毘沙門堂を参拝し駐車場に戻ると「山科聖天すぐ近く」という
看板を見つけましたので当たり前のように参拝することに。
このような道を歩くこと数分で到着。
所在地:京都市山科区安朱稲荷山町18‐1
宗派:天台宗
御本尊:大聖歓喜天
創建:寛文5年(1665年)
開基:公海
【由緒】
当院は毘沙門堂門跡塔頭の一院である。
毘沙門堂は寛文五年(一六六五)後陽成天皇の勅により
徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ天海大僧正、公海大僧正に至って現地に再興。
当院も同年に建立された寺院である。
当初、本尊には湖東三山の西明寺より迎えられた阿弥陀如来
(藤原時代作「光坊の弥陀」と称す)を安置するが、のち明治元年に聖天堂を建立し、
門主の公遵法親王ご念持仏「大聖歓喜天」を賜り本尊とした。
そのほか武田信玄や多くの信徒や寺院から奉納された聖天像を七十数体合祀し、
願いのかなう霊験あらたかな「山科の聖天さん」として広く信仰されている。
【鳥居】
【地蔵菩薩】
【山門】
紅葉の時期に訪れると美しい紅葉が見れそうですね。
【聖天堂】
歓喜天は象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多く、
日本仏教には珍しく後期密教の無上瑜伽やタントラ教の歓喜仏を連想させるような
男天・女天が抱擁し合う表現を含む為、「男女合体神」「陰陽和合」を表わす
双身歓喜天像は秘仏とされて一般には公開されないのが普通である。
多くは厨子などに安置されて秘仏として扱われており、
こちら聖天堂の歓喜天も厨子の中に安置されており直接拝むことは出来ません。
【不動堂】
珍しい屋根をしたお堂ですね。
こちらのお不動さんは比叡山の千日回峰行者であった第二十四代住職が、
明治十六年に比叡山無動寺より勧請された不動明王が祀られていました。
参拝した時はこちらが御本尊かと思ってました。(^^;
不動堂の隣には阿弥陀堂があるのですが、
これがどう見ても普通の家でした。(笑)
【お瀧不動】
【御朱印】
看板を見つけましたので当たり前のように参拝することに。
このような道を歩くこと数分で到着。
所在地:京都市山科区安朱稲荷山町18‐1
宗派:天台宗
御本尊:大聖歓喜天
創建:寛文5年(1665年)
開基:公海
【由緒】
当院は毘沙門堂門跡塔頭の一院である。
毘沙門堂は寛文五年(一六六五)後陽成天皇の勅により
徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ天海大僧正、公海大僧正に至って現地に再興。
当院も同年に建立された寺院である。
当初、本尊には湖東三山の西明寺より迎えられた阿弥陀如来
(藤原時代作「光坊の弥陀」と称す)を安置するが、のち明治元年に聖天堂を建立し、
門主の公遵法親王ご念持仏「大聖歓喜天」を賜り本尊とした。
そのほか武田信玄や多くの信徒や寺院から奉納された聖天像を七十数体合祀し、
願いのかなう霊験あらたかな「山科の聖天さん」として広く信仰されている。
【鳥居】
【地蔵菩薩】
【山門】
紅葉の時期に訪れると美しい紅葉が見れそうですね。
【聖天堂】
歓喜天は象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多く、
日本仏教には珍しく後期密教の無上瑜伽やタントラ教の歓喜仏を連想させるような
男天・女天が抱擁し合う表現を含む為、「男女合体神」「陰陽和合」を表わす
双身歓喜天像は秘仏とされて一般には公開されないのが普通である。
多くは厨子などに安置されて秘仏として扱われており、
こちら聖天堂の歓喜天も厨子の中に安置されており直接拝むことは出来ません。
【不動堂】
珍しい屋根をしたお堂ですね。
こちらのお不動さんは比叡山の千日回峰行者であった第二十四代住職が、
明治十六年に比叡山無動寺より勧請された不動明王が祀られていました。
参拝した時はこちらが御本尊かと思ってました。(^^;
不動堂の隣には阿弥陀堂があるのですが、
これがどう見ても普通の家でした。(笑)
【お瀧不動】
【御朱印】