転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



五ヶ月ぶりくらいで、実家に行った。
娘はしょっちゅう顔を出しているが、
私が行くのは11月の秋祭り以来のことだった。

・友人宅で出てきた半世紀前の興信所調査報告書のことを
私が話題にしたら、うちの母いわく、
「ここらへんでも、ときどき、聞きに来る人あるよ」
私は最初、未だにそんなことをするのは実家近辺が現代の秘境だからだ、
と思ったが、よく考えてみたら、実家のある村の村人同士は、
お互いに、当人どころか先々々代くらいのことなら、
直接によくよく知っているのだから、問い聞きなど必要なかった。
『○○』と名字を言ったら、『□□屋の娘か~』と屋号でかえってきて、
やれ先代の奥さんは△△屋から嫁に来ていて、
その親と□□屋の先々代は従妹同士だから、どうのこうの、
と辿れば村じゅうがどっかで親戚だったりする。
うちの村の人が調べられるというのは、つまり、
相手がよその市町村の人だということだと思われた。
・・・・・そう考えると、縁もゆかりもなかった神戸から
こんな村に嫁入ってきたうちの母は、なかなか勇気あったな(汗)。

・テレビがついていて、NHKの『ちりとてちん』が始まったとき、
母が、すかさずチャンネルを変えたので、私は何の気なしに、
「あれ?観ないの?」
と尋ねた。実家では朝の連続テレビ小説を好んで観るという印象が、
なんとなく、あったからだ。すると母は、
「これは、キライやねん」
と言った。え~?巷ではとても人気のあるドラマではなかったっけ?
「話の中身よりもやね。朝から下品な大阪弁で、やかましい喧嘩ばかり。
それが我慢ならんねん。世間の人は、関西弁って、
大声で言い負かすのに似合いの言葉やとでも思うとるんと違う?
関西弁の良さは、そんなもんと違う。あんな関西弁は聞きとない」
私は朝からやかましいテレビが鳴っていること自体が許せないが、
母は、大阪弁の喧嘩を朝イチで聞くことに耐えられなかったらしい。
そんなに喧嘩しているドラマだったのか???
まあ八十のおばーさんの言うことなんで、すびばせん。

・実家で高校の頃まで私が使っていた部屋に、娘と一緒に行ってみた。
「おー、ここに入るの、久しぶりぃ」
と娘が言った。
滅多に行かない部屋があるなど、どんな大邸宅かと思われそうだが、
なにしろ、うちは築100年ほどのオバケ屋敷なので。
その開かずの間みたいな部屋に入った娘は、
壁のポスターが85年当時の忌野清志郎であることに気付き、
さらに本棚に『忌野旅日記』『十年ゴム消し』『月刊カドカワ』
など、清志郎関連のものばかりが並んでいるのを見て驚いていた。
私は20年以上前に貼ったセロテープがまだちゃんとくっついている、
という事実のほうに感じ入ってしまった。私の執念が宿っているのか。

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