善峰寺へ向かう為に9号線を車で走っていると、
足利高氏旗揚げの地 篠村八幡宮という看板を見たので寄り道。
そりゃ、そそられますわな。
所在地:京都府亀岡市篠町篠上中筋45-1
主祭神:譽田別命(応神天皇)
配祀神:仲哀天皇、功皇后
社格:郷社
創建:延久三年(1071)
【由緒】
延久3年(1071年)に後三条天皇の勅宣により、
河内国(大阪府羽曳野市)に鎮座していた誉田八幡宮から
勧請され創建されたと伝えられている。
延久4年(1072年)に河内守・源頼義の寄進状が残っており、
「丹波の国 新八幡宮の修営のため篠村庄を寄進する・・・」とあることから、
長子を石清水八幡宮で元服させ八幡太郎義家と名乗らせたり、
鎌倉の鶴岡八幡宮を創建するなど八幡神に対する崇敬を惜しまなかった頼家が、
自分の荘園であった篠村庄の原初の神社に自分が国主を務める河内から
誉田八幡宮の御分霊を勧請したものだろう。
元弘三年(1333)足利高氏が当社に戦勝祈願の願文を奉じて首尾よく六波羅探題を滅ぼし、
健武中興や室町幕府開幕のきっかけを掴んだことから、
足利尊氏をはじめ歴代の足利将軍から多くの荘園の寄進をうけ、
室町時代を通じ三十余の宮殿を備えるほど栄えたと伝えられています。
多くは応仁の乱や明智光秀の丹波平定の戦火によって損壊、
十一の宮殿を残すだけとなっていたのを寛永年間に亀山城主菅沼定芳により造営。
以来、亀山城主の氏神を祀る直轄社として歴代城主の手で維持・改修している。
【鳥居】
承応元年(1652年)亀山城主の松平忠晴により建立。
昭和54年に皇太子殿下も来られたそうで、
記念の石碑が建てられています。
【拝殿】
大正12年(1923)建立。
昭和初期までは奉納謡曲や能舞い等が行われていましたが、
現在では例大祭で使用する程度に留まっています。
【本殿】
現社殿は三百十余年に渡り維持改修されてきたものです。
【矢塚】
戦勝祈願に際して高氏以下の諸将が神前に捧げた玉串に代えて
鏑矢を納めた史蹟。
石玉垣は元禄十五年(1702)建立されたもの。
【稲荷神社】
創建は不明ながら伏見稲荷神社の御分霊を勧請したもの。
【祖霊社】
歴代神職と地元から太平洋戦争に出征して戦死した55柱の英霊が祀られています。
古来歴代神職の御霊だけが祀られていましたが、
昭和52年、靖国神社から55柱の英霊の御分霊を勧請し合祀。
【御神木】
【乾疫神社】
御祭神:建速須佐之男神、大己貴神、少彦名神。
手前の灯篭一対は天保十五年(1844)奉献されたもの。
【小宮社】
近郷の祠に祀られていた神社を明治以降に四つの小社に移したもの。
左にから秋葉神社・愛宕神社、住吉神社・春日神社・日吉神社、
皇大神宮・豊受大神、天満宮。
【境内】
神社らしい雰囲気です。
【足利氏旗立楊】
亀岡市指定の史跡。
旗揚げに際して高氏が4月27日から5月7日まで味方に駆け寄せる武将に、
本営の所在を知らせる為に山陰街道沿いに二引両の家紋入りの源氏の白旗を掲げた場所。
石玉垣は貞亭四年(1687)に建立されたものを明治四十一年に立て改められたもの。
【風景】
こういう田舎の風景が好きです。
【御朱印】
予定になかった知らない神社を訪れて、
それがいい神社だったら嬉しいですね。
足利高氏旗揚げの地 篠村八幡宮という看板を見たので寄り道。
そりゃ、そそられますわな。
所在地:京都府亀岡市篠町篠上中筋45-1
主祭神:譽田別命(応神天皇)
配祀神:仲哀天皇、功皇后
社格:郷社
創建:延久三年(1071)
【由緒】
延久3年(1071年)に後三条天皇の勅宣により、
河内国(大阪府羽曳野市)に鎮座していた誉田八幡宮から
勧請され創建されたと伝えられている。
延久4年(1072年)に河内守・源頼義の寄進状が残っており、
「丹波の国 新八幡宮の修営のため篠村庄を寄進する・・・」とあることから、
長子を石清水八幡宮で元服させ八幡太郎義家と名乗らせたり、
鎌倉の鶴岡八幡宮を創建するなど八幡神に対する崇敬を惜しまなかった頼家が、
自分の荘園であった篠村庄の原初の神社に自分が国主を務める河内から
誉田八幡宮の御分霊を勧請したものだろう。
元弘三年(1333)足利高氏が当社に戦勝祈願の願文を奉じて首尾よく六波羅探題を滅ぼし、
健武中興や室町幕府開幕のきっかけを掴んだことから、
足利尊氏をはじめ歴代の足利将軍から多くの荘園の寄進をうけ、
室町時代を通じ三十余の宮殿を備えるほど栄えたと伝えられています。
多くは応仁の乱や明智光秀の丹波平定の戦火によって損壊、
十一の宮殿を残すだけとなっていたのを寛永年間に亀山城主菅沼定芳により造営。
以来、亀山城主の氏神を祀る直轄社として歴代城主の手で維持・改修している。
【鳥居】
承応元年(1652年)亀山城主の松平忠晴により建立。
昭和54年に皇太子殿下も来られたそうで、
記念の石碑が建てられています。
【拝殿】
大正12年(1923)建立。
昭和初期までは奉納謡曲や能舞い等が行われていましたが、
現在では例大祭で使用する程度に留まっています。
【本殿】
現社殿は三百十余年に渡り維持改修されてきたものです。
【矢塚】
戦勝祈願に際して高氏以下の諸将が神前に捧げた玉串に代えて
鏑矢を納めた史蹟。
石玉垣は元禄十五年(1702)建立されたもの。
【稲荷神社】
創建は不明ながら伏見稲荷神社の御分霊を勧請したもの。
【祖霊社】
歴代神職と地元から太平洋戦争に出征して戦死した55柱の英霊が祀られています。
古来歴代神職の御霊だけが祀られていましたが、
昭和52年、靖国神社から55柱の英霊の御分霊を勧請し合祀。
【御神木】
【乾疫神社】
御祭神:建速須佐之男神、大己貴神、少彦名神。
手前の灯篭一対は天保十五年(1844)奉献されたもの。
【小宮社】
近郷の祠に祀られていた神社を明治以降に四つの小社に移したもの。
左にから秋葉神社・愛宕神社、住吉神社・春日神社・日吉神社、
皇大神宮・豊受大神、天満宮。
【境内】
神社らしい雰囲気です。
【足利氏旗立楊】
亀岡市指定の史跡。
旗揚げに際して高氏が4月27日から5月7日まで味方に駆け寄せる武将に、
本営の所在を知らせる為に山陰街道沿いに二引両の家紋入りの源氏の白旗を掲げた場所。
石玉垣は貞亭四年(1687)に建立されたものを明治四十一年に立て改められたもの。
【風景】
こういう田舎の風景が好きです。
【御朱印】
予定になかった知らない神社を訪れて、
それがいい神社だったら嬉しいですね。
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