まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

3948位

2018年02月12日 | Weblog

一昨日は8910位:2807006ブログで、昨日は3948位:2807502ブログ。

この差はなに?(笑)

 


麻布学園

2018年02月12日 | Weblog

校則などで縛るのではなく

茶髪も私服もOK、校則のない「麻布学園」校長が語る「自由」を育てることの大切さ

2/12(月) 9:54配信

弁護士ドットコム

「生まれつき髪の色が茶色いのに、先生に黒染めを強要された」「なんで学校指定の鞄じゃなきゃいけないのか」ーー。教育現場での指導をめぐり、こうした不満の声が生徒や保護者から出ることは珍しくない。

今年に入っても、いくつもの問題が明らかになっている。東京・銀座の公立小学校では校長が主導して高価なアルマーニの制服(標準服)として採用されることが決まり、富山県の県立高校では生徒44人の髪を教諭が切り校長が「不適切な指導だった」と謝罪したという。

「校則や生徒指導って、いったい何だ」。こんな疑問を抱く人は少なくないだろう。弁護士ドットコムニュースでは2月9日、自由な校風と全国有数の進学実績を両立させる私立麻布中学・高校(東京都港区)の平秀明校長に、校則や生徒指導に関する考え方を聞いた。

●教育現場で統制強めるべきではない
ー学校の指導が最近も問題となっているようです。銀座の公立小学校ではアルマーニの制服が導入されるとの報道もありました

「驚きました。それは『アルマーニ』じゃなくて、『あるまじき』ですよね(笑)。公立小学校で制服があるということは知りませんでした。私は教育現場で統制を強めることはいいことじゃないと思っています。国の考えを注入する機関でもありません。一人の人間としてしっかり確立させるというのが教育の大前提です」

ー統制を強めると管理する教員の負担も増すことになりますか

「一般的に、校則が厳しい学校は先生方もその校則によって強く統制されていると思います。生徒がいきいきと過ごすには、先生もいきいきしていないといけないのですが、先生自身が疲弊してしまいます。最近は、家庭で本来されるべき教育も学校が担わされている部分があります。さらに服装チェックや持ち物チェックばかりでは疲れるでしょう。

学校は授業をするところです。生徒が楽しく元気に通えればいいし、先生だって一生懸命に教えられればいい。生徒の服装や髪型、持ち物は大きい心で許せばいいと思います」

●多様性を縛るのは人権侵害、学校は世間体を気にしすぎ
ー学校にとっては校則や生徒指導を厳しくするのはプラスなのでしょうか

「少し前ですが、『地毛証明書を出せ』という指導がなされている学校があるというのには驚きました。服装や髪の毛がきちんとしていないと、世間から乱れた学校だと見られて、学校の評判が落ちるという考え方があるのです。

外面を整えれば学校がよく見られるようになるというのは、違うと思います。大事なのは学校が生徒を信頼しているかということ。特に、中高生は反抗心があって、エネルギーがあって、目立ちたかったり格好つけたかったりする世代です。ある程度許容してあげていいのではないでしょうか。

また、必ずしもみんな日本人というわけではありません。片方の親が外国人だったり、両方とも外国人の場合もあります。肌の色が違ったり髪の色が違ったり、多様な子がいるのは当然です。多様性を一律に縛るのは人権侵害だと思います」

●自らに揺るぎなき基準をもった生徒に育てる
ー麻布は生徒の服装などが自由で校則もないと聞きます

「服装や髪型の自由さが目立つのですが、我々が本当に求めているのは『内面の自由』です。つまり外から律されるのではなく、自分の中に揺るぎない基準を作りなさいということです。そして立派な一人の人間として世の中に送り出すことを目標にしています。

校則というのは、何々をしてはいけないという『拘束』だと思っています。仮に、校則によって中高時代がコントロールされても、卒業したらタガが外れて、自分を律することができなくなるのではないかという懸念があります」

ー自由なあまり、生徒自身が失敗することはありませんか

「社会一般の法規範を守らなければならないという前提はまずありますが、校則として縛るものがないので、確かに生徒はいろいろな失敗をします。授業で騒げば誰かに迷惑かかり、遅刻をすれば授業に出られずに自らの損になります。生徒自身が、自由をどうコントロールするかは難しく、誰かに迷惑をかける中で学んでいくというのが実態です」

●生徒の問題行為には粘り強く向き合う
ー校則がないと、かえって指導がしにくいことはありませんか

「校則がある学校では普通、飲酒や喫煙、窃盗などの大きな違反をすると、停学や退学といった処分がありえるでしょう。麻布では校則はないので、してはいけないことを生徒がしたら、学年の担任と副担任で集う学年会や全体の職員会議で延々と話し合います。

生徒が反省するまで、作文を書かせたり、家庭とも連絡を取ったりしています。反省した、と認められてようやく通常の授業への参加を認めるということにしています。校則がないぶん、違反行為を校則に当てはめて処分を下すことができない難しさはありますが、生徒の育ってきた環境を聞いたり、友人に話を聞いたりする過程を重視しています」

ー自由な校風だと風紀が乱れ、学力は低下し、学校の評価も下がると考える人もいます

「そうした考え方もあるのでしょうが、我々の考え方は違います。自由な環境であるからこそ、生徒は自分で考え、自分で行動し、結果の責任は自分でとらなければなりません。6年間かけて生徒はこうしたことを学んでいきます」

