無意識日記
宇多田光 word:i_
 



この間出たファンキーモンキーベイビーズの10周年記念ベスト盤2枚のタイトルはそれぞれ「ラブ」と「エール」だった。「ラブ」を標榜するミュージシャンはそれこそ星の数だけ居ただろうが、もう一枚を「エール」だけで埋められるだなんて如何にも彼らの世代ならではだなぁと思った。

10年前といえば2006年。“応援歌”というジャンルが確立しようとする頃に彼らはデビューした訳だ。だが我々にとって「10年前」「応援歌」といえば勿論“Keep Tryin'”である。今月であの歌から10周年なのだ。

当時スタートしたLISMOサービスの切り込み隊長として無料サービスされた同曲は200万ダウンロードを突破。売上という言葉では語られないが、実際にこれだけの人々がこの歌に興味を持って聴いてくれたという事実は何物にも代え難い。隠れた大ヒットナンバーと言って差し支えないと思う。

当時ヒカルはこの歌を「既存の応援歌のパロディ」と言い切った。応援歌というジャンルが市民権を得つつあったJ-popシーンにおいてすぐさま風刺を利かせてきた機転は特筆に値する。そういや海の向こうでは誰かが後に”Death Of Auto-tune“とかいう歌を歌ってなかったっけ。溢れればウンザリされるものなのだが、ヒカルのタイミングは更にその前だったように思う。ファンモンがデビューした年、というと何だか説得力がある。

勿論ヒカルにみんなを応援したい気持ちがなかった訳でもなく、パロディと言いつつその思いの強さは伝わってくる。しかし、「挑戦者のみ貰えるご褒美欲しいの」だなんて歌詞は、典型的な応援歌ではまず出てきやしない。

特にこの曲は音韻が凝りまくっていて、無意識日記でも特集を組んだ事があるのだが余りにも複雑過ぎて途中で挫折して放り投げた苦い思い出もある。また続きを書きたい所だが、なんでこんなに音韻尽くしだったのかという理由、もしかしたら応援歌を歌っていたグループにラップ/ヒップホップの影響が色濃かったからではないかと気がついた。彼らは何かにつけてリリックだライムだとかまびすしいが、ヒカルも好きなアーティストにNotorious B.I.G.(第五部に出てきたあの印象的なスタンド名の元ネタのオヤジである)の名前を出すくらいだからそういうのに仲間意識を感じつつも、「私のはレベルが違う」と言いたかったのかもしれない。意地を張ったとか対抗意識とかもあるかもしれないが、「真に良質なものを」という本能がはたらいたのかもしれない。事実、本当にレベルが違う。桜流しまで来ると音韻に気品と風格が見られるが、キプトラにはもっとこう、自分自身を奮い立たせるような漲りを感じる。

つまり、ヒカル自身が挑戦者だった。そして彼女はご褒美を貰った。更なる段階に進む為の新しい挑戦を。歌詞の音韻ひとつとっても、このキプトラ以降、まさに次元まで違う所を見せつけてきた。先程触れた桜流しなどは最早歌詞だけで芸術品である。そんな人が書いた歌詞が「お兄ちゃん、車掌さん、お嫁さん keep trying, trying」だったのだから…何ともチャーミングな女性(ひと)ですな。

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音と光の比較は以前「取り調べの可視化」について取り上げた時に述べたものだった。音声はそのままその部屋にマイクを一本立てればいいとして、カメラはどの位置に何台備えつければOKなのか? 一台を定位置に置くとして、死角で何かあったらどうするのか、と。

魚眼レンズを中央に置くという手もある。後から再現するのは面倒だが、パノラマ写真サイズの動画が生まれるという訳。いずれにせよ「取り調べの可視化」とは不正防止の取り組みの一環なので、正確な記録云々よりは、抑止力として機能するかどうかに焦点が当たるだろう。その為のノウハウは、結局、現場を知る人間でないとわかんないだろうな。

音は斯様に全方位からの情報をクマ無く得る事が出来る。厳密にいえばマイクロフォンの振動板の向きによって音にも死角は出来るのだが、録画のそれに較べるとずっと対策は容易だし、音は幾らでも混ぜる事が出来るのだ。

その代わり、(モノラルの)音は「方向」という大事な情報を殆ど失う。右から来た音も左から来た音も「音量」とそれに伴う距離情報までしか得られない。パースペクティヴがないのである。距離だけだ。

“DISTANCE”という曲が作られたのは、そういう哲学が背景にある。自己と他者を1対多で見る時にはパースペクティヴが必要で、自分からどの方向にどの人が居るかというのが情報として意味を持つ。しかし、自己と他者が1対1で向き合う時は方向の情報は無用になり、その距離だけが意味を持つ。“DISTANCE”とは、音の世界の哲学で語られた言葉なのだ。

然るに光は、歌う事の本質にそこから既に寄り添っているという事になる。この曲が後に“FINAL DISTANCE”に変貌し、光は編曲術に大幅に関わるようになった。音楽をステレオとして、立体、いや面として捉えるようになったのだ。だからといって歌という音の化身の力が奪われた訳ではない。1対1すら多様だと学んだだけである。音と光の物語は、今に至り未来に渡り末無く続いていく。

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