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曖昧な境界 溶け合う個人

2021-05-22 23:02:32 | 随想たち
いろんな場面で、人は自分以外に落胆し怒りを覚える。
他人ならば諦めもつくだろうが、こと身内、特に親子間では「どうして分かってくれない」のと、諦めきれない。
生活を共にしているから、自分のことを熟知していて、あえて口に出していわなくても通じているはずだと思っているからだろう。
安心できる家族や肉親でもあるが、同時に甘えも存在する。
甘えがすべていけないわけではないが、まずそこが、気持ちと認識のずれのもとであって、各々別個人という意識を忘れがちになる一因になる。
これは他人であっても、自分にとって親密度が高い場合にも通じる。
誰しも身に覚えがあることではないか。
しかし、それでは勝手に期待されたり、意に添わないからといって、非難されるほうはたまったものではない。
だからあえて、自分の親や子であっても、自分とは別人、別個体なのだと意識する必要がある。
脳、つまり意識は同期していない、自分の思っていることは、きちんと言葉に出して伝えなくては伝わらないと、心に刻み込むのだ。
空気を読むのが当たり前ではないし、出来る人ばかりがいるわけでもない。
むしろ、大切な人にこそ、いらぬ誤解を生まないように、言葉で伝えたほうがいい。
大人同士よりも子供に対して、ことのほか大人は言葉で伝え続けなくてはならない状況になってきている。
感情を、簡単な言葉や態度だけで表現するのは、人の理性を養えないからだ。
もし、近未来に各脳へ直接アクセスできる技術が開発されて、すべての意識が双方向、あるいは全方向へ瞬時に伝わったとしても、その意識に明確なフォルムを与えられないとしたら、あたえるものは言語だと思うが、混沌とした世界が待ち受けるだけとなりそうだ。
果たして、それが進化というのだろうか。
個を持って他と共感できるのが、理想的なあり方だと思うけれど、いかがであろうか。



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