ーそれは麻布が自由な校風のため乱れ、不人気になっているわけではないということが証明しているのでしょうか

「おかげさまで、受験倍率は3倍(名目)程度を維持しています。寮がないのに、首都圏以外からの受験生が毎年10人程度います。海外から受けに来られる方もいます」

●自由を得るまでの「代償」は大きい

ー受験生は、麻布の自由な校風と進学実績どちらに魅力を感じて志望するのでしょうか

「入学してくる生徒に聞くと、自由な校風の方が魅力的だそうです。実は、校則ではないですが、生徒が考えた禁止事項があります。『麻布3禁』というもので、(1)校内での麻雀禁止、(2)授業中の出前禁止、(3)校内を鉄下駄で歩くことの禁止です。なかなかありえないようなことですが、それくらい自由だということが強調されますね」

ー麻布に合格するために、小学生は必死に夜まで受験勉強しているようで、麻布に入ってからの「自由」を手にするまでの代償はかなり大きいようです

「それはそうかもしれません。裕福で、教育にお金と労力をしっかり投じてくれるような家庭に育った子が多く入ってきているという実感はあります」

●学園紛争きっかけに校則なくなる
ーなぜ麻布はここまで自由な校風になったのでしょうか

「過去に大きな出来事があったのがきっかけです。1960年代後半から1970年代前半にかけて、学園紛争が盛んだった頃、麻布でも政治集会に参加する生徒が出てきて、ヘルメットをかぶった複数の生徒が当時の校長室を占拠するということもありました。

普通の学校なら強制的に排除するのでしょうが、麻布では話し合いを重ねた結果、全校集会において意思の集約ができ、生徒の自主活動は基本的に自由であるという約束が交わされました。すると、校長室を占拠していた生徒たちも綺麗に掃除して退去していきました。のちに、彼らは退学処分を受けることなくみんなと一緒に卒業しています」

ーそれで校則もなくなったということでしょうか

「はい。こうした出来事をきっかけに、校則がなくなりました。私自身、1973年に麻布に入学しているのでちょうど自由な校風に切り替わった直後の世代です。それまでは体育の教師が校門前に立って指導するという他校と同じような光景があったと聞いています。」』

※こういうことでいい!


非公開

2018年02月12日 | Weblog

これじゃあ、

『県の会合、増える非公開 識者指摘、「ガラス張り」に逆行

2/12(月) 4:00配信

茨城新聞クロスアイ

県が設置している審議会などが、非公開となるケースが増えている。最近では、県政の基本方針となる「県総合計画」を議論する県総合計画審議会(県総計審)をはじめ、東京周辺の本県関係有識者の会合「東京懇話会」が非公開となり、傍聴して出席者の生の声が聞けなくなった。県はこれまで、児童生徒の自殺に関する第三者委員会をはじめとした、個人情報などの面で公開に支障がある場合を除き「原則公開」という方針だった。大井川和彦知事の意向を反映したもので、庁内には戸惑いも広がっており、識者も「個人情報の問題と政策の問題は分けた方がいい」と指摘している。 (報道部・黒崎哲夫)

■「意味がない」
県総計審はこれまで公開で行われていたが、5日に開かれた新計画を審議する会合から、冒頭のあいさつなどを除いて非公開となった。あいさつで大井川知事は「忌憚(きたん)のない意見をお願いしたい。私の前の知事のときはずっと公開でやっていたが、私はそれだと意味がないと思っていて、皆さんに発言していただくためにも審議は非公開で、思ったことをどんどん言っていただきたい」と述べた。

7日に東京都内で開かれた「明日の茨城づくり東京懇話会」も同様の対応となり、会議冒頭の撮影と知事のあいさつ、委員の紹介まで公開された後、「自由に発言できるように」と知事が非公開とした。13日の「県まち・ひと・しごと創生会議」も従来公開の方針を覆して非公開となる。

■流れに拍車
知事が公言したのを受け、県庁内では「非公開の流れが広がるのでは」との観測が広まっている。県総合計画はさまざまな部門の計画の基礎になるだけに、県総計審の対応が「非公開の流れに拍車を掛けた」と指摘する職員もいる。

県幹部の一人は「これまでも公開している審議会は公開して困ることはないはず。ただ、県のトップが言っている以上、職員はそれを無視できない」と戸惑いを見せる。

他県では、山形や群馬県などが審議会などの公開に関する指針を定め「原則公開」の方針を示している。本県には同様の指針がなく、会合ごとの判断となっている。

大井川知事は茨城新聞の取材に対し、非公開の方針について「前例にとらわれず、名より実を取る。記者(傍聴者)がいては自由に発言できない。忌憚のない意見を聞き、政策に生かすために非公開にする。しかるべき後、議論の内容はきちんと議事録として公開する」と説明している。

■方針転換
県の方針転換について、審議会を傍聴する機会の多い県議の一人は「知事からすれば、非公開にして、とがった(極端な)意見や“不規則発言”であっても、聞きたいという思いがあるのではないか。でも、一律非公開というのはいかがなものか」と受け止める。

県は前知事時代の2017年3月に定めた「県行財政改革大綱」の中で、行政の透明性向上とチェック体制の強化を掲げ、「審議会の公開や審議内容・結果などの公表を推進します」とうたっている。

県の会合を巡っては15年11月、県の教育委員の一人が県総合教育会議で、障害児の出産を巡り差別的な発言をし、責任を取って辞職した経緯がある。

茨城大の古屋等教授(憲法・行政法)は「県の対応はガラス張りの行政、説明責任から逆行している。審議会を公開するかどうかは、個人情報の問題と政策の問題を切り分けた方がいい。できる限り公開するのが原則だろう」としている。』

※なにしてるか分からない!。で、「非公開」でないと何も言えないのか!」