Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

笠置寺 其の一(2014年10月26日参拝)

2014-12-08 | 仏閣
続きまして磨崖仏と巨石を見る為に笠置寺へ。

柳生の地に近かったとは知りませんでした。
どんどん田舎になっていきます。(笑)

このお寺も山の中にあるんですが、
これがまた強烈な酷道で泣きそうになりました。

海住山寺の道も狭かったが、距離的には短った。
でも笠置寺への道は距離が長いし、途中で舗装されてない道になって、
このまま行き止まりかと危険を感じたほど。(泣)

とりあえず行くしかないので行ったら何とか無事に到着。(^^;

無料駐車場に着いた時は嬉しかったなぁ。(^^



所在地:京都府相楽郡笠置町笠置山29
宗派:真言宗智山派
御本尊:虚空蔵磨崖仏
創建:白鳳11年(682)
開基:大海人皇子(天武天皇)


【縁起】
笠置山の信仰の歴史は古く、弥生時代にはすでに山中に点在する
巨石を神として崇拝する磐座信仰が行われていました。
やがて奈良時代になると巨石には仏さまが刻まれ、
磨崖仏の礼拝堂や多くの寺院が建立され、
現在の笠置山と笠置寺の原型がつくられました。

この頃の笠置山には多くの南都の寺院の僧侶が訪れ、
特に東大寺とは現代に続く「お水取り」の起源とも言われる、
良弁和尚の雨乞いと実忠和尚の観音悔過の法要が、
笠置山の正月堂で始まったと言われています。

弥勒信仰の中心道場として栄えた笠置山でしたが、
1331年8月南朝の後醍醐天皇が入山。
約1ヶ月の間、鎌倉幕府軍との戦乱の舞台となりました。

この戦乱では足助次郎重範や楠正成が後醍醐天皇方の武将として活躍されましたが、
全山焼き討ちに遭い、すべては焼け落ち、後醍醐天皇は囚われの身となられました。

以後、室町時代に少々の復興をみたが江戸中期より荒廃。
ついに明治初期に無住の寺となった。
 
明治9年、丈英和尚狐狸の住む荒れ寺に住して笠置寺の復興に尽くすこと20年、
ようやく今日の山容となったのである。


【毘沙門堂】





【稲荷社】





【鎮守社】



【地蔵尊】



【舎利殿】


昭和49年春笠置寺創建1300年、宗祖弘法大師御生誕1200年を記念し建立されたもの。


【椿本護王堂】




ここから左に行って拝観料を支払います。


【巨岩】


この岩の上に木が逞しく育っていた。


【修行大師像】



【巨岩】




物凄い巨岩に圧倒される。
京都にこんな所があったんだね~。


【十三重石塔】






鎌倉時代後期の重要文化財。


【弥勒磨崖仏】




ちょうどこの時、ハイキングの団体さんがおられ、
御住職に説明していただいた。

三度の火災により火がかかり仏像が摩滅しまい、
今や肉眼ではそのお姿が見れないのが残念ですが、
そこに仏様は確実にいるのが分かりました。


【宝篋印塔】



【正月堂】


本堂になります。





清水の舞台と同じく懸崖造となっていました。




内陣。

写真のパネルでデジタル復元された弥勒仏が見れました。


【千手窟】


いきなり巨岩のお出まし。
岩と岩の間に祠がある。








1200年来、笠置寺の修行場であり、二月堂のお水取りの行法も実忠和尚が、
この修行場で行中感得されたもので、大仏殿の修理の折は必ずこの場で、
無事完成を願っての祈願法要がとりおこなわれたという。


【虚空蔵磨崖仏】








こちらの磨崖仏はお顔もハッキリと分かりますし、
よくぞこれほどまでに現存していてくれたものだと感動。

それにしても足場の狭い場所でこれほど巨大な磨崖仏を
手でよく彫ったものですね。

昔の人は本当に凄い。




彫刻の様式から中国山西省雲崗の磨崖仏に相通じるものがあるところから、
御本尊弥勒磨崖仏と同様奈良時代の渡来人の作と考えられるそうです。


磨崖仏を過ぎると行場巡りに突入です。

続きは其の二で。