいいと思いますね。
【本堂】
正徳元年(1711)再建されたもの。
御本尊の十一面千手観世音菩薩像は厨子の中にあり秘仏となっておりました。
こちらは撮影OKです。
【行者堂】
【不動明王】
昔のウルトラマンの怪獣のようです。
【不動尊】
【御朱印】
安土を堪能するのに精一杯で石馬寺まで頭が回りませんでしたよ。
住所:滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面千手観世音菩薩
創建:推古2年(西暦594年)
開基:聖徳太子
札所:聖徳太子霊跡、役行者大菩薩霊場、近江百八観音霊場、湖国十一面観音霊場、
近江湖東二十七名刹霊場
【縁起】
今からおよそ1400年前の推古2年(西暦594年)のこと推古天皇の摂政であった聖徳太子が
霊地は近江国にあると占い永久に鎮護国家、興隆仏法、利福衆庶を祈る道場を求めて
行く駒の蹄に任せて繖山の麓辺りに来ると駒は歩みを止めて進まないので、
ここの松の樹に乗馬をつないで山に登り、自らこの山の地形を観察されたところ、
風光秀麗、瑞雲靉靆、深く感動して積年の望みをこの地に得たりとして、
再び山を下ると松の樹につないだ馬が、そばの池に沈んですでに石と化していました。
聖徳太子はこの奇瑞を覧て感動、大いに霊気を感じ、
直ちに山を『御都繖山』と名付け寺を建立して馬が石となった寺、
つまり『石馬寺』と号されました。
【歴史】
「石馬寺」は聖徳太子の創立以後、法相宗、天台宗と転宗し、近江源氏、
代々木氏の篤く帰向するところとなりましたが、永禄十一年(1568)、
織田信長が京都に上ろうとして佐々木承貞を攻めた時その戦禍を受け伽藍、
院妨ことごとく兵火の災いに罹り昔日の壮観を二度と見ることができなくなりました。
越えて豊臣氏が天下を取るや寺領、山林を没収され山主、僧徒は退散を命じられ、
ある者は農民となり、ある者は商人となるに及びました。
後、慶長八年、徳川氏の知るところとなり「石馬寺」が復興、寛永十一年、
家光公上洛にあたり現、神崎郡能登川町に造営された御茶屋御殿を移して大方丈としました。
そして正保元年(1644年)十一月、仙台、松島瑞巌寺の開祖、雲居希贋国師を中興開山とし
臨済宗妙心寺派となり現在に至っております。
【太子駒つなぎの松】
駐車場に車を停めていざ参拝するもデジカメのバッテリーが終了寸前。
だましだまし使っていくも写メも使わざるを得ないことに。(泣)
【石馬の池】
【かんのん坂】
むむ~、
滋賀県の有名どころの寺はキツイ石段がお出迎えしてくれるぜ。(苦笑)
ここも大きさや高さが違うので歩き難いったらありゃしない。
【大仏宝殿】
書院で拝観料を支払い大仏宝殿へ。
入ると重要文化財の仏像がズラリと並び、
まずは阿弥陀如来坐像に御挨拶。
その素晴らしさにうっとり。
横に並んで四天王像、十一面観音菩薩像など凄い仏像ばかり。
滋賀県でやっとこれほどの素晴らしい仏像を間近に見れて興奮しましたよ。
でも、その素晴らしい仏様達を凌駕するのが役行者像です。
これは本当に凄い。
鎌倉時代に造られたそうだが、
精巧な顔の表情に痩せた足の肉体表現など、
見事としか言いようがございません。
間違いなく役行者像ではこれを超えるものは無いと思われます。
是非とも生で拝んでいただきたい。
堂内は全て撮影禁止だったのが残念でした。
【石馬の石庭】
なかなか良いんだけどね、
書院から見ると大仏宝殿の横壁が真ん前に見えて風情が削がれています。
大仏宝殿の横壁を何かで隠した方がいいと思いますね。
【本堂】
正徳元年(1711)再建されたもの。
御本尊の十一面千手観世音菩薩像は厨子の中にあり秘仏となっておりました。
こちらは撮影OKです。
【行者堂】
【不動明王】
昔のウルトラマンの怪獣のようです。
【不動尊】
【御朱印】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます