無意識日記
宇多田光 word:i_
 



結論から書くと、ヒカルの言う「アジアン・アイデンティティ」は、今回に関して言えば、全部“外側”で起こった事なのだと推測する。

間接的な示唆となるが、NMEのインタビューでヒカルは、コーチェラのステージに立つことについてこんな風に言っている。

『みんながみんな"どう?興奮してる?"って訊いてくるもんだから、私もどんどん気分が盛り上がってきちゃってて(笑)。』
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/818e21dd4f201d3ed3d2258333144f86

基本的には「でも、ステージでは何が起こるかわからない。一旦そういう期待とかは置いといて、ひとまずステージに立ってみてどうなるか見てみよう…」というのがヒカルの態度なのだが、この日ばかりは共演者の皆さんやら何やらがやたら興奮していて、ヒカルの方が「あぁ、これはきっとエキサイティングなことなんだ」と“推し量った”のが今回のステージだったのではなかろうか。

「アジアン・アイデンティティ」に関しても似たような事態だと考える。ヒカルとしては、コーチェラの舞台に立つことは、そこまで「アジアを背負うこと」だとは、当初思っていなかったのではないか。その為、ライブレポインタビューで答えている通り、

「アジア系アメリカ人のみんなからこんなに沢山応援して貰えてただなんて知らなかった」
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/b1a478fce99933c9106f7de6ce099029

という反応になった。観客席からも、舞台裏や舞台袖や舞台上からも、アジアのレジェンドのステージとしてみられているのを痛烈に感じて、「嗚呼、あたしって、そういう風にみられてたんだ、アジアン・ポップス、アジアン・R&B/ヒップホップの象徴的存在として。」と思い至ったのではなかろうか。

故に、ヒカルが自らの内面にアジア人としてのアイデンティティ的な側面を感じ取ったというよりは、「周りからアジア人として見られている」、しかも、「アジア系からそう見られている」というのを実地で体感した、というのがヒカルの新しい体験だったのではないかと思われる。

なので、相変わらずインター時代の経験に基づいて「もっとシンプルでいいのに」と願っている所に変わりは無いが、宇多田ヒカルという存在がいつのまにかアジア系のアイコンと化していた為、“周りのみんなの”アジア人としてのアイデンティティを形成する重要な要素に“私が”(宇多田ヒカルが)なっていた、という発見が今回の肝だったように思われる。どこまでも周りの人達の話なのだ。


それとは別に、そもそも、2004年のUTADAのデビュー時点でヒカルが(って書くと名義ややこしいなっ)「アジア人としての自分」についてかなり掘り下げていた事もまた真実だ。お馴染み『Easy Breezy』では『アイム・ジャパニージー』と歌ってるし、『The Workout』では「極東の人間がどうやるか教えてやるぜ」と息巻いてるし、『Let Me Give You My Love』では東側の人間と西側の人間で遺伝子を混ぜ合わせようかだなんて歌っている。18年前である。ある意味今グローバルで活躍するどのアジアンアーティスト達よりも先にこういうテーマに取り組んできていたのだ。

ただ、この時は、御覧の通り「西側世界で振る舞うアジア人、日本人として」という切り口だった。今回は、アメリカ在住のアジア系の人たちや、そもそもアジアを拠点にしているアジア人の皆さんから、アイデンティティの根幹のひとりとして奉り挙げられているというのが特徴だ。18年前とはまるで異なるアジアン・アイデンティティとの向き合い方になっている。その違いは、押さえておいた方がいいかもわからないですね。

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性別・言語・人種のうち今日は人種の話から。

コーチェラ・ライブレポ・インタビューの英文の方で、鍵となる1文は、


"I’ve always just felt like a human being. I just always wished it was simpler. Like just that we could have just like, not think about that so much,” they shared. “But it is an important part of our identity and in some ways I kind of missed out on building my identity as an Asian person. "

https://www.billboard.com/music/music-news/hikaru-utada-coachella-interview-1235063847/


の部分の中程辺り、

"But it is an important part of our identity"

の1文だと思う。

そこまでの流れは、ヒカルがインターに通っていたことで人種に悩まずに済んでいてそれで何も問題なかった、だからもっとシンプルでいいのにと願い(wish)を口にした、というものだったのだが、その次のこの文を、

「でもそれは私たちのアイデンティティの重要な部分なのです」

と訳すならば、ここのうち「それ(it)」と「私たちの(our)」が何を指すのかで、今回のインタビュー全体の解釈が変わってくる。極めてキーとなる1文だ。

英語の原文であるとはいえ、そもそも編集されているものだという点は強調しておかなければならない。これの執筆者の方の視点はどうしても入る。故にこれは推測交じりにしか語れない。

「それ(it)」に関しては、「人種」を宛てるのが適切だろうか。そして、「私たちの(our)」は、文脈上「インターナショナルスクールに通っていた生徒たち」になるべきところだが、ヒカルのコメントが編集されているとすると「アジア人/アジア系」である可能性が浮上する。実際、次の文章が、

in some ways I kind of missed out on building my identity as an Asian person.

即ち

「ある点においては、私は、アジア人としての私のアイデンティティーを構築し損ねていたみたいなものなんです。」

という内容だからだ。こちらを重視すれば「私たちの(our)」は「アジア人の」なのかもしれない。

いずれにせよ、この段落の構成が、

・私はただの人類
・もっとシンプルでいいのに
・それで何の問題もなかった

とヒカル自身として結論(wishの部分)が出ているのに、

・人種は私たちにとって重要
・私はアジア人としてのアイデンティティーを築き損ねてた

というどちらかというと逆行というか、「今その話は要らないって言ったとこだよね?」な話題に移るのが、読んでいて奇妙だった。ただ、いずれにせよ、「私たちの(our)」であって、「私の(my)」ではなかった所には注目している。そこがインターナショナルスクールの生徒の話であれ、当日コーチェラで関わったアジア系の人たちのことであれ、ここは一般論であって、その視点からみたときにヒカルは自分のアジアンとしてのアイデンティティー構築が足りていなかったと語っているのは間違いないのではないか。

つまり、この英文がヒカルの言葉をそのまま伝えているとすれば、一般論からみたアジアン・アイデンティティーの話をしているのであって、ヒカル個人としては“I just always wished it was simpler.”、「いつも、もっとシンプルだったらいいのにと願ってきた」という立ち位置に変化は無いんじゃないかなというのが、今の私の見立てになる。そこの所の話からまた次回。

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