無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Universalとの契約を終了し、EMIと世界契約を結んだ宇多田光。買収騒動がどうなるか、これは本当に終わってみなければわからない類の話なので今は考えないとして。次のアルバムがどんな形態であるにせよ、つまり日本語と英語の配分がどんな具合になるにせよ、光が望みEMIが見込みありと判断した世界中のありとあらゆる国と地域で発売される事になるだろう。

さてそうなった時に、今までも何度か触れてきたあの問題がある。

アーティスト名義である。

UtaDAというワンワード・ネームはスティングやマドンナやプリンスに準じるものだが、果たしてあのように袂を分かったUniversal在籍時の名前を使用するだろうか? ただの名字なので可能性は低いものの、昔の契約の内容によっては法的に使用許可がおりない事も考えられる。光の気持ちの問題と、契約の問題。いずれにせよUtaDAという5文字は使わなくなるのだろうか。

恐らく、Hikaru Utada 或いはUtada Hikaru といったシンプルな表記である可能性が高い。どちらがいいかはまだわからない。姓名の順序でこの奇妙な発音だと、どちらが姓でどちらが名なのか初聞の人にはわかりにくいかもしれない。ならば例えばひと続きにutadahikaruという長ったらしいワンワードにしてしまう、というのもアリか。余計わかりにくいわな。

そういえば、不思議にも今まで当欄でも一度も提案してこなかったが、ワンワードで"Hikaru"という名義は有り得ないのだろうか。これなら結婚や離婚に左右されないだろう。私としては光は婿をとるべきなのではと思うのでそれは別に関係ないか。次男余ってるよ?(←?)

元々、UtaDAというワンワードにした理由は、Hikaruという発音が英語圏では難しかったからだ。確かに、まともに発音してもらおうと思えば例えば"Heeker-loo"みたいに表記しないといけない。なんだかWaterlooみたいだな。原型留めなさすぎである。

更にそれに加え、Hikaruという男の並びは英語圏では女性的な印象を与えるのだという。ここらへんの感覚は日本人には解り難いところだが、兎も角、光は名前で自分のイメージを限定されたくはないという理由でHikaruという6文字を消し、より中性的というかイメージを限定しないUtaDAの5文字を残した。

しかし、以前指摘したように、今の光は自らが女の子であるという事実を受け容れている。昔と違い、まず女子っぽいんだという先入観を持たれてもそんなには気にしないはずなのだ。今なら、ワンワードの"Hikaru"という名義にも違和感はないのではないか。

しかし、これにはネックがある。既に海外でUtaDAのファンになってくれている人たちに対しての訴求力が減じるのだ。前に紹介した通り、特にCome Back To MeのYoutubeでの再生回数はGoodbye Happinessに次ぐ数字を出しているのだ。取り敢えずまだPoLや初恋より上なのである。程なく抜かれるだろうが。それくらいの知名度が、"UtaDA"には備わっている。ラジオのオンエア回数から考えても、UtaDAの名は特に米国でそれなりに浸透しているんじゃないかと思われる。局地的に、ではあるだろうけれど。

その"プチ神通力"がHikaru名義にする事によって幾らか減ってしまうのは忍びない。ファンとしても割り切れないかもしれない。そういう気持ちになる事は、ありえる。

しかし、もし名義を何か新しくしてリリースするのならこれで3度目のメジャーデビュー。バンドやプロジェクトを渡り歩くのなら兎も角、徹頭徹尾シンガーソングライターで3つも4つも名義を持つとなればかなり特異的な事態になるだろう。なんというか、デビューマニアだよねここまで来れば。そうなったらそうなったで、私は凄く楽しみです。

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@utadahikaruのフォロワー数がまもなく85万人突破の見込み。あれだけツイートが少なくても着実に読者(というのか)を増やしているのだから驚きだ。そんなにTwitter利用者が増えているようには思えないが、フォロワー数ランキングでずっとTop10に居る事の効果かな。

しかしそんな事を言い始めたら海の向こうのAdeleは桁違いに凄い。リリースから一年経っても一週間に十万枚単位でアルバムが売れる。全米でモンスターアルバムが出現するたびに思うのだが、何故彼らは一年間気づかなかったのだろう。グラミーを受賞した事がキッカケで、というならまだわかるんだが。

兎に角、そういった米国市場を相手にするからには継続的なツアーをこなして常にどこかで話題にしてもらうのがミュージシャン達の責務ではあるのだが、こと日本では事情が異なる。テレビや新聞といった主要媒体が"全国網"な為、ここで取り上げられたらあっという間に盛り上がり、拡散し、そしてすぐさま消えていく。米国とは対照的である。

で、その日本と米国のいずれでもない特質を備えているのが英国市場だ。米国に倣ったロングセラーもあるし、瞬発的に売れるコンテンツもあれば、「これ一体何!?」と思うようなよくわからんのが上がってきたりする。未だにサッパリわからない。

光は日本市場でのリリースも米国市場でのリリースも経験し、それぞれの市場でのプロモーションの違いも体感しただろう。が、英国でのデビューは何故か中途半端に終わってしまった。幾つか新聞等に記事が出ただけでそれ以降は音沙汰なしだ。勿体無い気がする。

いっそ、次の作品は英国先行リリースでどうだろうか。というか、日本でも米国でもなく、英国からアルバムデビューするのである。つまり英国市場に向けてのアルバムをまず制作し、そこから全世界に向けて発信するのだ。幸い、EMIとの契約はワールドワイドになったのだし、EMIの本社は(今のところ)英国にある。何の問題もない。都合"3度目のメジャーデビュー"を3つめの国で飾るのも面白いではないか。それに、あの訳のわからない、且つトラディショナルな市場に向けて光が作品を作ったらどんなものが出来るか興味もある。現在のロンドン滞在がそれへの布石になっているとしたらちょっと心浮き立つんだがな。

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