無意識日記
宇多田光 word:i_
 



先週のVICE記事の翻訳ん時に「この記事の詳細な感想なんかはまたいつもの日記で触れられるかな」とか書いたので触れようと思ったんだけど、特に付け足すことないのよね。ヒカルの発言内容も初出といえる程のモノはないし。


寧ろ逆の話をすべきかなと。この記事がそうだというのでは全然ないが、この手のしっかりした修飾の多い文章は「インタビューの発言が執筆者のストーリーに合わせて単なる素材として切り取られている事が多い」のは留意しておくべきだろう、という話。これからその手の記事が増えてくるかもしれないしね、宇多田ヒカルが英語圏でより注目されていくとすれば。していかないかもしれないけど。

今回も、どうにもヒカルの発言の切り取り方が不十分で訳しにくかった。例えばここ。


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だが、わずかばかり門戸を開いて88risingと仕事をして以来、宇多田ヒカルはアジアとの関係性をより深く感じるようになったという。

彼女は次のように語る。
『今までの経験だと、自分のアジアらしさは通常、不快なやり方で私に押しつけられてくるものでした。でも、今回(一緒に)参加した素晴らしい皆さんが周りにいてくれた(ライブの)時には、自分が何者なのかをよりしっかりと掴むことができたんです。』


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確かに、文意からは「あぁ、アジア人たちに囲まれて居心地良かったんだろうな」という風に解釈できるが、ヒカルは何故「(ライブの)時には、自分が何者なのかをよりしっかりと掴むことができた」なんていう言い方に留めているのか。(原文は"But being around the brilliant people who were part of that set have made me more in touch with who I am.") そのすぐ下ではMiya Natsukiさんのエピソードに関して"Asianess"ってハッキリ言ってるのに。

恐らく、地の文になっている「88risingと仕事をして以来、宇多田ヒカルはアジアとの関係性をより深く感じるようになった」(原文は"Utada has felt a deeper connection to Asia. ")という箇所は、インタビュー中のヒカルの発言なのだろう。だが、一般論でいえば、地の文でこう書かれると、本当にそう本人が言ったかどうか確信が持てなくなる。これはあまりいいことではない。

無理矢理難癖をつけるなら、それこそ「自分を認めてくれている人たちが周りに沢山居たから楽しかった」というのが主旨で、それがアジア人、アジア系の人たちであることは然程関係が無かったかもしれない。ネガティブな環境の例として、自分がアジア系であるという理由で差別された経験があったのは間違いないが(実際原文のヒカルの発言部分に"my Asianess~in an uncomfortable way"とハッキリ書いてある)、ポジティブな環境の例としては、今回のコーチェラの舞台は"one of them"でしかなかったかもしれない。実際、ヒカルは『Utada In The Flesh 2010』に於いて様々な客層から歓待を受けている。自分がみたホノルル公演でも肌の色が3つも4つもあり、聴衆の話す言語も3つも4つもあった。多国籍多人種なファン層を持つのが宇多田ヒカルだ。

だから、こちらとしては、そういう背景をもつヒカルが今回のコーチェラの舞台をどれくらい特別に見ているか、或いは、自身の中でどう位置づけているかを知りたいのだけど、どうにも今のところそこらへんの細かいニュアンスが見えてこないのが私の不服。それというのも、宇多田ヒカルがコーチェラの舞台に立つという“事件”のインパクトが、日本のシーンやアジアの、そして世界のアジア系のシーンに於いてインパクトが強過ぎた為だ。確かにそれは歴史的に大きい出来事だし音楽記者がその点にフォーカスを当てて記事を書くのは当然なのだが、ヒカルの発言のうちその意図にそぐう部分だけを切り取っているのではとファンに訝られてしまうのもまた有り得る事なのだとは、知っておいて欲しいんだけどいや待てそれ俺英語でこの日記書くべきだったんじゃねーの!? …と今頃気づくなど。まぁもぉ遅い。

という感じなので、明後日発売になる「VOGUE JAPAN」でのヒカル自身の言葉によるコーチェラの感想が読めるのは大変期待している。シーンに対するインパクトについても自覚的でありつつ、個人としての感慨もちゃんと述べているバランスの取れたコメントを発しているのではないかと思っているのだがはてさて。

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今週は水曜日に「VOGUE JAPAN」のロング・インタビューが投下されるのを視野に入れてかなきゃなんないねぇ。漂ってくる雰囲気は案外世間話的な内容なのかな?という感じなんだが、ボリューム次第ではもっと多岐に渡っているのかも、ということで。


昨日、一昨日と連日ヒカルからのツイートがあったねぇ。思わず私、

「今の俺、羨ましいなぁ。」

と呟いてしまって。過去に色んなアーティストたちがリアルタイムで情報を発信するのをリアルタイムで受け取っていた自分より上の世代を羨む気持ちというのは、後追いの人間としてついつい持ってしまうものだが、今こうやってリアルタイムで宇多田ヒカルというアーティスト本人の声を直に受け取れてて、いやこれは後世の人たちに羨ましがれること間違いなしだねと…思うのの簡略形が、「自分自身を羨ましがる」という妙な言動に結実してしまった模様だが、うむ、なんとなくわかるのがまた。

ということで、その新情報。


@utadahikaru :「First Love」を聴くと声がすごくあどけなくて照れるんだけど、Netflixのドラマ用の新しいミックスの確認に行ったらエンジニアのスティーブンに「これ何歳の時?」って聞かれて「15歳🙈」って答えたら「声が落ち着いてて大人っぽいからもっと全然後かと思った!」と意外な反応…声老けてたのか…🫠
posted at 2022/05/28/23:49:41


こうやってしれっとドラマ「First Love」制作着々進行中のお報せを放り込むの、上手いねぇ。毎度のことではあるけれど。今みたら9.9万いいねか。昨今はバズるといっても6桁行かないとタイムラインで目立てないので(複数の人がリツイートしないとね)、バズりまでにはもう一息というところだがなかなかに健闘している。140字で告知、進捗、小話、スタッフ名、制作時期とそこからの年月…などなどを盛り込んでくるのほんと上手い…って感心してばかりだがいやほんと何気なくしれっと書いてるけどなかなかこう自然に纏められんよ。見猿の絵文字を照れる意味で使ってくるとかもうね。ツボを心得てると言いますか。

ということで、まずは『First Love (2022 Remix)』の存在は確定した訳だ。リリースされるかは未定だが、されるとすれば、このままリバイバル・ヒットに持ち込むのだろうか。正直、昨今のテレビの特集企画で宇多田ヒカルといえば『First Love』という図式が定着してしまっているので、リバイバル感を出すのが逆に難しいという気がしないでもない。リカットされた訳でも無いのに現役感が出てしまってるというか。永遠の名曲の辛いところだな。

まぁ、このタイミングでの進捗表明は、やっぱり「VOGUE JAPAN」の発売と同時にドラマ「First Love」の新情報発表を匂わせるので、これも水曜日を待つことにしましょうかね。なんだか今日明日そわそわしたまま過ごすことになりそうねあたしたちw

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